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  (2017年7月24日発刊)NO.500
「経済とは」

 経世済民(経済)の言葉は中国の古典に登場する語で、「世を経(おさ)め、民を済(すく)う」の意である。近世(江戸時代)になり日本で使われた。英語のEconomy を経済と訳したとのことである。Economyはギリシャ語が語源で、家庭のやりくりにおける財の扱い方という意味であり、近代、国家と統治の単位まで拡大した。
 近代社会では、経済は物やサービスを提供する生産者、消費者である家庭、公共サービスを提供する政府の3つに分けられる。この経済の有り様を研究対象にしているのが「経済学」であると考える。私は、経世済民から由来する経済という考えが日本人にはしっくりする様に感じる。
 日本は他の先進国に先駆けて、少子高齢化で人口減が急速に進行している。2025年には団塊世代が75歳を超え、超高齢社会に突入し、大きな社会構造の変化がやってくる。岡山大学経済学部教授(新村聡先生)の意見では、最も大切なのは労働生産性の上昇、つまり1人の労働者が1時間あたりに生み出す付加価値の増加である。労働生産性を高めるための方法には、@設備投資 A生産方法の改善 B労働者の労働能力を高める、人を育てる C労働者の労働意欲を高める。の4つをあげられた。中小企業家同友会では、「21世紀は学習型企業が生き残る」と学んできた。私はいまこそ経営指針書を作成し、人が育つ企業風土を確立し、ワークライフバランスを推進して、離職率を低くして人材を確保し、生産性を高めていくことが、中小規模の病院にあっても重要な戦略であると思っている。同様に日本経済の成長と繁栄も、中小企業の発展があってこそ成り立っていくものである。経世済民の「経済」を国全体で進めていくのは地域密着型の中小企業(中小病院を含む)ではないか思う。

 (2017年7月18日発刊)NO.499
「広島平和記念資料館」

 1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、広島に世界で初めて原子爆弾が投下された。広島の街は一瞬にして廃墟と化し、多くの人の生命が奪われ、助かった人も長期にわたる肉体的、精神的な障害を残し、今もなお、多くの人々を苦しめている。 第20回臨床脳神経外科学会の最終日に広島平和記念資料館を訪れた。突然の閃光と爆風、放射能で14万にものぼる人が命を奪われた。記念館では、原爆の悲惨さや多くの遺品が映像から伝わってくる。人間は、人間を殺戮する恐ろしい武器を手にしてきた。国と国が、わしがわしがと自国の正当性を主張していると、どこかでこの原子爆弾・水素爆弾が再び使用されるのではないか、とても心配である。人類が造った様々な新型兵器は、その時代その時代と、進化して、紛争の解決手段として使用されてきた。武器は石や棍棒から始まり、弓矢・刀・槍・火薬・機関銃・戦車・潜水艦・戦闘機・航空母艦・原爆・毒ガス・焼夷爆弾・ロケット・電子機器・サイバー攻撃、AIの利用、ロボット戦士の登場など、なぜ人と人が殺し合わねばならないのか、宗教は人間の幸せのために、心の平安を求めての人類の英知のひとつだと思うのに、宗教戦争が途絶えることはない。  私たちひとり1人が、平和への祈りと行動を、それぞれの立場で実践していくことが非常に大切だと思う。

参考:広島平和記念資料館

 (2017年7月10日発刊)NO.498
「欲無ければ一切足る」


これは、良寛の言葉である。良寛は、越後、出雲崎の名主の家に生まれ育つ。名主見習までなり、将来を約束されているにもかかわらず、18歳で出家、22歳で岡山県備中玉島にある円通寺にて、国仙和尚のもと、33歳まで12年間、禅の修行を行い、印可をうける。その後全国を行脚して、39歳でやっと良寛は生まれ故郷の越後に帰る。良寛上人は、国上山に五合庵という草庵に住み、生涯名利を求めず、清貧の中で生涯を終えた。何一持たない、乞食僧として過ごす。物の溢れた、現代の私達に何が幸せであるか、幸せとは何かを考えさせられる。良寛の生き方を憧れながら、とてもできないことだと思う。それを実践された良寛から学ぶことが多い。
欲無ければ一切足り 無欲一切足
求むる有りて万事窮す 有求万事窮

良寛の生涯は、それでいて少しもさびしいとか、みじめとか、あわれだという気がしない。
( 中野孝次先生の言葉から)

歌もよまむ手毬もつかむ野にも出む 心ひとつをさだめかねつも 「良寛」 歌をよみ、子供と手毬をつき、野にでて自然の移り変わりを楽しむ、喜びが伝わってくる。

参考:「良寛に生きて死す」中野孝次・北嶋藤郷著 考古堂書店

  (2017年7月3日発刊)NO.497
「ダニーボーイ」


 「ダニーボーイ」はアイルランド民謡で多くの人が歌っている。メロディーはとても静かで、心を打つ。私も好きなメロディーである。出征する子供を思う「母親」の気持ちを歌う歌であると書いてある説明もある。「母親」「恋人」「父親」「友人」どれに当てはめてもいい詩だと思う。
戦争が、如何に悲しみを多くの人に与えるか、「ダニーボーイ」を聴きながら静かに考えてみるといい。多くの歌手が、世界中で歌っている。

Oh Danny boy, the pipes, the pipes are calling
From glen to glen, and down the mountain side
The summer's gone, and all the roses falling
'Tis you, 'tis you must go and I must bide.

But come ye back when summer's in the meadow
Or when the valley's hushed and white with snow
'Tis I'll be here in sunshine or in shadow
Oh Danny boy, oh Danny boy, I love you so.

But when ye come, and all the flowers are dying
If I am dead, as dead I well may be
You'll come and find the place where I am lying
And kneel and say an "Ave" there for me.

And I shall hear, tho' soft you tread above me
And all my grave will warmer, sweeter be
For ye shall bend and tell me that you love me
And I shall sleep in peace until you come to me.

理由の如何を問わず戦争はしてはならない。心に沁みるいい歌です。
 (2017年6月26日発刊)NO.496
「生きること・働くこと・学ぶこと〜学習権と企業における社員教育〜」


岡山県中小企業家同友会教育大学の講師として、堀尾輝久先生に講義をして頂いた。先生は日本の教育学者、東大名誉教授、専攻は教育学・教育思想史であり、現代公教育を支配階級による被支配者階級の「教化・洗脳 indoctrination」システムと定位し、近代における教育拡大を批判的に把捉する(ウイキペディアによる)。人権については、子どもの人権条約と同様に、人間の存在の様態に即して、子ども、青年、成人、老人、女性、障害者、労働者、経営者それぞれの生活の中に、人権がある。私たちは、憲法の条文に即して、平和に暮らす権利、幸福追求の権利、成長発達の権利、遊ぶ権利、労働の権利、文化的生存・生活の権利、思想・良心・信教の自由、表現の自由などが保証されている。
権利とは、なにか特別のことのように考えられるが、英語でいうと権利=rightであり、大田堯先生@は、大和言葉で言えば「あたりまえ」であると説明された。権利とは、人間が生きていく上での当たり前のことと考えると非常にわかり易い。堀尾先生からの学びでとても感銘を受けたのは、「decent work」という考えである。decent work とは、働きがいのある、人間的な仕事をすること。仕事と学びが一体的であるとの考えは、労働の質を向上させ、人間的成長をもたらすと思う。企業における社員教育はそのような考えで、共に育ちあっていくことである。私は、「職場は貴方の晴れ舞台」であると考えているが、職場は舞台であり、演ずるのはそれぞれの役を持った人間である。その人間が、社長であり、医師であり、看護師、音楽家、映画監督、営業マン、職人であって、その置かれた場所で最高の演技(パフォーマンス)をする。それが、decent workではないかと私なりに解釈した。 仕事を離れて趣味を生かす、家庭を大切に、人と人との触れ合いを大切にする。森信三先生Aの提唱する「人生二度なし」を、仕事を含む生きること、学ぶこと、働くことに全身全霊を傾けることが生かされている「人」の役割だと思う。ワークライフバランスをそのために活かしていきたいものである。

参考:
@大田堯 (おおた たかし、1918年3月22日)は、日本の教育学者。東京大学名誉教授、都留文科大学名誉教授。日本子どもを守る会名誉会長。シューレ大学アドバイザー。
A森 信三(もり のぶぞう「通称しんぞう」)、1896年(明治29年)9月23日 - 1992年(平成4年)11月21日は、日本の哲学者・教育者。

 (2017年6月19日発刊)NO.495
「イチロー選手に学ぶ」


 米国野球殿堂の館長(ジェフ・アイドルソン)がインタビューで殿堂入りする選手や監督に共通する点は、「素晴らしい性格、誠実さ、スポーツマンシップがある。」と答え、「イチローも常に何かを学び続けようとしている。このスポーツの優等生だ。彼の記録同様に、その姿勢も賞賛されるべきだ。」と添えた。イチロー選手へのメッセージとして、「常に準備を怠らず、全力でプレーして、ファンに喜びをもたらす。イチロー選手が米国に残したインパクトは本当に大きなものです。日本だけでなく、米国でも多くの成功を収めたその偉業に心から敬意を表します。」と答えた。
イチロー選手がアメリカに渡って、今日の偉業を達成できたのは、環境が変っても、誠実さ、スポーツマンシップ、そして常に学び続ける姿勢の賜である。自分も日々、準備を怠らず、学び続ける姿勢を大切にしていきたいと思う。

参考
日本経済新聞の(2016/8/6)「イチロー優れた外交の役割」の記事を読んで。
(2017年6月12日発刊)NO.494
「一期一会のドキュメンタリー映画から学ぶ」

 映画「精神」の監督 想田和弘氏の講演会が2017年6月10日、ノートルダム清心女子大学のカルタスホールにて開催された。「生と死を考える会」の例会で、想田監督が目指す観察映画について、映画「精神」など自作の映像を紹介しながら観察映画の作成について講演された。ドキュメンタリー映画「精神」は2008年1月に開かれたアジア最大級の釜山国際映画祭で最優秀賞ドキュメンタリー賞を受賞されている。講演会では、参加者(約100名)の質問と対話が、会場を飛び交い、話し手と聞き手の交流が内容を豊かにしてくれた。
 想田氏は、東京大学文学部宗教学科を卒業後渡米、1993〜1997年スクール・オブ・ヴィジュアルアーツ映画学科にて学び、1997〜2004年テレビ番組のディレクターとして、ドキュメンタリー映画を作成。NHKの依頼による多くの制作映画を手がけるも2004年の不況に見舞われ解雇される。NHKのドキュメンタリー映画の作り方に疑問もあり、フレデリック・ワイズマン監督のような「台本のない」ドキュメンタリー映画にあこがれ、自分で会社を立ち上げ「観察映画」を創るようになる。
 「観察」の意味は、作り手が先入観を捨て、よく観て、よく聞くこと。その結果を映画にしている。監督は観察映画を作る上での十戒として、10箇条を提示された。@リサーチしない。調べると知識が邪魔する。現場で撮ってみると、新たな発見がある。自分が面白いと思ったことは、必ず共感する人がいる。A打合せをしない。B台本は書かずにいきあたりばったり。Cカメラは自分で回す。Dカメラを長時間回す。E狭く深くを心がける。F編集でも最初にテーマを設定しない。Gナレーション、テロップ、BGMは原則として使わない。Hカットは長めに編集して余白を残す。I制作費は基本的には自分が出す。
 「精神」の映画の映像の一部を紹介され、医師と精神疾患の患者さんのやりとりを、自分の感性で、よく観て、よく観察し、自分で考えて欲しいとのメッセージを伝えられた。観察映画では、作者の意図と違った解釈がうまれてくることも面白いし、そこから、新たな発見や、感動を覚えることができるのではないだろうか。
 観察映画は「一期一会」のドラマだ。私たちはその一期一会から学ぶことも多い。ひとり1人の人生というドラマも同じではないかと思う。

参考(ウイキペディアより)
想田和弘は主にドキュメンタリー映画を制作しており、その監督・製作・撮影・録音・編集を基本的に一人で担っている。一人で撮る理由は経済的理由もあるが、それ以外にも映画作りに存分に時間をかけたいという想田の考えがあるからでもある。想田は自身の撮るドキュメンタリー映画を「観察映画」と称して撮影している。それは、なるべく予断と先入観を排除して対象をよく観察し、その観察で発見したことを映画にするという方法論である、と語っている。

  (2017年6月5日発刊)NO.493
「幸福はすべて最初は不幸の形でやってくる」

 「隠岐の聖者」永海佐一郎(ながみさいちろう)博士の言葉として、森信三先生が「若き友への人生論」の中で紹介されている。『幸福は、最初は不幸の形をして現れるのがつねである』という言葉である。森信三先生の言葉を引用すると、「自分の計画や願望は、これを天秤の前の籠に入れている故、それが取り上げられることはすぐ分かるが、それに対して、神の与える良い物は、天秤のうしろのかごに入れてあるゆえ、われわれに気づかないわけである。だが、何故であるかという点については、これを解き明かした者は、現在までのところ見聞きしたこともなければ、また、私自身としても、この点に関して述べた事もないわけである」坂村真民の詩「幸せの帽子」はそのことを詩に託して、幸せの本質を気づかせてくれる。

 

幸せの帽子  「坂村真民」

すべての人が
幸せを求めている
しかし幸せというものは
そうやすやすと
やってくるものではない
時には不幸という
帽子をかぶってくる
だからみんな逃げてしまうが
実はそれが幸せの
正体だったりするものだ
わたしも小さな時から
不幸の帽子を
いくつもかぶせられたが
今から思えば
それがみんなありがたい
幸せの帽子だった
それゆえ神仏のなさることを
決して怨んだりしてはならない

参考:永海佐一郎 氏(隠岐の名誉町民)

  (2017年5月29日発刊)NO.492
「からっぽ」

頭を 
からっぽにする 
胃を
からっぽにする
心を
からっぽにする
そうすると
はいってくる
すべてのものが
新鮮で
生き生きしている         「真民」

真民先生の「詩」のなかでも、好きな詩である。
胃を空っぽにしておくと、何を食べても、美味しい。しかし、胃がいっぱいになっていると、どんなに素晴らしい料理でも、美味しいとは感じない。同じように、頭も、心もからっぽにすると、入ってくるものが新鮮で、生き生きしている。

 からっぽにすることから、食べるものが美味しく、頭をからっぽにすると、よい考えが浮かび、心をからっぽにすると、「感謝の気持ちが」わいてくる。

参考文献 「自分の花を咲かせよう」詩 坂村真民  絵 海野阿育  すずき出版
  (2017年5月22日発刊)NO.491
「高次脳機能障害という未知の世界に生きる〜父と子の絆〜」

Kさんとの出会いは14年前、私の外来に受診されたことに始まる。2000年7月29日、バイクで走行中、後ろから来た四輪車が隙間を縫うように走ってきた。そして、Kさんの運転するバイクを抜いて左折した。その時、ブレーキを踏んだが間に合わず、車と接触し転倒、重症頭部外傷を受ける。救急車にて、某救命救急センターに搬入。7月29日〜12月24日まで入院。開頭血腫除去術を施行。退院後、自宅に帰る。家族は「よかった!助かった!」皆が喜んで迎えたが、以前と何かが違う、様子がおかしい、行動がおかしい。自宅でのリハビリ、病院でのリハビリを継続。外傷後3年が経過していた。診察の結果では、記銘力障害・判断力の低下、視野の欠損(右の同名性半盲)がみられ、びまん性軸索損傷による高次脳機能障害の後遺障害であった。事故後、今まで積み重ねてこられた人生が崩壊する。
父親のHさんや、ご家族の懸命な努力によって、脳のリハビリにチャレンジし、症状が徐々に改善してきた。パソコン学習・陶芸教室・音楽療法(チェロの演奏)・スポーツジム・乗馬・水泳など積極的に脳のリハビリをしてこられた。また、NPO法人おかやま脳外傷友の会に所属して、心身障害者地域福祉作業所工房「K」にて社会復帰を目指してリハビリに打ち込んだ。Kさんは、現在、精神的にも落ち着いて、持続的な、家族や周囲の支えによって日々を送っている。14年間に渡ってKさんを支えるご家族の、混乱から戸惑い、喜び、怒り、誓い・・・・さまざま思いと我が子のために必死に歩んできた日々の記録を纏めるという。
Hさんは、息子さんのような交通事故によって、突然の高次脳機能障害を受けて社会復帰ができない方たちに、グループホーム(S)を立ち上げて社会活動をされている。交通事故による重症頭部外傷の恐ろしさと、それを乗り越えていく父と子の絆に感動する。
  (2017年5月15日発刊)NO.490
「ユニマチュード」

 高齢化の波は、病院にも押し寄せてきており、高齢者にとって病気を治すと同時に、癒すことが最大の課題といえる。特に高齢化に伴って、老化の結果としての認知症の方々が多く来院されるようになっている。認知症は全国で500万人ともいわれており、私たちの社会もそれに併せて変革していくことが求められている。
 病院に入院されている病客の20%には、認知障害があると思われる。以前は、認知症状のある患者さんが徘徊したり、大声をあげたり、無断で外出したりのトラブルが多くあったが、最近は看護師や介護福祉士などのケアが向上したことと、MSW(医療ソーシャルワーカー)、リハビリスタッフなどのコメディカルスタッフの対応が、患者さんの心によりそって、「あなたのことを、わたしたちは大切におもっています。」との態度で、接してくれているおかげであると感謝している。退院時アンケートからも、家族などから、患者さんの対応への感謝の言葉をいただいている。
 認知症ケアに、フランス人である、イヴ・ジネストとロゼット・マレスコッティの二人によってつくり出された、知覚・感情・言語による包括的コミュニケーションに基づいたケアの技法(ユニマチュード)が日本に紹介されて大きな反響を呼んでいる。ユニマチュードは、認知症の方への対応の技術で、「あなたのことを、わたしたちは大切におもっています」との態度で接することである。認知症のあるなしにかかわらず、高齢者の多くの人との関わりの知恵として、医師や看護師だけでなく、医療職はもちろんであるが、一般の人も学び、日々の人間関係の中で活かしていくことが大切である。
 国が目指している包括ケアシステムの中で、広く応用していける考えであると思う。
参考文献
本田 美和子/イヴ・ジネスト /ロゼット・マレスコッティ 「ユマニチュード入門」, 医学書院, 2014.

 (2017年5月8日発刊)NO.489
「『平和とは何か』〜知覧特攻平和会館を訪ねて〜」

 平和とは、戦争と戦争の間が平和であるという考え方もある。人類の歴史は、戦争の歴史といっても過言ではない。戦争のないときに国力を蓄え、軍備をし、他の国から自国を守るという理由で軍備を充実させていく。そして、互いに正義の名の下に戦争を始める。日本が世界を相手に無謀な戦をしたのもわずか70年前のことである。この連休(2017/05/05)に、鹿児島県の知覧にある、知覧特攻平和会館にいってきた。

 1941年、日本はアメリカを中心とする国々と戦争をはじめたが、1944年になると各地で戦いに敗れるようになった。そのため日本は、最後の手段として特攻作戦を始めた。
戦争が始まったとき知覧にできた陸軍飛行学校は、1945年3月には特攻基地にかわった。知覧から439名の特攻隊員が出撃して艦船との体当たり攻撃で命を落とした。

 平和会館には、特攻隊員の「写真」「遺書」が集められ、展示されている。遺書は、平均年齢21.6歳の若者の書いたものだが、「母様今何も言うことは有りません 最期の又最初の孝行に笑って往きます 泣かずによくやったと仏前にだんごを供えてください 人形は藤夫と思ってください」などが展示されていた。(知覧特攻平和会館 南九州市パンフレットから引用)。若いあどけない顔の写真が展示されています。特攻の中には、朝鮮出身の人もおり、「アリラン」の歌を歌って飛び立っていったという。

いま、北朝鮮との間で、アメリカと日本・韓国で緊張が高まっている。核兵器やミサイルが使用される戦争が平和をもたらすものではない。特攻に志願した若者の多くは、純粋に国のため、家族のため、愛する者のために戦ったと思いたい。しかし、そのような状況にさせたのはそのときの教育や国を預かる指導者ではなかったかと思う。

 記念館には多くの外国人(アメリカ人を含む)も訪れていたが、平和へのメッセージ性を明確にし、展示室をもっとゆったりと広く、心に訴える工夫が必要であるように感じた。

 (2017年5月1日発刊)NO.488
「職場の幸福とやりがい」

 私たちは病院のあるべき姿として、4つの経営理念を掲げてきました。

@安心して、生命をゆだねられる病院
A快適な、人間味のある温かい医療と療養環境を備えた病院
B他の医療機関・福祉施設と共に良い医療を支える病院
C職員ひとりひとりが幸せで、やりがいのある病院

 毎年、経営指針書を職員全員で作成して、病院の経営を実践してまいりました。経営理念を目的として、一歩一歩、目的に近づいてきていると感じています。しかし、アンケートで利用者の意見を聞くと、なかなかハードルが高いとも実感しています。この中で、理念のAは、医療人であれば特別なスキルがなくても、その気になれば明日からできます。職員ひとりひとりが、理念の体現者として、行動することによって達成できるのではないかと思います。 患者さまからの感謝の言葉が、アンケート調査や手紙やハガキで送られてきますが、感謝の言葉が、職員ひとりひとりの幸せにも通じるものと思います。職員へのアンケート調査の結果からも、病院で仕事をする「やりがい」の76.7%は患者さんからの感謝の言葉であるという「結果」があります。
  (2017年4月24日発刊)NO.487
「安心して生命をゆだねられる病院」

 私たちの病院には4つの経営理念があります。その中でも重要な理念は「安心して、生命をゆだねられる病院」です。安心して生命がゆだねられない病院であれば、病院とは言えません。病院は人が病に罹り、家で治療ができない状況になったとき、救急または通常の外来診察を受けて、外来での治療または入院をしての治療を提供いたします。時には、手術の必要な方もいらっしゃいます。

 患者さんの安全を守るために、病院組織には様々な職種があります。医師・看護師・薬剤師・放射線技師・臨床検査技師・リハビリスタッフ(PT・OT・ST)・臨床心理士・栄養士・調理師・臨床工学士・医療相談員(MSW)・歯科衛生士・介護福祉士・事務職(総務・医療秘書・学術担当・医師事務作業補助者・診療情報管理士・施設管理・システムエンジニア)・清掃担当(アウトソーシング)などが働いています。細分化すれば30近い専門職種が「安心して生命を守るために」チームとして働いています。また、高齢化が進み、疾病構造が激変しています。高齢化が進むと、体力の低下、認知機能の低下などから、誤って転倒・転落事故による骨折や頭部外傷など、予期せぬ事故に遭遇する危険があります。

 病院には医療安全管理部門があり、病院の安全性を常に監視し、改善を行っています。リスクマネジメント(危機管理)の重要性はますます高まっており、インシデント・アクシデント(医療事故)の調査やリスクへの対応がなされています。その他にも、患者さんを守るために院内感染対策委員会、薬事・医薬品安全管理委員会など、多くの患者安全のための仕組みがあります。安全対策の一つとして、指差し呼称なども取り入れて、安全確認をおこなっています。しかし、「人間は誤りをするもの」との認識の上で、全職種が協働して常に気働きをし、「安心して、生命をゆだねられる病院」を目指していきます。

 住民の皆さんの信頼を得られるように、脳神経運動器の総合的専門病院として、質の高い医療サービスを提供してまいります。
  (2017年4月17日発刊)NO.486
「人生二度なし」

 「人生二度なし」は、森信三先生の哲学的命題である。頭では人生が二度とないことは誰でもそうだと思っていると思う。勿論、天国にいくとか、浄土や地獄があるとの宗教的立場もあると思う。

 人間は生き物の中で、唯一自分で考え、行動し、文化を発展させてきた動物である。その奇跡の中で生まれた人生は、1人ひとりかけがえのないものである。一日一日を充実して生きる。一日は一生の縮図である。森信三先生の言葉である。

 一日が、朝の目覚めに始まって夜に入って眠りにつくということは、何人にとっても例外がないばかりか、夜寝てから朝起きるまでの八時間前後の間というものは、いわゆる睡眠によって、われわれの意識は一応断絶させられるといってよいのであり、かくして一日という「時」の単位ほど、われわれ人間にとって完結感を与えるものは、生・死を外にしてはありえないと言えるであろう。人生の縮図をいかに一日一日の生活を、如何に充実して生きるかという上に、ある程度窺い得ると言えるであろう。

 森信三先生は、1)二六時中腰骨を立てつらぬくこと 2)その日の書信は、その日のうちに片付けること、3)その如上その日に為すべき仕事の義務を修了しえたら、一種の慰楽をかねて読書する三箇条をもって、人生の基礎的修練としている。われわれの人生は、長くとも100歳、まことに短く、まさに一瞬裡に過ぎ去る。一日一日を丁寧に過ごしていきたいと思う。

参考文献
「若き友への人生論」森信三著  致知出版社
 (2017年4月10日発刊)NO.485
「把手共行」

 「手をとって共にゆく」河野太通老師の書を、お弟子である備前焼作家木村素静さんの備前焼の窯出しに訪れた際(平成29年4月9日)、河野老大師にお願いして書いていただいたと素静さんより受け取った。実は一昨年の桜の頃、窯出しに訪れた際に、床の間に飾られていた「把手共行」の書の言葉と墨跡に感動を覚えて、「いい書ですね」と言ったことを素静さんが覚えていて下さり、河野老大師にお願いしてくださったのだと思っている。ありがたいことです。
 お互いが共に歩むことができれば、こんなに嬉しいことはないし、世の中の諍いや、もめ事はなくなっていくのではないかと思う。家庭では、夫婦円満になるし、社員と社長が会社の理念に向かって共に手を把っていけば、いい会社になると思う。人類のひとりひとりが幸せを求めて「把手共行」していけば世界平和も可能ではないかと思う。しかし、世界の現場を見ると、個人も国家も「自己中心」で「把手共行」という考えにはほど遠いと言わざるを得ない。しかし、人間社会も、個の集団であるから、ひとりひとりが、互いに尊重し手をとって、平和を求めて共にいくことができれば平安な社会も可能ではないかと希望が沸いてくる。

参考
@ 河野太通 略歴 昭和5年(1930)、大分県出身。昭和23年(1948)中津松巌寺で得度、昭和28年花園大学仏教学部を卒業、平成6年(1994)花園大学学長就任、平成13年退任、龍門寺大衆禅道場師家・住職、平成22年(2010)4年間臨済宗。
妙心寺派管長、2年間全日本仏教会会長。平成27年花園大学初代総長就任。
現在 龍門寺住職。
A 木村素静 略歴 昭和49年 伊勢崎淳氏(人間国宝)に師事。
昭和62年 女流陶芸会員になる(毎年無審査出品)。
昭和63年 牛窓寒風に照尾窯を築く。 その後多くの個展を開催。
平成25年 神戸ポートピアギャラリーに於いて龍門寺の復興を支援するチャリティー展、妙心寺前管長河野太通老大師墨跡・陶芸展に協賛。河野老大師を師として精進されている。 
(2017年4月3日発刊)NO.484
「雑草」

 私の家には小さな庭がある。芝を植えていて、芝刈りも時にはしている。小さな庭でも、様々な雑草が生える。春になると、クローバー、カラスノエンドウ、ハハコグサ、カタバミ、ナズナ、タンポポ、オヒシバなど、名前もわからないような草や花が一斉に生育して、ほっておくと芝生や野菜、買って植えた花などが埋もれてしまう。
 でも、よく見てみると、小さな花が咲いて、それはそれで美しいと感動する。綺麗なピンクの花をつけたホトケノザがなんとも美しい。花を囲むように対生する葉の形が、仏の台座のように見えることから、ホトケノザと呼ばれるようになったとのこと。
 雑草などと、人間の都合で雑な草とされているが、神様の目から見ると、バラも水仙も、チューリップ、パンジー、ビオラ、サクラソウも皆同じです。人間も、いろんな人がいるのに差別したり、評価をしたりする。人間は勝手な生き物だと思う。
 先日、NHKドキュメンタリー・足元の小宇宙絵本作家と見つける生命のドラマを観た。
絵本作家 甲斐信恵さんは80歳を超えて、田んぼの畦に寝転んで、足元に元気いっぱいに伸びる雑草たちと会話して、雑草たちの生活を擬人化し、雑草の生き方を観察して、雑草は雑草ではないよと雑草たちを代弁されていた。木や草と人間と どこがちがうのだろうか みんな同じなのだ

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かれらはときがくれば 花を咲かせ 実をみのらせ 自分を完成させる
それにくらべて人間は 何一つしないで終わるものもいる
木に学べ 草に習えと わたしは自分にいいきかせ 今日も一本の
道を歩いて行く

「坂村真民さんの 『一本の道を』の詩より」
(2017年3月27日発刊)NO.483
「幸せの帽子」


「幸せの帽子」 坂村真民

すべての人が
幸せを求めている
しかし幸せというものは
そうやすやすと
やってくるものではない
時には不幸という
帽子をかぶってくる
だからみんな逃げてしまうが
実はそれが幸せの
正体だったりするものだ
わたしも小さい時から
不幸の帽子を
いくつもかぶせられたが
今から思えば
それがみんなありがたい
幸せの帽子であった
それゆえ神仏のなさることを
決して怨んだりしてはならない

「幸せの帽子」この詩は、私の最も好きな真民先生の詩である。幸せは、不幸という帽子をかぶってやってくる。人が生きていく中で幸せとは、心の持ちようであり、生きてある「今」が、有り難い奇跡であり、幸せであると思えるかどうかではないかと思う。同じようなことが、森信三先生によって紹介されている。
「隠岐の聖者」永海佐一郎博士のいわれる「幸福は、最初は不幸の形をして現れるのがつねである」とゆうコトバであって、私はこれほど端的に、しかも深い心理を語られた人は少ないのではないかと思うのである。「若い友への人生論」の中で紹介されている。
参考文献
「若い友への人生論」森信三著 致知出版
(2017年3月21日発刊)NO.482
「ひとはどこからきて、どこにいくのか」


 先日の連休(平成29年3月19日・20日)に家族と、蒜山のペンションに宿泊して夜満天の星空を観た。昼間の空は晴天で、山々を彩る雪景色が美しい。そして、夜になり民家の明かりの届かない山頂に立って星空を見上げ、夜空の北斗七星、北極星、神話にいろどられた星座を眺めた。多くの星々は、地球の歴史よりも古いが、星座としてギリシャ神話が今に伝わっている。星座は、星占いなどが若い人に人気である。有史以前から、人類は月や太陽、星々に畏敬の念を抱いていたものと思う。
150億年前にビッグバンによって銀河系がうまれ、太陽を中心にした軌道の中で地球が誕生、灼熱の地球が冷却して、35億年前に単細胞生物が誕生し、500万年前に奇跡的に類人猿が誕生した。私たちの祖先である、ホモサピエンスは13万年前にアフリカに生まれた。そして、徒歩で人は全世界に広がった。その末裔の一人が、今の自分であると考えると、生命は宇宙誕生から今につながっているのだ。1人の人生は、100年にも満たない一瞬であるが、偶然生まれ死んでいく。その一瞬に感謝し、大切に生命を燃焼していきたいと思う。
生命(いのち)の特徴(教育哲学者太田堯先生)は、ちがう、かかわる、かわるである。宇宙の生命も、ちがう、かかわる、かわる、ではないかと思う。お互いの人が、関わり合いの知恵を学び、自分を変えていく。それが宇宙生命の法則と考えると面白い。

(2017年3月13日発刊)NO.481
「関わり合いの知恵」


 昨日(平成29年3月12日)、私は、郷里である、岡山県の臍といわれている岡山県吉備中央町下土井(旧御津郡長田村)にある、黒住教教会所の開教150年記念祝祭に参加した。黒住教は、教祖の天命直綬に日拝に習い、日の出を迎えて拝む「御日拝」を一番大切な祈りの時としている。本部のある神道山では、教主が、毎朝御日拝の先達をつとめ、世界の大和と人々の開運を祈っている。
私も、日の出を拝む日拝の会に入って、毎月、第1日曜日の朝、神道山に参拝する(参拝できない時もあるが)。朝早く起きて、太陽に向かって、ありがとうございます、というだけで、一日元気をいただける。生物は、太陽をはじめ、自然の中に生かされていることを実感する瞬間でもある。
祝祭において、黒住宗晴教主が、「立ち向かう人の心は鏡なり己が姿を移してやみん」を紹介された。人と人との関わりの中に生きるお互いが、自らの言動を省み、出会う人の心を移して思いやり、心くばりすることの大事を教えられている。
生命(いのち)の特徴(大田尭先生)は、@ちがう Aかかわる Bかわる であります。違うのだけれどかかわっていなければ生きていけない。関わり合いの知恵を学び自らを変えていくことが学問の目的であると思う。立ち向かう人の心を鏡とすることによって、かかわりの知恵を学ぶことができる。

参考文献
@告諭 黒住教教主 黒住宗晴
A「生のきずな」 大田尭著 偕成社

(2017年3月6日発刊)NO.480
「その気になる」


 ひとは、ひとりひとり違う。したがって、人が人を束にして変えることは、絶望的である。その人その人の遺伝子(設計図)が違うのだから、人を変えるなどできない。子育ても、学校教育も社員教育も同じだなと思う。私は子育ても、医師の育成、社員(職員)の育成も経験してきた。しかし、成功したなどとおこがましいことは言えない。いつも反省し、何が足らないことかを反問してきた。学ぶ環境の整備(図書館の整備)、チャンスを創る、研修会を企画する、海外研修などをおこなう、それはそれで環境整備も必要である。しかし、十分ではない。

 私が思うのは、結局「本人」がその気になったときに初めて、人は変わることができる。「その気」になってもらうことで、人がかわり、人が育つ第一歩である。人が育つ究極の目的は人格の完成であるが、それは「坂の上の雲」で、永遠に追いかけるものである。

 大田堯先生は「その気」になってもらうことが、高度な芸術、アートであり、そしてアートというものは、ここで完成したというポイントのない永遠なる未完成交響楽であると言っている。

 企業の経営は、人が「やる気」になって、全員が自ら動く。そのような企業になることがもっとも好ましく、めざす経営だと思う。
 社長(経営者)は、環境整備と、感謝の気持ちを持ち続けることが大切であると思う。

参考文献
@「ひとなる」大田堯、山本昌知 著 「藤原書店」
アートとしての教育 頁78〜82

(2017年2月27日発刊)NO.479
「院長の回診?」


 私は、月曜日から金曜日にかけて朝8:45に始まる医師を含む幹部職員との朝のミーティングが9:00に終了したあと病院内を巡回している。朝のミーティングは、当直医報告・前日の入退院数・外来者数・看護必要度・本日の入院退院の数・ICUの稼働状況・空きベットの状況・救急担当医の確認などの情報を互いに共有する。その後、私は約1時間かけて5つの病棟とICU(集中治療室)を中心に巡回する。

病棟を回ると言っても、患者さんを診て回るわけではない。病棟スタッフに「おはよう」などの声かけ、働いていただいていることへの感謝の気持ちで回っている。その時に接する職員の元気そうな顔に出会うと嬉しい。時には、廊下ですれ違っていく、ナースや事務職と笑顔で挨拶、握手を交わすこともある。誕生会の後などでは、一寸した会話が弾むこともある。病棟の絵画や書の額縁が傾いていたら直す。ゴミが落ちていれば拾う。天井が汚れていれば、施設管理に報告し善処してもらう。時には、出会った看護師さんや介護福祉士、医師事務作業補助者から、気づいたことの相談もある。

退院患者さんの95%は退院時アンケートに協力して頂いている。60%程度は、住所を書いてくださっているので、アンケートへの返事をハガキで送っている。文面は「ご利用ありがとうございます。アンケートへのご協力を感謝しています。ご意見を参考に医療サービスの向上に努めます。お大切に!」これに、クレーム・お褒めに対して、院長から、または担当部署から返事を書く。月間約200通は書いている。病棟・ICU・外来・救急・放射線課の担当部署・売店・厨房など回ると約1時間はかかる。約5000歩、2回巡回すると1万歩になる。主治医であった時には、患者さんを診て回ることを最も大切にしていたが、今は、職員の顔を見て、「おはよう!」と声をかけて、感謝の気持ちを伝えるのが私の勤めである。

院長は経営者として、医療現場のことを把握することが一番大切であるが、国民皆保険制度の仕組み、介護保険、厚生労働省の方向性、少子高齢化社会・人口減少社会に於ける、自院の役割、日本の経済情勢などもある程度の勉強が必要である。私は、岡山県中小企業家同友会に長年お世話になっていて、病院の院長は中小企業の社長であり、時には、プレイングマネジャーであることも必要であると考える。病院にとっては、多くの専門職と患者さんや家族との、共生・共育・共働がこれから大切になっていくものと思う。

(2017年2月20日発刊)NO.478
「人間らしく生きる持続可能な社会」


 第47回中小企業問題研究集会が(2017年2月16日〜17日)鹿児島市城山観光ホテルを会場に開催された。第八分科会「高齢社会への対応」で岡山から、マスカット薬局の高橋正志社長が「『人間らしく生きる』持続可能な社会のために中小企業は何ができるか〜顧客が求めているのは『薬』ではなく『健康』〜」とのタイトルで報告され、私はアドバイザーとして発表した。

 顧客が求めているのは「薬」ではなく「健康」である。病院においても、医薬分業のなかで、病院に求めているのは、「治療」を求めているのと同時に、健康を求めている。人間は、生老病死でいずれ病を得て、死んでいく存在である。人間らしく持続可能な社会のために医療機関は何をすべきか。世界を見回して、「いつでも」「どこでも」「だれでも」の医療がおこなわれている国は「ない」、それを維持していくのが難しくなってきている。

 1958年、国民皆保険制度が導入された。現在では医療費の3割を自己負担、残りは、税金、事業主と本人の支払う社会保険料になっている。しかし、それが当たり前になってありがたみを忘れているように思う。本当に国民皆保険が維持できるのか。
 
 現在、国家予算の中で、2020年には社会保障費は年金・介護・医療で134.4兆円 医療46.9兆円となってくる。医療分野の国際比較では、日本の急性期一般病院での平均在院日数17.5日(欧米5〜8日)、しかし、寝たきりは欧米ではほとんどない。日本にはどうして寝たきりが多いのか。理由は、@病院で亡くなる人が70%と多い。A在宅死が30%と低い。医療費は、毎年1兆円増加。75歳以上で国民医療費の35%を占めている。持続可能な社会とするためにも、生きるだけでなく、長寿社会(男性9年、女性13年の寝たきり人生)から健康長寿社会への転換をめざすべきである。そのためにも、病院の機能分化(急性期病院・亜急性期病院・慢性期病院)介護施設・在宅への医療介護の連携によって、寝たきりにしない、リハビリ力をつけるのが重要だ。
 
 終末期医療(延命医療を過度にしない)など、人間らしく生きて、そして平安に死んでいけるような社会を、医療従事者・市民と共に考えていく時代に日本は突入している。超高齢社会の先進国として、人間らしく生きる持続可能な社会をめざしていきたいものである。

(2017年2月6日発刊)NO.477
「赤ひげ医師に思う」


  医師の理想像として日本人の心に焼き付いている「赤ひげ」は山本周五郎の原作、「赤ひげ診療譚」を基に、黒澤明監督が三船敏郎・加山雄三主演で映画化したヒューマニズムに溢れるドラマである。江戸時代、小石川療養所を舞台に、診療所を訪れる庶民の人生模様と、「赤ひげ」と呼ばれる所長と、長崎帰りの青年医師との葛藤と心の交流を描いた、ドラマである。日本人の多くは、医師の理想像として、「赤ひげ」が脳裏に浮かんでくるのではないかと思う。医師は、自分を犠牲にしても患者のために、患者を助けるのが理想像として定着してきた。

 しかし、1958年に国民皆保険制度が導入されて、「誰でも」「どこでも」「いつでも」保健医療が受けられる体制が確立されて少しずつ医は仁術から算術に微妙に変化してきたように感じる。病院の窓口では支払うのは3割、残りの7割は事業主と保険料から支払われている。しかし、それが当たり前として、有り難みがなくなり、権利としての医療になってきた。インフォームドコンセントの導入、医療への過度の期待を求めて、医療訴訟などが1985年ごろから増加してきた。特に、IT技術の進歩から、MR・CTなどの画像診断の劇的な進歩・電子カルテの導入・医療の診断・治療法などの急速な進歩・診断にAIの導入などが話題となり、従来の人間関係が濃厚であった医療現場から、無機質な人間関係が入り込んで来ているように思う。医師も人間であるから、できるだけ、時間外は働きたくない、救急はできれば対応したくないという考えにもなってきている。しかし、患者さんにとっては、救急ですぐ対応してほしい。できれば専門医に診てもらいたいと要求する。多くの人が医師は赤ひげ医師であって欲しいと願うことはよくわかるし、私も医師として「あたりまえ」だと思って仕事をしてきた。しかし、今の医療現場から考えると「赤ひげ」への気持ちはわかるが、その為には、職場環境など、システムから改善すべきことが多くあるのではないかと思う。

 岡山旭東病院では、医師を含むスタッフの職場環境を良くするため、ワークライフバラン憲章に沿った病院経営を心がけてきている。「赤ひげ」の心は大切だが、医療現場は、医師を含む、看護師・コメディカル・事務職などと連携して、チームで、「赤ひげ」医師の持っている人情味のある医療と介護を全職種でチームとして取り組む時代に大きく変化していくべきではないかと思う。勿論、医師には「赤ひげ」医師の心を持ち続けて欲しい。

(2017年1月30日発刊)NO.476
「自立し自分で判断を促す」


 日本経済新聞にカルロス・ゴーン(日産自動車の社長)氏が「私の履歴書」28号に子どもとの接し方を紹介されていた。「私には四人の子供がいる。父親として、子供には自立心をどう芽生えさせるかを常に考え、接してきた。一つ目は「経済的自立」(financial autonomy)二つ目は知的に自立する(intellectual independence)。つまり自分で考え、学ぼうとする意欲を持つことだ。そして、三つ目が精神的に自立すること(emotional independence)、これが究極の自立かもしれない。子どもたちには、無償の愛を与えるだけでなく、自身のアイデンティティーを保ち、物事を判断できるようになってほしいと思っている。私たち家族は離れて暮らしているが、休暇は一緒に過ごすようにしている。子どもたちは、恋人や友人を伴わず、必ず一人できて、家族水入らずで過ごす。」
ゴーン氏は、日本・フランス・アメリカ・ブラジルなど世界中を駆け巡って、経営の陣頭指揮をされている。しかし、休暇は家族で水入らずの時間を大切にされているとのことである。
また、「私は経営者として、discipline(規則・躾)、focus(集中)という言葉を使うが、これは家庭にも共通していえることではないか」とも述べられており、経営者としても、 家庭人としてもとても学ぶことの多いカルロス・ゴーン氏の「私の履歴書」であった。 我が子を育てること、社員が育つこと、人が育つことは同じなのではないかと思うこの頃である。

参考文献
日本経済新聞「私の履歴書」2017年1月29日朝刊,13(32)

(2017年1月23日発刊)NO.475
「美術鑑賞」


 岡山旭東病院に「健康の駅」がある。「健康の駅」は「道の駅」の姉妹である。道の駅には、地域の産物(野菜・果物・お酒・漬け物・魚)などが販売されている。多くの道の駅には、地域の観光案内なども置かれている。健康の駅も道の駅と同じようにトイレと、休憩する場所(当院では「カフェ赤い鼻」も営業している)を設けているなどいくつか条件をクリアできれば開設できるが、当院では近隣の病院のパンフレットを展示するなど健康情報を収集できる場として機能させている。また、健康の駅とカフェの間にスペースがあって、絵画や陶芸・木工品・アートフラワー・書などの展覧会を開催している。年間を通じて、多くのアーティストの皆様にご利用頂いている。現在は、MOA美術館のお世話で、小学校の生徒さんの絵画の展示をしてくださっている。小学校の1年生から5年生まで、テーマは動物・花・家族など様々な表現があって面白い。

そんな中で1月20日に当院のパッチ・アダムスホールで、岡田茂吉美術文化財団・MOA美術文化インストラクター中国地区統括マネジャーである、富田聖資先生にアーティストトークをしていただいた。内容は、元禄時代の絵師尾形光琳の国宝「紅白梅図屏風」(精巧なレプリカを展示してくださった)についてだった。約20名の鑑賞者に、光琳の生い立ちや人間像(俵屋宗達の作品「風神雷神」から触発され、後世に残る作品を制作した)などの説明をされた。

「この絵は何時ごろを表しているのでしょうか?」「左右の紅白の梅、想像する広がりのこと、梅の花の独特の表現、中央に描かれた川から何を感じるか。」「この絵から、何か音が聞こえてきますか」。など、鑑賞者との対話から絵の中に自分が入っていくような気持ちになる。「川の流れが、さらさらと聞こえる。」ある子どもは「鯉が跳ねている音」と答えた。また、鶯など小鳥のさえずりが聞こえるなど想像する楽しさに気づく。襖絵の余白は金箔を貼っているのか、金泥で書いたものか、学術的な研究についても学ぶことができた。参加者の中には、明日に退院を控えた高齢のご婦人がいらっしゃった。病院でこのような企画に参加できて心が癒されとの言葉を頂いた。

岡山旭東病院は、病院に癒しの環境を提供するために、医療とアートの融合を目指して、絵画・生け花・音楽・料理・彫刻・朗読など取り入れてきた。心の癒しが、患者さまにとっても、働く人にとっても、心を豊かにし、優しい気持ちになれるものと期待している。


参考:
尾形光琳:後代に「琳派」と呼ばれる装飾的大画面を得意とした画派を生み出た始祖であり、江戸時代中期を代表する画家のひとりである。その非凡な意匠感覚は「光琳模様」という言葉を生み、現代に至るまで日本の絵画、工芸、意匠などに与えた影響は大きい(ウイキペディアより引用)。
(2017年1月16日発刊)NO.474
「トランプ旋風〜人類は何処に向かうのか〜」


 次期アメリカ大統領が、民主党候補ヒラリー・クリントン(Hillary Rodham Clinton)と接戦を演じた末、共和党トランプ氏(Donald John Trump)に決定して、1月20日に就任式が予定されている。はっきりしているのは、アメリカ第一という保護主義であるということだ。

 これを受けて生命の特徴(大田堯)に当てはめながら考え、危機感を覚えた。生命の特徴の1つ目はまず違うということ。そして、自分が一番かわいいということ。自己中心的な考えであるということだ。これは国家でも個人でも同じである。だけれども、2つ目の特徴は互いに「依存」し合って生きなければならないということであり、即ち、国家も貿易や国際協力で関わっていなければ成り立たないということである。互いに、関わっていくと、互いに利害が発生して、経済的対立・宗教的対立・領土問題・人種差別が先鋭化して、紛争が起こる。最悪はテロ・戦争に訴えて自己の主張を正当化する。3つ目の特徴は、「変わる」ということ。青虫が蛹になって、蝶々へ変身するように変っていく。人間も学んで、そして、変っていく。国家を構成する人も、この状態を克服する「知恵」を生み出して平和を希求する。個人も国家も同じである。個人の喧嘩も、国同士の喧嘩も、小さいか大きいかの違いである。同じ人間のやることで、その関わり合いの「知恵」の一つが、第一次世界大戦の後にできた国際連盟であり、第二次世界大戦の後で成立した国際連合であったはずである。しかし、国と国のエゴで形骸化しているのではないか。もっともっと関わり合いの知恵を生み出していきたいものである。

 トランプ氏の発言を聞いていると、国の理想とか、人類の幸福とは何か。人類は何を目指すのか、世界のリーダーとしての言葉が聞こえてこない。報道から聞こえてくるのは、自己中心主義的なワンマン経営者ではないかと危惧している。核廃絶・地球環境の保全・地球温暖化・テロ・戦争・難民の問題は人類の存亡がかかっている。宮沢賢治の言葉に「世界がぜんたい幸福にならない内は、個人の幸福はあり得ない」がある。人類は何処に向かうのか?21世紀は希望に燃えた世紀であったはずである。

参考文献
@ 大田堯「生命のきずな」,偕成社,1998.
A 宮沢賢治「農民芸術概論綱要」,青空文庫,2011.
(2017年1月10日発刊)NO.473
「共に育つ」


 私が長年お世話になった、中小企業家同友会では、社員教育の教育を「共育」に置き換えている。社員さんと社長さんが共に育ち合って初めて、企業も成長するという考えである。
 私もこの考えに感動して、今日まで自分なりに実践してきたつもりであるが、現実はなかなか思い通りに行かなかったように思う。大田堯先生は、生命(いのち)の特徴について、ひとりひとり「違う」、違うのだけれどひとりひとりが他者と関わって生きている、その関わり合いの知恵を人は学んで変っていく。この、「ちがう」・「かかわる」・「かわる」が生命の特徴であるとおっしゃっている。私は関わり合いの知恵が「共育」ではないかと考えるようになった。
「共育」の実践が行われたのが、無着成恭先生の「山びこ学校」であったのではないかと思う。その卒業生である、佐藤藤三郎著の「ずぶんのあだまで考えろ」からは教師であった無着先生との出会いや、時代背景、その後の物語を知ることができる。戦後の民主主義国家への「あけぼのの時代」に咲いた花であったとも言われている。共に育つは佐藤藤三郎1951年3月23日山元中学校第四回生卒業生代表の答辞のなかにある以下の言葉に表されていると思う。

  「いつも力を合わせて行こう」
  「かげでこそこそしないで行こう」
  「いいことを進んで実行しよう」
  「働くことがいちばん好きになろう」
  「なんでも、なぜ? と考える人になろう」
  「いつでも、もっといい方法がないか、探そう」

「共に育つ」は、人と人との関わり合いの知恵であり、家庭でも・学校・職場など人と人が関わって生きていく上で、もっとも大切なことである。

参考文献
@ 佐藤藤三郎「ずぶん(自分)のあだま(頭)でかんがえろ〜私が「山びこ学校」で学んだこと〜」,本の泉社.2012.
A 中小企業家同友会全国協議会「共に育つPart T」.
(2016年12月26日発刊)NO.472
「人との比較ではなく、自分の中でちょっとだけ頑張ってみる」


 この言葉は、米大リーグ、マーリンズのイチロー選手(43歳)が12月23日、故郷の愛知県豊山町で「イチロー杯争奪学童軟式野球大会」の閉会式挨拶で述べたものである。彼は「今日の事を胸に刻んで立派な大人になってほしい」と子ども達に伝えた。
米国大リーグで、史上30人目に3000本安打を達成した。少年時代のイチロー選手は後の大記録を思い描いていなかったそうで、「人との比較ではなく、自分の中でちょっとだけ頑張ってみる。続けると思ってもみない自分になる」と力説した。この記事を「日本経済新聞2016.12.24」で読ませて頂いた。自分の花を咲かせた人は、多くは他との比較でなく、自分しかできないことをコツコツと頑張って、継続して続けることによって己の花を咲かせているように思う。どのような仕事に携わっていても共通している。同時に、他者への感謝を忘れないことも大切だと思う。 

参考記事
日本経済新聞「窓」2016年12月24日朝刊,13(27)
(2016年12月19日発刊)NO.471
「人類みな兄弟」


 私たち人間は、この言葉を良く知っている。にも、かかわらず、兄弟でも、親子でも争いが絶えない。国と国の争いも同じである。
人間の歴史は戦争の歴史であるといっても過言ではない。日本は第二次世界大戦の主役として真珠湾攻撃で登場して、アメリカ軍の原爆投下によって終焉する。平和憲法で75年間、他の国と戦争することなく過ごしてきた。しかし、近年、戦争のできる国に変質しつつあることに危惧を感じている。
人類は、600万年の歴史を持っているが、現在のホモ・サピエンスは13万年前にアフリカで誕生して、5万年前にアフリカを離れて新天地を求めて地球上に拡散していった。過酷な自然環境を克服(破壊も)し、人間同士が戦いあって、生き延びてきたのが我々人間の祖先である。
人間の脳には、脳幹という「爬虫類の時代」から生命の源としての部分がある。ここでは意識や呼吸・心臓の動きを司り、哺乳動物において発達した辺縁脳は食欲・性欲・闘争・記憶など人間が逞しくいきる本能を司っている。その上に、大きな大脳を授かり前頭前野で物事を判断して、選択と集中をおこなっている。人間と他の動物が決定的に違うのは、発達した脳が、争い(戦争)をやめることは、自らが放棄しない限り、いずれ人類は滅びるしかないのではないかと思う。将来人間が生き延びるとすると、AI(人工頭脳)の力で未来予測を立てて、人類滅亡のシナリオを予測し、それを回避する手立てをいまから立てることである。でなければ、人類の終焉は早いのではないかとも思う。今からでも世界のリーダー達が英知を集めて、人類存続のシナリオを描いてほしい。わしが、わしがと言っている限り争いは絶えない。人類みな兄弟だからこそ、争いが絶えないのだろうか。
(2016年12月12日発刊)NO.470
「平静の心」


 これは、オスラー博士講演集(日野原重明 仁木久恵訳)の本の題名である。
1988年4月12日に日野原先生の「土井章弘先生に」のサインを頂いた記念すべき先生の著書である。オスラー先生の著書は、私が今日まで医師として歩んできたなかで、もっとも影響をうけた書物である。「平静の心」Aequanimitas(1889)は1889年5月1日ペンシルバニア大学を去るときの医学生卒業式での告別講演であり、オスラー先生が40歳の時のものである。これはオスラー氏の遺した講演のなかで最も有名なものである。
諸君の一生を左右する数ある要因の中から、特に二つだけ取り上げて述べてみることにしよう。その二つの事柄とは、諸君を成功への道へと導き、失意にあるときには諸君の力となるであろう。まず、沈着な姿勢に勝る資質はない。第二に、平静の心を持つことである。穏やかな平静の心を得るために、第一に必要なものは、諸君の周囲の人達に多くを期待しないことである。成功を収めているとき、あるいは失意に打ちひしがれているときを問わず、平静の心を持つことは至難なことであるが、それにもかかわらず、それは心のあり方として必要である(一部省略)。
日々の、様々な困難・心配事・人間関係など心を悩ますことは絶えないが、常に「平静の心」を養い、日々前向きに生きたいと思う。

参考と文献
@ ウイリアム・オスラー博士は1849年カナダに生まれ、カナダのマギル大学の医学部を卒業し医師になり、ペンシルバニア大学医学部教授、40歳の時にジョンズ・ホプキンス大学教授、55歳の時に、英国オックスフォード大学の欽定教授 歴任し、1919年に70歳で逝去。19〜20世紀にかけて米国の医学教育の基礎をつくり、日本の医師にも多大な影響を与えた。 
A ウイリアム・オスラー著,「平静の心−オスラー博士講演集」(日野原重明・仁木久恵訳)医学書院.
(2016年12月05日発刊)NO.469
「人の一生は」


 「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。」これは、徳川家康の遺訓の最初の言葉です。私の家には家康遺訓の書(誰が書いたかわからない)があって、それを毎日眺めてきた。祖父や曽祖父が毎日朝夕見ていたであろうと思う。子供の頃には、居間にあった書をほとんど気に止めることもなかった。しかし、いろいろと人生経験をする中で、素晴らしい言葉だと気づかされる。家康が戦国時代を生き抜いた人生経験から生み出した子孫に残した遺訓であり学ぶことも多い。「不自由を常と思えば不足なし。堪忍は無事長久のもとえ。怒りは敵と思え。及ばざるは過ぎたるよりまされり。」などなど学び、実践していきたいことが書かれている。私の父も晩年この書をしたため孫子に残してくれている。 
参考文献:「徳川家康の遺訓」
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。おのれを責めて人をせむるな。及ばざるは過ぎたるよりまされり。
 

(2016年11月28日発刊)NO.468
「ありがとう!」


 「ありがとう」という言葉は、おはようございます!や、こんにちは、よろしく願います。などと並んで多用する言葉だと思う。「ありがとう!」は「ありがとうございます」よりも、家族や身近な人によく使っているように思う。「ありがとうございます」は目上のひとや、特別の場合に感謝を込めて敬語として使っている。
「ありがとう!」の言葉は、あることが難しいという言葉から来ていると聞いたことがある。「難有り難し」である。人は、お釈迦さも「天上天下唯我独尊」といっておられるように1人ひとりがかけがえのない生命である。人は基本的には自己中心と言ってもいい。しかし、1人では生きてはいけない。だから、お世話になった全てのこと、身の回りに起こる全てのことが、「ありがたい」ことである。人とひとの関わりだけでなく、私たちが生かされている、太陽も月も、山も海も、水も、風、動植物などの自然環境も「ありがたい」ことである。心を込めて「挨拶」と「ありがとう!」は人とひとの絆の潤滑油です。「院長のひとりごと」読んでくださり、ありがとうございます。

参考文献
「難あり有り難し」黒住教 「道のしおり」 

(2016年11月21日発刊)NO.467
「幸せ」


 当院には4つの経営理念がある。その一つに「職員ひとりひとりが幸せでやりがいのある病院」がある。でも「幸せは」を病院が与えることはできない。経営者ができることは、生活ができる給与をお支払いすること。福利厚生を準備すること。ワークライフバランスができる環境を提供すること。5Sなどを通じて職場環境を整えること。職員同士が、互いに尊敬し合った職場環境にすること。学習できる環境を創ること。よく考えてみると、これらは経営者と職員が共に創っていくもので、環境整備をするのが経営者の役割だと思う。多くの職員は、幸せや生きがいは、他者からの「感謝」であり、病院では「患者様」からの「ありがとう」「お世話になりました」の感謝の気持である。でも、「幸せ」というものは結局、それぞれの「心」が決めるものだと思う。 

真民先生の「詩」に「幸せの帽子がある」

すべての人が
幸せを求めている
しかし幸せというものは
そうやすやすと
やってくるものではない
時には不幸という
帽子をかぶってくる
だからみんな逃げてしまうが
実はそれが幸せの
正体だったりするものだ
わたしも小さい時から
不幸の帽子を
いくつかかぶせられたが
今から思えば
それがみんなありがたい
幸せの帽子であった
それゆえ神仏のなさることを
決して怨んだりしてはならない

参考文献
坂村真民:坂村真民(さかむら しんみん/1909年1月6日-2006年12月11日/男性)は、熊本県荒尾市出身の仏教詩人。本名は昂(たかし)。「癒しの詩人」と評される人物であり、分かりやすい作品が多く、小学生から財界人にまで愛された。特に「念ずれば花ひらく」は多くの人々の共感を呼び、その詩碑は全国、さらに外国にまで建てられている。愛媛県砥部町に「たんぽぽ堂」と称する居を構え、毎朝1時に起床、近くの重信川で未明の中祈りをささげるのが日課であったとのこと。仏教伝道文化賞、愛媛県教育文化賞、正力松太郎賞、愛媛新聞賞などを受賞。(参考文献:ウィキペディア+Amazon.co.jp+致知)

(2016年11月14日発刊)NO.466
「すべての行為は人柄の現われ」


「森信三 訓言集」を拝読する。「すべての行為は人柄の現われ」だという森信三先生の言葉に出会った。「すべて人間の為ることは、その人の人柄の現れである。随ってまた、言語、容姿、興味、事業等々、人間のすることの何処をとっても、その人の人柄が現われるようではなくてはならぬ。手近な処でいえば、ちょっとした提出物ひとつの体裁にも、やはり諸君等の人柄が現われなくてはならぬ」 
その人の立ち居振る舞い、言葉つかい、歩く姿、表情、描いた絵、手紙、すべての行動や、日々の仕事など、その人が発した全ての事柄の反映が、その人の人柄である。そのように考えると、日々自分を顧みて、少しでも成長させていかねばと思う。土光敏夫氏は「日に新たに、日々に新たなり」を座右の銘とした。

参考文献
@ 森信三著「森信三訓言集」致知出版社
A 土光敏夫 (どこう としお、1896年(明治29年)9月15日 ― 1988年(昭和63年)8月4日)は昭和時代の日本のエンジニア、実業家。石川島播磨重工業 社長、東芝 社長・会長を歴任、日本経済団体連合会第4代会長に就任し、「ミスター合理化」として土光臨調でも辣腕を振るった。岡山県名誉県民。
(ウイキペディアより引用)
 

(2016年11月07日発刊)NO.465
「人生二度なし」


この言葉は、森信三先生の言葉である。人生は二度ないことは頭では解っているが、森先生の「人生二度なし」の生涯最後の講演(生誕120年記念)を収録したDVDを拝聴した。心と体と使い尽すこれを死という。死ぬ直前まで使い切るということか、厳しい教えだと改めて心に刻んだ。森信三先生は、明治29年生まれで、97歳で平成4年11月21日に逝去される。坂村真民先生は森信三先生に出会って「詩国」(真民先生の詩集)の発行を決断されたと聞く。「人生二度なし」を心して生きていきたい。

森信三(不尽)不尽先生 詠草 (延命十句観音経 寺田清一氏 編集)

これの世の再ぶなしといふことを 命(いのち)に透(とほ)り知る人すくな。
これの世に幽(かそ)けきいのち賜(た)びたまいし大きみいのちをつね仰ぐなり。

坂村真民(詩集より)

二度とない人生だから
 一輪の花にも
 無限の愛をそそいでゆこう
 一羽の鳥の声にも
 無心の耳をかたむけてゆこう

二度とない人生だから
 一匹のこうろぎでも
 ふみころさないでゆこう
 どんなにかよろこぶことだろう

二度とない人生だから
 一ぺんでも多くの便りをしよう
 返事は必ず書くことにしよう

二度とない人生だから
 まず一番身近な者たちに
 できるだけのことしよう
 貧しいけれど
 こころ豊かに接してゆこう

二度とない人生だから
  つゆくさのつゆにも
  めぐりあいのふしぎを思い
 足をとどめてみつめてゆこう

二度とない人生だから
 のぼる日 しずむ日
 まるい月 かけてゆく月
  四季それぞれの星星の光にふれて
  わがこころをあらいきよめてゆこう

二度とない人生だから
  戦争のない世の実現に努力し
  そういう詩を一編でも多く作ってゆこう
  わたしが死んだら
  あとをついでくれる若い人たちのために
 この大願を書きつづけてゆこう

参考:

森信三:愛知県知多郡武豊町に父・端山(はしやま)俊太郎、母・はつの三男として生まれる。2歳で岩滑(やなべ、現在の半田市)の森家に養子に出され、以来森姓となる。1920年(大正9年)広島高等師範学校英語科に入学、福島政雄・西晋一郎に学ぶ。1923年(大正12年)、京都帝国大学哲学科に入学し、主任教授西田幾多郎の教えを受け、卒業後は同大学大学院に籍を置きつつ天王寺師範学校(現大阪教育大学)の専攻科講師となる。1939年(昭和14年)に旧満州の建国大学に赴任するが、敗戦後の1946年(昭和21年)に帰国、1947年(昭和22年)個人雑誌「開顕」を創刊、1953年(昭和28年)、神戸大学教育学部教授に就任。同大学退官後の1965年(昭和40年)には神戸海星女子学院大学教授に就任。1975年(昭和50年)「実践人の家」建設。1992年(平成4年)逝去。おもな著書に『修身教授録』『哲学叙説』『恩の形而上学』などがある。ちなみに「信三」は戸籍上は「のぶぞう」と読み、「しんぞう」は戦後帰国した際に他人が読みやすいという理由から名乗った通称である。 半田市名誉市民。半田市がつくった新美南吉記念館の一室に森信三記念室が設けられている。森はその生涯から「人生二度なし」の真理を根本信条とし、「全一学」という学問を提唱した(ウイキペディアより引用)。

坂村真民:熊本県立玉名中学校を経て、神宮皇學館卒業。愛媛県砥部町に「たんぽぽ堂」と称する居を構え、毎朝1時に起床し、近くの重信川で未明の中祈りをささげるのが日課であった。詩は解りやすい物が多く、小学生から財界人にまで愛された。特に「念ずれば花ひらく」は多くの人に共感を呼び、その詩碑は全国、さらに外国にまで建てられている。森信三が早くからその才覚を見抜き後世まで残る逸材と評した(ウイキペディア から引用)。

(2016年10月31日発刊)NO.464
「凡事徹底」


先日、「伝説の校長が語る!”本物”の教育」という演題で大畑誠也氏(九州ルーテル学院大学 客員教授)の講演会が岡山県中小企業家同友会主催で開催された。大畑先生は熊本県の名校長とよばれ、熊本県内六校の校長を歴任し、次々と教育現場の改革を図り、数々の伝説を残してきました。初めて校長をした天草東高校では生徒数の激減による廃校の危機の中、三年間で志願者を倍増させました。その秘訣は、大きな声での「挨拶」「返事」「校歌斉唱」の励行、「一日一回図書館」の実践や、朝食を摂らない生徒への炊き出し、「親への感謝」の実践。結果、生徒のやる気を引き出し、学校への志望者が激増した。
大きな声で「挨拶」をする。返事を「ハイ!」としっかりする。朝食をしっかり摂る。どれも、当たり前のことだ。しかし、この当たり前のことを実践すること、いいかえれば「凡事徹底」することが人にやる気を起こさせ、人間関係を大切にする「人」を育て、成果に結びつけられた。生徒が自ら育ち、学校の先生も成長したのではないかと思う。
イエローハット(株)の創業者鍵山秀三郎も「掃除」を徹底し、「凡事徹底」の大切さを 私たちに示唆してくださった。誰でもできる「あたりまえ」のことが、「あたりまえ」にできるように日々努めたいものである。

参考文献
@ 大畑誠也著  「答えは現場にあり」すばる出版
A 鍵山秀三郎著 「凡事徹底」  平凡社 
(2016年10月24日発刊)NO.463
「君の名は。」


 先日、新海誠監督の最新アニメ映画「君の名は。」のヒット作を鑑賞しました。素晴らしい映像でした。ストーリーは、荒唐無稽でしたが、二人の男女の魂というか意識が入れ替わって、時空を超えて、若い2人に恋い心が芽生える。エンディングでは「君の、名前は・・・」と問いかけるシーンでハッピーエンド。彗星の落下災害の映像もリアルで美しい。
もう一つ「君の名は」という作品があります。昭和28年(1953〜1954年)映画「君の名は」です。これもまた大ヒットでした。「忘れ得ずして忘却を誓うこころの悲しさよ」というナレーションから始まり聞く人の心を奪いました。岸惠子・佐田啓二の主演でした。3000万人の観客動員数だったと記録にあります。
この二つの時代を超えたヒット作品は、ストーリーも、実写とアニメという映像のジャンルも違いますが、共通して「こころ」を打つ男女のこころの機微があると思います。「君の名は」というのはいい言葉ですね。私たちは、毎日多くの人にすれ違っていますが、「君の名は」と言える人と人の関わり合いを大切にしたいと思います。 

参考 @君の名は。 制作年2016年  東宝
   A君の名は 制作年1953年  松竹
(2016年10月17日発刊)NO.462
「IOTとは何か〜ひとが幸せになるのか」


  最近、IOT=internet of things (モノのインターネット)という言葉が様々な場所、メディアで使われることが多い。病院でも、電子カルテ、画像診断機器であるMR・CT・内視鏡・臨床検査機器・介護ロボットなど医療や福祉に必要な各種機器はIT化が急速に進む。個人でも、携帯電話(スマートフォン)、iPad、パソコンなどを多くの人が使用している。地球全体が、ITネットでぐるぐる巻きになっているように感じられる。そして、クラウドコンピューティング、ビッグデータ、AI(人工知能)など、私たちを取り巻くIT環境がめまぐるしく変化している。更に、「モノがインターネット化する」ということは、どのようなことか、アナログ時代に育った私にも、ITによる社会変革を肌で感じている。大きなパラダイムシフトの時代に、IOTへの理解を深めて、ビジネスチャンスに役立てることも大切だと思うが、経済優先で、生きることの幸せを感じる心の豊かさを忘れてはならないと思う。IOTを通じて「人と人の関わり合いの知恵」を共有することに役立ててほしい。長寿社会にあって、IOTが「生きる、暮らしを守る、人間らしく生きる」に役立ってくれるものと期待している。

参考文献:三菱総合研究所,「IOTまるわかり」,日本経済新聞出版社,2015.
(2016年10月11日発刊)NO.461
「長寿時代を生きる」


 平均寿命が男女平均すると83歳、しかし、健康寿命は10歳ほど短いと言われている。人生50年といわれた、戦前戦後の時代からすると隔世の感がする。私たちは医学の進歩、公衆衛生の普及、国民皆保険制度、介護保険制度の充実があり、長寿社会の恩恵にあずかっている。医療費も40兆円を超えて、先進諸国(OECD)に比しても、GDPの10%を超えて、ヨーロッパ並になってきた。
 それぞれの人生が長くなったということは、それだけ生命の使える時間も長くなったといえる。人生50年の時代と、人生80年の時代では命の使い方も大いに変ってくる。
オーストラリア生まれのユダヤ人の哲学者の、マルチン・ブーバーの言葉に「人は創めることをさえ忘れなければ、いつまでも若い。」とある。素晴らしい言葉であり、わたしたちは、このような心で長寿社会を生きていきたい。
 これから医術がさらに進歩しても、生まれて老いて病気になって、いずれ死んでいくことには変わりない。日本人は100歳以上の人が、6万人を超えたが120歳以上を迎えることは無理でしょう。私たちは、永久には生きていけないのだから、身体や精神を病んだとき、もうこのくらいで、積極的な医療をやめて、心が癒やされる環境を、創っていくことが必要ではないかと思う。国が進めようとしている包括ケアシステムを活用して、行政や医療・福祉に携わる人と地域に住む人との緩やかな連携が大切になってくる。
 当院は岡山市中区で人口約15万人が住む地域である。病院・介護施設の多い地区で、多職種連携の顔の見える連携が進んでいる。現在一つの取り組みとして、行政の協力もありながら多職種協働で医療・介護・予防・生活支援・住まいに関わる情報を発する「なかまちーずフェスティバル」が企画されており、11月6日に岡山ふれあいセンターで開催される。倉敷市では、既に私たちのお手本である「わがまち健康プロジェクト」が動き出している。向こう三軒両隣の現代版が成功してほしいと願っている。
(2016年10月04日発刊)NO.460
二胡奏者田川さん「感謝 コンサート」


 中国の伝統楽器・胡弓(二胡)の奏者田川(でんせん)氏が日本でデビュー(岡山市)し、25年を迎えて10月1日、岡山市市民文化センターで「感謝コンサート」を開催した。
田川さんは1975年中国ハルピン市生まれ。6歳で二胡を習い始め、8歳から少年宮音楽団で演奏活動を開始。国営ハルピン市曲芸団へ入団、プロ奏者として活躍。1987年に岡山大学大学院研究科修士課程修了。その後、岡山を基盤に演奏活動を進め、倉敷音楽祭、岡山音楽祭、米子音楽祭に出演・企画。1993年には、さとう宗幸氏とジョイントコンサート。2008年にはさとう宗幸氏デビュー30周年記念コンサートに出演。現在、各地に二胡の教室を持って、演奏活動のかたわら、大学での中国語講師など、日中友好に貢献されている。
 このたびのコンサートは「感謝コンサート」であるとして、日本に来て多くの人との交流に支えられて今日があることの感謝であると、田川さんは舞台で語られた。広島県上下町(旧)MGユースホステルの(故)森岡まさ子さんとの出会いが、さとう宗幸氏との縁につながってこのたびのコンサートにも来てくださったものだと思う。
 日本に来てだれも知らない中で多くの人と交流を深めて、今日があることへの「感謝」の気持ちを演奏を通じて、また舞台での語りを通じて、観客に伝えてくれた。
森岡まさ子さんもきっと舞台に来て拍手をおくっていたのでは。
田川さんは中国29年、日本29年で丁度半分半分。当年58歳、これからも音楽を通じて中国と日本の架け橋の一人になってほしいと願っている。横谷敦子(メイコー)さんや私など友人の一人として活躍に期待している。
 
参考:森岡まさ子さんのプロフィール
(2016年9月26日発刊)NO.459
「地域包括ケアシステム」


 日本は長寿社会となった。女性は87歳、男性は80歳の平均寿命となって、多くの人が80歳を超えて、人生を愉しむことができるようになった。しかし、長寿社会は、全て好い面ばかりではない。健康で長寿であればいいが、癌や脳卒中・心筋梗塞などの病気を抱えることにもなる。高齢化に伴って「認知症」になっていく人が、全国で400万人とも言われている。高齢者の独り暮らしが増え、終末期をどのように、どこで過ごせばいいのかは大きな社会問題である。
家族や、地域との関わり合いが薄く、「ひと」と「ひと」の「絆」が弱くなってきていることも問題である。厚労省も、医療と介護を一体とした地域包括ケアシステムを提唱し、病院の機能分化をすすめ、医療保険によって病気を治療し、更に、医療の必要性が低い人には、在宅や施設で、身の回りの世話など介護保険で支えようという考えである。
2018年には、医療と介護の診療報酬の同時改訂が行われる。私は、地域の病院や福祉施設(老健施設・介護施設)のコメディカルや事務職などの多職種が、地域の住民と協働して人的ネットワークを構成し助け合っていかないとこの難局を乗り切っていけないのではと思う。岡山旭東病院を含む岡山市中区は、約14万人が住んでいるが、今年新たな試みとして、行政と共に、病院・クリニック・施設の医師、コメディカルスタッフ、連携室スタッフ、医療ソーシャルワーカー、看護師などが地域住民の触れ合いを通じて、交流する「なかまチーズフェスティバル(2016年11月6日)」が企画され連携と協働の輪が広がっている。
(2016年9月20日発刊)NO.458
「病を癒し、心を癒す」


 当院では、経営理念の一つに「快適な、人間味のある温かい医療と療養環境を備えた病院」を掲げている。病院だから、患者さまは体の臓器に異常が起こって、来院してくださる。頭痛がして頭の調子が悪い、階段から落ちて足を骨折した、体調を崩したといって、当院を受診してくださる。病に対して検査し、原因を確かめて、手術や薬を処方する。しかし、病を治す(癒す)ことはできても、心を癒すことはできない。心を癒すためには、医師をはじめ、全ての職員が、協働して患者さまの心に寄り添って初めて達成できるのではないかと思う。だから、病『気』と書くのだと納得する。心を癒すには、互いに人間として尊敬し、コミュニケーションをとっていくことだと思う。
(2016年9月12日発刊)NO.457
「いのちの授業」


日野原重明先生は、「いのちの授業」を225回を超えて全国の小学校でなさっています。日野原先生は、子供たちに向かって、授業をはじめます。
「まずわたしは、黒板にチョークで横に長い線を引きます。いちばん左のはじに目盛りをつけて、そこに『0歳』と書きます。そして、右のはじに近いところに目盛りをつけて、そこに『100歳』とかきます。そして、こどもに自分の年齢のところに印を付けさせます。なんだかあやふやなのだけれど、黒板の線の半分のところに目盛りを付けて、『50歳』と書きます。その半分のところに『25歳』と書きます。そうしてから『10歳』はこのあたりかな?と聞くと、だれでも正確な印をつけることができます。授業を通じて、『いのちは自分の使える時間』だという日野原先生の考えを伝えます。素晴らしい考えだと思います。その『自分が使える時間』を子どものうちはぜんぶ自分のためにだけ使います。ごはんを食べるのは自分の体のためですし、勉強をするのも自分の頭のためです。わたしはそれでいいと思っています。ただし、成長して大人になったら、自分のつかえる時間をすこしでも、自分のためだけでなく、ほかの人のためにも使ってほしいと思います。」私は、子供たちに学んでほしいと思いますが、同時に大人にも学んでほしいと思います。
日野原先生は、このいのちの時間において、「ゆるしの心」を持ち、「人のために自分の時間を使える人間になってほしいと」と示し、その二つを身につけた子供たちが増えていけば、世の中から争いや、憎しみはなくなっていくと考えておられます。私もその通りだと思います。子供だけでなく大人も、耳を傾けて「自分の使える時間」を人のために使っていくことが争いのない穏やかな社会をつくっていく道だと考えます。多くの人に読んでいただきたい書物です。

参考文献
日野原重明著,「明日をつくる十歳のきみへ−一○三歳のわたしから−」冨山房インターナショナル,2015.
(2016年9月5日発刊)NO.456
「こころ」


 心(こころ)が体を動かす!こころは何処にあるのか。現代科学でいうと、「心」は脳にあると言いたいが、それでは脳のどの部分にあるのか?いまだに解っていないと思う。夏目漱石の「こころ」はこころの移ろいを小説にて表現されている。名著であると思う。「こころ」のありようによって、人と衝突したり、好きになったり、互いに恋い焦がれたり、時には失恋して、世をはかなんで自殺することもある。心は体を動かす。しかし、こころの所在はいまだ解明されているとはいえない。
心配事があったり、感極まって、心臓がドキドキするので、「こころ」は心臓にあると信じられていた。西洋でも、ハート(heart)を表現するのに?を書くが、心臓をあらわしている。「こころ」は心臓にある?胸の内にある?掌ごころといえば、「こころ」は手にある?丹田にある?足にある?こころのありかはわからないけれど、心が安らぐと、安眠できるし、肉体も健全になることが良く知られている。
当院の「こそ丸」は「こころ」の薬だと思う。毎日、貴方がおれば「こそ!」と唱えて、「こそ丸」を互いに服用して幸せに過ごしたいものである。
参考文献
@ 夏目漱石著,「こころ」,集英社文庫,1995.
(2016年8月29日発刊)NO.455
「日を拝む」


 太陽を拝む。人類が生れて、初期の宗教的行事は、太陽に対する畏敬の念から始まったと思われる。エジプトでの太陽神、ギリシャ・ローマではアポロン、日本では天照大神(アマテラスオオミカミ)が崇拝の対象となっている。仏教でも「大日如来」として信仰の対象となっている。日本では古来、自然が豊かで、そこに自然崇拝があり、特に太陽への尊崇があったと言われている。
岡山県には、黒住教という文化11年(1814年)に黒住宗忠が起こした神道の教えがある。黒住教では日の出を拝む「日拝」を最も大切な祈りとしている。これを365日欠かすことなく、教主始め多くの方々が祈りをささげている。感動と感謝の心で日の出を拝む。「まること」の精神を持って生きることに努めている。
私も、都合がつけば毎月第1日曜日に太陽の上がる日の出を拝む「日拝」に参加している。昇る朝日に万物を生みだす天照大神を感じとり、日拝によって感謝を捧げることの大切さを感じることができます。
私の小学生の頃(御津郡長田村井原【現吉備中央町井原】に住んでいた頃)には、お天道様を拝むことは日常であったように感じていた。都会の喧騒から離れて、「日拝」するのは心が洗われていいものである。

参考:
御日拝の日取:毎月第1日曜日、神道山(黒住教本部)日拝所にどなたでも無料で参加できます。日の出は日々変わりますので調べて参加して下さい。

(2016年8月22日発刊)NO.454
「自分の金メダル」


 リオデジャネイロ市で開かれているスポーツの祭典オリンピックで、多くの日本選手がメダルに輝いている。金メダルに輝いている人も素晴らしいが、オリンピックというこの舞台に立ったというだけで日頃の努力が実ったのだから本人にとっては「金メダル」に値するものである。長年王者であり続けた選手にも終わりがある。
レスリングの女子53Kg級で、吉田紗保里選手が4連覇の金がとれなかった。本人は悔しい事と思う。しかし過去オリンピック3連勝は凄い事だ。吉田選手には、「金」以上の「金」に輝いていると思う。
自分に挑戦する:
私達もそれぞれの立場で、他人にはない自分の「金」メダルを獲得していただきたい。 人生二度なし、毎日がオリンピックの舞台と考えて、日々、精進していきたい。
(2016年8月15日発刊)NO.453
「桃太郎経営」


 岡山県中小企業家同友会主催の同友会大学(8月8日)に、毎年来ていただいている駒澤大学 教授 吉田敬一先生による「転換期を迎えた日本経済〜桃太郎型経営の実践で転機を乗り越えよう〜」の講義を受けた。日本の企業の99・1%は中小零細企業であり、働く人の70%を占めている。中小企業の活性化こそ日本の社会の安定と経済的発展の鍵である。中小企業憲章(平成22年6月18日閣議決定)には「中小企業は、経済を牽引する力であり、社会の主役である。常に時代に先駆けとして積極的果敢に挑戦を続け、多くの難局に遭っても、これを乗り越えてきた〜」と前文にある。その中小企業を支えるには、桃太郎経営に勝るものはない。桃太郎スタッフは「猿」「雉」「犬」である。桃太郎は中小軍団で、意外性と臨機応変で「規格型鬼の軍団」に対応する。スタッフ機能には、部下には「猿」がいる。猿は賢く、部下はあいつの言うことは聞こうと言うだろう。雉(きじ)は空を飛ぶことができ、情報を集めてくる。鳥の目を持っている。犬は、ちゃんと教えるとお使いができる。恩義を忘れず忠実に仕事をして目的を達成できる。
経営理念に基づいた経営指針を創って、自立型経営を推進していく。桃太郎経営こそ、まさかの坂を超える経営である。病院経営も今が「まさかの坂である」。患者さまに喜んでもらえる、桃太郎経営をしていきたいと念じている。

参考文献:
中小企業憲章:経済産業省 中小企業庁 事業環境部 企画課
〒100-8912 東京都千代田区霞が関1-3-1

(2016年8月8日発刊)NO.452
「中小病院の生き残る道」


当院は202床の中規模病院である。日本の病院は全国で約8000病院、その内200床未満の病院が70%を占めている。その中で、生き残るためには、その時代の必要性に対応して、変身していかねばならないと思う。

その中で、@「特徴」があること A「人材育成」 この二つが大切であると考える。

@の「特徴」についてだが、岡山旭東病院は4つの経営理念に基づいた理念経営を行っており、脳神経運動器疾患の総合的専門病院を核にした急性期医療の提供、健康センターでの健康維持のお手伝い、訪問看護ステーションでの在宅患者さんへのフォローなどが挙げられる。また、財団には、岡山リハビリテーション病院(回復期病院)や岡山ハッピィライフ操風(サービス付き高齢者住宅)もあり、予防から在宅支援までの地域包括ケアシステムの中での役割を真摯に努めなければならない。 

Aの「人材育成」については、当院は学習型病院として、これまで多くの時間を費やし人材・財政支援を行ってきた。しかし、まだまだ途上であり、共に育ち合う風土を醸成していきたい。社風という「風」で人が育っていけば、社会が支援下さって中規模病院として生き残れるものと確信している。

日本の医療を底辺で支えてきたのは中小病院であり、中小病院があったからこそ世界に冠たる長寿社会を形成することができたと思うが、云い過ぎだろうか。小回りが利き顔の見える中小病院が、地域の医療を支えて、大病院と協働して、地域の医療と福祉を支えて行くことが未来への期待である。

参考:
4つの経営理念
@ 安心して生命をゆだねられる病院
A 快適な、人間味のある温かい医療と療養環境を備えた病院
B 他の医療機関・福祉施設と共に良い医療を支える病院
C 職員ひとりひとりが幸せで、やりがいのある病院
(2016年8月1日発刊)NO.451
「生き方」


 人間としての生き方、先人が語っている。お釈迦様やキリストなどの教えも人としての生き方を示してくれている。ドラッガーやフランクリン・コヴィーも経営者としての生き方を示してくれている。大田堯先生は生命の絆から、人の関わり合いの知恵を指示してくれる。 
 生きることは、大いなるものから頂いた、生命を大切にし、人格を磨く(魂を磨く)ことである。そのために、私たちは、仕事や日常の生活を通じて、関わり合いの知恵を学び、自分を磨くことが生きて行く目的ではないかと思う。誠実・正直・謙虚・勤勉であること。忘己利他を基準にして、自分の行動を律していく。
稲盛和夫氏は「私の成功に理由を求めるとすれば、人間として正しいことを追求するという、単純な、しかし、力強い指針があったということです。」と述べられている。幸せな生き方はシンプルなものなのかもしれません。

参考文献
@稲盛和夫,「生き方」,サンマーク出版,2004.
Aフランクリン・コヴィー・ジャパン,「リーダーシップの4つの役割」,キングベアー出版,2016.
(2016年7月25日発刊)NO.450
「無常」

  人が生きて行くことは、「苦」であるとお釈迦様は2500年前に言っておられる。
そして、生老病死も生きる者の宿命である。この世は常に動いていて、とどまることを知らない。それを無常といっている。人生にはつらい事も、楽しい事もある。出合いもあるが別れもある。つらい事に出合うと、「心」が萎えて、死にたくなる人もいる。人生は無常である、ということは、常に動いているのであるから、悪い事もいつまでも続くわけではない。時間が経てば、いい時期がめぐってくるということである。
いい時には、喜んで受け入れ、悲しい時には、じっと耐える。心が病を罹っても、もっともいい薬は「時」であり、「こそ丸」を毎日服用することが助けてくれる。

    「一切無常」

    散ってゆくから     美しいのだ
    壊れるから     愛しいのだ
    別れるから     深まるのだ
    一切無常     それゆえにこそ
    すべてが生きてくるのだ  「真民」

(2016年7月19日発刊)NO.449
「目的(ビジョン)をもって、そのために一生懸命にはたらく」


  先日(7月16日)、大阪で中小企業家同友会の全国総会があった。最終日に山中伸弥教授の特別挨拶があった。その時に、感銘を受けた言葉は、「フォルクスワーゲンのマークVW(VISIONのV, WORK HARDのW)」である。一生懸命働くことは大切だが、はっきりvision(目的)をもって、働くことの大切を話された。
山中教授の講演から、「VWはグラッドストーン研究所所長のロバート・メイリー先生から教わった言葉である。日本人は一生懸命働く人は多いが、よく考えたら何のために働くのか解らないということが多いのではないか。自分のビジョン、目的が何か、そのためには何をしたらいいのだろう、と考える時間もあってもいいのではないか」その様な趣旨の話をされた。毎日忙しく働いていても、ちょっと立ち止まって何のために働いているのか考えることも大切であると、とても感銘をうけた。

参考:
山中 伸弥(やまなか しんや、1962年(昭和37年)9月4日 - )は、大阪府枚岡市(現・東大阪市)出身の日本の医学者。京都大学ips細胞研究所所長・教授、日本学士院会員。学位は博士(医学)。ノーベル賞受賞者、その他称号としては京都市名誉市民(一部ウイキペディアより)

(2016年7月11日発刊)NO.448
「生きること、老いること。病むこと、別れること」


私たちは、この世に生まれて来た。大いなるものに包まれて、生命を育んでくれた宇宙や地球、太陽や月、川や海、風、空気の恵みに生かされ、両親のお蔭でこの世に生まれた。そして、幼少の頃から、多くの人のお世話になって今日がある。時代を遡れば、28代で1億人の人のお蔭で今がある。この中のひとりでもいなかったら今の自分は存在しないと考えると、生命のありがたさを身にしみて感じる。

学生時代には多くの先生や、学友、卒業後には、社会の中で多くのひとのお世話になって生きてきて、やがて病を罹り、いずれ老い、この世との別れが来る。その時に向かって、少しでも自分を磨き、与えられた生命を使っていきたい。いつ、この世やお世話になった人との別れる日が来るのか、誰にもわからない。明日かも、しれないし、数年先かもしれない。ひとそれぞれに、定命がある。

日本は、男女平均すると平均寿命は83歳で、世界一である。100歳以上の人が、6万名を超えた。すばらしいなあ。当院の食堂には、100年カレンダー(かんてんぱぱ(株)の売店で購入した@)がある。この中に、若い人も、必ず命日がある。毎日を大切に、健康寿命を延ばし、大いなるものに頂いた生命を大切に使っていきたい。

参考文献
@塚越 寛.「リストラなしの「年輪経営」: いい会社は「遠きをはかり」ゆっくり成長」,光文社, 2014.
(2016年7月4日発刊)NO.447
「渡り鳥ブッポウソウ」


 「ブッポウソウ」は仏法僧とも書きますが、日本では数少ないブッポウソウの繁殖地として知られる吉備中央町では、里山の美しい景観が残る各所に巣箱が設置され、シーズンになると、子育て中のブッポウソウが盛んに巣箱に出入りする姿を見ることができる。7月2日(土)にブッポウソウ吉備中央長会(事務局長 中山二郎氏)の主催で「森の宝石・ブッポウソウ」フォトコンテストが開催された。
吉備中央町山本雅則町長の挨拶で始まり、私も来賓として挨拶をさせていただいた。吉備中央町は、小学校の低学年の時、祖父・祖母に育てられた場所で、会場となった長田ふれあいセンター(旧長田小学校跡地)にはご縁があった。最優秀者は「ブッポウソウの親から餌を啄ばむ姿」を撮った福山市の「松島秀美氏」であった。記念講演は審査委員長である「動物写真家 真木広造氏」より、野鳥の写真家としての体験やプロとしての厳しさを伺うことができた。
 「ブッポウソウ」は、絶滅危惧種(TB)、天然記念物に指定されている。色鮮やかな青い羽で大空を舞う美しい姿から”、「森の宝石」と呼ばれている。「仏法僧」と鳴くと勘違いされて、この名前がつけられたが、実際の鳴き声は「ぎゃぎゃ」とのだみ声である。
 町民が愛情を込めて、巣箱を作って、繁殖を支援している。ブッポウソウは5月に飛来して、巣箱を選定し、オスがメスに餌を運んでプロポーズ、そして交尾する。5月末に産卵し、卵を産み終えてから、平均21日間抱卵、6月末にひなが誕生する。仏法僧は、昆虫食で、空中を飛んでいる昆虫(アブラゼミ、カナブン、トンボ等)をかすめ取るように獲る。雛は三週後羽が段々にそろい、26日後に巣立ちする。巣立ちすると巣箱には戻ってこない。親鳥が飛び立つ前に巣箱の周りを鳴きながらぐるぐると廻って飛び立っていくのは感動的だそう。ブッポウソウは渡り鳥で、ボルネオのジャングルに帰っていく。光明があることを信じて飛んで行く。これから、南を目指して、帰っていくことを思うと、どのような困難があるのか想像もつかない。人も混沌の世の中を生きているのは、渡り鳥が怒涛の海を渡るのと同じなのかもしれない。

「鳥は飛ばねばならぬ」  坂村真民作
  鳥は飛ばねばならぬ
  人は生きねばならぬ
  怒涛の海を
  飛びゆく鳥のように
  混沌の世を
  生きねばならぬ
  鳥は本能的に
  暗黒を突破すれば
  光明の島に着くことを知っている
  そのように人も
  一寸先は闇ではない
  光であることを知らねばならぬ
  新しい年を迎えた日の朝
  私に与えられた命題
  鳥は飛ばねばならぬ
  人は生きねばならぬ  

参考文献
@ 「私たちの町にやってくるブッポウソウ」(改定版2014)
 岡山県吉備中央町発刊 
A 詩集「念ずれば花ひらく」 坂村真民 サンマーク出版
(2016年6月27日発刊)NO.446
「寄り添うということ」


 私達医療従事者は、患者さんに寄り添ってという言葉をしばしば使う。でも寄り添ってという言葉は解るが、「寄り添う」の主体は何処にあるのか、私はあまり考えてこなかったように思う。患者さんが、寄り添ってもらっていると実感した時に始めて、「寄り添う」ということになる。先日、「第66回 日本病院学会(会長 岩手県立中央病院 望月泉院長)」が盛岡で開催されて、一般公開講座で、柳田邦男氏(ノンフィクション作家)の講演「病気を生きる意味〜人は物語を生きている」があった。講演で「人の人生のドラマに興味と愛をもつこと」を最後のまとめとされた。それぞれの人には、それぞれの人生ドラマがある。人は生老病を生きて、多くのドラマを演じ、やがて死を迎える。その人のかけがえのない人生という「ドラマ」に寄り添って、愛情をもって理解し対応をしていくことが医療従事者の務めである。同時に人間として人と人との関わり合いの知恵としても互いに「寄り添っていく」ことが大切であるのではないかと思う。
(2016年6月20日発刊)NO.445
「small is beautiful」


 岡山旭東病院は、民間の一般財団法人で、202床の中規模病院です。職員の数は正社員が約500名、パート職員が約50名です。職員数を病床数に換算した時の全国平均に比べると、職員の数は多い方だと思います。脳神経外科・整形外科・神経内科・内科・麻酔科・放射線科・循環器科・形成外科などの診療科を持った、脳神経運動器疾患の総合的専門病として、また、定位的放射線治療装置(サイバーナイフ)や画像センター(PET.MR.CTSPECT、マンモグラム等)機能も備え、地域に根ざした医療を提供して参りました。また、財団関連施設として、岡山リハビリテーション病院(129床)、高齢者専用住宅(72戸)・訪問看護ステーション等の運営も行っています。
 病院のあり方は、時代と共に急激に変化してきています。しかし、患者さんの心に寄り添った対応というものは、何時の時代でも変わらぬものであり、それが医療従事者のあるべき姿です。一般企業が、M&Aを重ねて大きくなって、巨大化しています。病院も巨大化の傾向になっています。全国の70%が中小病院(200床未満)ですが、徐々にその数も減少しつつあります。更に、財源不足、少子高齢社会の到来から、より効率を求められて、余裕を無くして、中小病院は厳しい経営を強いられています。
 しかし、中小病院は、経営理念を基に、全職員が共に力をあわせて行動していくことによって、患者さまへ細やかな対応ができると思っています。また、人が育ち合い、日々工夫することによって、医療サービスを向上させることができます。
 「small is beautiful」を目指して頑張っていきましょう。
  経営理念
@安心して生命をゆだねられる病院
A快適な、人間味のある、温かい医療と療養環境を備えた病院
B他の医療機関・福祉施設と共に良い医療を支える病院
C職員ひとりひとりが幸せでやりがいのある病院
(2016年6月13日発刊)NO.444
「忙しくとも口には出さない」


 仕事が、忙しいと、つい「忙しい、忙しい」と言いたがる傾向がある。しかし上に立つリーダーやサブリーダーが「忙しい、忙しい」と言っていては恥ずべきことである。
佐藤一斉(1772〜1859)が出身藩[岩村藩]へ書き残した「重職心得箇条」というものがあり、その中の、第八条に書かれている内容は現代でも同じことが言える。人間としてのあり方やリーダーとしての心構えは、150年の歳月を経ても、変わらない。
「重職たるもの、勤向繁多(いそがしい)と云う口上(ことは)は恥ずべき事なり。仮令(たとえ)世話敷(せわしき)とも世話敷とは云わぬが能(よ)きなり、随分の手のすき、心に有余あるに非れば、大事に心付かぬもの也。重職小事を自らし、諸役に任使(にんし)する事能はざる故に、諸役自然ともたれる所ありて重職多事になる勢あり。」
重職が忙しいという言葉を出すことは恥ずべきことと教えています。任使は、使用より一歩進んでその使用する人に任す・これを任用という。そして任せた上に信じて使うことだ。単なる使用に非ず。この解釈は「安岡正篤」によるものだと、香川氏の著書に記載されている。引用させて頂いた。

参考
@ 香川昇.「人の上に立つものの17の心得 佐藤一斉「重職心得箇条」に学ぶ」
.時事通信社,2016.
佐藤一斉は江戸後期の儒学者 昌平坂学問所[幕府の最高学府]の学頭[現在では大学総長]

香川昇氏は1991年12月に住友生命からアークホテル岡山の社長として岡山に出向、4年4か月、ご縁を頂いた。香川氏の企画された、ホテル主催の講演会では、講師を住友生命 新井正明元名誉会長が務められ、演題が「佐藤一斉の重職心得箇条」であり、感銘をうけた。

A 安岡 正篤(やすおか まさひろ、1898年(明治31年)2月13日 - 1983年(昭和58年)12月 13日)は陽明学者・思想家(ウィキペディアより)。

(2016年6月6日発刊)NO.443
「仕事」


新津春子著「世界一清潔な空港の清掃人」を本屋で購入した。新津さんについては、2014年10月、NHKの「プロフェショナル仕事の流儀」というドキュメンタリー番組で放映された。私は残念ながら見ることが出来なかったが、本で新津さんの存在を知った。

彼女は、第二次世界大戦の時に中国に取り残された日本人を父に持つ。中国生まれの残留日本人孤児2世である。17歳で日本に帰ってきて、大変な苦労をされた。しかし、言葉が出来なくても清掃はできるからと、それから20年以上、ずっと清掃の仕事をされてきたという。

清掃は、3Kと言われているが、とても大切な仕事である。私たちの病院も西日本建物管理(株)の皆さまが、心を込めて清掃をして下さるお蔭で、毎日患者さまが快適に過ごすことができ、職場環境が整っていることで職員も働きやすい。社長の林茂樹氏とは、付き合いが20年になるが、社長と職員の、清掃を極めようとする姿勢に感謝している。

“仕事の流儀“を「心を込める、ということです。心とは、自分の優しい気持ちですね。清掃するものや、それを使う人を思いやる気持ちです。心を込めないと本当の意味で、きれいにできないんですね。そのものや使う人のためにどこまでできるかを、常に考えて清掃しています。心を込めればいろんなことを思いつくし、自分の気持ちのやすらぎができると、人にも幸せを与えられると思うのね」と新津さんは仕事の流儀を、こう表現されたという。

どの様な仕事にも、共通するのではないかと思う。「空港は家と思っているんですよ。自分の家と思っているんで、おもてなしでないといけないんです。自分の家に、いつも来てくださいよって、リラックスしてくださいよって。リラックスっていうのが、きれいでないといけないんですよ」

新津さんは、言葉のハンディもあって、いじめにもあって、苦労されているが清掃の仕事を通じて自分を磨いてこられたのだと感じた。今は十分幸せな人生を送っておられるとのことである。新津さんのような人知れずに、ひとのため、じぶんの為に働いておられることを忘れてはならないと思う。NHK「プロフェショナル仕事の流儀」ディレクター 築山卓観氏の取材で、新津さんのことを世に出していただき感謝です。

 「仕事」
頭がさがるのは
年齢でもなく
学問でもなく
肩書きでもなく
その人がしている仕事である   「坂村真民」詩

参考文献
@ 新津春子著,「世界一清潔な空港の清掃人」,朝日新聞出版,2015.
A 坂村真民著,「坂村真民一日一言」,致知出版社,2006.

(2016年5月30日発刊)NO.442
「オバマ米国大統領の広島訪問」


2016年5月27日(金)夕、オバマ米国大統領が被爆地広島の平和記念公園を訪れ、原爆慰霊碑に献花、黙祷し、被爆者を含む全ての戦争犠牲者を追悼した。
71年前、広島・長崎への原爆投下によって、数十万人の犠牲者とその後遺障害に苦しんでいる人々がいる。核兵器の廃絶を、いくら訴えても、世界の指導者が、本気にならない限り、核の廃絶は出来ないと思う。その意味において、現職のアメリカ大統領が、広島を訪れ、人類の歴史にのこる「核兵器のない世界を追求する勇気を持とう」との演説は、私達人類に希望を与えてくれた。

人類(ホモ・サピエンス)は13万年前に、アフリカを出発して、世界中に広がった。農業を起こし、文明を発達させ、互いに戦争して、互いに傷つけ合ってきた。人類の歴史は戦争の歴史でもある。そして、人類はいよいよ神の領域まで手に入れようとしている。核兵器は、究極の兵器で、いずれ人類滅亡の戦争に発展するに違いないと恐怖を覚える。オバマ大統領の決意が、核保有国のリーダーたちの、世界平和の話し合いのテーブルにつく、大きなうねりとなることを期待している。

Among those nations like may own that hold nuclear stockpiles, we must have the courage to escape the logic of fear and pursue a world without them.

「私の国のように核を保有している国々は、恐怖の論理から逃れ、核兵器のなき世界を追求する勇気を持たなければならない」

参考
@「「核なき世界」へ決意」山陽新聞.2016-5-28,朝刊.
A「核廃絶めざす勇気を 被爆者と対話、抱擁」日本経済新聞.2016-5-28,朝刊.
(2016年5月23日発刊)NO.441
「いい仕事」


 誰でも、いい仕事をしたいと漠然と思っている。しかし、いい仕事をする人はどのような心構えでしている人か。先日、高野登著「おもてなし日和」を拝読した。
著書の内容も素晴らしかったが、発刊記念の絵ハガキが添えてあり印象に残ったので紹介したい。清水かおり氏の「種蒔き」の写真と次の言葉が書かれていた。
「いい仕事をする人の心がけ、それは、誰でもがやっていることを、だれでもやらないレベルでやること」
人間として、高みに到達するには運もきっとあると思うが、だれでもやらないレベルでやることが、ひとり一人の人間の可能性を引き出してくれるものと思う。周りを見渡すと納得する人がきっと隣にいると思うよ!

参考文献
@ 「おもてなし日和」高野登著 文屋
A 「一流の想像力」高野登著 PHP文庫
(2016年5月16日発刊)NO.440
「働きやすく働きがいのある職場づくり」


 今年も、4月から、岡山旭東病院に新人さんが入職してきた。看護師10名、薬剤師1名、言語聴覚士1名、理学療法士1名、調理師1名の14名である。新しい職員が参加すると、病院全体に新しい風が吹いてくる。有難いことである。しかし、この新人たちが、成長してくれるように、職場環境を整備するのは、院長や各部長をはじめとする管理職の役目が大きい。同時に、当院では、幹部職員で構成されている人材育成センターが大きな役割を果たしてくれている。
入職し一か月経過したところで、人材育成センターのスタッフの企画で新人フォローアップ研修「2016年5月13日〜14日の一泊研修(瀬戸内マリンホテル)」がおこなわれた。テーマは「地域から選ばれる病院を目指して〜あなたもチームの一員〜」であった。先輩の職場経験や、コミュニケーションのとりかたの問題提示があり、その後グループ討議(ワールドカッフェ方式)を通して、意見交換をするなど、人材育成センターのスタッフによって、新人さん達は楽しい雰囲気の中で学びを深めた。
  私からは以下5つのメッセージを送った。
@ 新入職員ひとり一人が、経営理念を念頭に行動してほしい。
A 経営者であろうが誰であろうが人間として対等であること。
B 生命(いのち)の特徴は、ひとりひとり違う、しかし、助け合わないと生きていけない だから、他人との関わりの知恵を学び、自分を変えていくことの大切さ。
C 教育は、共に育つ「共育」である。
D 職場は舞台を、そこで演じるのは新人を含む全てのスタッフである。

 病院も一企業であるから、適正な利潤が上げられないと、病院経営はなりたっていかない。No margin no mission である。
 ワークライフ・バランス憲章を遵守して「働きやすく働きがいのある職場」をめざしていきたい。
「こころよく 我にはたらく仕事あれ それを仕遂げて死なむと思う」石川啄木詩。
「こころよく働く仕事」があれば、宮沢賢治の、「世界がぜんたい幸福にならないうち は個人の幸福はあり得ない」といった、その夢につながるようなものだと思う。

参考文献
@ 「かすかな光へと歩む 生きることと学ぶこと」大田堯著 一ツ橋書房 129頁
A 「農民芸術概論綱要」宮沢賢治著 青空文庫 3頁
(2016年5月9日発刊)NO.439
「切り絵」


 「創めることを忘れなければ、人は老いない。」マルティン・ブーバー(Martin Buber)(1878〜1965)の言葉であるが、切り絵を始めて5年がたった。切り絵を始めたから、老いが止まるわけではないが、でも創めて良かった。私の師匠は、メイコー(株)社長・建築企画・ライフデザインの「横谷敦子さん」である。横谷さんの作品は形にはまったところがなく、色彩がシンプルで、しかも必ず人の心に響くテーマがある。平成23年に、横谷さんに勧められて、我が子悠平をモデルに「桃太郎」の作品を名香会の展覧会に出展した。
 瀬戸内海の風景・日拝・庭の草花・旅先で見つけた風景など、スケッチと写真を撮っておき、それを材料にして、「切り絵」を楽しんでいる。忙中に閑ありである。
「やりたいことを やるのがいちばん 勇気を出すのは ほんの一瞬 後悔するのはずっと一生」 藤原仙人掌さんの書からいい言葉をいただいた。
後悔しない様に、何事も、やり続けることが、大切と思うこの頃である。
「切り絵」もコツコツ やり続けていこうと思う。

参考文献:
@ きりえ岡山 2014年 会報
A 「山に還る 駈けぬけた60年 横山礼子追悼集」 山姥会
B 「画集きりえのあゆみ」日中友好協会きりえ委員会編 日貿出版社
(2016年5月2日発刊)NO.438
「やる気になるには」


 やる気の神経中枢は「腹側被蓋野と側坐核」といわれている。仕事でも、勉強でもまず、一歩始めることが大事で、「腹側被蓋野と側坐核」はまず働き始めることによって、活性化すると考えられている。側坐核は脳の各部門にドーパミンを放出して、「やる気」を向上させる。側坐核にコーヒーの成分であるカフェインが作用すると、ドーパミン回路が増幅されて、「やる気」が増幅される。「成功への歩み」も、自分の念ずることを、成功するまでやり続けることではないかと思う。

アメリカの精神科医Dr Phil McGraw の次の格言は納得だ。

「やる気のあるときなら  誰でもできる。 本当に成功する者は、やる気のないときでもやる。」                          (Dr Phil McGraw)

やる気があるときには、何事も効率よく、楽しく行うことができる。しかし、なんとなく、気が重い、気がのらないってことがある。でも、その時に、やると決めたことを、とにかくやってみる。そうすることで、集中力が生れ、「やる気」が増幅される。
まず、やってみることによって、少しでも前に進むことができる。 
とても良い言葉だと思う。やる気を少し引き出すのに、美味しい「コーヒー」を飲むのもいいかな。

参考:Dr Phil McGraw 米国で30年のキャリアを持つ、有名心理学者、精神科医。米国の著名人(芸能、政治)のニュース全般をカバーするPeopleマガジンにおいて、『2002年に最も注目を浴びた人物』の勲章を与えられる。又、ハリウッドショウビジネス業界の超大物Barbara Walters (バーバラウォルター)は自身の番組で『最も魅力にあふれた10人』の一人としてDr Philの特集を組んだ。米国ビジネスマン必読の、Newsweekの2002年9月の表紙はDr Philをカバーストーリーに起用し、この号は2002年で一番のセールスを記録することとなった。(Reckognition Productionのホームページより。)
(2016年4月25日発刊)NO.437
「青春とは」


 私の尊敬する宮崎信敏(のぶとし)さんのことを紹介したい。
宮崎さんとの出会いは中小企業家同友会を通じてであった。それ以来宮崎さんからは「生命の使い方」を学ばせて頂いている。
宮崎さんは70歳から、ケンブリッジの語学学校へ留学をされて、それをかわきりに、多くの国をひとりで旅をされている。色々なトラブルに巻き込まれても、それを克服して、生命を輝かしてこられている。旅先からの便りを頂き、自分も宮崎さんと共に旅をさせて頂いた気になっている。
 人は、夢を持って、それを追求することが、若さを保つ大きな要素である思う。宮崎さんは、世界を巡り多くの人と未知なる文化に出合い、常に脳を活性化させてこられた。私も、見習いたいものである。
 宮崎さんのこれまでの著書には、「70歳からの留学77歳で56ヶ国ひとり旅ブログ日記」
「70歳の語学留学1年生」「73歳の6大陸ひとり旅3か月」「74歳ヨーロッパ自転車の旅」「知れば知るほど面白い一人旅」「ロシア・東欧・アイスランドの2ヶ月 俳句で歩く78歳の旅」「80歳の青春・2015年の旅編」などがある。そしてこの度、「80歳青春思い出の旅〜シベリア・フランス・スペイン〜」が出版された。
宮崎さんの生きざまはまさに「青春」である。何事も、やりたいことは、まず一歩踏み出し、継続することが大切だ。

人物紹介
宮崎信敏。1934年熊本県天草に生まれ、10歳で敗戦。天草高校、大阪商業大学卒業後32歳で(株)宮崎工務店創業後、(株)MRC建設トラブル創業。70歳で両社を後継者に譲り、現在会長。70歳でケンブリッジの語学学校へ留学し、その後もオックスフォード、ニージーランド、シドニーと世界各国で留学をする。元大阪府中小企業家同友会副代表。日本民主主義文学会所属、「百歳の会」会員。趣味:登山でエベレストを4800mまで登る。囲碁、俳句、スイミングスクール通い。
ブログ:「山と俳句と百歳と9条
 
(2016年4月18日発刊)NO.436
「わたしと小鳥とすずと  金子みすず作」


わたしが両手をひろげても、  
お空はちっともとべないが、 
とべる小鳥はわたしのように、 
地面をはやく走れない。 

わたしがからだをゆすっても、 
きれいな音はでないけど、 
あの鳴るすずはわたしのように、
たくさんのうたは知らないよ。 

すずと小鳥とそれからわたし、
みんなちがってみんないい。



みんなそれぞれにちがっていい。人間は、それぞれに持ち味がある。それぞれを尊重して助けあう世界をめざしたいものである。
石川啄木の詩に「こころよく 我にはたらく仕事あれ それを仕遂げて死なむと思う」がある。こころよく働く仕事も、それぞれの気配りと違いを認めることから少しでも実現できると念じる日々である。
先日、チクバ外科・胃腸科・肛門科病院 瀧上隆夫院長の山陽新聞賞授賞祝賀会の記念品でいただいた絵本から引用させていただいた。

参考文献
「 『 みんな違って 』 金子みすゞ最後の一日 」 落語絵本  三遊亭円窓/作 外村節子/絵 高陵社書店
 

(2016年4月11日発刊)NO.435
「人育て」


 人間は、選ばれた精子と卵子が受精卵として母親の子宮に着床し固有のDNA遺伝子の設計図に合わせて、細胞分裂を繰り返して、羊水の中で胎児として生育して、10カ月を体内で過ごして、産道を通って「オギャー」と産声をあげて誕生する。私達の生命は38億年の歴史を遺伝子の中で受け継いで現在に至っている。生れると同時に、大田堯先生の言葉を借りれば、「人間社会の社会的文化的胎盤の中で、両親はもとより、多くの人々に囲まれて、成長する」のである。
学校に進学し、卒業して社会に出る。他の動物と違って、人間は、優れた大脳の働きによって、道具を発見し、それを活用し、そして言葉や文字を生みだし、科学技術が進歩してきた。この100年、人類の生産能力が飛躍的に向上した。結果として、地球の汚染・核兵器の拡散など人類を幸福にするどころか脅威さえ覚える。また、経済活動によって天文学的な南北格差が惹起されてきた。
これまでの教育は、効率をどのように高めるのかという考えのもと進められてきた。ヒトは基本的には自己中心的であるが、にも関わらず自然や人との関わり合いの中で互いに依存して生きている。そんな私達には、自然や生物、自分以外の人との関わり合いの知恵を学び、実践する人育てが最も求められるように思う。要約して言えば「忘己利他」を基本に据えた「人育て」でないと、地球汚染・核兵器の拡散の末には人類は滅亡するのではないかと思われる。

参考文献
大田堯著「『生きることは学ぶこと−教育はアート』大田堯自撰集成第1巻」藤原書店出版
 
(2016年4月4日発刊)NO.434
「桜」


 西行法師の歌に「願はくは花のもとにて春死なむ その如月(きさらぎ)の望月の頃」があり、松尾芭蕉の「さまざまの事おもひ出す桜かな」など、日本人の「桜の花」への思いは格別である。岡山旭東病院の中庭にも、枝垂れ桜を植えて10年、沢山の花を咲かせて、多くの患者さんや職員を癒してくれている。桜の咲くころを待つ気持ちは多くの日本人に共有されているように思う。坂村真民さんの「詩」に「咲くも無心 散るも無心 花は嘆かず 今を生きる」がある。桜を愛でるとき、芭蕉の句にあるように、子供のころ、家族といった花見の風景、小学校の卒業式のこと、友人との別れ、恋人との思い出など、さまざまの事を思い出され、花は見て癒され、思い出に癒される。正岡子規の句「西行の桜になりし月夜かな」もとてもいい。何時か、沖縄から北海道まで桜を追いかけていきたいものである。
 
(2016年3月28日発刊)NO.433
「全国シニア軟式野球連盟」


 私は、「全国シニア軟式野球連盟」の会長職を務められていた故江草安彦先生の後を受けて、会長を引き継ぐこととなった。 (江草安彦先生は、岡山県名誉県民。旭川荘の創設者として、また医療や福祉の分野においてに国内のみならず海外でも多大な貢献をされた。2015年3月13日に永眠。)
「全国シニア軟式野球連盟」は17年前に、現連盟事務局長である川毛二郎氏が、50歳以上の野球愛好家向けの「シニアの甲子園大会」を開催することを夢に描いて発足した。会長を引き継ぐ際にも、川毛二郎氏に熱意のこもった要請をいただいた。
昨年秋には、西日本大会・全国大会が岡山・倉敷会場で開催され、開会の挨拶をさせていただいた。大会では伊東香織倉敷市長による始球式がおこなわれ、多くの野球を愛するボランティアに支えられて、大会は成功裏に終了した。また、3月27日(金)には連盟の総会があったが、今年開催予定の「第16回全日本シニア軟式野球連盟選手権大会」は、岡山県下9会場で北海道から沖縄までの48チームが出場予定と伺った。
以上は川毛氏の夢と実行力があってこそ実現されてきたものである。川毛二郎さんの行動から「念ずれば花ひらく」という坂村真民さんの詩が思い出された。シニアの甲子園大会が大きく花ひらくことを願っている。
 
(2016年3月22日発刊)NO.432
「人間尊重の経営」


 私の尊敬する経営者のひとりである、故赤石義博氏(全国中小企業家同友会の元会長)著の「人間尊重の経営」の中に「これからの企業経営の上で前提としなければならないことは、企業の利益・地域の利益・そしてその中で働く人びとの真の人間尊重による全人格的成長の三つの整合性が必要であるということです。この地域の利益という時の視点が地球的市民としての立場に立つなら、その三つの整合性の追求そのものが、新しい人類社会への扉を開き、豊かで平和な望ましい社会の確立に一歩を踏み出すことになるでしょう。その栄光を担える最も近いところに中小企業は位置しているのです。翔け!中小企業!」とある。私達の中小病院の経営もこれに同じだと思っている。また、人間尊重の経営で企業が成り立つように、全員参加型の経営を実践するために、経営指針書(経営理念・単年度方針・基本方針・経営計画)を作成して実践していくことが、人間尊重の経営に向かっていく確かな「一本の道」であると思っている。人口の減少・少子高齢化・疾病構造の激変・国民皆保険制度下の診療報酬の改定・病院の機能分化など経営環境の激変を乗り越えるためにも、人間尊重の経営を職員と共に実践していきたい。
先日、千葉県柏市セレモ八千代第花見川ホールにて、赤石義博氏の御通夜(3月11日)・御葬儀(3月12日)が行われた。冥福を祈る。

参考文献
赤石義博著「人間尊重の経営」〜中小企業が切りひらく健全な市民社会への展望〜
宮崎県中小企業家同友会編
 
(2016年3月14日発刊)NO.431
「医者は患者のためにいるのである」


川崎学園の創立者である川崎祐宣先生の言葉で、医療従事者が心しておかなければならない言葉がある。川崎先生は、生前、医師としての自分の信念を、「患者さんが医師のためにいるのでなく、医師が患者さんのためにいるのである」あるいは、「不幸な人が居る限り、医療は終わらない」という言葉としてよく口にされたそうである。また、病院の廊下の真ん中を歩く若いレジデントを捕まえて「真ん中を歩くのは患者さんである」と強く戒めたという逸話も残っている。医師は患者さんのためにいることを忘れないように、常に自分の心に問いかけて行動してほしいと思う。
岡山旭東病院でも患者さんからの多くのクレームがあるが、「医師は患者さんのためにある」という医師の少しの心遣いで、クレームは無くなると思う。私自身も戒めて行動したいと思う。また、3月13日は江草安彦先生(川崎医療福祉大学初代学長)の一周忌であったが、川崎祐宣先生と江草安彦先生の出会いがあったからこそ、社会医療法人「旭川荘」や「川崎医療福祉大学」があるといわれている。

参考文献
椿原彰夫(2016)「人類への奉仕 江草学長の理念」『江草安彦を語る』(非売品)から引用
 

(2016年3月7日発刊)NO.430
「診療報酬改定と療養環境」


2016年の診療報酬が決まり告示されました。今回の診療報酬では、全体で約1%引き下げられました。診療報酬は原則2年ごとに改定されます。全ての国民が健康保険などの公的医療保険に加入します。医療サービスのひとつひとつに定められた価格を診療報酬といいます。点数制で1点=10円であります。診療報酬は、医師や薬剤師らの技術料に当たる診療報酬本体部分と薬価部分からなります。本体は手術・検査・初診料・入院料など7,000項目、薬は約17,000項目に及びます。内閣で総予算枠が決定されると、中央社会保険医療協議会[中医協]で個々の点数が決定されます。薬価部分は1.52%下がり、本体は0.49%上がり、全体では1.03%の引き下げでありました。一般企業では、価格変動が短期的な経済動向によって大きく影響を受けますが、医療価格は少なくても2年間は変動がありません。その意味では安定しているともいえるでしょう。しかし、2年ごとの改定で、経済情勢が悪いと診療報酬の伸びは抑えられてきました。高齢化によって、また新しい医療技術の進歩によって医療費は増え続けているからです。
利用者にとって、快適な、人間味のある温かい医療と療養環境の提供が求められています。しかし、快適な療養環境を提供するために、音楽や絵画の提供・美味しい食事(高額な食材)・庭園の整備など、診療報酬以外に提供するべき人材や提供費用は、診療報酬の中には含まれていません。それらの費用を捻出させるためには、病院のブランド力を高めて、多くの患者さまに利用して頂くことで、費用を賄っていかなければなりません。今後は療養環境に対する費用の経営努力とボランティアの導入など知恵を働かせていきたいと思っています。

(2016年2月29日発刊)NO.429
「決断」


 私たちは、日々選択と決断の毎日です。寝る前には朝何時に起床するか、朝起きて、家族と「お早う」と挨拶をかわして、顔を洗って、今日は何を着ていこうか、何を朝食にするか、会社には歩いていくのか、車でいくか、どこの道を通っていくか、今日は何をするのか、仕事の段取り、勤務時間を過ぎて、家にまっすぐ帰えるか、寄り道して友人と会食をするか、または、同窓会や職場の同僚との語らい、家に何時に帰るか、音楽会に参加するのか、講演会にいくか、とりやめにするか、全て自分の選択と決断で自らの「行動」をおこなっています。その他にも、数えきれないほどの決断をして今があると思います。
 生命(いのち)は、時間の長さ(寿命)とも言えます。その生命(いのち)を大切に使っていくことが、生きがいにつながっていると思います。そのときどきの選択と「決断」の積み重ねが、ひとり一人の生き様ですね。選択と決断が、その人の成長に繋がっていくものと言っても良いのではないかと思うこの頃です。選択と決断、何気なく振舞っていても、それが私なのだと常に心して生きていきたいと思います。
(2016年2月22日発刊)NO.428
「知っていますか『医師事務作業補助者』」


 医師事務作業補助者といっても病院の医療従事者以外の人にとっては馴染みのない職種であると思います。患者さんが病院を訪れると、まず受付を済ませ、診察室に入り、担当医師から病状の聴取があり次いで診察を受けます。最近では電子カルテ画面が医師のデスク上にあって、問診や診察の結果を、自ら医師が電子カルテに打ち込みます。その時には、医師が電子カルテに顔を向けて患者を見ないと評判が悪いものでした。また、生命保険などの診断書類も医師がなかなか書いてくれないとクレームが多くありました。この様にここ5年ほどで医師の事務作業が益々多くなっているのが現状です。一般の人はそのような事情は殆ど知らないと言ってもいいでしょう。本来の医師の仕事である手術・回診・診察・病状説明などの時間が少なくなって、医師のストレスがたまり、患者さんとのトラブルが発生してしまう。そこで厚生労働省は外来での医師の傍に医師事務補助者をおくことを決めました。医師事務作業補助者の仕事内容は、電子カルテに代行入力する、代行して診断書の記載の下書きをする、また、回診についてカルテの記載の代行をするなどであり、医師の確認を条件にこのような事務作業を実施しても良い事になったのです。また、僅かではありますが診療報酬制度上でも加算されて、診療報酬が増えることとなりました。
(2016年2月15日発刊)NO.427
「関わり合いの知恵」


 家族との関わり、親戚との関わり、隣近所との関わり、街と街の関わり国と国との関わり。関わりがうまくいかないと、遺産相続・宗教間の紛争・戦争・ヘイトスピーチ・人間同士の差別など紛争が起きるがその種は至るところにある。
多くの関わり合いの知恵を人類は編み出してきているにも関わらず、結局、どちらが勝つかの競争が関わり合いの知恵を遥かに超えて、エゴを最大限に拡大していくのが、人間の本性ではないかとさえ思われる。
 生命の特徴(大田堯先生)は@ひとり一人違うこと。そのことは自己中心であることであり、ひとり一人にとっての基本的人権である。Aにもかかわらず、人は助けあって、力をあわせていかねば存続できない。B変わるということ。人間は・遺伝子の力で変わると同時に、脳を使って、学んで自ら変わる。人間は、学んで、変わるために、科学・教育・宗教・哲学・道徳・藝術が生れたのではないかと思う。
 15万年前、現代人ホモ・サピエンスが誕生して今日まで、人類の歴史は、戦争の歴史であり。エゴとエゴのぶつかり合いが、戦争という形で勝てば官軍の歴史を彩ってきた。 
 身近な、家庭における人間関係に始まって国と国の関わり合いの知恵もエゴとエゴの戦いである。
 単純すぎるとは思うが、貴方がおれば「こそ」と互いに感謝することが、最高の関わり合いの知恵だと思う。「こそ丸(がん)」という、薬がある。内容は「感謝」「謙虚」「愛情」「元気」が適度に調合されている。この錠剤を互いに毎日朝と夕に服用すれば、家庭円満・国と国の友好も実現できるのではないかと期待している。この「こそ丸」は心の「目」で見つめると見ることができる。

参考:こそ丸
自家製でも効能はありますが、岡山旭東病院の売店にて1個108円で販売しています。
(2016年2月8日発刊)NO.426
「一億総活躍社会」


 我が国の構造的な問題である少子高齢化に真正面から挑み、「希望を生み出す強い経済」、「夢をつむぐ子育て支援」、「安心につながる社会保障」の「新・三本の矢」の実現を目的とする「一億総活躍社会」の実現に向けて、政府を挙げて取り組んでいきます。「一億総活躍国民会議 首相官邸ホームページより引用」
 この様に、国民一人一人がやる気になって、活躍できる社会が実現することは結構なことである。翻って、小さな組織である、家庭や中小企業などが、いきいきと活躍できる組織になれば、全ての国民が活躍できる社会になると思う。中小企業で働く人は全国民の70%であり、中小企業が働きがいのある職場になれば、大企業とのコラボレーションによって「一億総活躍社会」が実現するように思う。
 平成22年6月18日の閣議決定された「中小企業憲章」の前文に、「政府が中核となり、国の総力を挙げて、中小企業の持つ個性や可能性を存分に伸ばし、自立する中小企業を励まし、困っている中小企業を支え、そして、どんな問題も中小企業の立場で考えていく。これにより、中小企業が光り輝き、もって、安定で活力のある経済と豊かな国民生活が実現されるよう、ここに中小企業憲章を定める。基本理念の中にも、中小企業は、経済やくらしを支え、牽引する。創意工夫を凝らし、技術を磨き、雇用の大部分を、暮らしに潤いを与える。意思決定の素早さや行動力、個性豊かな得意分野や多種多様な可能性を持つ。経営者は、企業家精神に溢れ、自らの才覚で事業を営みながら、家族のみならず従業員を守る責任を果たす。中小企業は、経営者と従業員が一体感を発揮し、一人ひとりの努力が目に見える形で成果に結びつき易い場である。」
 折角、決定された「中小企業憲章」を官民あげて実践していくことが、一億総活躍社会へ近づく現実的一歩ではないかと思う。

参考文献:「中小企業憲章」 経済産業省中小企業庁事業環境部企画課
(2016年1月25日発刊)NO.425
「心構え」〜職場は貴方の晴れ舞台〜


 病院という舞台で、私たち医療従事者は、自分の役柄を最高に演じます。その、筋書きは当院で採用している「経営指針書」です。まず、岡山旭東病院では毎年11月1日に全職員に「経営戦略」を書いて頂きます。そしてその「職員の声」を貴重な情報として参考にし、経営スタッフ(約20名)の会議[午前9:00〜夕刻5:00]で、新年度の経営方針を協議します。その経営方針を基に、部門・委員会などが自主的に次年度の計画を作成します。つまり「経営指針書」とは、私達の晴れ舞台の脚本なのです。現在2016年版の脚本が作成中であり、今年の3月には全職員を対象に発表会を開催します。この脚本に従って、私達は病院という舞台に立ちますが、時には経営環境や職員や患者さまの要求によって演技のアドリブが必要で、カンファレンス・会議などによって軌道の修正が行われます。また大きな筋書きの変更は、経営会議を経ておこないます。
東京ディズニーランドの職員専用階段の登り口には、「さあ舞台に上がりましょう」と書いてあるそうです。「夢」をあたえる役を一人ひとりが精一杯演じることによって、東京ディズニーランドの評価を高くしているのだと思います。まさに、レッツステージであります(新須磨病院 院長 澤田 勝寛氏 著 「医療はとってもいい仕事」から引用)。
 岡山旭東病院という舞台で、それぞれが技や心を磨き、病を癒し、心を癒す最高のもてなしをしていきたいと思っています。院長始め、全職員の「心構え」として〜職場は貴方の晴れ舞台〜としていきたいと思います。

参考文献
澤田勝寛,「医療はとってもいい仕事−だから外科医はやめられない−」,薬事日報社,2016
(2016年1月18日発刊)NO.424
「喜びの種」

 私は、平成3年4月1日から、毎週月曜日に職員へ向けた「喜びの種」という「ひとり新聞」を書いてきた。経営理念・経営状況・医療を取り巻く環境・幸せとは何か・共育などを書き、今週の言葉では「坂村真民」先生の詩や心に残った言葉などを紹介してきた。また、院長のスケジュールも毎週提示してきた。院長が何を考えて行動しているか職員に知って頂きたいとの願いもあるが、院長とのコミュニケーションの役に立てただろうか。「喜びの種」となったであろうか。今年の4月で25年間続けてきたこととなる。今週月曜日(平成28年1月18日)で1248号となる。
「喜びの種」の表題は「東井義雄」先生の「詩」から拝借したものである。先生は、生涯、小学校・中学校の教育に人生を捧げられた。私は、平成3年の3月、雪の残った、兵庫県豊岡市但東町にある東光寺(先生は浄土真宗の僧侶でもあった)を訪問して、お話しを伺った。それから、1か月もたたないうちに、交通事故でお亡くなりになった。

雨の日には 雨の日の
悲しみの日には悲しみをとうさないと
見えてこない
喜びにであわせてもらおう
そして
喜びの種をまこう
喜びの花を咲かせよう
ご縁のあるところ  いっぱいに

人は、財産がなくても誰でも七つの施しができる、「無財の七施」の教えがある。
1)目施 2)和顔悦色施 3)言辞施 4)身施 5)心施 6)床坐施 7)房舎施
である。
ひとり一人が、喜びの種蒔きをすることが平和な社会を創っていくことになると思う。

東井義雄先生:(1912〜1991) 明治45年4月9日、兵庫県豊岡市但東町佐々木に生まれる。小学校教師として村を育てる教育を実践。ペスタロッチ賞、平和文化賞、小砂丘忠義賞、文部省教育功労賞受賞。 東井義雄記念館 但東支所に隣接する。

(2016年1月12日発刊)NO.423
「日本人は何をめざしてきたのか」

 2016年1月9日「NHK教育テレビ」で日本の戦後教育の変遷が放映された。
戦前の軍国主義に基づく、優秀な兵隊を養成するシステムとしての教育から、アメリカの占領政策である民主主義国家への転換。終戦直後は教育現場の混乱、同時にアメリカ文化の流入、また長い戦争の時代から平和と未来への夢の時代でもあった。男女席を同じくせずの時代から、男女共学と女性参政権が導入された。戦後の教育は、教育基本法が制定されて、人格の完成を目指すと明確に方向性が定められた。戦後の混乱から、高度経済成長に時代をへてGDP世界2位に、中国の台登によって現在3位となっている。アメリカ合衆国の人口は日本の2倍・中国は10倍の人口であり、一人あたりに換算するとよく頑張ってきたと思う。
教育行政のあり方も、ゆとり教育が取り入れられて、自分で考える教育が取り入れられたが、学力の低下が経済界中心に問題となり、ゆとり教育は捨てられた。再び、学力重視の教育行政に転換されてきた。
大田堯先生が放送の中でも話されていたのは、教育は公共の道の様なものであり、
環境整備の必要なことを述べられた。ゆとり教育も、現場の先生達が本来の目的を達成できるように、もっと人と金を注ぎ込むことによって素晴らしい人間教育が出来たのではないかと放送を聞いて思った。
不登校・虐め・格差社会など教育をめぐる多くの問題は、生命の特徴、大田堯先生の「ちがう・かかわる・かわる」を基本に置いて、考えることがひとり一人に求められているように思う。

参考:大田堯 「大田堯自選集成(全4巻)」 藤原書店                 

(2016年1月4日発刊)NO.422
「人類の生き残る道」

 国立科学博物館 名誉研究員の溝口優司先生の著書を引用すると、「アフリカで誕生した人類は、類人猿、原人、旧人、新人と4つの段階に分類することができる。アウストラロピテクスなど猿人の代表です。脳は「ゴリラ」や「チンパンジー」と同じ500ミリリットルしかありません。600万年前に二足歩行を開始した猿人に始まり、打製石器が原人、旧人と経るにつれて、次第に高度な石器になっていたことが証明されます。今から16万年前に、アフリカで新人ホモサピエンスの誕生に至った。アフリカから世界中に、10万年以前より相次いでヨーロッパへと移住・拡散を繰り返しながら旧人を滅ぼし、あるいは交雑していったようです。」 溝口先生は、更に「人類を含む生物の本質のなかに、生物には個体、集団を問わずあらゆるレベルにおいて自己保存性があります。ある種の猿の雄は児連れの雌のところにいって、子猿を全部殺し、自分の子をつくろうとします。雌猿も子孫を残すために、子猿を殺した雄猿に向かって発情するのです。私たちの感覚からすれば、おぞましく非情に思えますが、偽らざる自然界の自己保存性の一面なのです。人間とて同じです。現代における国家間、民族、宗教間の争いなどは、すべてその延長線上ではないでしょうか。」
この文章を見た時、私は衝撃を受けました。今のままだと、それぞれが自己保存の本能のままに行動すると、いずれ自然破壊や、戦争、原水爆の洗礼をうけ、人類は、600万年前より二足歩行となって今日に到るまで進化し続けた結果を破滅に導いてしまうのではないかと危惧します。人間の英知を結集して、人類の存続と、自然環境の保全に向けて行動していかなければならない時代に来ているように思います。日常生活に於いても、そのことを心して、他人を大切に自然を大切に、「日々是好日」として歩んでいきたいと思います。 

参考文献
@ 溝口優司,2011「アフリカで誕生した人類が日本人になるまで」,ソフトバンク新書
A 溝口優司,2015「人類は、幾多の絶滅の危機をくぐり抜けてきた」,雑誌『致知』 2015年12月号p.60-63致知出版社                  

(2015年12月28日発刊)NO.421
「小さなことから」

 20世紀は戦争の時代とも言われて、多くの人命が失われました。第一次世界大戦・第二次世界大戦を含み、6000万人とも推計される人命が失われました。21世紀は平和の時代だと願ったのに、世界中でおこるテロや民族間戦争、ハイテクを駆使した代理戦争、原爆・水爆のみならず通常兵器のとどまるところを知らない進化によって人類の生存の危機が訪れようとしている。また、生命を育んできた地球の自然環境が破壊されつつあり、地球温暖化・公害の進展などによって、人類の生存が脅かされている。これらは、全て人災です。
私たち、ひとりひとりが、主体者として、身の周りの小さなことから、他を思いやる心で行動していきたい。 来る年が、いい年となることを念じて。
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(宮沢賢治)
(2015年12月21日発刊)NO.420
「人間作り」

 私は、脳神経外科医師として、臨床医として働き、ついで病院経営に携わってきた。
勤務医として脳神経外科部長として、昭和50年〜昭和62年の12年間、某県立中央病院で若い先生方と臨床を共に勉強してきた。臨床の医師と共に育ち合ってきたと懐かしく思うこの頃である。これも、人間づくりであるが、脳神経外科医師を育てるというはっきりした目標があり、大学との連携で比較的やりがいもあり楽しかったと感じている。しかし、病院経営となると、岡山旭東病院(202床)も中小病院と言っても570名の職員がいて、医師・看護師・薬剤師・放射線技師その他のコメディカルスタッフや事務職など30種類を超える職種がいる。現代の医療は、それぞれの専門職が助け合って患者さんに最善の医療を行う「チーム医療」でなければならない。人が共に育ち合って良い組織を作っていきたいと思い続けてきた。職種は違っても、「人間作り」はおなじだと思う。
「真民」先生の詩に「人間作り」がある。

  花作りも
  人間作りも同じだ
  どんないい種でも
  しっかり土作りをし
  たっぷりと肥料をやり
  うんと光りと水を与えてやらねば
  いい花は咲かない
  日々の努力
  念々の精進
  その果てに
  見事な花が咲き
  見事な実がなり
  真実な人間が出来上がる

  人材育成は永遠のテーマであり、また奥が深いと感じている。

参考文献: 坂村真民著「坂村真民一日一言」202頁
(2015年12月14日発刊)NO.419
「ハンセン病とは?知ってもらいたいこと」

 ハンセン病は、伝染病であると解るまでは、古代から人類を苦しめた。「らい菌」によって体の末梢神経が麻痺したり、皮膚がただれたりする状態になるのが特徴で、病気が進むと、顔や手足などの目立つところが変形したり不自由になったりすることがある。1873年(明治6年):ノルウェーのハンセンが、らい菌を発見、わが国では、1907年(明示28年)にハンセン病の患者を「療養所に入所させる法律」が制定された。1931年(昭和6年):「らい予防法」が制定され、全てのハンセン病患者が療養所に隔離されるようになった。1943年(昭和18年):アメリカで治療法が発表される。しかし、戦争中であり治療薬(プロミン)は日本に導入されなかった。戦後、1953年(昭和28年):「らい予防法」が改訂されたが、強制隔離などはそのまま残った。1996年(平成8年):「らい予防法の廃止に関する法律」が制定された。しかし、治療法が発見された後でも、なかなか予防法が見直されなかったため、96年1月厚生大臣菅直人は全患協と会見、法は廃止が遅れ、身体的、精神的痛みを与えたことに対する「お詫び」を表明した。廃止法が国会に提出されて、1996年3月末に成立。90年近い隔離政策の幕がようやく閉じた。
 岡山県には長島に、愛生園と光明園の二つの療養所がある。2015年12月12日の「山陽新聞の語り継ぐハンセン病」の記事からの引用であるが、光明園の記念式典で光明園自冶会長望月拓郎(88)は「法の上での平等と複権がかなったことは感激」としたうえで「偏見の解消は道なお遠しの感がある。入園者の高齢化も進み、自らの問題として積極的に取り組まねばならない」と述べた。長年の隔離政策が生んだ偏見は今も解決されたとは言えない。それは、ハンセン病の問題にとどまらず、全ての偏見や差別に根差すのではないかと思う。愛生園や光明園を負の世界遺産として、後世に残したいものである。

参考文献
@語り継ぐハンセン病 山陽新聞2015年12月12日号
A「風と海のなか 邑久光明園入園者80年の歩み」 入園者自冶会 編 平成9年8月30日第二版発
(2015年12月07日発刊)NO.418
「病院とは」

 病院のあり方も時代と共に変化してきた。病気になれば、病院を受診し、外来でお薬をもらって、通院して治療をうける。手術治療を受ける人や入院の必要な人は、入院して良くなるまで一カ所の病院に入院して、治療をうける。そのような時代が、国民皆保険制度の基に、戦後の高度経済成長に支えられて定着してきた。しかし、2025年には団塊世代がピークを迎え、少子超高齢社会、疾病構造の変化、医療の診断技術の進歩、専門医療の高度化などに伴って、医療や介護の問題が国家的大問題となってきた。病院も、高度急性期・急性期・回復期・慢性期に大きく機能の役割分担が、地域医療改革の中で進行している。 病院の役割によって、そこに働く医師や看護師やコメディカルスタッフの意識改革が求められている。病気を「治す」医療から「支える」医療に転換していかねばならない。
医療職には病気を診るのでなく、「人」を診る人材の育成が大切である。患者さまの側でも、医療に対する過大な期待は捨てて、人生を終えるときにはどのように終末を迎えるのか、事前指定書の作成も必要となってきている。
日本は、国民皆保険・介護保険のお蔭で、世界でもトップの長寿社会を迎えることができている。2016年の診療報酬の改定の年にあたって、どのような経営環境の激変がもたらされるか、関心をもって見守っている。

参考文献:武藤正樹著 「2025年へのロードマップ」医学通信社
(2015年11月30日発刊)NO.417
「英知を集めるには」

 先日、ディベート研修を当院と他の病院(四国こどもとおとなの医療センター、アマノリハビリテーション病院)のスタッフ(医師・コメディカル・看護師・事務職など約30名)と合同で行った。テーマは1つ目は「病院の待合室にテレビは必要でない」で、2つ目は「大相撲に外国人力士は制限をするべきだ」であった。グル―プに分かれてディベートの立案と作戦を練る。2日間に渡る研修であったが、他の病院のスタッフとも直ぐに打ち解けて、ゲーム感覚のような研修になったと思う。私は審査員として参加した。抽出された問題に対してグループで肯定派と否定派に分かれ、数字的なデータなどを参考にしながら主張を構成していく議論をすることで、物事をより深く客観的に見ることが出来るのではないかと思った。
「ディベート研修」は人と人との交流を図るにはいい方法であると感じた。当院でも、以前から、グループ討議を取りいれ、個人の意見を引き出すように工夫をしてきた。討論するにも、「ワールドカフェ形式」でグループ長を残してテーブルの参加者が変わる方法なども面白い。また、問題解決のために、テーマを選んで院長がスポンサーとなって関連領域のスタッフを選出し、何から優先的に実践するか、討論し結論を出して、スポンサーが承認するなどの「ワークアウト」も行ってきた。
トップダウンによる組織の意思決定と計画実践の他にも多くの人の英知を集めての意思決定と計画実践の仕組づくりが考えられている。しかし、基本的にはその組織の「経営理念」をシッカリと確立し浸透していることが、多くの英知を集めての問題解決のよりどころになるのではないかと思う。

(2015年11月24日発刊)NO.416
「テロは終わりがあるのか」

 現代人ホモ・サピエンスは、アフリカで生まれ、地球上の多くの地域に住むようになった。人類は自然環境と共生して、人間の住みやすい住環境に変え、産業革命以降、驚くべき文明の進歩にともなって、人類は幸せを求めてきたはずなのに、地球は自然環境を破壊して、非常に危険な時代になっている。人類の幸せのために、宗教が生まれたはずなのに、互いに憎み、殺し合っている。パリでの凄惨なテロ事件、人間のすることかと思うが、無差別な空爆の下に、多くの犠牲者が生まれていることも事実である。互いに殺された人には、かけがえのない家族がいるに違いない。宮澤賢治が「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」といっているが、全く同感である。同じルーツの人間同士が、互いに「貴方が、おればこそ」と心から思うことで平和にもなり、わしがおればこそで、戦争にもなる。人の心の持ち方一つで、人類が救われると思うのだが、このままでは憎しみの連鎖は止まらない。全ての人が、「こそ丸」を服用していただきたい。

参考:
「こそ丸」の「丸」は丸薬のがんである。丸薬の中身は、愛情と感謝と謙虚、それに元気が入っている。互いの、貴方がおれば「こそ」と言って、コップ一杯の水と一緒に飲んでくだされば、効き目抜群である。夫婦でこれを服用していれば、不幸な夫婦はいない。平和の薬でもある。 わしがおればこそ、と言って服用すると副作用がでる危険性がある。薬が見えないという人がいるが、大切なものは目に見えない。岡山旭東病院の売店で販売している(108円)。自家製でも効果は変わらない。

(2015年11月16日発刊)NO.415
「認知症は予防できるか」

 認知症は高齢化社会にとって最大の健康問題だといえる。軽度認知障害(Mild Cognitive Impairment:MCI)は、認知症の予備軍のことを指し、健常者と認知症の方の中間段階にある。正常ではないけど認知症でもない状態であり、数年後に認知症に移行する可能性のある状態である。また、認知症の初期症状(軽度の認知症)を、軽度認知障害(MCI)と呼んで、認知症と区別することもある。認知症に移行する危険性が高い状態と言えるが、MCIの人すべてが認知症にかかるとは限らない。新聞・テレビで大きく報道されて高齢者は、自分もその仲間入りするのではないかと戦々恐々しているのではないだろうか。
金子満男先生(浜松早期痴呆研究所所長)は「かなひろいテスト」を考案された脳神経外科医である。先生は今から30年前から、老人性痴呆は「習慣病」であると言っておられたが、今では多くの学者も賛同しているように思う。最近では、MCIという概念が、広く知られるようになって、MCIの状態のときに、脳を活性化することによって、認知症への移行を予防することができるという。MCIは全国で400万人と推測されている。MCIの疑いとして、@外出するのが面倒 A服装が気にならない B同じことを話す C小銭で財布がパンパンになる D手の込んだ料理は作らない E同じものを着る F歩くのが遅くなる。などが挙げられる。これらの予防法は、脳のあらゆるネットワークを活性化することであるという。特に、歩行と認知症は関係があって、歩く速さが遅くなる。従って、「息がはずむ程度の早歩き」1回1時間 週三回の処方がお勧め。MCIから認知機能の向上は25%(フィンガー研究 認知症は予防できる 世界の最新対策)という。教育学者大田堯先生は「学習は脳の情報代謝」をしていると言っている。運動し、学び、情報代謝を活発にして、脳のネットワークを活性化することがMCIを克服する「鍵」であると思う。

参考:
@ 認知症革命 NHKスペシャル シリーズ認知症革命 第1回「ついにわかった! 予防への道報告」(11月14日放送)、第2回「最後までその人らしく!」(11月15日放送)
A 大田堯著「かすかな光へと歩む 生きることと学ぶこと」一ツ橋書房
 (2015年11月09日発刊)NO.414
「学ぶとは 教えるとは」

 私の尊敬する三宅昭二(株式会社 三宅産業会長)さんがお書きになった、「人間らしく生きる―私の生い立ちと歩み―」を贈ってくださった。三宅さんは、私の最も尊敬する経営者です。三宅さんとの出逢いは、私が香川県立中央病院の脳神経外科の主任部長として勤務していた昭和60年頃で、「教育は死なず」の著書で有名な若林繁太先生の教育講演会(香川県中小企業家同友会主催)に参加したことがきっかけです。講演にとても感銘を受け、その会場にいらっしゃった細身の同友会代表理事が三宅昭二さんということを後で知りました。お陰で私が、昭和62年9月に、岡山市にて病院経営に携わるようになった際、香川同友会の事務局の紹介で、発足したばかりの岡山県中小企業家同友会に入会させていただきました。同友会に入会してから、三宅昭二さんとの縁をいただき、それから30年近く長きに渡って、交流させていただいております。
 三宅さんは、香川県中小企業家同友会の代表や中同協の副会長を長年勤められて、同友会活動を広めていかれた功労者です。また、同時に青年団活動、地域の数々のお世話役や、同友会運動に参画されてこられました。その三宅さんが、三宅産業株式会社の広報誌サンサンだより「私の生い立ちと歩み」を、この度一冊のご本に纏められました。三宅さんが小学校2年生から終戦の5年生の時代に体験された状況を書いていらっしゃいます。多くの若者が戦争にかりだされていった状況、東京大空襲や沖縄での地上戦での犠牲者、広島・長崎の原爆のことも書かれています。お家は、観音寺で石炭の販売をなさっていて、戦中戦後の厳しい経営、そして、戦後、石炭からLPガスの時代に対応し、クリーンエネルギーである太陽光発電システムに業態を変え、常に時代の経営環境に合わせて発展されてきました。
 三宅さんは、中小企業は平和であってこそ、活発な経済活動ができると述べています。本文の中で、『戦後70年間、日本国は「平和憲法」を守って、戦争をしかけたことも、また攻撃されたこともなく、戦争で一人も殺していないし、また殺されてもいません。今の政治状況を憂いて、「平和」こそは、日本だけでなく、全人類の永遠の願望であり平和に「イデオロギー」はありません。平和の主体者になるべきだ!』と訴えておられます。
著書「人間らしく生きる―私の生い立ちと歩み―」からは三宅さんのお人柄、経営の原点、平和への思い、人間尊重とは何かなど、多くの示唆を読み取ることができます。私にとって「三宅さんとの出逢いは永遠の宝物です」。この著書が、1人でも多くの人に読んでいただければと思います。
最後に、「学ぶとは誠実を胸に刻むこと 教えるとは共に希望を語ること」ルイ・アラゴンの詩の一節です。講演のときの聞かせていただきました。三宅さんの生きざまそのものだと思います。

参照:
三宅昭二著「人間らしく生きる―私の生い立ちと歩み―」アート印刷(株)

 (2015年11月02日発刊)NO.413
「現代の忘れもの」

 第41回日本診療情報管理学会学術大会を岡山市コンベンションセンター(通称ママカリフォーラム)で開催させて頂いた。その際、渡辺和子先生に市民公開講座のご講演をお願いし、「現代の忘れもの」と題して講演いただいた。診療情報管理学会への参加者と一般市民の聴衆で席が一杯になった。
「待つことができる心・他人を思いやる心、自分を見捨てない心」についてお話しいただいた。著書には「心に愛がなければ」「愛をこめて生きる」「『ひと』として大切なこと」「美しい人に」(以上 PHP研究所)「置かれた場所で咲きなさい」「面倒だから、しよう」(以上、幻冬舎)など多数が出版されている。「置かれた場所で咲きなさい」は多くの人に、生きる勇気を与えてくれている。職場を些細なことで辞めて、他の職場に移る人がいるが、自分の置かれた場所で自分を活かしていくことが自分の成長につながっていくことも多い。
参考:渡辺和子(わたなべかずこ) 学校法人ノートルダム清心学園 理事長
1927年2月、教育総監・渡辺錠太郎の次女として生まれる。1936年2月26日、青年将校によるクーデターによって父・陸軍大将 渡辺錠太郎が、和子が9歳の時に目の前で、殺害される。日中戦争・太平洋戦争・敗戦につながっていく。
「一つの主義に走ってバランスを失った時に、どんな恐ろしいことがおこるか。父が身を持って教えてくれた」(「強く、しなやかに 渡辺和子と戦後70年」(山陽新聞に2015年2月から連載))より。

(2015年10月26日発刊)NO.412
「笑顔」

 旭東病院では年に一度、職員が院内研修に参加する。そして、研修の終わりに「旭東宣言」を一人ひとり発表する。この「一年」に何を実施するか、約40人の参加者の前で宣言するのである。多くの人は、宣言の中で、「明日から笑顔で挨拶し、コミュニケーションをとります」「笑顔で始まり、笑顔で終わりたい」「忙しい時ほど、笑顔で人に接します」「笑顔で挨拶!する」など「笑顔で人と接する」が多い。ということは、笑顔で人に接することは、大切であるけれど、日常的に、いつもにこやかに接することが、いかに難しいかとも言える。
 「笑顔」は人間だけが持っている最も大切なコミュニケーションの道具です。私も、何時も笑顔でと思っているが、忙しい時、気分が落ち込んでいる時、周囲に配慮が足りない時、寝不足の時など、笑顔を忘れることも多い。
私達には、笑顔で過ごせるような、職場環境と自身の健康、そして心の持ち方が大切であると思う。

(2015年10月19日発刊)NO.411
「知れば知るほど面白い一人旅」

 私の敬愛する友人、宮崎信敏(のぶとし)さん(以下「のぶさん」)から「知れば知るほど面白い一人旅」の著書を送っていただいた。「のぶさん」は外国に出かけるときに、その土地の大学へ語学留学(ロンドンにいくとケンブリッジ大学へ留学)し、語学を学ぶと同時に、他の国から来た人と交流して、友人を作る。そこを起点として一人で、バスや電車、自転車で一人旅を続ける。「のぶさん」は1934年熊本県天草うまれ、現在81歳。32歳で(株)宮崎工務店、(株)MRC建設トラブル創業37期、70歳で両社を後継者に譲り、現在会長。大阪府中小企業家同友会の副代表理事を務められ、私はそのご縁で交流が始まった。
70歳になって、まずケンブリッジ大学に語学留学をし、その後10年間、毎年のようにひとり旅を楽しんでこられ、もう60カ国以上を旅されたのではないかと思う。「のぶさん」は、どこにいっても、そこに住む人と仲良くなって友人になる。
ご本の「はじめに」に書いている文を引用すると「外国への一人旅で私の思うのは、どの国でも自分の文化を持ち、それで生き続け、現在にいたっており、日本と違う文化がいっぱいで、その文化に旅先で毎日に接していることで驚きがあるのです・・・・・学ぶということは楽しいことだし、感動しますし、感動すれば共感になります。これが海外の一人旅の特長でないかと思えるのです。」
私も脳神経外科医という立場から見ても、一人で海外に出かけて、見知らぬ土地で多くの人と交流する、これは脳を活性化する最も素晴らしい行動ではないかと思う。しかし、一人で旅が出来る健康の維持と、奥様をはじめ家族の理解と協力があって初めて可能であろうと思う。「のぶさん」から世界のどこかから旅日記のメールが届くのを楽しみにしている。

参考文献
「知れば知るほど面白い一人旅」宮崎信敏著  N・M出版(個人出版)

(2015年10月13日発刊)NO.410
「中国の最古のお寺 白馬寺」

 洛陽市にある白馬寺は、白馬に乗ったインドの僧が、仏典と仏像を携え、後漢の都・洛陽を訪れたという説話に因んで、白馬寺と名付けられた。そこから仏教が中国に伝来したと言われている。白馬寺は西暦68年に、建立された寺として有名であり、中国では最も位の高い寺で、参拝客は一日に7万人という。仏教伝来の平山郁夫画伯の絵には「白馬に乗った僧侶」が描かれている。白馬寺には、岡山市日中友好協会の縁で、2回訪れたことがある。その時に、お出逢いさせて頂いた、「白馬寺」の印楽方丈と、先日、松琴寺で懐石料理を一緒させて頂いた。印楽方丈はまだ、40歳前後の若さで、中国の仏教界を代表する方である。しかし、黄色の僧衣姿は、質素で、とても謙虚で、心の温かいお姿であった。交流のあった故片岡和男先生(岡山市日中友好協会前会長)のお宅にも訪問させて頂いた。
中国も、仏教に心の救済を求める人が増えているのであろうか。仏教は、1世紀に中国に伝えられ、朝鮮から、6世紀には日本へ渡ってきた。遣隋使・遣唐使によって中国文化がもたらされ、奈良時代には東大寺や唐招提寺などが建立されて仏教文化の花が咲き、今日まで仏の教えが、民衆の心の中にいきづいている。仏教の教えは、心の平安を、説いているのだが、しばしば、時の権力に利用される。これは、宗教の宿命なのだろうか。
日本の仏教、中国の仏教、東南アジアの仏教、更に多くの宗派が別れているが、仏の教えの原点に立ち返って、心の平安を広く伝えて欲しいと願う。

(2015年10月5日発刊)NO.409
「人が幸せと感じるとき」

岡山旭東病院の職員に、「どんな時に、病院で働いていて、幸せと感じますか。」と問うと、「患者様に感謝されたときに幸せと感じる」と答えた人が一番多かった。次いで、
同僚や業者の人に褒められたときである。人は、感謝されたり、褒められると幸せを感じるというのは当たり前である。しかし、解っていても、感謝し、褒めることが、なかなかできないのも人間だ。
ついで、「人とひとの絆」も大切である。物と金に価値を置いた無機的社会となって人と人の愛情のこもったかかわり合いが少なくなっている。人は、かかわり合いの中で生きていて、そのかかわり合いの中で知恵を学び、これが最も大切な学問だと思う。そして、人は学んで変わっていく。そのため、人と人のかかわり合いの中で、幸せを感じるのではないではないだろうか。
最後に、熱中することも大切であろう。それが、仕事であっても、趣味であってもいいと思う。
日本は世界一の長寿国である。私達は「幸せ」を健康寿命に活かしていきたいものである。

(2015年9月28日発刊)NO.408
「為せば成る」

 「為せば成る」とは、どんなことでも強い意志を持ってやれば必ず成就するということで、やる気の大切さを説いたことば。江戸時代後期、米沢藩主の上杉鷹山が家臣に「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」という歌を教訓として詠み与えたという話は有名です。
先日、第41回日本診療情報管理学会学術大会(9月17日・18日開催、テーマ「診療情報は、いのちの記録」)の会長として、2,116名の参加者を得て、岡山ママカリフォーラム・岡山ANAグランドプラザホテルで開催させていただいた。診療情報管理学会理事長の大井利夫先生や多くの評議員・理事の皆様、日本病院会の堺常雄会長を始め多くの幹部の先生方、本部の学術部長横堀由喜子氏や担当スタッフ、愛媛労災病院院長の宮内文久実行委員長のリーダーシップのもと、また岡山と四国の診療情報管理士の実行委員のスタッフのコラボレーションのお蔭で大会は成功裏に終了することが出来た。そして、副実行委員長の海野博資(当院診療情報管理士)と、寺延美恵子先生(岡山情報ビジネス学院)には格段の援助をいただいた。学会運営は、私の力は僅かで、わたしが決して為したのではない。これは皆様が、為したのであると感謝している。
 考えてみると、自分で「為せばなる」と思って、成ったことは少なく、大抵のことは、多くの人が成し遂げてくれたように思う。 
 これから、もっと自らが行動して、成し遂げたいことが目の前に横たわっている。為さぬは、人の為さぬなりけりである。

参考文献
上杉鷹山:上杉 鷹山(うえすぎ ようざん) / 上杉 治憲(うえすぎ はるのり、1751年9月9日 - 1822年4月2日)は、江戸時代中期の大名で、出羽国米沢藩の第9代藩主。領地返上寸前の米沢藩再生のきっかけを作り、江戸時代屈指の名君として知られている。(ウイキペディアより引用)

(2015年9月14日発刊)NO.407
「つねに前進」 坂村真民

  すべて
  とどまると
  くさる
  このおそろしさを
  知ろう
  つねに前進
  つねに一歩
  空也は左足を出し
  一遍は右足をだしている
  あの姿を
  拝してゆこう

  困難が有っても、留まってはいけないと自分に言い聞かせて、前を向いて行きたい。
  

(2015年9月07日発刊)NO.406
「ドキュメンタリー映画『かすかな光へ』」

先週9月5日(土)に当院のパッチ・アダムスホールにて、大田堯先生のドキュメンタリー映画を上映しました。その時の、開会あいさつの一部を紹介します。

「只今より、大田堯先生の実践を追った(森康行監督)ドキュメンタリー映画『かすかな光へ』の上映会を開催したいと思います。今朝の朝日新聞で、教育研究者『大田堯さん』の記事をご覧になったかたもあると思います。大田堯先生は現在97歳ですが、今も、生きるとは、学ぶとは、夢とあこがれを語り続けていらっしゃいます。この度の上映会の主催は『あかいはな道化教室』・岡山旭東病院・かすかな光へ上映岡山実行委員会。また、岡山県中小企業家同友会・岡山市日中友好協会のご後援をいただいています。 
『あかいはな道化教室』は、アメリカの道化医師DRパッチ・アダムスを2002年9月1日に岡山へ招聘し講演会(1,200名の参加)を開催しました。“ぼっけい仲良くなろうでえ”をテーマに開催し、『愛と笑いとユーモア』の大切さを伝えてくれました。その時のステージマネジャーをして下さったのが、塚原成幸さんです。パッチの講演を記念して2002年11月から始めたのが『おかやまあかいはな道化教室』です。案内人は『塚原成幸』さんです。その塚原さんを、私にご紹介下さったのが『大田堯』先生でした。
大田堯先生は、教育のあり方を問いつづけてこられた教育研究者です。その、ドキュメンタリー映画『かすかな光へ』の映画から、多くの学びを得ることができるでしょう。
“生命のきずなの再生”という壮大な夢にむかい、挑戦し続ける人生は、私たちに『いかに生きるかを』問いかけています。『ちがうこと、かかわること・かわること』という生命の特徴という視点で物事をみつめると、大きく視野が広がっていくように思います。
“生命のきずなをつないでいく”というかすかな光へ向かって、共に歩んでいきたいと願っています。その先に『日本の、いえ世界の平和が見えてくる』と思います。これをもって開会の挨拶といたします。」


(2015年8月24日発刊)NO.405
「人生での喜び」

それは、人との出逢いだと思う。人との出逢いで、愛が育まれて、生涯のパートナーとなる人もいる。また、ある人に出逢ったことで、人生が開け、今ある人生を感謝できる人もある。人生の中で多くの苦労や悲嘆にくれることがあっても、幸せな人生を語れる人は、コツコツと前向きに、真摯に出逢いを活かして歩んできた人であるように思う。人間は、本質的には命の特徴である自己中心であるが、他に依存しながら生きていることも事実である。したがって、忘己利他の考えを実践できることによって、生きていてよかったと「人生の喜び」を味わえるのではないかと思う。
私が敬愛している森岡まさ子さんの言葉に「出逢いは永遠の薫り」がある。出逢いを大切にしていきたいものである。当院の中庭に「出逢いは永遠の薫り」の石碑があるが、97歳の時に講演に来て頂いたことを昨日のように思い出す。

参考:森岡まさ子:自然の森MGユース・ホステル創業者。旧上下町名誉町民。明治43年(1910)広島県甲奴郡(こうぬぐん)上下町に生まれる。京都大学フォスコ・マライーニ氏の秘書を勤める。戦後、原爆症の夫を抱え〈広島県公認高等文化女学校〉を設立。戦後の混乱期に若い女性たちへ、夢と希望を与え続けた。昭和34年(1959)広島県内初の民営ユース・ホステルを開設。夫を亡くした後も経営を続ける。91歳で結腸の腫瘍摘出の手術に成功し、「出逢いは宝」を出版。92歳で「エイジレス章」授賞。NHKテレビ「人間ゆうゆう」でも紹介された。平成20年5月生涯を終える(MGユースのホームページを参考)。
(2015年8月10日発刊)NO.404
「戦後70年 無言館展とソプラノ歌手 村上彩子のこと」


第2次世界大戦の戦場に散った美術学校の画学生や卒業生の遺作を収集・展示する無言館(長野県上田市)の洋画や日本画、彫刻の150点を紹介する展覧会が開かれている(2015/08/05 朝日新聞 夕刊)。

 無言館では、出征前の日常的な風景や身近な家族の絵が多いと言う。「あと五分でも、あと十分でも絵を描いていたい」「行きたくない」「せめてこの絵具を使い切ってから征きたい」と出征前の言葉が添えられている。
 村上彩子は、死のうとまで思いつめていた時、無言館にたどりつきこの絵の前で号泣し、諦めかけていた東京藝術大学声楽科再チャレンジし、見事合格。その時の思いに導かれて、平和・人権・教育・命・親子の愛をテーマとして、歌を通じて多くの人の心と響き合っている。
 8月8日、小野竹喬の美術館で、ソプラノ歌手 村上彩子コンサート「平和祈念 父・竹喬息子・春男の目指した道」が開催された。画学生小野春男と父竹喬の絵、そして、ソプラノの歌が響き合った、鎮魂のコンサートであった。
 日本画家・小野竹喬(1889〜1979)の長男である春男(1917〜1943)は、昭和15年京都市美術館学校を卒業し、その翌年第6回京都市美術展に「樹林」が入選して日本画家として歩き始めたところ、同年12月の太平洋戦争の開戦により、昭和18年(1943)年に26歳で戦死。小野春男の絵も無言館に展示されている。
 戦後70年を経て、ふたたび戦火のない平和な世界に向けて歩むことが、一人一人の日本人に課せられた「夢」ではないかと思う。

参考:
@ 笠岡市立竹喬美術館
笠岡市出身の日本画家・小野竹喬(ちっきょう)の業績をたたえ、その功績を後世に伝えるため、昭和57(1982)年10月に開館しました。(ウイキペディア参考)
A 無言館
第二次世界大戦で没した画学生の慰霊を掲げて作られた美術館で、美術館「信濃デッサン館」の分館として1997年に開館した。館主は窪島誠一郎。自らも出征経験を持つ画家の野見山暁治とともに全国を回って、戦没画学生の遺族を訪問して遺作を蒐集した。(ウイキペディア参考)
(2015年8月3日発刊)NO.403
「はたらくということ」

「はたらく」ということは「傍の人を楽にすること」と言われている。
自分のやっていることがすこしでも役に立っていると思えるなら、それぞれに立派なはたらきであり仕事であると思う。しかし、現実には「はたらく」ことがお金で評価されて商品となったがために、何をするにも全てお金に換算するようになった。
仕事も契約関係で、サービス残業も問題である。全ての行為や物も金で計算する。水一杯でもお金を取る時代である。すこしは、考えにゆとりがあっても良いのではないかともおもう。

石川啄木の詩(一握の砂)
「こころよく 我にはたらく仕事あれ それを仕遂げて死なむと思う」

「こころよく」というのは自分の内面からの思いであり、大田堯先生は「完全就業」の原則と言っている。そのような仕事と環境で、はたらきたいものである。それは、子供でも、大人でも、老人であっても同じである。経営者には、そのような仕事を提供し、仕事環境を整える必要が問われると思う。

参考文献:
「大田堯自撰集成1 生きることは学ぶこと〔教育はアート〕」 28頁 藤原書店

(2015年7月27日発刊)NO.402
「あいさつ」

「いかに日常ちゃんと挨拶するか、がまず大事で、それだけでいいのよ。それだけでいい。」笑福亭鶴瓶の言葉である。(鷲田清一の折々のことばより引用(朝日新聞2015/7/25)) 
挨拶においては、問われていることよりも、自分がだれかに問い、問われていることに意味あるからだ。と鷲田さんは書いている。
「おはよう・ゲンキー?」の次に多いのは「お疲れさん」がある。私は「お疲れさん」とか、「お疲れ様!」は、本当に大変なことがあったとき、仕事もそろそろ終わって、帰るときにつかったらいいのではないかと思う。
「お疲れ様」は、心優しい日本語である。日本全国?北海道から沖縄まで、午前中でも午後でもお疲れ様と挨拶してる。しかし「お疲れさん!」とか「お疲れ様」は朝からの挨拶の言葉として使うのはいかがかと思っている。私はこれを「おつかれさん文化」と言っている。職場に出て元気な時に「お疲れさん」の代わりに「おはようございます」「お元気さん!」とか「こんにちは!」を言ったらどうかと思う。
とはいっているが、職場でもなかなか、習慣は変わらない、奥ゆかしい日本人のDNAなのだろうかとも思う。
(2015年7月21日発刊)NO.401
「心と体」

心と体
わたしの心が 
もえている日は 
道の草木も 
光り輝き
わたしの体が 
躍っている日は 
空の小鳥も 
凛凛と飛ぶ  
「坂村真民」詩

心が体を動かす。本当にそうだなと何時も思う。悲しいことがあると態度に出る、歩き方にもでる。スタッフが元気ない姿をみると、きっと心に悲しいこと、いやなことが有ったのかなと心配になる。家庭でちょっとしたいやなことがあったり、忘れ物をしたり、約束の時間に遅れたりしただけでも、体の動きはぎこちない。わたしの心が、うきうき燃えている日は、道の草木も 光り輝いて見える。
そして、自分の体が躍っている日は、空の小鳥も 凛凛と飛ぶ。
わたしは、いつも「絶好調」であるように心と体調を整えるように努めていきたいと思っている。 



参考文献: 「坂村真民一日一言」 坂村真民著 致知出版社
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