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(2015年7月13日発刊)NO.400
「坂村真民さんの詩に思う」

 坂村真民さんの「念ずれば花ひらく」に代表される多くの詩は、多くの悩める魂を清らかに癒してくれる。私のいる病院の小さな庭の一隅に「念ずれば花ひらく」の詩碑(173番碑)がある。「念ずれば花ひらく」の碑を建立したいと、1991年に真民さんにお願いにお伺いした際、真民さんからこう言われた。「この言葉を刻む石ならば、“生きた石”に刻むように」と。そこで真民さんのお住まいがあった愛媛県砥部町から車で帰る途次に、高松市庵治町の庵治石の採石場の石屋さんがあったので訪ねた。ところが「生きた石をください」と言ったところ、「石に生きた石、死んだ石はない」と言われてしまった。「それでは、私が探しましょう」と申し出て、一緒に石切場を廻った。そこで、生きていると直感した石を見つけた。それが今立っている詩碑である。
真民さんは2006年 12月11日、97歳で永眠されたが、このエピソードを今にして思い返すと、人間でも生かされているのに「死んでいる人」と「生きている人間」がいるというようなことを諭されていたのではないかと思う。それが「真に生きる」ということだろう。

念ずれば花ひらく
念ずれば花ひらく
苦しいとき
母はいつも口にしていた
このことばを
わたしもいつのころから
となえるようになった
そうしてそのたび
わたしの花がふしぎと
ひとつひとつ
ひらいていった

今を生きる
咲くも無心
散るも無心
花は嘆かず
今を生きる

参考文献:
@詩集 「念ずれば花ひらく」 坂村真民著 サンマーク出版
A詩集 「自分の道をまっすぐにゆこう」  PHP研究所

(2015年7月6日発刊)NO.399
「100年カレンダー」
当院の職員食堂に「100年カレンダー」を掲載している。この100年カレンダー
は寒天食品を製造販売している「かんてんぱぱ(伊那食品工業株式会社)」の本社を見学した時に、塚越会長から紹介されて、売店で購入したものである。
100年のカレンダーになると、自分の命日がこの中に必ず有ることになる。私は上の方であるが、今年の4月に学校を卒業して入職した人はずっと下のほうであろう。120歳以上生きる人もいるかもしれないが、大方はこのカレンダーの中に自分の命日がある。 そのようにカレンダーをみると、一日一日が、大切なかけがえのない一日であると感じることができる。人生の中で、職場での時間はとても大切な時間といえる。
私は、職場は「生涯学習の場」と考えている。この働く時間を自分に与えられた仕事を精神誠意立派に果たし、自分の成長のために有効に使って欲しいと願っている。 共育(教育)環境を少しでも良くするために、図書の購入・図書館の充実・学会活動や研修への支援など学習型病院として整備してきている。また、余暇の活用のクラブ活動も支援してきた。
勿論、職場だけが成長の場だけではない。ワークライフバランスを充実させて、自分の時間を家族や友人と有意義に過ごして欲しいと願っている。

参考文献: 「年輪経営」塚越 博著 光文社
(2015年6月29日発刊)NO.398
「お医者さんのサポーター」
勤務医の仕事は激務である。 外来の患者さまを診て、入院患者さまを回診し、病状や治療方針の説明をする。外科系の医師は、それに手術の術前説明をして手術をおこなう。また、電子カルテの時代になって、カルテの記載文書が誰でも読めるようになった。しかし、患者さまからは、医師は診察の時にカルテを見て、自分の顔を見ないというクレームが寄せられる。医療技術の進歩に伴って、説明にも時間がかかる。その上、各種診断書の記載など、それ以外の事務書類が山のように必要となる。しかも、当直で一晩中救急対応をした次の日も、仕事を休むわけにはいかない。他の職種は時短やワークライフバランスを実践しやすい。医師の数を今の二倍にすれば解決するかもしれないが、なかなか実現できない。
その医師の仕事を少しでも軽減するために平成20年「医師事務作業補助体制加算」が新設された。医師がする事務的仕事を代行し、最後に医師が承認すれば良いとする厚労省による通達が出たのだ。当院では、現在18名の医師事務補助者業務を担う秘書がいる。2015年6月27日(土)〜28日(日) 宮崎市の宮崎観光ホテルを会場に、第5回医師事務補助者全国大会(会長は武田まゆみ氏 潤和会記念病院)が開催された。大会テーマは「輝け!医師事務作業補助者の人間力」である。私は、招待講演に招かれて「医師事務補助者の役割と共育〜職場は貴方の晴れ舞台〜」と題して講演させていただいた。矢口智子氏「NPO法人 日本医療事務補助研究会 理事長 金沢脳神経外科病院」の講演に、医師事務補助者の今後の育成、身分、国家資格など多くの問題が提起された。
今後、病院では医師不足とチーム医療を推進する中で、医師事務作業補助者の役割がますます大切になっていく。そのために、社会の認知と補助者自身の自覚と研鑽が必要だと、強く思いを持った。

参考: facebook「日本医師事務補助第5回全国大会」より
(2015年6月22日発刊)NO.397
「教育基本法」
名古屋大学大学院教育発達科学研究科 教授 植田健男による講演『「生きること」、「働くこと」、「学ぶこと」“共育”とは何か』を岡山県中企業家同友会で開催されている第24期同友会大学開講式で聴講した。本来の教育とは何か違った物差しで現在の教育がゆがめられてきていることに気づかされる。教育基本法第一条には次のように書かれている。

「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期しておこなわれなければならない」

人格の完成とは「人間的な自立」へ向けての人格的自立である。 教育とは、「ヒト」に生れて「人間」へと成長していく道筋であり、学校とは、それが制度的に保証される場で「人間として自立する」ために私たちは学ぶ。 学校を卒業しても、私達は生涯学び続けていき、人格の完成を目指していく、それが教育の目的である。
大田堯先生も生命の特徴は@ちがうAかかわるBかわるの3つを上げておられる。その関わり合いの知恵を学び己を変えていくと理解している。生涯学び続けていくことが「共育」ではないかと思う。中小企業家同友会では企業は学校であり職場は生涯学習の場であり、21世紀型企業は学習型企業であると位置づけている。職場を共育の場として、共に育ち合っていきたいものである。 

参考: 映画「学校」山田洋次監督 学校における「学び」を考え直す。
(2015年6月15日発刊)NO.396
「あかいはな道化教室」
おかやまあかいはな道化教室を開催して14年にもなります。あかいはなの「はな」は花でなく、鼻なんです。この教室は「パッチ・アダムス」の映画で有名になったパッチ・アダムスという実在するアメリカの臨床道化師が、赤い鼻をつけて登場するので、それに因んで「あかいはな(鼻)道化教室」と名付けました。
このパッチ・アダムス先生(アメリカの臨床道化師)を、2002年、岡山に招聘して講演会を開催しました。岡山講演会ボランティアスタッフ皆で“ぼっけぇ仲良くなろうでぇ”をテーマに開催し、その時のパッチのメッセージは「私達は、お金や権力を崇拝する社会から脱却し、同情と寛容を重んじる社会に移行していかなければなりません。その社会に属するメンバーを思いやる気持ちにあふれた人たちが、お互いに助け合う社会です。」でした。私は、このメッセージには、愛情のこもった笑顔やユーモアで患者さんや人に接すること、スピリチュアルな対応の大切さが託されていると感じました。ホテルの会場は約1,500名で埋め尽くされて、熱気の溢れた会となりました。当日のステージマネジャーをしていただいたのが塚原成幸氏です。そのパッチの講演をそのままで終わるのでなく、運動を続けていこうとパッチの講演を記念して、国内で数少ない道化師として活躍している塚原成幸さんを案内人として、愛と笑いとユーモアを「ワークショップ」を通じて社会に広める運動(あかいはな道化教室)をおこなってきました。
それから、13年経ちました。道化教室は、年に4〜5回の開いています。生徒さんは、高校生・大学生・医療関係者・サラリーマン・教師・中小企業の経営者など、職業も世代もさまざまです。テーマは「笑えるカラダと環境づくり」です。まじめに遊び、自分自身の中に埋もれている「遊び心」を発掘するのです。塚原さんは、病院を訪れ、入院中の子どもに遊びや笑いを届ける「臨床道化師(クリニクラウン)」として活躍していらっしゃいます。また、長野県清泉女学院短期大学の教官として人材育成にも活躍中です。公演活動を通じて「笑顔」の素晴らしさを伝えています。  
道化教室に集う人たちは、老若男女で、大学を卒業し、結婚し、就職し、転勤し皆さまそれぞれの事情で毎回は参加できなくても、会えば心が通じ合える、そんな仲間であります。年に一度は、岡山県にある国立ハンセン病療養所「邑久光明園」の夏祭に参加したり、記念講演会や映画上映なども企画してまいりました。岡山県版朝日新聞(6月12日)に紹介されています。
次回のあかいはな道化教室の開催は、6月28日(土)13:00〜16:00(会場パッチ・アダムスホール)です。希望者は、当院の企画広報室(086−276-3231)まで申し込んで下さい。

参考文献: 山の道化師「PACKMAN」と笑っていこう 寺島純子編 和田博撮影 発行所 オフィス・エム
(2015年6月08日発刊)NO.395
「ありがとうございます」
昨年12月に、病院総幸福度調査(GHH=Gross Hospital Happiness)の中で、職員へのアンケートをお願いしました。幸せを感じる「やりがい」は@患者さまからの感謝A職員(または業者)からの感謝でありました。私達の「やりがい」にもつながる「ありがとう」という感謝の気持ちを伝えることの大切さを再確認しました。
「ありがとう」はあり難い(滅多にない)であり、滅多にない感謝の心であると黒住教副教主(黒住宗道氏)の著書に書かれています。当然(あたりまえ)のことが実は滅多にないことだとすると「ありがとうございます」は人を幸せにする魔法の言葉ではないでしょうか。


参考:「道端感謝」 黒住副教主 黒住宗道著 黒住教日新社発行
(2015年6月01日発刊)NO.394
「見えないところからも学ぶ」
他の病院や企業訪問をすると、日頃気づかなかったことを教えてもらえる。これも院長だけがいっても、学びは少なく、多くの目で見るとそれぞれに色んな角度から学びを共有できる。先週は、病院の日本医療機能評価審査(第三者評価)トップレベルの高い評価を受けている佐賀県鹿島市にある祐愛会織田病院に、当院から私を含めて5名のスタッフで訪問した。鹿島市の駅には病院のスタッフが迎えに来ていただき、昼食まで準備してくださり感激した。病院は中規模の急性期病院を核として、ゆうあいビレッジ(高齢者自らが地域社会の中で役割と生きがいをもって暮らせる明るく活力ある豊かな長寿社会づくりに貢献できるよう、介護サービスや介護予防・生活支援のための保健福祉サービスのゾーンである、“ゆうあいビレッジ”の整備をすすめている)を運営されている。 私たちの訪問のために、病院で準備した資料を整えて、全職種の担当者が日本医療機能評価審査の準備のポイントを当院のスタッフに丁寧に説明くださった。理事長・院長・医師・看護師・リハスタッフ・事務職の皆さま方の対応は、誠意に溢れていた。帰りも、少し時間があったので、日本三大稲荷の一つである鹿島稲荷神社に案内していただき、鹿島の駅では電車が出発するまでスタッフにお見送りをしていただいた。 審査を受けるに当たっての準備の参考にと訪問させていただいたが、織田理事長始めスタッフの対応から学びの深さに感動して帰ってきた。人が育ち合う職場の見えないところも学ばせていただいた。

参考:祐愛会織田病院 公式サイト
(2015年5月25日発刊)NO.393
「おもてなし経営とは」
5月22日〜23日にサブリーダー研修が開催された。2日目に外部の講師をお招きし「おもてなし経営とは〜職員・患者・地域に必要とされる病院になるために〜」の問題提起と参加者によるグループ討議がおこなわれた。講師は瀬戸川礼子先生(ジャーナリスト、中小企業診断士、MBA)にお願いした。研修の前日から参加してくださり、私たちの発表や、バードセッションにも参加いただいた。瀬戸川さんは昨年の当院も選考された「おもてなし企業選」の審査員として関わっていただいた先生です。心を打つ講演でした。おもてなし経営の共通キーワードを次のように提言してくださいました。「一人ひとりに理念の浸透、社員もパート・アルバイトも関係なく、自主的に社員教育に時間をかける、きれいな職場環境、左脳も強い、お客さまの喜びが自分たちの喜び、チームワーク、地域に溶け込み ほほえみ、社員が主役」との12項目。
「おもてなし」は原則お金が発生しない・あなたのために・内容は臨機応変で多様・情緒的・非効率である。
「サービス」は原則お金が発生する・みんなのために・内容は決まっている・情緒なし、効率的である。 
人が感動するのは、心を動かされたときである。私は、おもてなしとは表も裏もない誠心誠意に人と関わることだと思います。
瀬戸川礼子さんから多くの気づきをいただいた。

瀬戸川礼子さんの著書
@「グレートスモールカンパニー 小さな会社に学ぶ『奇跡の企業哲学』」現代書林
A「『顧客満足』の失敗学 社員満足がCSを実現する!」 同友館刊
B「おもてなしの原点 女将さんのこころ その一」旅行新聞新社
(2015年5月18日発刊)NO.392
「サービスとホスピタリティ センターピンを外すな」
第10回癒しの環境院内学会を5月14日に開催しました。病院は、正確な診断の基に病を治療をするところですが、病は気からとの言葉があるように、気を癒すには癒しの環境が必要であります。そのような考えの基に毎年癒しの環境院内学会を開催し発表やグループ討議や講師をお呼びしての学の機会を作ってきました。
今年は講師として高野登様(元:ザ・リッツカールトン日本支社長、現:人とホスピタリティ研究所所長)に講演を頂いました。その中で、「サービスとホスピタリティ」の違いを解りやすく話されました。
「センターピンを外すな」
対する相手が何を求めているのか、丁度ボーリングでストライクを取るには先ず真ん中のピンを外さない。それと同じように、相手が何を求めているのかそれをはずさない、そのことによって満足や感動を生みだすことができる。それがホスピタリティだよ」と。その様な行動や思いを形にさりげなくできるには、感性を磨き、己を成長させていくことが大切だと例をあげてお話し頂きました。
私は関わり合いの知恵(ホスピタリティ)を深く学び実践につなげるには気づきと相当な努力と覚悟が必要であると思いました。

参考文献
「リッツ・カールトンと日本人の流儀 人を動かす「洋の言葉」と「和の心」」高野登著 ポプラ社
(2015年5月11日発刊)NO.391
「読書の楽しみ」
読書は、自分の経験できないこと、知らないことを教えてくれる。人生は生涯が、学びの場で有り、本もまた、自然や人との関わり合いの知恵を学ぶ教材である。先日読んだ本に、夏川草介著「神様のカルテ0」がある。胃癌の末期の元国語教師である患者(國枝さん)が、若い研修医(栗原一止)の主治医に読書のことを語るところがある。
「“ヒトは、一生うちで一個の人生しかいきられない。しかし本は、また別の人生があることを我々に教えてくれる。たくさんの小説を読めばたくさんの人生を体験できる。そうするとたくさんの人のきもちもわかるようになる”
“たくさんの人の気持ち?”問う一止に、國枝さんはどこか楽しげだ。ゆったりとうなずく姿は、教壇に立つ教師そのものである。困っている人の話、怒っている人の話、悲しんでいる人の話、喜んでいる人の話、そういう話をいっぱい読む。すると、少しずつだが、そういう人々の気持ちがわかるようになる。“わかると良いことがあるのですか?”
“優しい人間になれる“意想外の返事に、一止は相手をみかえした。
”しかし、今の世の中、優しいことが良いことばかりではないように思います“
”それは、やさしいということと、弱いということを混同しているからです。優しさは弱さでない。相手が何を考えているのか、考える力を「優しさ」というのです“。」

参考文献
夏川草介著 「神様のカルテ0」小学館
(2015年4月27日発刊)NO.390
「100年カレンダー」(かんてんぱぱ見学研修から学ぶ)
先日、「かんてんぱぱガーデン」を訪れた際に100年カレンダーを買ってまいりました。かんてんぱぱには、100年カレンダーが、社内のあちらこちらに貼ってあります。塚越寛会長は新入社員に、こう言うそうです。「いいか、この100年カレンダーを良く見てみろ。この中に、君たちの命日が必ずある。私の命日は、カレンダーの上の方だろう。君たちは、中ほどだ。でも、必ずこの中にある」いきなり命日の話をされて皆は面食らいます。100年カレンダーを見て、「人生は限りあるものだ」ということを社員一人ひとりに肌で感じてもらいたいということからの取り組みでした。
人生も同じだと思います。いくら若くても、残された時間には限りがあります。生きている内に、頭を使って、やれるだけのことをやらなければ損です。自分が幸せになりたいと思ったら、人に喜んでもらうようなことをしなさいと塚越会長は、新入社員に話すとのことです。他の人に喜んでもらうこと、それは「利他」の心を持つということです。
私達の経営理念の中に「職員ひとりひとりが、幸せでやりがいのある病院」があります。病院は働きやすい環境を整備していけますが、自分の幸せは、家族、患者さま、職員、地域の市民の方々に、利他の心から誠心誠意で接していくことで、人から感謝され、幸せがもたらされます。「病院を儲けさせるために働いているのではなく、自分の幸せのために働いているのだ」と本当に納得したら、自らの行動が変わっていきます。
参考文献:「年輪経営」 塚越寛著 光文社
http://www.kantenpp.co.jp/corpinfo/speech/index.html
 
(2015年4月13日発刊)NO.389
「ランタンフェスティバルと長崎・中国の交流史を探訪する旅(2015年3月2日〜3日)に参加して」
岡山市日中友好協会の片山浩子団長と総勢17名で九州新幹線に直結するさくら545号(8:03発)に乗り、長崎の旅に出発。江戸時代、鎖国政策がとられていて世界への窓口は長崎の出島に限られていた。江戸時代、長崎は出島という小さな窓口から世界とつながった特別な場所である。
長崎に到着後、早速「ちゃんぽん」発祥の地、四海楼にて昼食。午後は、孔子廟や崇福寺を訪ねる。崇福寺の創建は寛永6年(1629年)である。長崎に在留していた福州人たちが、古郷の福州の僧超然を迎えて寺を造った。本堂は国宝となっている。媽祖堂には往時唐船の船主が海上祈願のために海の神様(媽祖)を祭っている。
今回の目玉である長崎中国交流セミナーに陳東華先生(松井三平専務の友人)から日中交流史の話しを伺った。陳先生は長崎に定住して4代目、家庭料理は母親、北京語で育つ。長崎は漁村から発展した街であり、海外との交流史に彩られている。カトリック系キリスト教の布教が広まり、江戸幕府は周りの国々がキリスト教の国(スペインやポルトガル)によって支配されていると耳にし、キリスト教諸国からの侵略をおそれ、キリスト教を禁止する。やがて天草の乱がおこる。ポルトガルが関係したとして、貿易は長崎の出島に移ってポルトガルからプロテスタン系のオランダに代わった。西洋との交易は1641年に出島にて始まって1851年の約200年間対オランダ貿易が行われた。
中国との交易は盛んで、出島が開設されて50年後に唐人屋敷ができる。清は日本に銅を求める。船は3日に一度入って来て50日間宿泊する。水夫など2000人から3000人が宿泊する。街はにぎわったに相違ない。これが180年間続く。鎖国は日本人が出てはいけないが、外国人は入ってくる。そこから幕府は海外情報を得ていた。 唐人の墓も残っているが、主に水夫の墓で、中国の高官の死の場合は本国に連れて帰った。1628年に勝海舟が長崎でアメリカ大統領グラント大統領を接待したのもお寺であった(そのお寺は原爆で消滅)。 1689年に作成された唐人屋敷の唐館絵図がロンドンにあったとのこと。蛇踊、ペーロン(福建語・精霊流しの原型)などが中国との交流の文化遺産として残っている。清の時代には陳東華先生の祖父など華僑が孫文を支え、孫文と宮崎好天との長崎での集合写真を紹介された。
中国の旧正月「春節祭」を起源にしているランタン祭りにいく。提灯が町中を照らし多くの人で賑わっていた。初めは、華僑のコミュニティーで行われていたが、祭りに長崎市民も参加し、行政も後を押して全国的にも有名になり、全国から多くの観光客が訪れている。街中を彩る大小の15000個とも言われるランタンは来年も使用するとのこと。中国との長崎を通じての深い歴史をまさに探訪する旅となった。2日目には、120年以上の歴史を持つ老舗料亭「坂本屋」にて長崎ならではの卓袱(しっぽく)料理を堪能した。
長崎での中国との交流の歴史から多くの学びを得た貴重な研修旅行であった。
(2015年4月6日発刊)NO.388
「応援したくなる病院の基準」
社会医療研究所の所長(岡田玲一郎氏)は月刊ニュース(社会医療ニュース)を発刊し、医療福祉のあり方、人材育成、病院や福祉施設の経営、医療人としてのあり方など発信しておられ、何時も学ばせていただいている。その中に、イチロー選手の言葉の紹介があった。「これからも応援をよろしくとは絶対言いません。応援をしていただけるような選手であるために、自分がやらなくてはならないことを続けていく。」岡田玲一郎氏は「応援よろしくお願いしま〜す」なんて言ったことがない。応援していただけるかどうかは、私の仕事、哲学、理念をみていただいいている皆さまによるもので、こちらから“お願い”するものでないと思って、ここまで生きてきた。」
私たちの病院も「応援したくなる病院」になるよう、職員の皆さまと共に一歩でも、近づいていきたい。 
参考文献:「応援したくなる病院の基準」岡田玲一郎
社会医療ニュースVol.41 No475 2015.2.15(8)
(2015年3月30日発刊)NO.387
「プラス思考」
私は40年前に、父が使っていたゴルフセットをもらった。いまでも大切にしている。さすがに、パーシモン製のドライバーは使用していない。しかし、少しも上達せず、いまだに100を切ったことがない。練習場にも通って、ゴルフ場に月に1回はいきたいと思っているが果たせない。下手なりに友人と数少ないプレーを楽しんで満足している。先日、東京に出張した帰りに飛行機の中で「勝負論」青木功著を読んだ。青木プロは1942年生まれ、プロゴルファーとして通算85勝し、世界ゴルフ殿堂入りを果たしている。しかも、現在も現役のプレイヤーである。その本の中に、「一流と二流の差は、誰もはっきりと答えは持っていないだろう。でも、一つ確実に言えるのは、大前提においてプラス思考でなければならないってことだ。」と書いている。一流への道は、どの道でも共通している。また、何をやるにも、人のせいや、いい訳をしてはならない。常にプラス思考で実践せよと自分に言い聞かせている。ゴルフでも仕事でも同じである。

参考文献:「勝負論」青木功著 新潮新書 
(2015年3月23日発刊)NO.386
「沖縄県宮古島を訪ねて〜地域特性を活かしての地域振興〜」
念願の宮古島視察研修旅行を2015年3月19日から21日まで3日間、 友人3名でいってきました。案内は沖縄県立宮古病院の医師S先生でした。S先生は 県立宮古島病院に1年間勤務、4月には岡山に帰って来られる。 3月19日、岡山空港から那覇空港を経て午後13:40 宮古島に着、S先生のお出迎えを受ける。1月に開通したばかりの伊良部大橋を渡って、伊良部島の牧山展望台からエメラルドグリーンの瀬戸内海では見られない美しい海を見ることができた。16:00 沖縄県立宮古病院を表敬訪問、院長安谷屋正明先生と懇談。277床規模の総合病院、医師は53名。この規模では充実した陣容であると感じた。ドクターは全国からいろいろな方法で集めているとのこと。院長のマネージメントは大変だなと思った。病院内を見学させて頂いた。精神科の病棟・ハイケアユニット・外来を拝見。精神科は入院施設が完備して、病棟の看護師、医師が在宅も熱心にやっている。また、全島の救急を一手に引き受けている。新しい病院(平成25年6月改築)で、超多忙な病院であるとお見受けした。漲水御嶽の神社を訪問、境内に猫がたくさんいて、大切にされており住民の優しさが伝わってくる。御嶽信仰には鳥居があり、祭神は内地の神社と違い土地の神様を祭っている。来間は美しい海岸と「来間島憲法」が掲示されている。
一、敷地内の庭にブーゲンビリア花を一本以上植える。
二、屋敷内の庭にハイビスカスの花を一本以上植える。
三、屋敷内の庭に花を植える。
四、屋敷内の庭に雑草など放置してはならない。
五、屋敷内の庭に集落の景観を著しく損なう物は放置してはならない。
我が病院でも参考にしたい憲法である。宮古島を取り巻く海は美しく、海岸は清掃されていて海を皆で綺麗にしていこうとする住民の意欲を感じた。椰子・テリハボク(照葉木)など熱帯植物で街路樹が整備されていて素晴らしい。東平安名岬の灯台に登る。夕食は、イタリアン料理をいただく。料理長はイタリア帰りとのこと、S先生のオススメのお店。宮古島の活性化には島の住民が一度、島の外に出て、新しい感性で事業を起こすのがいい。病院経営でも他から新しい文化を入れることが大切である。 3日目の21日には宮古市立熱帯植物園を案内していただいた。庭園はブーゲンビリア、ハイビスカス、百日草など、よく手入れされ整理整頓清掃がいき届いていた。もっと規模を大きくして、日本一の熱帯植物園として、内地、海外から人を呼べる植物園にグレードアップできないかとも思った。戦時中の防空壕が数カ所あり、こんなところにも戦争の爪跡がある。公園内にも天然記念物である宮古馬が飼育保存されていた。宮古馬の飼育牧場に立ち寄る。農耕馬としての価値がなく、絶滅に瀕していたが、保護され現在は50頭に回復している。池間島に渡りマングローブの原生林に立ち寄る。蟹やムツゴロウをたくさん見ることができた。最後の昼食は、S先生の案内でお勧めの食堂「大和」にて宮古島そばを賞味した。 飛行機の出発に合わせて海岸沿いのレストラン(seashore)で、海を見ながらコーヒーを飲み意見交換の時間とした。宮古島17:15発、那覇18:00 乗り継いで20:15岡山着。S先生のお蔭で宮古島を堪能し、本土から離れた人口5万の離島の人の営みを垣間見ることができた。宮古島は沖縄県那覇からフライトで約30分離れた平素馴染みのない土地であったが、地元の人たちの活動の一端に触れることができた。@ 美しい海を観光資源として活かしている。A 美しい街づくり 来間島憲法はいい B トライアスロン等の大会の開催C サトウキビ産業、マンゴー、雪塩、土木建築D 地域興しは自助努力とそれに関連した人育て。本土からの遥か離島であるが、医療・福祉・教育・道路・水道・電気・交通など社会的共通資本としてのインフラ整備はかなり進んでいると感じた。地場産業の振興、特に自然を活かした観光資源を活かされればいいなと思った。 本土から多くの若者がスキューバダイビングをするために訪れるとのこと、また4月19日(日)には第31回全日本トライアスロン宮古島大会が開催され、1200名を超える参加者を迎える大イベントが控えているという。多くの選手が下見に走っている姿を見かけた。過疎化を防止するためにも、人材育成と中小零細企業の創業と振興が重要課題であると感じた。

参考文献: 宮古島ホームページ
http://www.city.miyakojima.lg.jp/
(2015年3月16日発刊)NO.385
「歴史を学ばない者は、同じことを繰り返す」
3月6日 中小企業家同友会主催の中小企業問題全国研究集会に出席した。分科会「平和問題」で三宅昭二会長(三宅産業株式会社 香川県観音寺市)の問題提起があった。三宅さんが小学生(小学校1年生〜5年生)の時、日本は戦争中で、アメリカとの戦争が始まっていた。真珠湾攻撃のとき、戦線での勝利の時には、学校の先生が、勝ったところに旗印をつける。大人は、戦勝のお祝いをする。出征兵士を、「勝ってくるぞと勇ましく〜♪」と歌を歌って旗を振って見送る。戦争が激しくなると、若い人だけでなく、年配の人にも、赤紙が来る。そして、どこそこの兵舎に集まれと召集が始まった。当時は天皇陛下に命を捧げることを美徳とされた。いきたくないのに志願させられたともいう。少年団ではリンチも通常におこなわれていたと聞いた。戦争末期になると、サイパン島玉砕、沖縄の地上戦(24万人死亡)とさらに、広島・長崎の原子爆弾が投下され30万人が即死、1945年8月14日に終戦となった。全国の都市が焼け野原になって、多くの人が犠牲になった。三宅さんの家は石炭屋であったが、40品目の統制経済で、廃業になる。終戦後、石炭から石油にエネルギー源がかわると同時に業態を変革し、現在は太陽光発電の普及に尽力されている。 戦後の復興は、中小零細企業の頑張りで支えてきた。「歴史に学ばない者は、同じことを繰り返す」の言葉を引用して、平和でないと中小企業は成り立たないし、存続できないと報告された。戦争の当事者が、少なくなって戦争の悲惨さを伝える人が少なくなっている。貴重な報告をいただいた。人類の歴史は戦争の歴史でもある。日本は戦後70年、戦争で人を殺しことがない。平和を維持することをひとりひとりが主体者として考える必要がある。

参考文献
「中小企業憲章」 平成22年6月 内閣決定 経済産業省中小企業庁
(2015年3月9日発刊)NO.384
「平和問題」
多くの人は、平和を望んでいる。にも関わらず地球上のどこかで戦争が起こる。第一次世界大戦が、ヨーロッパを舞台に行われて、二度と戦争を繰り返さないようにと、世界平和維持と国際協力を目的として、1920年1月に国際連盟が発足した。しかし、再び第二次世界大戦が勃発し、何千万と言う人達が犠牲になった。日本も敗戦国として1945年に終戦を迎えた。沖縄での地上戦では多く人が犠牲になった。広島・長崎の原爆では300万人以上もの死者が報告されている。そして、1945年10月には国連憲章に基づき平和を求めて国際連盟が結成された。しかし、アメリカ合衆国とソビエット連邦の対立から、冷戦の時代がつづく。民主化運動の広がりからベルリンの壁の崩壊によって冷戦状態が終焉する。これで人類社会に平和が訪れるだろうとの期待に反して、21世紀もテロや局地戦争が絶えない。
6万年前に現代人(ホモサピエンス)がアフリカから地球上に広がった。そして、人間は、民族や国に分かれ、領土を拡張し争い、武器の発達に従って、戦争の被害も際限がなく大きくなってきている。核保有国は核爆発実験を続けているが核爆弾の再使用は封印されている。しかし、いつ大きな戦争が起こるか非常に不安定な状況にある。
一人ひとりが、他人事として、平和を語るだけでなく、身の回りで自分のできることを主体者となって行動する必要があると思う。選挙で自分の意見を反映させる。他の国の人と人の友好を推進する。職場で平和について話し合ってみることも大切であると思う。中小企業家同友会の三つの目的に「中小企業の経営を守り安定させ、日本経済の自主的・平和的な繁栄を目指す」と明記されている。日本の中小企業は全企業の99.9%であり働く人の70%は中小企業であり、平和でなければ中小企業の繁栄も・病院など医療福祉のサービスも成り立たないと思う。21世紀は、人間の脳を働かし、英知を結集して争いのない、共存の世界へ一歩踏み出さないと、戦争を含む人災によって「生命の絆」が断たれて人類を含む生物の住めない地球になることは間違いないと思われる。
(2015年3月2日発刊)NO.383
「生きる・暮らす・人間らしく生きる」
私達の多くは、生命をまっとうし、家族と一緒に幸せに暮らせること。そして自ら生きてきた証を残すこと。そうしたことが実現できる社会や職場を願っていると思う。
「経世済民」という言葉がある。中国晋書の殷公伝に「世を治め、民をすくう」という意味で、天子が奉ずべき事柄だと書かれている。そこから経済という言葉がうまれたと言われている。企業活動の目的は、経済を発展させて、地域を豊かにして民を救うためにある。現在の景気の動向に目を転じて見ると、大企業の利益が増大している半面、中小企業への波及効果があまり見られない。新自由主義・原理資本主義的な政治手法ではいずれ政治運営がいきづまるのではないかと危惧している。
昨年逝去された経済学者 宇沢弘文先生は資本主義と社会主義を超えて、すべての人々の人間的尊厳が守られ、魂の自立が保たれ、市民的権利が最大限に享受できるような真の意味におけるリベラリズムの理念に適った経済体制の実現を提言してこられた。このことを可能にする社会的装置が「社会的共通資本」の概念であるという。病院・医療も「社会的共通資本」の重要な担い手である。
岡山旭東病院は小さな病院ですが、職員同士が共に学び・助けあい、経営理念にベクトルを合わせて人間の幸せに貢献するよう「生きる・暮らす・人間らしく生きる」を具現化し、地域の社会的共通資本として役目をはたしていきたいと願っている。


参考文献:
@「社会的共通資本」 宇沢弘文著  岩波新書
A「経営理念 人と大地が輝く世紀に」赤石義博著  鉱脈社 
B「経済と人間の旅」 宇沢弘文  日本経済新聞出版社
(2015年2月23日発刊)NO.382
「お互い様」
地域包括ケアへの関心が医療関係者は勿論のこと、一般市民の間でも高まっている。少子高齢社会となり団塊世代が75歳を超え、高齢化率が2025年にはピークに達するという。100歳を超える人が5万人を超えた。日本では私たちが夢見た長寿社会の到来である。年を重ねていくと病気になる人も増えるのは当然で、一病息災の時代から、万病息災の時代となる。入院患者さまをみると、80歳・90歳でも救急車で入院される人も多くなっている。従って、病院の機能分化(病院によって特色を持つ)を進めていく必要がある。疾病の種類によっては、すぐ対応する急性期の治療、また長期の治療やリハビリテーション、自宅に帰れない人には、施設も必要である。厚労省は地域包括ケアシステムを進めようとしている。それぞれの医療機関や福祉施設がそれぞれの持ち味を発揮して、協働して住みよい街を創っていくことが地域包括ケアではないかと思う。医療や福祉サービスをする側も、利用する側も、「お互い様」の考えで助けあっていくことが大切である。国民皆保険制度は助けあいの理念でできあがったものである。当院でも、医師や看護師、MSW(医療ソーシャルワーカー)・地域連携の担当者は、地域での勉強会を企画し、多くのネットワーク会議に参加して包括ケアをどのようにしていけばいいのか話し合っている。また、行政の方々も研究者の方々も、参加していい方法はないかと真剣に取り組んでいる。地域の市民も参加して良い街づくりに発展していって欲しいと願っている。

参考文献:地域包括ケアシステム  厚労省ホームページより参照
(2015年2月16日発刊)NO.381
「日本の伝統文化の継承」〜矢島里佳氏の講演を聞いて〜
日本は、島国であるがゆえに伝統文化が長い間に蓄積されて、素晴らしいものが残っている。日本の多くの物が、中国大陸から渡ってきて、多くを融合して、独自の文化を育んできた。それが世界中から押し寄せる多様な評価観の中で埋没していくのではないかと心配もする。自動車工業をはじめとする多くの先端技術を応用した産業の発達を可能にしたのも、日本に生まれた伝統産業の技があったからこそだと思う。先日、病院の研修(医局研修)に(株)和える(aeru)代表取締役 矢島里佳氏をお呼びした。1988年東京生まれ。2009年〜約3年間、伝統を次世代に繋ぐ全国の若手職人をフィーチャーした雑誌連載を執筆。その連載をきっかけとして赤ちゃんと子ども×伝統産業の市場開拓の重要性に気が付く。2010年、学生企業家選手権優勝(東京都・東京都中小企業振興会公社)・慶応義塾大学法学部政治学科在学中の2011年3月、株式会社 和える(aeru)を設立。本藍染や漆塗りの器や箸など、伝統産業の職人によって作られた本当に良いものが、子どものころから自然と体に染み込むような環境を創出している、いわゆる和のプロデュース集団。いきすぎた新自由主義経済でなく、もっと日本の良い物を残せる経済の仕組みを自分たちの手で作っていこうとする試みは、これからの日本人に共感を与えるのではないかと期待している。高くてもいい物を長く使う。これは日本の伝統文化だったはずである。着物も洗い張をして何代にもわたって使用した。矢島さんのお話しの中で「伝統産業は素晴らしくても、純粋に欲しいと思うものがない。本当に子どものことを考えている商品は少ない。この2つの市場を『和える』ことで、今までにありそうでなかった、本質的なモノ作りが出来るのでは、と感じました。それぞれの疑問をひとつずつ紐解いていくことで、『和える』のコンセプトが完成した」との趣旨を話されました。
当院では医療とアートの融合を進めていますが、日本文化に根ざしたおもてなしの医療サービスのありかたにも「和える」という考えを取り入れていきたいと思う。

参考文献
「和える-aeru- (伝統産業を子どもにつなぐ25歳女性起業家)」 矢島里佳 早川書房 2014
(2015年2月9日発刊)NO.380
100歳の幸福論
笹本恒子さんの素敵な本が発刊された。その名は「ひとりで、楽しく暮らす5つの秘訣」である。本のカバーの笹本さんの笑顔がいい!笑顔が美しい。「バラ色の人生」を目指しての文章に誘われて一気に読んだ。本には写真が多くて、楽しい、そしてためになる。笹本さんの写真集「明治の女性」を以前拝見して感激したことを思い出した。秘訣が御自身の写真と軽妙な文章から、生き方のヒントを学ぶことができる。 秘訣の1:“温かい”家で暮らす。秘訣の2:ちゃんと食べる、ちゃんと歩く。秘訣の3:身だしなみに手を抜かない。秘訣の4:年齢をさとられずに生きる。秘訣の5:読む・書く・仕事&恋をする!私は「脳の健康」〜愛と笑いとユーモアを〜のテーマで公民館や老人クラブ・各種の研修会などで講演を依頼されることが多い。その中では、脳を活き活きと保つために、脳を使うことによって脳の健康が保たれる可能性が高まるとお話している。笹本さんの日々の実践によって、自分次第で「バラ色の人生」が送れることができるのだと改めて感じた。 日本では100歳以上の人が5万人との統計が出ている。しかし、長生きできても、生きているだけでは、淋しい。脳と体の健康に留意して、5つの秘訣を、女性も男性も実践していきたいものだ。もし、つまずいたり、上手くいかない時があれば、「念ずれば花ひらく」と唱えて人生を歩んでもらいたい。 参考
@「100歳の幸福論」笹本恒子著 講談社
笹本恒子(ささもとつねこ)1914年(大正3年)9月1日東京生まれ。1940年、日本初の女性報道写真家になる。現在も元気で国内外で写真展を開催している。 A「坂村真民一日一言〜人生の詩,一念の言葉〜」坂村真民著 致知出版社
念ずることは実践することであると坂村真民先生から教わった。数ある先生の詩の中で私が最も好きな言葉である。
(2015年2月2日発刊)NO.379
脳の健康〜愛と笑いとユーモア〜
第3回赤磐市男女共同参画セミナー〜ひと 夢 みらい 参画でつくるみんなのしあわせ〜(平成27年1月31日)の講座で講演させて頂いた。 会場は50人が入る階段教室で、ほぼ満席であった。はじめに、赤磐市 友實武則市長の開会のご挨拶があって、私は「脳と体の健康〜愛と笑いとユーモアを〜」の演題で90分のお話をさせて頂いた。脳の健康を保つには、脳を良く使うことが大切。脳を使うと神経ネットワークが新生され、神経細胞も増加する可能性がある。また脳も体も、廃用性萎縮にならない様にするには、知的活動をすること、適度な運動をすることがポイントである。また、愛や笑いは、人と人との絆を強める。人が幸せを感じるという瞬間は @ 自分が多くの人と絆で結ばれている。 A 人から褒められる。 B 熱中することがあって生きがいを感じている。 ということが挙げられる。また、生活習慣として、「早寝 早起き 三度の食事 笑顔で すぐやる 怒らない」等の話も披露した。最後に、人間関係の特効薬「こそ丸」を紹介した。薬の中身は、愛情、感謝、謙虚、元気の4剤を調合して製品化している。「こそ丸」の「こそ」とは、貴方がいれば「こそ」のこそである。夫婦で「おまえが あなたが おれば “こそ”」と唱え毎日朝夕に内服すると、幸福がもたらされると確信している。社長であれば、社員がおれば「こそ」である。 この薬は、心の目で見ないと見えない。本当に大切なものは目には見えないからだ。副作用の報告はありませんが、わしがおれば「こそ」といって服用すると副作用が起こる可能性がある。御用心!御用心! 講演は女性が80%と多く、大変盛り上がった。楽しい雰囲気で講演を終了させて頂いた。

参考:こそ丸(がん)は108円(来年は消費税があがるので110円になります。)で岡山旭東病院の売店で発売しています。詳しくはこそ丸紹介ページ。
(2015年1月26日発刊)NO.378
人となる「知恵の学び」
江戸時代の日本は世界で最も庶民教育が進んだ国だったとされている。それは寺小屋教育に象徴されている。識字率(70〜86%)と欧米の基準をはるかに超えていた。その寺小屋の教科書の一つとして平安時代から明治初期まで愛読された「実語教」をこの度知った。私の友人香川昇さん(元岡山アークホテル社長)が送ってくださったのだ。「山高きが故に貴からず。樹有るを以て貴しとす。人肥たるか故に貴からず。智有るを以て貴しとす。人学ばざれば智無し。智無きを愚人とす。千両の金を積むといえども、一日の学にはしかず。我他人を敬えば、他人また我を敬う。」など、人が生きていく上での大切なことがらを平易に学びの本質として書いてある。寺小屋では読み書きソロバンが学びの基本で、その中でも、人間の生き方の指針がこの「実語教」に示されていた。江戸から明治にかけて外国人が日本に来て、日本人の礼儀正しさや識字率の高さに感銘を受けたのはこうした寺小屋教育の普及のお蔭であったのでしょう。
 中でも、私が最も感銘を受けた言葉は、「己が身を達せんと欲する者は、先ず他人を達せしめよ。」である。これは「自分自身が、立派な人になろうと思ったら、まず周りの人々が立派な人になるようにしてあげなさい。」ということである。忘己利他の素晴らしい考えであるように思う。日常の行動の中で生かして生きたいものである。
参考文献
@ 日本人の心はこれで育った〜千年間こどもが学んだ教科書「実語教」
著作 白石武之 発行 関西師友協会・活学塾
A 寺子屋(てらこや)とは、江戸時代、町人の子弟に読み書き、計算や平易な道徳等を 教育した民間教育施設である。手習所や手習塾ともいう。「寺子屋」の名称は主に上方( 京都・大坂・伊勢など)で用いられ、江戸では「手習指南所」「手跡指南」などと呼ばれていた(ウイキペディアより)。
(2015年1月19日発刊)NO.377
「見えないから 見えたもの」
先日12月17日(土)、岡山市立石井小学校で、4年生〜6年生の学生さんと保護者を対象に「竹内昌彦先生」の講演が開催された。竹内先生は、小学校2年生の時に失明した。小学校でいじめられ、思春期には将来を絶望することもあったが、その都度すばらしい恩師と優しく賢い両親に支えられて、なんとか人並みの大人になることができたとおっしゃった。その後も大学受験・就職・結婚と決して平但な道ではなかったが、「そんなことよりも私をさらに深い悲しみのどん底に突き落としたのは、長男が重い脳性小児麻痺とういう病気をもって生まれてきたことであり、その子が7歳で亡くなったことだった」とお話し下さった。竹内先生は、岡山県立盲学校の先生を務め、定年後はモンゴルで盲学校の建設に心血を注いでいらっしゃる。モンゴルには、盲人に対する職業がなかったが、竹内先生や、それを支えて下さった人のお蔭で、盲人がマッサージの技能を仕事に生かすことができ、物乞いで生きていた盲人の生計の道をひらいた。モンゴルでの活躍が心を打つ。
先生は講演の中で、子どもたちへ「勉強はなぜするのですか」と問いかけた。「皆さんは学校に何をしに来ているのですか」とも。すると子どもたちはちゃんと答える。「勉強」と。続いて「勉強は誰のためにするのですか」と聞く。「自分のためです」との返答が返ってくる。常日頃から、このように親から言いきかされているのだろう。昔の人たちは、私たち子どもにそうは言わなかった。「しっかり勉強して、立派な人になりなさい」と教わったものである。この場合「立派な人」とは、「自分のことを犠牲にしてでも、周囲の人たちに、喜びや幸せを与えることができる人」を指すとお話になった。決して金持ちや、話題になるスターではないのであると添えて。
この講演に参加して、私たち大人の考えが子どもの考えに知らず知らずに影響与えているように感じた。大人になった私たちが「周囲の人たちに、喜びや幸せ」を与える為なにが必要か。関わる全ての相手と心で対話する姿勢を忘れずに「幸せ」を与えていけるよう努力していきたい。 参考:「見えないから見えたもの」竹内昌彦著 広和印刷 (書店販売はおこなっておりません) 竹内昌彦先生の半生を描いた映画が現在制作中である。
(2015年1月13日発刊)NO.376
「自然の中の休養」
岡山県真庭市蒜山(ひるぜん)にある「森のオーベルジュやさいの雫」に1月11日・12日(成人の日)の2日間、宿泊して、妻と子供はスキー、私は部屋で休養させて頂いた。屋根から落ちるドードーという雪の音、窓の外は真っ白な雪景色である。静寂の中で、休養できることに「ありがとうございます」と感謝の念で一杯である。宿を提供して下さる人、山の中まで道路をつくってくれた人・道をメンテナンスしてくださる人・乗用車の生産販売をしてくれた人、生活を支えてくださる病院のスタッフ、留守を支えてくれる妻の両親・兄弟、楽しみを運んでくれる友人知人、そう考えると、関係しているのは無限だ!人間だけでなく、快適な環境を提供してくれている自然にも感謝の念がわいてくる。生命の特徴はそれぞれが違うこと、関係性の中にあること、生命は常に変わると「太田堯」先生の言葉であるが、ひとりひとりの人間もまた、多くの恵みの関係性の中に生かされていると思う。
資本主義は人の考えた英知でもあるが、能力主義・成果主義のいきすぎは、職場においても、社会においても、人間関係を破壊し、住みにくい職場・社会にしてしまうのではないかと心配である。経世済民の意味を深く考えてみたい。人間はひとりひとり違う存在であるが、過去現在未来のどこかでお世話になっているかまたは、これからお世話になると思い全てに「ありがとうございます」といってもいいのではないかと思う。週末をゆっくり過ごし、明日から新たな気持ちで仕事に臨みたい。

参考:「森を貸し切る」morino oyado ログペンション森の散歩 0867-66-3793
やさいの雫 森のオーベルジュ 0867-45-7120

私は、どちらにも宿泊しました、「森のオーベルジュやさいの雫」に夏家族で利用
蒜山登山・魚釣りを堪能。このたびは、雪景色を楽しみました。野菜ソムリエ川戸仁美・
忠夫夫妻のおもてなしに感動! 料理が美味しい!ひるぜん高原の森の中に佇むペンション・オーベルジュ・コテージの宿です。
(2015年1月5日発刊)NO.375
「リーダーの資質」
この正月に新田次郎著「八甲田山死の彷徨」を映画化した「八甲田山」を観た。1902年(明治35年)10月、世界山岳史上最大とも言われる犠牲者が発生した青森県八甲田山における山岳遭難事故を題材として新田次郎が執筆した山岳小説である。青森歩兵第5連隊は、中隊編成で、青森市から八甲田山に入り山中にある田代元湯に1泊、さらに野営1泊後に連隊に帰営する雪中行軍を計画する。しかし準備と経験を欠いた状態のまま難所に差し掛かり、指揮命令系統が機能せず猛吹雪により進路を誤り遭難し全滅した。一方、弘前歩兵第31連隊は地元出身者を主体に編成され、徳島大尉は1年前に雪中行軍演習を行った経験を持っていた。綿密な下準備を行なった上で、大人数では危険な雪山で行動力が低下する恐れがあるため比較的小規模な小隊編成とし、また徴兵されて在営している兵卒は計4名にとどめ、あとは雪山の経験があり志願兵で身長制限を通過した将校・下士のみ(他に東奥日報記者が1名随行)で行軍隊を構成した。弘前市を出発し十和田湖畔を通り一旦三本木町(現十和田市)に出て八甲田山中を通って青森市に抜け、さらに梵珠山を走破し弘前に帰営する総距離240kmを11日で踏破する計画で、落伍者なく成功させた。ただし途中で下士官1名が転倒して足首を痛め、それまでにまとめられた報告書を託され、馬車と鉄道を乗り継いで弘前へ戻されている。この弘前歩兵第31連隊の徳島大尉を高倉健(昨年暮れに逝去)が演じている。雪中行軍の危険性を十分認識し、準備を周到にして、実践する人選も厳選し、指揮命令を明確にして実践したことが、隊員全員に落伍者もなく、無事踏破できた。同時に、道案内をしてくれた地元の人達への感謝の気持ちを伝える高倉健の隊長役は素晴らしかった。史実とは違っているのかもしれないが、リーダーの資質に人に対する思いやりの大切さを映画の中で表現されていると思った。 参考文献
@「八甲田山死の彷徨」 新田次郎著
A「八甲田山」 新田次郎の小説『八甲田山死の彷徨』を原作とする日本映画。橋本プロダクション・東宝映画・シナノ企画の製作で1977年に公開された。(ウイキペディア)
(2014年12月22日発刊)NO.374
「宗教と国家・民族」
宗教は国家権力・民族と結び付くと、互いの宗教を全体的なものとして、その信者を含めて国家や民族の紛争となる。宗教は人が幸せになる心の救済が目的であるが、国家権力と結びつくと、恐ろしい事が起こる。歴史上に宗教と国家が結びついた戦争は数限りない。十字軍とイスラムの戦い。現在、中近東で行われている、イスラム国と周辺諸国や欧米との戦い、ユダヤ教国家であるイスラエルとアラブ諸国との紛争がある。日本に於いても、戦国時代から江戸幕府までの、キリスト教を信仰するキリシタン大名の統治や、幕府によるキリシタン禁制・それに関連した島原の乱などの歴史、近くでは神道を国家神道に統一し戦争遂行の道具とした戦前の宗教観など、宗教と民族や国家の権力と結びつくと紛争が起き、多くの人を不幸にした歴史がある。
幸い、現在日本は色々な歴史的背景があるものの、多くの日本人は、正月は神社に初詣し、新年を祝って幸福や幸運を祈る。また、結婚式には神社やキリスト教会を利用する。葬式にはお寺にお願いして戒名を頂く。また、宗派を問わず心の平安を求める四国88ケ寺の巡礼は有名である。キリストの誕生を祝うクリスマスも年々盛んである。
一般的に日本人は宗教心はあっても、一派に偏った信仰は少なく、多くの宗教を受け容れ、信仰による深刻な対立は少ないのではないかと思う。民族の知恵と言っても良いかもしれない。お互いに違いを認めて、心のありようを、排他的に拒否しないことも平和に暮らす知恵だと思う。狂信的な信仰は互いに敵視しあって紛争を深刻にするのではないかと思う。何事も、ほどほどがいい。最近、世界の多くの宗教者が集まって宗教対話が行われていることは嬉しいニュースである。
今年も、私は元旦には御来光を拝み、神社(神道山)に初詣に出かけようと思っている。
(2014年12月15日発刊)NO.373
「幸せ」
病院の4つの経営理念の中で最も大切にしていることは、「職員ひとりひとりが幸せで、やりがいのある病院」である。しかし、「幸せ」は、経営者として与えることはできない。できることは、適正な給与、ワーク・ライフ・バランスの制度、就業規則、男女参画の仕組み、図書館整備や職員研修といった共育環境の整備など働く環境を少しでも良くしていくことである。 昭和40年代に流行した水前寺清子の歌「しあわせは 歩いてこないだから歩いて ゆくんだね一日一歩 三日で三歩 三歩進んで二歩さがる 人生は ワン・ツー・パンチ汗かき べそかき 歩こうよあなたのつけた 足あとにゃ きれいな花が 咲くでしょう腕を振って 足をあげてワン・ツー ワン・ツー休まないで 歩け ...」、幸せは、向こうから歩いては来ない。
「心の様相」だと思う、坂村真民の詩「つゆのごとく」を紹介したい。

いろいろのことがありぬ いろいろのめにあいぬ これからもまた いろいろのことあらん いろいろのめにあわん されどきょうよりは かなしみも きよめまろめて ころころと ころがしゆかん さらさらとおとしてゆかん いものはの つゆのごとく

この詩の様な「心」になれたらいいなあと思う。誰でもがそんなにやすやすとはいけないかもしれないけれど、夢であり希望としたい。
参考文献:@「自分の道をまっすぐにゆこう」坂村真民詩集 監修 西澤孝一
発行 PHP研究所 
A「念ずれば花ひらく」坂村真民著  サンマーク出版
B「坂村真民一日一言」坂村真民著  致知出版社
(2014年12月8日発刊)NO.372
「バリアフリーからバリアアリーへの意識転換」
先週12月4日(木)山口県にある、「夢のみずうみ村 山口デイサービス村」を訪問した。延べ床面積2981.22uの広大な施設であるが、決して豪華ではなく、庶民の生活環境に合わせた施設で、脳卒中や加齢によって介護を必要としている人達が、普段の生活を通してリハビリにつながるような工夫が随所にしてある。全身の力を振り絞って、パンや粘土をこねる。腕や手や指先に力を込め、頭を使って、木工、園芸、ちぎり絵、ガラス細工、機織り、紙すき、料理、おやつまでも作る。食事は、自ら食器に盛り付け、食事後は茶碗などを自分の保管場所に戻す。手すりなどは必要最小限にしか設置されていない。スタッフは積極的な介護はせず、一日のメニューは自分で計画する。
デイケアを利用されている、87歳の女性に話を伺った。彼女は、交通事故のために、大腿骨頸部骨折のあと、手押し車になった。ここに通所するようになって、一日が経つのが早く、ここに来るのが楽しいとのことであった。
夢のみずうみ村は、家事や、入浴、排泄、食事といった日常生活作業能力を回復する為に、「リハビリ漬け」という方法ではなく、必要な方法を学ぶ場所として存在してあった。私はここでの要介護者に対する考えやスタッフの対応に目から鱗であった。バリアフリーからバリアアリーへの意識転換だと感じられた。人の潜在能力を引き出すこと、この事は、障害を持っている人に限らず、学ぶこと、人材育成、全てに共通するのだなと思った。人は何かに、自ら生きがいを見つけることが大切であるということを改めて学ばせて頂いた。参考文献:「夢のみずうみ村の生活行為力回復リハビリ」 夢のみずうみ村代表 藤原 茂著  発行:(株)夢のみずうみ社  (個人出版)
(2014年12月1日発刊)NO.371
「世界平和への設計図〜開かれた相互扶助」

先週、日曜日(平成26年11月30日)に岡山プラザホテルで開催されたAMDA設立30周年を祝う会に出席した。多くの、来賓が招かれていたが、驚いたのは、多くの海外からの参加者であった。AMDAグループ代表の菅波茂先生は、高校2年の時に一枚の写真と出会い50年になるという。太平洋戦争で日本からはるか遠い南方戦線の浅瀬で死んでいる同じ年頃の日本兵の写真に出会い、「何故に彼はこのような死に方をせざるを得なかったのか」と感じたという。そしてこの写真が常に菅波代表の潜在意識にあったという。そしてそのことが、彼の行動の原動力となっているという。現在のAMDAの設立とそれに引き続いての、世界のどこで地震・津波・人災などが起こっても、世界中に張り巡らせたネットワークを活かして、被災地に入って多くの人を助けてこられたことは周知のことである。私も、一度だけ、阪神大震災のときにAMDAの一員として参加したことがあり、AMDAの活動の一端を経験することができた。参加者の皆さまをみると、岡山県の経済界・政界・教育界・官界・医学界・宗教界とあらゆる領域から参加されていた。彼の行動は、現在、GPSP(Global Partnership for Sustainable Peace)=世界平和パートナーシップ)構想へと潜在意識の具現化として続いている。菅波氏は「GPSP構想の底流ははっきりしています。世界平和とは多様性の共存との認識である」と著書に記載している。誰しもが考える平和とは「今日の家族の生活と明日の家族の希望が実現できる状況であり、これを阻害するのが、紛争、災害、貧困である。この3つの阻害要因を解決する苦労を共にすることにより、尊敬と信頼の人間関係が築ける。そして、この人間関係こそが多様性の共存を可能にするという結論であるいう。「困った時はお互いさま」の相互扶助が彼の考えの基本である。だからこそ、30カ国をこえる仲間が、岡山の地に集まったのだと感銘をうけた。資本主義体制の中で、市場原理主義で大きく世界が動いている中で、GPSP構想が世界平和に大きな役割を果たすものだと期待している。

参考:菅波茂著「夢童」〜世界平和への設計図〜 AMDA設立 30周年記念誌
AMDA(認定特定非営利活動法人アムダの概要(AMDAホームページより引用)相互扶助の精神に基づき、災害や紛争発生時、医療・保健衛生分野を中心に緊急人道支援活動を展開。世界30ヵ国にある支部のネットワークを活かし、多国籍医師団を結成して実施しています。1984年に設立、本部は岡山市。2001年8月30日、岡山県より「特定非営利活動法人」格を取得しました。1995年に、国連経済社会理事会(UNECOSOC)より「特殊協議資格」を、2006年に「総合協議資格」を取得、2013年に認定NPO法人の認証を得ました。AMDAの国際人道支援活動は相互扶助の精神、つまり「困ったときはお互いさま」の心に基づいており、「人道援助の三原則」(ボランティア三原則にも置換えられる)を活動成功の鍵としています。
1.誰でも他人の役に立ちたい気持ちがある
2.この気持ちの前には、国境、民族、宗教、文化等の壁はない
3.援助を受ける側にもプライドがある
AMDAとは、The Association of Medical Doctors of Asia(設立時の名称:アジア医師連絡協議会)の頭文字をとったものです。
(2014年11月25日発刊)NO.370
「癒しの環境は職員と患者さま、共に必要」

11月22日〜23日の2日間、当院を会場に「第13回癒しの環境研究会全国大会」を開催し、全国から約140名の方にご参加いただきました。80名近い職員がスタッフを務め、当日参加できなかった職員も、事前準備や病院の通常業務を円滑に実行することで運営に協力してくれました。また、川崎医療福祉大学デザイン科の学生さん、おかやまあかいはな道化教室の方々にもボランティアとして参加いただき、心から感謝いたしております。ありがとうございました。
1日目は、一般演題の後、病院見学を開催しました。夜は仮装パーティー形式で当院の調理師が腕を振るい、パーティー料理でもてなし大いに満喫して頂けたと思います。2日目は、分科会形式で「笑いと癒し」「アートと癒し」「環境と癒し」「5Sと癒し」「食と癒し」の5分科会に分かれて参加者の方々にも積極的に参加して頂きました。「参加者全員が何か発言して帰る」という目標が実行されて帰っていただけたことでないか思います。最終日に癒しの環境研究会理事長 高柳和江先生による「“元気になる”癒しの環境」と題してご講演をいただき、大いに盛り上がって盛会裏で終了いたしました。全国のお客さまへは、当院の「おもてなし」企業(病院)としての気品と心からのおもてなし(表も裏もない、誠心誠意)をもってお迎えできたと思います。また、全国から参加頂いた会員の皆さまも、当院のスタッフも大会を共に楽しんでいただけたことではないかと思います。癒しの環境研究会の理事長 高柳和江先生からは絶賛のお言葉をいただきました。また、全国から集まって頂いた参加者の皆さまからも、「よかった!スタッフの働きが素晴らしい!庭園や絵画・生け花などに癒された!料理が美味しく素晴らしい!エレベーターの花飾にはビックリした」などの多くの賞讃の言葉をいただきました。また、当院のシンボルアートであるライアン・ガンダーの作品は多くの参加者から評価されたことと思います。
この学会をきっかけに、改めて職員皆と一致団結して、これからも多くの人に愛される病院を創っていきたいと思いました。そして大会を通じて、「癒しの環境は職員にこそ必要で、それが患者さまへの医療サービスとおもてなしの質を向上させていく」重要なポイントであると確信を持ったので、今後もその点について話していきたいと感じました。

参考文献
「第13回癒しの環境研究会全国大会in 岡山〜医療・アートの融合〜抄録集」

(2014年11月17日発刊)NO.369
「薔薇づくりと病院経営」

ばら作りで有名な亀山流・達人の五カ条がある。 
その1、心の底からバラを愛する。
その2、熱中し過ぎるのもよくない。
その3、咲かすのでなく、咲くのを手伝う。
その4、花の息づかいを大切にして、自然と心を通わせる。
その5、初心を忘れることなく、バラ作りの基本にたちかえる。
「バラ作りは苦しみでもあり、楽しみでもある」
私の友人であった、福村昭信先生(元下関厚生病院院長・脳神経外科)は今年8月20日に逝去された。彼はバラをこよなく愛して薔薇を育てておられた。奥様が歌集と「医と薔薇」の小冊子を送って下さった。その中で、彼はこの五カ条を病院づくりも同じだと書き残している。
その1、心の底から病院と患者と職員を愛する。
その2、病院づくり(経営)に熱中し過ぎるのもよくない。
その3、口を出さずに職員の努力を手伝う。
その4、一人一人の職員を大切にして、職員と心を通わせる。
その5、医の倫理を忘れることなく、患者サービスの基本にたちかえる。
「医を行うことは苦しみでもあり、楽しみでもある」
「薔薇は育てる者の足音を聞いて育ち花が咲く」とっても味わいのある五カ条である。
最近疎遠になっていて突然の逝去を知ったのだが、彼ともっと薔薇作りについても病院作りについてもゆっくり話し合ってみたかった。
「鳥笑い山も笑い花笑う五月の森に君と佇む」福村 昭信

参考文献
@ 福村昭信,2014「塔に流れる星」―福村昭信歌集―,ジャプラン. 
A 福村昭信「医と薔薇」
(2014年11月10日発刊)NO.368
「お地さまのひとりごと 藤原仙人掌(ふじわらさぼてん)さんの展覧会」

2014年11月5日〜2015年1月30日まで、岡山旭東病院内「健康の駅」のギャラリーとパッチホールの廊下で藤原仙人掌(ふじわらさぼてん)さん作品を展示をします。書に書かれた、一言一言が心に沁みます。心が安らぎます、生きる勇気を与えてくれます。どうぞ、鑑賞してください。そこから何か感ずるものがあると思います。1999年から始められた個展活動は、現在合計140カ所に及ぶと聞きました。昨年は、ドイツで個展をして、味噌つくりのワークショップもされたそうです。現在は、鳥取県大山町で御家族4人で自給自足生活をして創作活動をしておられます。物の溢れたマネー社会・生命の絆が薄れつつある無縁社会、IT社会にどっぷりつかった私たちが、彼の書の言葉から、我を振りかえり、気づかされることも多いです。藤原仙人掌さんは、大山町で、自給自足の生活をする中で、人間の幸せってなにか考え、自分の言葉で私たちに問いかけて下さります。
注:藤原さんは膠原病ですが、幸源病と言っています。病気になったら「こそ」今が有ると。

展示の詳細「お地蔵さまのひとりごと展」

仙人掌さんの言葉

*流れつくところはおんなじなんだからながれたいほうへ流れていけ
*損を選べば徳になるんだ
*夢があるならなにがなんでもその夢をつらぬけ 大切な人がいるなら
命を懸けて愛を貫け 幸せを感じているなら霊止(ひと)として
徳を貫け
*あたえれば あたえるほど ふえてゆく
*掌をあわせて じっと ありがとう

▲藤原仙人掌さんの書
(2014年11月04日発刊)NO.367
「現代美術イベントの開幕」

岡山市中心部を現代美術作品で彩るイベント「Imagineering」が2日から始まり、12月25日まで開催される。 岡山城には、鏡でできた卓球台があり、誰でも遊べるアートと一緒に楽しめる展示(タイの芸術家 リクリット・ティラヴァーニヤ)がある。また、当院のシンボルアート(Incredibly shiny stuff that doesn’t mean anything)を作成して下さったイギリスの作家ライアン・ガンダー氏の作品も展示されていた。 旧後楽館高校の天神校舎に展示されている作品は兵馬俑を思わせる彫像70体であり、現代の人と人の絆が薄くなり、個性を亡くした無機的社会を表現している様にも感じられた(作者サイモン・フジハラ)。路面電車・柳川ロータリー・お城などの広範囲にわたって展示会場が点在している。 国内海外からの作家の作品が展示されていて楽しい。感性を刺激する作品群である。これらは、アパレルメーカー クロスカンパニーの石川康晴氏の所蔵作品からの提供だと聞いている。山陽新聞の11月3日(文化の日)の記事によると、旧城下町エリアを中心に中心街地の回遊性向上を図る同市の社会実験の一つと紹介記事があった。大森雅夫市長は「歩いて作品を楽しんでもらい、人で溢れる街にしたい」石川社長は「アートの力でまちを活性化させる」と情熱を傾けている。 倉敷の大原美術館や直島の地中美術館、瀬戸内国際芸術祭(瀬戸内海の島々での現代美術展2012年・2013年に開催された)など瀬戸内海を舞台にしたアート展示は、多くの人を引き付ける魅力がある。作品を見て、ひとりひとりが違った見方ができるのが、現代アートの魅力かと思う。 多くの、子どもや大人達が楽しんでほしいなと思う。

参考:開催期間: 11月3日〜12月25日まで
岡山未来づくりプロジェクト okayama.mirai.jp
(2014年10月27日発刊)NO.366
「『おもてなし』とは何か」

 2013年に開かれた2020年東京五輪招致活動の最終プレゼンテーションで、フリーアナウンサーの滝川クリステルが「おもてなし」という言葉を使いスピーチし、日本人のホスピタリティ精神を表す日本語としてこの言葉を紹介した。スピーチはフランス語でおこなわれた。ここからこの「おもてなし」という言葉は一躍、日本文化を代表する言葉となった。そのことと関係があるかどうかは定かでないが、経済産業省が主催して、2012年度から、「おもてなし企業選考」が開催されるようになった。岡山旭東病院も2013年第二回「おもてなし企業」の選考に応募させて頂いた。幸い、全国から28企業が選ばれ、全国で当院を含めて2病院が選出された。受賞は当院が長年、経営理念に向けての経営をしてきたこと、職員の職場環境を改善し、患者さまへの療養環境など努力してきたことの結果と喜んでいる。特に、医療とアートの融合を目指して、音楽・絵画・料理・庭園・居住環境・生け花など進めると同時に、学習型病院(めだかの学校)として共育に力を入れてきた。「おもてなし」とは誠心誠意、人と対応することではないかと思う。そのように一人ひとりが行動するためには、マニュアルでの対応は難しい。そのためにも職員一人ひとりが、日々学び、気づき、成長することしかないと思う。学ぶ環境を整えるのは、経営者の大きな務めである。また、当院が「おもてなし企業」に選考されたことは、「しっかりやってください」との社会の声であろうとも思う。職員同士が共に育ち合っていきたい。

(2014年10月20日発刊)NO.365
「かすかな光へ」

 「ふと我に返ると現実は、無機物に囲い込まれた荒涼たる世界を、愛に飢えた人影がバラバラに生きている、そうゆう風景が幻のように見えるのです。その現実の中に見えるのです。その現実の中に垣間見えるかすかな光への道を手さぐりで求めていくことを考えました。それは夢のようなもの、あこがれかもしれない。しかし、その光のほうへ一歩一歩を進めることが困難を喜びに変える、と思うのです。」(大田堯著「かすかな光へと歩む生きることと学ぶこと」の「あとがき」より)。この本を基にできた映画「かすかな光へ」の上映会を現在企画中で、映画の終了後に時間を取って話し合いの場を設けたいと思っている。
大田堯先生は研究の結果「生命の特徴」を「ちがう」「かかわる」「かわる」と3つの特徴に集約されている。この、3つを私たちが、互いに尊重して活かしあっていけば、幸せな人間社会を創り上げていけるのではないかと思う。多くの人がこの「かすかな光へ」にむかって生きていく「あこがれ」を一人ひとりが目指していきたいものである。この映画を多くの人に観てもらいたい。

映画「かすかな光へ」:監督 森康行 詩「かすかな光へ」作・朗読 谷川俊太郎
大田堯先生は東京大学教育大学教授・都留文科大学学長を歴任され、日本教育学会の会長を務められた、日本を代表する教育学者である。「教育とは命と命のひびきあい 創造活動・アートなんです」(大田堯94歳)。

(2014年10月14日発刊)NO.364
「しあわせ創造企業」

 経済産業省主催の「平成26年度おもてなし経営交流会」(10月12日・13日)に参加した。この交流会には平成24年度と25年度のおもてなし企業選に選ばれた企業の経営者と社員の2名が限定(当院からも2名)で参加できる。参加企業 31社、参加人数44名であった。会場は湘南国際村IPC生産性国際交流センターであった。
事例報告の中で、外食産業の(株)坂東太郎の青谷洋治社長から「しあわせ創造企業」と題された報告を聞いた。社員を大切に、幸せを創造することが社長の務めである。(株)坂東太郎の経営理念は「親孝行・人間大好き」であるというが、この「親」とは、「目上の人、上司、先輩、親、全てのお世話になった人」を総称して親と表しているという。また、「孝」とは、「相手に理解して頂くまで誠心誠意人に尽くすこと」とし、「行」とは「自ら行動で実行し続けること」としている。そして目的は一人ひとりの幸せの追求であり、目標は良い会社を創ることであるという。私達の岡山旭東病院も、「職員ひとりひとりが幸せでやりがいのある病院」は経営理念一つであり、そこから「しあわせ創造病院」に向かって職員と共に育ちあっていきたいと思う。
おもてなし企業は、どの会社も、社員を大切に、社員の成長を願って経営している。この企業選は選考の対象が中小企業である。日本の経済を支えているのは多くの中小企業である。あらゆる業種の企業体の中で「おもてなし企業」を選考された主催者の取り組みはとても素晴らしいことであると感じている。大企業にないキメの細やかさが、製造業・サービス業に関わらず共通している。また、人を大切に育てる、社員に育成に力を注いでいるのも特色である。その底流には、日本ならではの「おもてなし」の心があると感じた。病院や福祉施設でも大切な視点である。

「平成26年度おもてなし経営交流会」:主催者 経済産業省。高木美香氏。選考委員会委員長:力石寛夫氏、基調講演に高野登氏、選考委員として瀬戸川礼子氏(当院へ来院されたことがある)が務めていらっしゃた。 

(2014年10月06日発刊)NO.363
「太陽を拝む」

地球上に生命が誕生して36億年、太陽のエネルギーがあったからこそ、人間を含む多くの生命が誕生して生かされてきた。古来、人間は太陽を拝み、畏敬してきたと思う。私たちが利用している石炭や石油も、何億年にもわたって蓄積された太陽のエネルギーである。只今も、太陽の恵みの中に生きている。勿論、空気や水なども私たちの命を守ってくれている。しかし私たちは、そのような太陽との関係性など、ほとんど考えることもなく毎日を生きている。200年前(1814年)に黒住宗忠(黒住教の教祖)が太陽を拝んでいたとき「天命直授」と称されるような宗教的回心を経験したという。彼はその後、2・3日笑い続けたという。黒住教の神道山で毎日お日様を参拝する儀式がとりおこなわれている。私も、毎月第1日曜日には「日拝」に参加している。日拝の後には「朗らかですがすがしい心」になってやる気も湧いてくる。宗教に関係なくどなたでも参加できる素晴らしい行事であると思っている。

参考文献
「心豊かにいきるため」 山陽新聞 2014年10月5日(黒住教 立教200年)
(2014年9月29日発刊)NO.362
「愛のリレー」

 医療や福祉の職場で、他職種連携の必要性が指摘されている。医師・看護師・薬剤師・臨床検査技師・放射線技師・OT 、PT、 ST (リハ担当)・介護福祉士など30種近いスタッフが医療や福祉の世界で働いている。施設間や職種間での連携が言われて久しい。
ただ単に連携して、業務を円滑におこなっていくことも大切であるが、そこにいる連携の対象となる「人」に寄り添った「愛のリレー」が大切であると思う。この言葉は、倉敷紀念病院 院長 小出尚志先生(前岡山病院協会会長)が、ある祝賀会の挨拶でお使いになった言葉であるが、とても感銘を受けて使わせて頂いている。
(2014年9月22日発刊)NO.361
「病院と医療のありかた」

 一般的に、私達が病院と関わるとなると、病気を治癒する為に、通院し、入院が必要になると、入院しながら治療を受け、そしてその病院で終生お世話になるという流れであるだろう。これは私達日本人に染み付いた感覚ではないかと思う。勿論、信頼のおける開業医の医師をかかりつけ医師として付き合っておられる方も多いことは衆知のことである。国民皆保険の制度の中で、「いつでも」「どこでも」「だれでも」治療を受けることが、当たり前になっている。私たちが医療機関を自由に選択できる、素晴らしい制度であるが、そこには、弊害も出てきている。国の財政事情が効率良い医療をしないと、財政が持たない状況になるということだ。特に、超高齢化社会になって、疾病の構造が全く変わってしまってきた。一病息災の時代から万病息災の時代が到来している。
その中で、疾病の急性期・回復期・維持期・在宅での対応と、体力知力の衰えに介護が必要になってきた。医療も、病院完結型から、地域完結型の医療へ大きく舵をとってきている。私達も、自分の健康を自分で守ることが大切である。若い時から健康に留意して、働ける間は、働く。それが健康の源である。寝たきりを短く、健康長寿!をめざしたいものである。
(2014年9月16日発刊)NO.360
「診療情報は、いのちの記録」

病院の職種の中で、診療情報管理士という職種がある。患者さまの来院時に、外来カルテを作成する。カルテには患者さまの情報が記載されている。その情報とは、医師が記載した、外来治療か入院治療かの判断や、患者さまへの病状説明、患者さまの納得の上での治療法などである。その病状や治療内容を記載したものを、カルテ(ドイツ語 Karteから来ている)という。カルテには、今まで患者さまがかかった病気の歴史や、現在の病状を記載した現病歴が明記される。医師の診察を経て、必要な検査等の情報を得て、医師が判断して病名が決まり、治療がはじまる。医師はカルテへ病状や治療結果などの必要な情報を記載することが義務づけられている。また、同時に、看護記録やリハビリテーションの実施記録なども含まれる。病院はこのカルテを保存して(法的には保存期間は5年と定められている)本人が希望すれば、その記録を本人の同意の上で公開することもある。カルテは誰のものかとの論争になったことがあるが、今ではカルテは患者さまのもという考えが主流である。以前は診療録管理士という名称だったが1996年4月から現在の名称に変更された。診療情報管理士はカルテの記録を管理することから、情報を加工して、学術や病院経営に役立てるといった重要な役割を担っている。また、病院の役割も従来の病院完結型(病院で急性期から完治まで病院で入院治療する)から、地域完結型(病状によって、急性期病院から、回復期リハビリテーション、回復期病院、慢性期病院・特別養護老人ホーム、サービス付き高齢者住宅、在宅などへの役割分担をする)が大きな流れとなってきている。高齢者が増加するに伴って、患者さまは多くの病気に脅かされており、完治することが難しく、その病態に応じた病院治療や施設介護などが必要になってきている。従って、患者さまの情報を病院のカルテとして保存するだけでなく、病院から介護施設や在宅での医療や介護に役立つ情報を提供する役目も担っていくのではないかと思う。診療情報管理士には個々の患者さまのカルテに記載された内容は、「いのちの記録」であるという意識を持って、愛情込めて、正確な情報を提供していただきたい。
 岡山旭東病院にも、診療情報管理室には3名の専属職員がいるが、病院全体には11名の診療情報管理士が働いている。2015年9月17日・18日の2日間、岡山ママカリフォーラムにて、第41回日本診療情報管理学会を開催する。テーマは「診療情報は、いのちの記録」である。会長としてお世話させて頂くので、多くの診療情報管理士を岡山に集めて、実りある学会にしたいと願っている。
(2014年9月8日発刊)NO.359
「収容病棟」映画から学ぶ

先日、王兵(ワン・ビン)監督の最新作「収容病棟」を鑑賞した。舞台は中国南西部、雲南省の精神病院であり、その病院の日常を映像に収めている。ここには200人以上の患者が“異常なふるまい”を理由に収容されている。2010年に中国当局は中国全土で精神病患者が1億人に達すると発表した。映像には格子戸の中での、患者の日常入院生活が映し出されており、愛に飢えた人達のドキュメンタリー映画として精神病院の厳しい環境を捉えている。日本でも昭和30年〜40年代には精神病院に格子があり、収容型病院と言えうる時代があった。現在では、精神病院もグループホームや在宅を推奨して、長期入院を少なくする方向になっている。しかし中国では、人間尊重に基づいた精神病院への整備に取りかかったばかりといったところではないかと思う。異質なものを排除し収容する考えは、日本ではハンセン病の歴史が似ている。プロミン等の治療薬があったにもかかわらず長期収容生活を強いることになった。中国の問題だけではなく、日本を含めて、人類の問題として考えていきたい。

参考:映画「収容病床」 ワン・ビン監督最新作 
(2014年9月1日発刊)NO.358
「職場環境を良くするとは」

病院の経営に携わって26年が経過した。長い様であり、短い様でもあった。昭和63年に岡山県中小企業家同友会に入会して、理念に基づく経営を学び、全員参加で経営指針書を作成し、道半ばであるが、有る程度の成果を築けたと思う。職員の英知を結集して計画を立案して、PDCAに沿って経営を行ってきた。職員の研修も、研修委員会が中心になって立案、実行してくれている。有りがたいことである。人が育ち合っていく組織は、どのような状況になっても耐えることができる組織になっていくと思う。職場環境を良くすることが、職員のやる気を引き出し、患者さまへの医療サービスの向上につながっていく。病院は、職員満足、患者満足、関わっている取引業者さまの幸せ、地域住民の方々の幸せが存在して初めてバランスのとれた経営ができるのではないかと思っている。超高齢社会の中で岡山旭東病院が、在宅を中心にした地域包括ケアシステムの中で何を担っていくのかという所を考えるに当たって、働くスタッフの職場環境を整えていくという事も一つのキーポイントであるということを忘れずに行動していきたいものである。
(2014年8月25日発刊)NO.357
「久しぶりの登山」

 蒜山高原にある森の散歩「森のオーベルジュ」は、素敵な川戸ご夫妻が経営なさっているログハウスだ。8月16日・17日で二泊させて頂いた。家族と一緒に宿泊して、夜は、スイカ割り・バーベキュー・花火を楽しみ、ゆっくりと時間を過ごした。お料理は手料理だ!17日は、曇りだったが、午前中は雨なしとの天気予報を信じて、9:00に旭川の源流でもある塩釜の登山道を出発。緑の森林浴をしながら、ゆっくりと頂上を目指す。大人が3名、子どもが3名(小学校1年・2年・4年)で、急坂を、小学校2年生の子どもの自由研究として、血圧と脈拍を計りながら登った。12:07に頂上に立つ。約3時間の行程であった。標高は1,122メーター(いい夫婦の日・中々のユーモアである)で早速記念写真を撮る。頂上は、霧で何も見えなかったが、一瞬風がふいて、ラッキーにも視界が開けて、眼下に田畑や森や家並みが見られた。帰りは、山道が雨でぬれて滑りやすく、幾度か転びながら下界を目指すこととなった。学生時代の登山から久しぶりの登山であり、山頂に立つ達成感は最高であった。来年もまたどこかに行ってみたいものである。仕事でも遊びでも、何か目標を持ってチャレンジすることは人生を豊かにしてくれる。山頂にはゴミがなく、日本人のマナーも良くなったと実感した。素敵な夏休みを過ごすことができた。

参考:森のオーベルジュ: 森のめぐみをふんだんに使った「宿泊施設付きレストラン」
〒717‐0611 岡山県真庭市蒜山茅部596‐49  пF0867‐45‐7120

(2014年8月18日発刊)NO.356
「平和」

 平和な世の中を、全ての人が願っているのに、世界中で争いは絶えない。人間は、手に道具を持って以来、工夫して獲物を確保することから始まって多くの道具を開発し、生活を快適にしてきた。と同時に、人を効率的に殺す武器も開発し続けてきた。人間の歴史は戦争の歴史でもある。武器も、石や棒に始まって・鏃・馬・像・戦車・大砲・戦艦・戦闘機・ミサイル・原爆・など、人間の英知を結集して人殺しの兵器を開発し、破壊力と精度を増して、互いに安全保障という錦の御旗を掲げて、留まることを知らない。人類の破滅は、自ら招いて行くのではないかと恐ろしい空想に駆られる。先日「いわさきちひろ」絵画展が岡山シティーミュージアムで開催された。[子どもというものは、あらゆる可能性をもっている人間の宝です。]と、いわさきちひろは述べ、多くの可愛い子どもの絵を残している。この可能性を秘めた、子どもの生命を壊すものは、今も地球上で絶えることなく繰り返される大人が始める戦争である。いわさきちひろは、子どもを描くなかで、平和への願いを訴えかけたのだと思う。

参考文献:「ちひろ いのちの画集」 講談社

(2014年8月11日発刊)NO.355
「病院から地域へ」

日本は、世界が経験したことのない、超高齢者社会に突入した。2025年には、
戦後1947〜1949年に生まれた、ベビーブーマーの世代700万人が75歳を迎え、65歳以上が3700万人となる。特に大都会の高齢者の増加が問題となってくる。従って、医療と介護の有るべき姿は「病院から地域へ」の転換である。高齢者が増加すると、疾病構造も大きく変化して、メタボリック症候群に代表する生活習慣病が中心として、多くの疾病をもって発病する。高齢者が多くなるにつれて、認知症をもった患者さまも増える。従って、病院のあり方も、超急性期・急性期・回復期・亜急性期・慢性期・維持期など機能分化が進んでいく。精神科医療のあり方も、病院中心から外来中心に変わっていく。また、最後を迎えたとき、誰が看取りをするのかということも問題になってくる。医療福祉を利用する利用者、医療や介護を提供する病院や診療所・介護施設のあり方も、大きく変わっていく。旧来の病院完結型から、他の医療機関や福祉施設とともに地域完結型へ大きく社会は動いていく。病院は、それぞれに特色をもって、他の病院や診療所と連携を計って地域貢献を目指していきたいものである。「病院から地域へ」である。

参考文献:武藤正樹著「2025年へのロードマップ」医学通信社
(2014年8月4日発刊)NO.354
「隣との付き合い方」

「隣の芝は青い」という諺が有るように、隣とは何かと気になるものである。国と国の関係も同じである。国の関係も、遠方の国より近くの国の出来事が気になり、非難の対象になりやすい。それだけ、影響を受けやすいとも言える。日本は、領土問題でも、韓国とは竹島、中国とは尖閣諸島との領有権で張り合っている。このまま、エスカレートしていかないかと心配である。日本人を含むアジアの人々は、先祖を尋ねれば、同じルーツで有る。別れる時には、別れを惜しんで、別れを告げ旅立ったに違いない。今も、奇跡とも言える生命の惑星である地球上で、人の殺し合いが絶えない。ウクライナの東部で、中近東で、アフリカで争いが絶えない。人類の歴史は、戦争の歴史でも有る。戦争は人間に感染する戦争病であり、この予防なくして永久に平和はやってこないと思う。紛争の当時者は、どちらも正義である。この戦争病を予防する為には、一人でも多くの人が互いに交流して、人間として、同じ生き物であると理解しあうことではないかと思う。留学によって互いに学ぶもよし、観光よし、企業による人の行き来もよし、ルールを作って交流を盛んにして行くことが大切である。人と人との互いの交流が免疫力を高め、即効性はないが徐々に戦争病の予防的効果が期待できる唯一クスリであると私は思う。
(2014年7月28日発刊)NO.353
「暑い日には暑の日のかけがえのない人生がある」

梅雨が明け、本格的な夏となった。連日摂氏38度を超える猛暑日が続いている。そして蝉の大合唱が、暑い夏に相応しく聞こえてくる。また、夜ともなると熱帯夜となる。
昭和30年代は、庭に打ち水をしたり、一畳台を出して涼んだり、団扇や扇風機で涼を得ていた。西瓜を井戸水につけて冷やして家族で食べた思い出は懐かしい。今は、冷蔵庫が普及していて、冷たいものはいつでも食べられるいい時代になったものである。しかし、冷房が行き届いて、冷房がないと大騒ぎになる。時には、冷房が効きすぎて風邪を引くこともある。夏は、暑いのはあたり前、冬は、寒いのがあたり前、四季折々の風情があって、日本はすばらしいと思えるようになったのは歳のせいかもしれない。暑い日には暑い日の暮らしがあって、かけがえのない人生がある。寒い日には寒い日の、雨の日には雨の日の過ごし方がある。日々、自然の恵を感謝して生きていきたいものである。
7月27日には、福島同友会のお世話で相馬市の夏祭り、馬追いの神事を観覧した。快晴の炎天下で、若武者が騎馬を駆使して神木を奪取する勇壮なお祭りである。馬追いの神事は東北の夏祭りの始まりでもある。今年は、450頭の騎馬が参加して震災前の参加数に戻ったという。
(2014年7月22日発刊)NO.352
「仕事」

「仕事には、自分の仕事、他人の仕事、誰の仕事でもない仕事、三種類がある。その中の、誰の仕事でもない仕事を自分の仕事としてこなす人は、専門職で無くても立派なポータブルスキルを持った人といえる。自分のポータブルスキルは何かよく考え、組織と折り合いをつけながら、仕事をすることが大切である。」この文章は、新須磨病院 院長 澤田勝寛先生の「組織医療としての病院(320)−ポータブルスキルとモチベーションー 社会医療ニュースVol.40 No467」から引用させて頂いた。
誰の仕事でもない仕事は、社会の中で無数にある。廊下に落ちているゴミを片付ける、靴を揃える、掛けた絵が傾いていれば直す、挨拶するなど。これらは、他に迷惑をかけない仕事、このスキルを持った人の周りには、環境が良くなり、人が集まる。鍵山秀三郎氏の「凡事徹底」はまさに、誰の仕事でもない仕事を徹底されたからこそ、イエローハット(株)を立派な会社に育てられているのだろう。誰の仕事でもない仕事を一生懸命することは、自分を磨くことにつながり、結果として人に認められる人となっていくのだと思う。
参考文献:社会医療ニュース 社会医療研究所発行
(2014年7月14日発刊)NO.351
「間」

私たちは人間生活の中で「間」が大切であることを、日常の忙しさに忙殺されて忘れてしまいがちである。
先日、人類学、牧畜民、コミュニケーションを研究対象にされている 北村光二先生(岡山大学社会文化科学研究科 教授 )からお話を伺った。ブッシュマンの生活の中で「間」は大切な文化である。ブッシュマン(アフリカ ボツアナに居住)は小集団で原始的な狩猟・採集生活を行っている。北村先生がブッシュマンと生活を共にされた時の体験をもとにお話を伺った。彼等は、獲物があった場合に平等に分けるが、物を分けるにもルールがあって、決して自分の方から欲しそうにせず、お互いに間合いをもって平等に肉を分け合うというルールが暗黙にできているという。タバコの吸い廻しも、間合いをもって全員に行き渡るようにする。友人が訪ねて来た時も、すぐに歓迎するのでなく、一時間程度の待ち時間と客人との間をとって初めて客人として受け入れるそうだ。また特異なことは、集団をとりまとめるリーダーがいないということだという。
日本でも、間抜け、間合い、などの言葉が有るように人と人の関係性を保ち、一呼吸おくことの大切さを先人が教えてくれている。しかし現実には、子どもに対して「早くしなさい、学校におくれるよ!」「早く勉強しなさい!」「早く起きなさい!」「早くご飯を食べなさい!」などと発言をしたり、間が無くなっていることが多々ある。仕事でも、「早く! 早く!」と間がなくなっているように思う。さて、ワークライフバランスが大切といういうが、ライフってなんだろう?ライフは人間らしく生きることかなと思うが、人間らしくとは何か?人それぞれでいいと思うが、一度ゆっくり考えてみてもいいかなと思う。
(2014年7月7日発刊)NO.350
「中小病院は地域の経済、医療・福祉を支えている」

中小病院は、厚生労働省の定義では病床数が200床未満とされている。しかし、実態は様々で、100床前後の病院を核として、介護老人保健施設、介護施設やグループホーム、サービス付き高齢者専用住宅、ディケアセンターなど様々な複合施設をもって、医療を核として在宅まで医療福祉サービスを展開しているところも多い。7月3日・4日の二日間、香川県で「こどもおとな病院」の中川義信先生が学会長を務めてくださり、第64回日本病院学会が開催された。私は、学会内のシンポジウム「人材が集まる魅力ある医療・介護分野にするための中小病院のありかた」を担当し中小病院が、大都会、地方都市、山間僻地で医療福祉の基盤をしっかりと支えているということを実感した。マスコミなどで大病院の活躍が大きく報じられることが多いが、日本の医療福祉を地域で支えているのは中小民間病院であることを知っていただきたいと思うこの頃である。中小企業が日本の経済を支えていることと同様に、中小零細病院もまた、地域の雇用を確保して、日本の医療福祉を支えている。大病院の果たす役割、中小病院の果たす役割は、地域によってさまざまであるが、共に連携して、地域の医療・福祉を共に支えあっていきたいものである。市場原理主義・成果至上主義に陥らない様に願っている。
(2014年6月30日発刊)NO.349
「難しいことをやさしく、やさしいことを深く、深いことを愉快に」

愛媛大学教育学部名誉教授 山本万喜雄先生から、謹呈された本(「人生の終わりをともに見据えて」あじさい会 創風社出版)を読んで、グループホーム・在宅医療や訪問看護ステーション・在宅看護などを実践されている実務者の体験の中から多くの人が寄り添い、支え合っている実践の現場の声を学び取ることができた。そして全国の多くの場所で地域の医療や介護を支えて下さっているさまざまな方がいらっしゃるからこそ、多くの人が癒されているのだと改めて思うこととなった。山本万喜雄先生は井上やすしさんの話を引用して「難しいことをやさしく!やさしいことを深く!深いことを愉快に!」こういう精神でひとりひとりの学生たちに授業をしていく、お母さんたちに語りかけていく、そういう努力を私たちがもっとしなければ、せっかくの良い考えを持っていても広まっていかないと説いている。これは学生の講義でもそうだが、私たち医療や福祉の担い手も、このような態度で、本質を学び、患者さまや利用者さまへ語りかけていくことが大切なんだなと思う。

参考:
山本万喜雄1946年、愛媛県に生まれる。健康教育学専攻。都立高校(定時制)教諭を経て、1974年より2012年まで愛媛大学教育学部に勤務。この間4年にわたって教育学部附属養護学校校長を併任。地域に根ざした健康教育、子育て支援活動に関わっている。主な著書として、『えひめの教育 未来へのかけ橋』(青磁社)『共育はよろこび』(創風社出版)『いまこの一冊』(愛媛民報社)などがある。現在、愛媛大学名誉教授。
(2014年6月23日発刊)NO.348
「70歳の語学留学1年生」

私の尊敬する宮崎信敏さんは、1934年熊本県天草に生まれる。32歳で(株)宮崎工務店を創業し、現在で48期目となる。元大阪府中小企業家同友会副代表理事であり、同友会の仲間として交流をさせて頂いている。70歳で会社を後継者に譲って現在会長。70歳でケンブリッジ大学へ語学留学し、オックスフォード、二ュージーランド、シドニーなどへも留学されている。これだけのことを実践していると聞けば、多くの人が驚き、やがて感動するであろう。英語を学習する為に一人で世界中を巡るとなると、色々なトラブルに巻き込まることもあるようだ。しかしそれを楽しむ姿勢が素晴らしいのである。既に、56カ国は巡っていらっしゃると思う。いつも楽しい報告が旅先から送られてくる。そんな彼は現在80歳である。
脳の老化は誰でも始まる。しかし、脳には使っていない未知の大陸が横たわっている。脳を刺激することで神経回路と神経細胞が増え、脳が成長するということが既に証明されている。語学の勉強をする傍ら、宮崎さんは知らない土地を旅し、人と出会って見聞を広め、多くの人との絆を大切にしてらっしゃる。体の老化を遅らせるためには適度なスポーツをするように、脳の老化を予防するためには、好奇心をもって新たな分野にチャレンジすることが大切なことのように思う。宮崎さんは何時会っても元気で、常にチャレンジしている。尊敬する人生の先達である。

参考文献 「70歳の語学留学1年生」・・・・イギリス/ケンブリッジ・・・・
著者  宮崎信敏著   発行/発売 N−M出版(個人出版)
(2014年6月16日発刊)NO.347
「出産・子育て・仕事と家庭を考える」

村木厚子氏(厚労省事務次官)の招待講演を紹介したい。戦後、第一次ベビーブーム、第二次ベビーブームが訪れた。その時代に生まれた人々は2025年に75歳を迎える。来るべき第三のベビーブームの山は来なかった。このまま行くと、騎馬戦型から肩車によって一人の若者が一人の老人を支えることになる。これが2025年問題である。これを克服するには、「歳をとっても働ける間は仕事に取り組む」ということと、「女性の仕事への参加」が鍵のようだ。女性の就労には「仕事と家庭」の問題抜きには考えられない。女性が働く為には次のようなことを工夫していかなければならない。@職場のトップの理解が必要。A女性の働きやすい社会環境と職場環境を整える。女性にとって職場に戻ってきたらやりがいのある仕事が待っている。B女性の管理職を増やす。実態を見てPDCAを廻す。C女性への提言として、専門だけでなく間口を広く学び、そして沢山の苦労に沢山の幸せがあるという考えを持って、責任ある仕事もオファーされたたらチャレンジする。この様な主旨の講演であり、村木さんはご自身の仕事と家庭の実体験を併せてお話してくださった。 
旭東病院は、子育てサポート企業として厚生労働省に認定されており、岡山県からも子育て支援病院として表彰された(2013年度)。当院にはコウノトリが住んでいるようで、現在約20名の職員が育児休暇を取っており、約10名の職員が妊娠中である。私たちの将来を支えてくれる「赤ちゃん」を安心して出産できる社会を共に創っていきたいものである。

参考:第16回日本医療マネージメント学会の学術総会(会長 青山興司 6月14日・15日の2日間、ママカリフォーラムとホテルグランビアを会場に開催された。)での村木厚子氏(厚労省事務次官)の招待講演より。
(2014年6月9日発刊)NO.346
「岡山大学メディカルセンター構想」
これは、すでにマスコミで大きく取り上げている構想である。先週、6月7日に岡山大学関連病院長会議に出席し、そこで森田潔学長から説明があった。@岡山県は医師数が全国7位で医師が充実している。A一人あたりの医療費は全国11位で高コストである。 B岡山市内は総合病院が多く、過当競争が起こりつつある。C今後人口減少が加速するため、岡山市を核とした、コンパクトシティーの整備に早急に着手する必要がある。医療供給体制の再編が急務である。
この様な背景のもとに、時代を見越した大胆な提言に対して、私たちの病院の将来を見据えた行動をとっていく必要がある。岡山市は総合病院が5つあり、また、当院のような民間中小病院も多く、それぞれが各々の医療サービスを提供している。今後、医療連携は避けて通れない時代に入りつつあり、その中での一つの提案であると謙虚に受け止め、地域の医療を支えてきたという中小病院の価値と特色を活かしながら対応していきたいと考える。そして岡山旭東病院は、経営理念を深掘りすること、脳神経運動器疾患の総合的専門病院としてのオンリーワンの先進的医療サービスを提供していくことが、急性期総合的専門病院として生き残っていく為の道であると思う。そこに初めてメディカル構想の中での連携が成り立つと考えている。スタッフの皆さまのやる気をバネに病院としての総合力を高めていきたい!  

参考:岡山大学メディカルセンター構想
(2014年6月2日発刊)NO.345
「共に学び共に育つ」
5月30日・31日の2日間、岡山プラザホテルで「働きやすい職場づくり」をテーマに50名のリーダー研修(主任以上)をおこなった。特に今年は、企業変革支援プログラム経営成熟度診断を参加者に実施し、その結果をグラフ化にし提示した。この企業変革支援プログラム経営成熟度診断とは、中小企業家同友会が長年の積み重ねの中で作り上げたものであり、本来は経営者が記入するものである。しかし当院では、全参加者を記入の対象として行った。やや心配もしていたが、実際には職員のレベルと関心の高さを結果から感じることができ、今まで私が行ってきた「人を生かす理念経営」のやり方に間違いはなかったと感じることができた。しかし、経営者・リーダー・サブリーダ、一般職員で、評価が異なるかもしれない。これからも、職員と共に学び、育ちあっていきたいと強く思った。
経営指針書の作成から22年経過したが、「10年偉大なり、20年畏るべし、30年歴史なる」と言われていることを頭に入れておきたい。30年に向かって弱みを強みにPDCAをしっかり廻していきたいものである。また、2日目には、国立病院機構埼玉病院 院長 関塚永一先生の「組織におけるリーダーとしての役割と心構え」の問題提起があった。規模や経営母体の相違を越えて、先生の生きざまから、学ばせて頂くことが多く、私にとっても実り多い2日間であった。各部署の責任者も、多くの気づきと学びを頂いたことだと思う。関塚院長の「トップが率先垂範し、全員参加で“患者さん家族主義・職員家族主義”を実践し、“地域家族主義”をめざす」は私の考えと重なるところが多く、貴重な学びの機会を頂いた。関塚先生には当院の研修に2日間、ご一緒くださり、心から感謝している。
参考文献
関塚永一著 「病院長が中堅管理職に望むリーダーの心構えとは?」
病院経営MASTER VOL3.3 63-73P 2013
(2014年5月26日発刊)NO.344
「友あり遠方より来る、また楽しからずや」
5月18日から22日まで中国洛陽市へ岡山市日中友好訪問団として、総勢22名でいってきた。洛陽市と岡山市は32年にわたる友好都市で医療・経済・農業・教育・植林事業などで交流が続いている。19日には洛陽市主催の歓迎会があり、李柳身市長、岡山からは大森市長、岡山市友好協会片山浩子会長の挨拶で始まって、温かいもてなしを受けた。5月20日には、洛陽市対外友好協会主催の歓迎夕食会がおこなわれたが、前洛陽市長で、現対外協会の会長である劉典立会長は32年にわたる友好の歴史を語って、論語の「有朋自遠方来不亦楽」を引用され、今の政治状況は一時的で小さなことであるとおっしゃられ、また民間交流の大切さについても語られた。前洛陽博物館長の王秀先生・洛陽隋唐博物館長孫紅飛氏や曹操の愛した有名な杜康酒(株)のスタッフなども参加された。隋唐の時代の遣唐使などは、命がけで3カ月という月日を費やし洛陽にいっていたという。今は、安全で上海経由でも4時間程度でいける。民間交流が、紛争解決の免疫能を高める役割をするものだと期待している。近隣諸国との友好なくして平和な世界にはならないだろう。

参考
1)NPO岡山市日中友好協会 岡山市北区錦町5−15 電話086-225-5041
年間を通じて様々な行事を行っている。
2)曹操の愛した酒「杜康酒」:「幽思忘れ難し 何を思ってか憂いを解かん 唯杜康あるのみ」 幽思難忘  何以解憂  唯有杜康
「三国志」 乱世の人物 守屋陽著 引用
(2014年5月12日発刊)NO.343
「幸せの帽子」

「すべての人が幸せを求めている しかし幸せというものはそうやすやすとやってくるものではない 時には不幸という帽子をかぶってやってくる だからみんな逃げてしまうが実はそれが幸せの正体だったりするのだ」 (坂村真民)
長い人生の中で、受験に失敗した。恋人に振られた。希望の就職が出来ななかった。うつ病になった。破産した。離婚することになった。愛する人と死別した。病気になることもある。人生には、思いもがけなかったことが身に降りかかってくる。しかし、その時には、なんて自分は不幸なんだろうと思うことがあるかもしれないが、あとで、それがその人の幸せにつながっていることだってある。中国の故事にも「人生万事塞翁が馬」がある。私は、砥部焼の作家 森元青芳作の「幸せの帽子」を眺めていると、このことは「幸せの帽子」なのだと気持ちを切り替える。


砥部焼  森元青芳  「幸せの帽子」

参考: 坂村真民「幸せの帽子」詩集「二度とない人生だから」(サンマーク出版)

(2014年5月7日発刊)NO.342
「きり絵の楽しみ」
 私のきり絵の先生は、横谷敦子さんである。敦子さんとは、岡山県中小企業家同友会で出会い、そこから公私ともにお世話になっている尊敬する女性である。また、中小企業家同友会の創設メンバーでもあり、副代表として活躍され女性部の創設にも尽力を頂いた。今は、同友会の顧問をされている。横谷さんは、当院の「アートと医療の融合」という考えに賛同してくださっていて、アートアドバイザーとしてご協力いただいており、絵の収集などにも尽力してくださっている。また、岡山きりえ会の世話人として、私に「きり絵の楽しみ」を教えて下さった。多忙を理由に中々、創作活動が進まないということもあるが、そんな中でも一度きり絵に向き合うと時間を忘れて没頭し、孔子のおっしゃる「楽しみをもって憂いを忘れる」の心境になる。旅行先での、風景や庭に咲いている草花をスケッチして、作品に仕上げる行程が楽しみである。特に、師匠である敦子さんに、下手なりに上手に褒めて頂けることが励みになる。
当院には、生け花や、着付け、バレーボール部など7つのクラブがあるが、職員にはそれぞれに楽しみをもっていろんな事に取り組んでもらい、「憂いを忘れて」明日の「仕事の活力」にして頂きたいと思う。今年も、第27回岡山きりえ展が企画されている。出展の作品を思案中である。

参考
横谷敦子社長(株式会社 メイコー)はインテリアプランナーである。また土地建物の仲介・管理・企画・デザインといった点でも活躍されており、多くの人に頼りにされている。現岡山県中小企業家同友会 顧問。
きり絵:切り絵(きりえ)は、白黒に染め分けた下絵を黒い紙に固定し、不要な部分を切り抜いて絵を作り上げていく絵画の手法のひとつ。一般的な認知度の高い手法ではないが、白と黒のコントラストの妙や、刃物の切り口による独特の造形が味わい深く、愛好家が多い。最近は、色彩を入れた作品も多い(ウイキペディアより)。
(2014年4月28日発刊)NO.341
「顧客満足から感動を与える経営」
4月26日山口県中小企業家同友会の設立20周年の式典に参加してきた。そこで20年の歩みの中で着実に人を生かす経営の学びと実践が実施されてきているということを感じ感銘をうけた。記念講演は、駒澤大学 教授 吉田敬一先生による「アベノミックスの行方と中小企業の活路打開の道筋」であった。日本経済の柱は、欧米へのキャッチアップ型の経済運営であった。近年は、「メイドインジャパン」の輸出から、「メイドバイジャパン」即ち、日本国内での生産でなく他の国に生産拠点を移して自動車・電化製品を販売するようにシフトしてきている。吉田教授は、これからの中小企業の活路は、文明型の顧客満足ではなくて、感動を与える(ここまでするのか!)文化型のサービスや、製品の開発が活路打開の道であると訴えられた。私も、医療サービスに於いても、創造的な医療サービス、即ち、医療サービスの国際基準をクリアすると同時に、目には見えない愛とユーモアのある接遇・施設・設備・絵画・音楽・料理・庭園・生け花などアートとの融合によって質の高い感動を与える経営を目指していきたいものである。

参考:吉田敬一先生  駒沢大学 経済学部

 研究テーマ  キャッチアップ型からフロント・ランナー型への経済構造転換の下で、地域経済と中小企業の新たな役割と課題を、国際比較の観点を踏まえつつ、個々の地域産業集積の実態調査に基づいて探求すること。

(2014年4月21日発刊)NO.340
「小さなことをつみあげて、すごい景色を見てみよう」
これは「斎藤孝の親子で読む偉人の話」(ポプラ社)の本の中で紹介されたイチロー選手の言葉である。そこにはイチローは天才ではなく努力の人だと紹介されてある。素晴らしい生き方だと思う。
彼は「夢や目標を達成するには、一つしか方法はない」と言い、それは「小さなことを積み重ねることだ」と述べている。そして「自分のできることをとことんやってきたという意識があるかないか。それを実践してきた自分と、継続できたことに対して誇りを持つということ。自分が全く予期しない球がきたときに、どう対応するか。それが大事だ」とも語っている。「試合で打ちたい球は来ない。好きな球を待っていたのでは、終ってしまう。練習で100%自分を作らないと、打席に立つことはできない。自分の形を見付けておかないと、どん底まで突き落とされてしまう。自分の限界を見てから、バットを置きたい。」と野球に対する真摯な気持ちが伝わってくる。
私は、このような姿勢で野球に打ち込んでいる彼を尊敬する。私たちの仕事も、小さなことの積み上げが大きな仕事に結びついていくのだと思う。子供むけの本からでも生き方のヒントを頂けるのだと感謝している。

考文献  斎藤孝の親子で読む偉人の話 2年生 イチローの頁 ポプラ社
(2014年4月14日発刊)NO.339
「ちがう、かかわる、かわる」
先週4月12日、埼玉県東浦和にお住まいの大田堯先生のお宅にお邪魔した。先生は、3月22日に96歳になられたところである。先生は生命(いのち)の特徴について「ひとりひとりそれぞれにちがい、次いで、私たちは、人と人との関わりの中で生きている。人だけでなく、自然界とも関わって生きている。更に、人は学びながら常に変わっていく。この『ちがう・かかわる・かわる』の三つのトライアングルの中に人はあるのだ」と話してくださった。今の世の中は、そうした生命の響き合いを阻害するような状況が、教育界にも、経済界にも、そして政治界にも見られる。大田堯先生は、現状を憂いておられるが、こうした状況にあるからこそ、「かすかな光」として、「生命の響き合う社会」を目指すという夢を話しかけてくださっている。先生の考えは、地球人(people)全体の問題でもあると思う。映画「かすかな光へ」を観て頂くと生命の特徴とそのことを実践している試みを理解していただけるのではないかと思っている。現在、大田堯自選集成(1)「生きることは学ぶこと 教育はアート」、大田堯自選集成(2)「ちがう、かかわる、かわる 基本的人権と教育」が刊行されている。自選集は全巻構成で、4部を以て完成であるが、自分の遺言として読んで欲しいとの願いが込められている。私も大田堯先生の「かすかな光」へ向かって歩んでいきたいと思っている一人である。
参考: 森康行監督「かすかな光へ」大田堯先生のドキュメンタリー映画。多くの人に見ていただきたい映画である。
(2014年4月7日発刊)NO.338
「新人に贈ることば」
桜の咲く春爛漫の春、33名の新人が当院の仲間として共に働くこととなりました。私は次のメッセージをお話しさせていただきました。学校を卒業されましたが、これからは、生涯学習と言う社会での学習が大切であること。また、教える教育でなく、共に育ち合っていく、共育の大切さなどをお話しました。共に育つとは、@いつも力を合わせて行こう。Aかげでこそこそしないでいこう。B働くことが一番好きになろう。C何でも何故?と考えろ。Dいつでも、もっといい方法はないかを探せ。 この5つが達成できれば共に育つが実践できると思います。これは、1951年3月23日の山元中学校四回卒業生代表佐藤藤三郎氏の答辞です。50年の時代を越えて変わらぬ人の生き方であると思います。また、働くは傍を楽にすることとは仕事の本質をよく言い当てています。誰かの役に立つ仕事をすると、誰かが感謝してほめてくれる、そこに仲間ができる。それが、ひとりひとりの「幸せ」につながっていくものと思います。

参考:共に育つ(パート1)中小企業家同友会全国協議会編
(2014年3月31日発刊)NO.337
「おもてなし経営」
「おもてなし」は、日本文化の中に息づいています。日本にオリンピックを誘致するIOC総会の滝川クリステルさんのプレゼンテーションでも使われました。
「おもてなし経営」は企業の日常活動の中で、働くひとりひとりが力を合わせていかなければ達成できません。病院もサービス業です。しかも、人の命を預かる人間尊重を根底にしたサービスでなければならないと思います。経済産業省は、「@社員の意欲と能力を最大限に引き出し、A地域・社会との関わりを大切にしながら、B顧客に対して高付加価値化・差別化サービスを提供する経営」を「おもてなし経営」と称し、地域のサービス事業者等が目指すビジネスモデルの一つとして推奨し、今年で3回目の選考となりました。

昨年9月、友人から「経済産業省の企画するおもてなし経営企業選に応募してみては」と薦められました。私は22年間、中小企業家同友会で学んだ経営指針書を全職員で作成し、PDCAで計画を実践してまいりました。今回、私たちがコツコツと積み上げてきた成果を世に問いたいと応募しました。結果、「平成25年度おもてなし経営企業選」に経済産業省の選考で全国から28社が選ばれ、当院も中国地方2社の内の1つとして選出されました。そして、3月27日、東京イイノホールにて「平成25年度おもてなし経営企業」として表彰されました。

「おもてなし経営企業」として表彰されたことに全職員と共に喜びを分かち合いたいと思います。「おもてなし経営」を今後とも継続して、医療サービスの向上に努めていきたいと思います。

参考:
「おもてなし経営企業選」とは少子高齢化、都市部への人口集中等による国内市場の競争激化、グローバル化への対応等、多くのサービス事業者は厳しい価格競争にさらされています。一方、各地域には、価格競争に陥ることなく、顧客のニーズに合致したサービスを継続的に提供し、「顧客」のみならず「社員」、「地域・社会」から愛される経営を実現している企業が存在します。経済産業省では、このような企業で行われている、「@社員の意欲と能力を最大限に引き出し、A地域・社会との関わりを大切にしながら、B顧客に対して高付加価値化・差別化サービスを提供する経営」を「おもてなし経営」と称し、地域のサービス事業者等が目指すビジネスモデルの一つとして推奨しています。この一環で、昨年度より「おもてなし経営企業選」を実施し、この度、「平成25年度おもてなし経営企業選」として28の事業者が選定されました。応募総数165の中から書類選考、1次選考(経営者ヒアリング)、2次選考(現地訪問)を経て、サービス業だけでなく多くの業種・業態からの選定となりました。
「経済産業省のホームページより」
(2014年3月24日発刊)NO.336
「現代アートの魅力」
岡山旭東病院は、経営理念の中の「快適な、人間味のある温かい医療と療養環境を備えた病院」を目指して参りました。病院に集う患者さまやスタッフの心に、癒しの環境を提供するものとしてアートを取り入れ、「医療とアートの融合」を進めてきました。これまでも絵画・音楽・彫刻・料理・製菓・生け花・庭園など様々なものを取り入れてきました。

そしてこの度、英国出身の現代美術作家ライアン・ガンダー氏の作成した「Incredibly shiny stuff that doesn’t mean anything」という作品を病院の3階ベランダに展示しました。きらきら光る、破片の集合のようにも見えます。ビッグバンを連想するかも知れません。また、目に見えない、エネルギーが互いに引き合っている。それは、愛とか絆などのように見えないものによって繋がっていると感じることもできます。現代アートのよさは、人それぞれの見方によって作品に深さや広さを感じることができる、そこに魅力を感じます。

Ryan Gander
1976年、イングランドのチェスター生まれ。マンチェスター・メトロポリタン大学、オランダ、マーストリヒトのヤン・ファン・エイク・アカデミー、アムステルダムのライクスアカデミーで学ぶ。ガンダーの作品は多種多様で、インスタレーション、パフォーマンス、ペインティング、出版、デザイン、キュレーションと多岐に及ぶ。その制作に共通するのは、物語性への欲求である。

(2014年3月17日発刊)NO.335
「コンセプチュアル・アート」
「コンセプチュアル・アート」については、本当に何も知らないのですが、自由な発想から生まれた作品は、それぞれの人によっていろいろと見方も変わる、自由な発想で面白い!と感じています。当院3階のベランダにRyan Gander氏の作品を展示しています。  
Ryan Gander は1976年チェスター生れ、子どものころから車椅子生活、ユーモラスな発想で作品を発表している。医療とアートを融合することが、病院の働く環境の整備・患者様の療養環境の改善につながっていきます。作品の題名は「Incredibly shiny stuff that doesn’t mean anything −信じられないくらいキラキラするけれど何の意味もないもの−」です。磁石によって集められた固まりとなった金属片からつくられた球体。エネルギーがエネルギーを呼び込んで次第に一つの固まりになる。ビッグバンのような宇宙的イメージも連想させる。エネルギーは目に見えない。本当に大切なものは、目には見えない。
愛情・感謝・謙虚・元気などは目に見えない。「愛や絆」という目に見えない物に価値を感じ、共に育ち合える職場のシンボルとなることへの思いと、病院を利用して下さる人には「快適な、人間味のある温かい医療と療養環境を備えた病院として、シンボルアートを感じてくださればと思っています。当院の「こそ丸」も「コンセプチュアル・アート」といって下さるかたもいらっしゃいます。嬉しい事です。  

注:@当院の作品には磁石は使われていません・
A作家Ryan Gander氏は、1976年イングランドのチェスターに生れ、マンチェスター・メトロポリタン大学、オランダ、マートリヒトのヤン・ファン・エイク・アカデミー、アムステルダムのライクスアカデミーで学ばれ、現在はロンドンとサンフォークにて制作活動を行っている。彫刻、映像、執筆、グラフィックデザイン、インスタレーション、パフォーマンスなどの多岐にわたるメディアによって表現された作品を発表され、国際的に高い評価を受けています。

(2014年3月10日発刊)NO.334
「輝かそう救急救命士」
救急救命士(米:Emergency Medical Technician、)は、病院への搬送途上に限り傷病者に対し救急車等にて救急救命処置を施し、速やかに病院へ搬送することを目的とした国家資格の名称です。 日本の法律上でのアルファベット表記は「Emergency Life-saving Technician」。
1991年(平成3年)4月23日に救急救命士法が制定されて制度化された。現在、救急隊員の
職場は消防が一般的ですが、今後は病院の救急部門での職場が開かれるのではないかと思います。
先日、川崎市にある川崎幸病院に、当院の救急室長ほか4名で見学に行ってきました。救急救命士は救急コーディネーターとして、救急の場面に於いて重要な役割をはたしていました。川崎幸病院は年間1万件救急を目指していますが、救急救命士(救急コーディネーター)18名で、患者さんの輸送など生きがいをもって働いている姿をみて、感動しました。救急コーディネーターとして、救急のマネージメントを主体的にやっている数少ない施設です。ER医師・看護師・救急救命士のチームワークがしっかりとれて、川崎市は、政令市でワーストだった、たらい回しの件数を克服できたと聞きました。地方都市ではまだまだ民間病院でのスタッフは少ないのですが、いずれ必要な時期が来るのではないかと思います。医療・福祉の世界も、専門職同士のチーム医療を今後あらゆる分野で必要になってくるものと思います。当院でも、平成26年4月1日より、1名採用して、救急での医師・ナース・救急救命士・その他コメディカルスタッフとの救急業務の円滑化に取り組んで、救急患者様への迅速な対応を期待しているところです。
(2014年3月3日発刊)NO.333
「The Land of Smileの国 タイ」
友人二人と一緒に、タイの医療施設の視察と旧交を温める旅(2014/02/24〜28)に行ってきました。タイの病院は、国立病院が主体で、民間病院は、バンコクの国際病院のような国内チェーン病院で、外国からの患者さまを受け容れ、医療をビジネスと考えて運営されています。
医療制度は国民皆保険制度が取られていますが、必ずしも、公平な状況ではないようです。国立病院は、各州都にあって、地域のローカル病院と連携して、地域への医療サービスを提供しています。医療制度はその国の経済状況・国民の要求の程度によって運営されていると思います。病院を視察しましたが、救急部門も大変混雑していて、エレベーター前のフロアにも患者さまが溢れていました。タイは、経済発展の途上であり、富裕層や外国人への医療提供と多数の国民への医療提供と二重構造になっていると感じました。医師や看護師などの医療従事者はそれぞれに少しでもいい医療サービスをと努力しているようでした。最も印象に残ったのは、視察したマハサルカム病院、ロイエ病院のそれぞれの院長と済生会病院へ研修にきた多くの職員の心からの歓迎でした。
タイは仏教の国・笑顔の国『The Land of Smile』です。
@笑顔が素敵であること。
A職員の多くが、英語が下手でも少しでも使ってコミュニケーションをしようとする姿勢でした。
日本人全体では、英語の知識は相当あっても引っ込み思案で使おうとせず、もっと自分を表現する態度を見習いたいと思いました。
(2014年2月24日発刊)NO.332
「『愛と笑いとユーモア』の大切さ! (おかやまあかいはな道化教室)」
不器用は才能!失敗は財産!面倒なことに笑いが溢れている!
岡山旭東病院のパッチ・アダムスホールで、おかやまあかいはな道化講座を年に4回〜5回、日曜日の午後13:00〜17:00を使って、2002年11月から継続して開催してきました。一昨年は10周年の記念の冊子を発刊し、記念事業として、大田堯先生のドキュメンタリー映画「かすかな光へ」を上映しました。
おかやまあかいはな道化教室では、教室で行われるワークショップや、課外活動(光明園の夏祭)を通じて道化的発想を学び、それを日常に活かしていきながら、笑顔になれるからだと環境を育んでいます。毎回20〜30名が集まって、真面目に遊んでいます。私にとっては、心が癒される最高の時間です。案内人は、日本を代表する、クリニクラウン(臨床道化師)塚原成幸氏です。塚原さんは現在、長野県長野市にある清泉女学短期大学幼児教育科で児童文化の教師として教壇に立ちながら、臨床道化師としての社会貢献、講演、ワークショップなどを多数行っています。
道化教室への参加希望の方は、岡山旭東病院 企画課にお問い合わせ下さい。
一緒に遊んでみませんか、参加費用は当日3000円、仲間との懇親会もあります。

注:発足はパッチ・アダムスが岡山講演に来て下さったことを記念に始めたものです。詳細はホームページを参照してください。

参考 :@Dr.パッチ・アダムス岡山記念講演2002記録集
A10年の歩み(おかやまあかいはな道化教室)
Bおかやまあかいはな道化教室 ホームページ
(2014年2月17日発刊)NO.331
「障害者と健常者」

先日、竹内昌彦さんの講演を聞きました。竹内さんは、昭和20年、中国天津で生まれる。小学校2年生の時、網膜剥離により失明、岡山県立岡山盲学校を経て、東京教育大学を卒業。岡山県立盲学校教諭。教頭を歴任後、退職。講演の内容は、「視覚障害があると生活に困ると考えてしまいますが、自宅で困ることはほとんどありません。しかし、初めての場所や新しい仕事に慣れるまでには時間がかかります。そんな時には周りの助けが必要です。 障害者のことを理解してもらい、みんなが住みよい社会になるためにはどうすればよいかを一緒に考えていきましょう。」を自己の体験からお話になり、目が見える私たちに「見えないから見えたもの」を語りかけて下さいました。竹内さんの、小学校時代のいじめを自ら克服した経験、親からいただいた生命の大切さなど、感動をもって聞かせていただきました。人生の最終目標として、モンゴルのマッサージ師を養成する盲学校の建設へ尽力されていることを謙虚に話されました。
400人の人が生れると一人は盲人である。全国には30万人の視覚障害者がいる。障害者こそ、健常者の身代わりになって、不自由な人生を引き受けさせられたのである。「めくら、つんぼ、片輪者、役立たず、あほだま」と、よくそんな恩知らずなことが言えたと思う。と著書に書いておられる。400人の内、20人は障害者である。私達は、突然の脳卒中、交通事故の後遺症、認知症の発症などで、さらに多くの人が障害者になる。障害者と健常者が共に支え合って行く社会を創っていくことが、幸せの見える社会であると思う。竹内昌彦氏の半生を描いた映画の作成を計画していると聞く。応援したいものである。
参考書:「見えないから見えたもの」竹内昌彦著 広和印刷
(2014年2月10日発刊)NO.330
「おはようございます」
家庭や学校、会社でも散歩のときでも、朝のあいさつである「おはようございます」という声を聞くと、とても嬉しく、元気になる。そうは解っていても、会社や病院で、毎日「大きな声」でできているか? 
先日(2月8日)、大分市で、日本病院会・中小病院委員会主催の情報交換会(へつぎ病院 理事長 松本文六院長のお世話)が行われ、国立病院機構 埼玉病院の関塚永一院長による病院経営の話があった。率先垂範・凡事徹底・徹凡非凡。毎朝、院長が一階ロビーに立って、来院する患者さんや出勤してくる職員ひとりひとりに、笑顔のあいさつで元気に迎えている。朝の一時間であいさつを交わすのは約500人。1人に2回挨拶すると、1日約1,000回、始めて3年になるので約100万回を達成された。関塚院長は「院長のやることはこれだけでいいような気がしている」と論文にも書いている。朝のあいさつで、職員が元気になり、患者さんも元気になる。素晴らしい実践だと感銘を受けた。

参考:
「トップが垂範し、全員参加で、“患者さん家族主義・職員家族主義”を実践し、“地域家族主義”を目指す」
関塚永一著 病院経営MASTER VOL3.363−73P 2013
(2014年2月03日発刊)NO.329
「いのちの歌を響かせて」
先日(2月1日)岡山市にあるエバホール岡山会場で、ソプラノ歌手 村上彩子(ピアノ山下陽子)コンサートがあり、参加しました。NPO法人おかやま犯罪被害者サポート・ファミリーズの主催でした。ひとつひとつの生命の大切さに気づかせてくれるコンサートでした。
彼女が東京藝術大学の受験を5回も失敗して、死のうと思った時、長野県の無言館で衝撃的な画学生の「絵」との出逢いがありました。生命の尊さに気づき、現在の自分が有ること。それが、彼女の公演活動のエネルギーになっていると改めて感じました。 
戦争、テロ、神戸の大震災・東日本大震災・サリン事件・日々起こる交通事故や犯罪被害、いじめ、DVなど生命の大切さ、また、病に倒れて余命の幾日もない生命。私たちは、そのひとりひとりの生命にどのように関わっていくのか、ひとり一人に問いかけてくれたように思いました。村上彩子さんの「歌と語りによる命のメッセージ」に関心のある方は彼女のホームページを覗いて見てください。

村上彩子 ホームページ:http://www8.plala.or.jp/bluemoon/
(2014年1月27日発刊)NO.328
「日中関係を思う」
日本は、遣唐使・遣隋使の時代から、吉備真備、最澄、空海など多くの人の交流があり、律令制度の導入、仏教の伝来、様々な文化や人の交流が続き、少なくとも江戸期までは、儒学が官学であり、中国は尊敬と憧憬の国であった。アヘン戦争・アロー号事件など、西欧列強への清朝の屈服、その後、中国の弱体化、日本の文明開化の時代を経て、中国への蔑視をもたらした。中国は第二次大戦後、中華人民共和国となり、国家が統一され、国家資本主義のもとに、経済の発展が目覚ましく、軍備拡張もなされて、日本との尖閣列島をめぐる領有権問題を惹起している。
しかし、日本と中国は隣国であり、経済的にも大切なパートナーである。岡山市は洛陽市との友好都市として、31年の歴史があり、私が所属している岡山市日中友好協会は、友好の推進役でもある。昨年は、岡山旭東病院から、洛陽中心病院へ脳神経外科医師・看護師長が交流のために洛陽市を訪問研修し、また、岡山精神医療センターから、精神科医師が3カ月にわたって、洛陽市を訪問し交流を深めた。洛陽第五病院からは、精神科の医師が2カ月間、日本に交流研修で訪問された。この様な時であるからこそ、ひとり1人の心に友好の火を灯し続ける民間交流を続けることが、悠久の歴史の中でみるととても大切であると思う。

参考:
熱風の日本史第22回脱亜、尊敬から蔑視へ(明治)日本経済新2014年1月26日
(2014年1月20日発刊)NO.327
「雀の学校・メダカの学校」
「雀の学校」と「メダカの学校」いう唱歌があります。『雀の学校の先生はむちをふりふりチーパッパ!』平成生まれの人は、知らない人が多いと思います。これは日露戦争の後にできた小学校の唱歌です。歌は時代背景を映します。この歌も、子どもの心に知らず知らずに、軍国主義の考えを育てたのだと思います。
それから、「メダカの学校」は、『誰が生徒か、先生か、皆でお遊戯しているよ!』 これは戦後できた歌で、民主主義に向かって、国全体が動き始めた時にできた学校唱歌だと思います。企業経営でも病院経営でも、2つの要素があります。緊急の時、起死回生の決断では、雀の学校も必要ですが、平素から、自律・自立メダカとなって、共に組織を支えていく組織が強靭で、災難にも打ち勝つことが出来るのではないかと思います。

参考1) 「雀の学校」
チイチイパッパ チイパッパ
すずめの 学校の 先生は
ムチを 振り振り チイパッパ
生徒の すずめは 輪になって
お口を そろえて チイパッパ
まだまだ いけない チイパッパ
もいちど 一緒に チイパッパ
チイチイパッパ チイパッパ

2)「メダカの学校」
めだかの 学校は 川の中
そっと のぞいて 見てごらん
そっと のぞいて 見てごらん
みんなで おゆうぎ しているよ
めだかの 学校の めだかたち
だれが 生徒か 先生か
だれが 生徒か 先生か
みんなで 元気に 遊んでる
めだかの 学校は うれしそう
水に 流れて つーいつい
水に 流れて つーいつい
みんなが そろって つーいつい
(2014年1月13日発刊)NO.326
「共に育つ」
私が参加している経営者団体(中小企業家同友会)では、『社員教育』を『社員共育』と言っている。社長・社員が共に育ちあってはじめて、会社の内容の充実と発展があるとの考えである。
「共育」と名づけたのは、北海道中小企業家同友会のみならず全国の同友会の発展に寄与され、社員教育に力を注いでこられた大久保尚孝氏(昨年逝去)である。@いつも力を合わせていこう、Aかげでこそこそしないでいこう、B働くことが一番すきになろう、Cなんでも何故?と考えろ、Dいつでももっといい方法はないかを探せ、の5つのモットーが達成できれば共に育つことができるのにと思う。これは、有名な「やまびこ学校」の無着成恭先生の教え子の佐藤藤三郎さんの中学校卒業式の答辞の言葉である。この5つの事を心して行いたいと思う。

参考図書:無着成恭編 「やまびこ学校」岩波文庫
(2014年1月6日発刊)NO.325
「デキル店舗責任者は3つの共通点がある」
クロスカンパニーの石川康晴社長の本からは、世界に進出したクロスカンパニーが何故アパレル業界で快進撃しているのかを読み取ることができる。視野の広さと、社員を大切にした戦略(全社員正社員)など、見習うところが多い。
クロスカンパニーでは、デキル店舗責任者は3つの共通点があるという。1)部下全員を将来、店舗の責任者にしようと思って教育をしている。通常は店舗で責任者をサポートする「2番手」の社員を教育することが多い。2)ユニークだが、店舗の社員の誕生日のお祝いを積極的に率先して行っていること。3)ハイテンションで朝礼を実施していること。売り上げを伸ばすには、明るく元気な姿勢が大切であり、また、お客様の抱える悩みに対していかにいいアドバイスができるかである。このことは、病院でも同じだと感じる。それぞれの職場で、ナンバー2を育てるのでなく、一人ひとりの成長をサポートすることが責任者の務め。誕生日のお祝いは当院でもやっているが、もっと工夫がいるようだ。最後の、『明るく元気に』は、病院でもその場の環境に合わせて、対応する教養が必要だと思った。

参考図書:石川康晴著 「アース ミュージック&エコロジーの経営学」
(2013年12月30日発刊)NO.324
「現代アートの作品を病院のシンボルアートに」
ライアン・ガンダーの作品を増築したベランダ部分に設置。作家Ryan Ganderは 1976年、イングランドのチェスター生まれ。マンチェスター・メトロポリタン大学、オランダ、マーストリヒトのヤン・ファン・エイク・アカデミー、アムステルダムのライクスアカデミーで学ぶ。現在ロンドンとサフォークにて制作活動。彫刻、映像、執筆、グラフィックデザイン、インスタレーション、パフォーマンスなどの多岐にわたるメデイアによって表現された作品を発表し、国際的に高い評価をうける。
岡山旭東病院は、経営理念の一つである「快適な、人間味のある温かい医療と療養環境を備えた病院」を目標に様々な試みを行ってまいりました。その活動の中で「医療とアートの融合」を大切にしてまいりました。このたび、ライアン・ガンダー氏の作品を、全職員参加の投票によって選ばせて頂きました。この作品が、ここに働く職員の心で「愛」と「絆」という目に見えないものの価値を感じ、共に育ち合える職場のシンボルとなり、また、病院をご利用くださる多くの市民の皆様には、「快適な、人間味のある温かい医療と療養環境を備えた病院」としてのシンボルアートを感じてくださればと願っています。
2014年3月20日にはイギリスからライアン・ガンダー氏をお招きし、アーティストトークを予定しています。 

作品の名前は「Really shiny stuff that doesn’t mean anything −本当にキラキラするけれど何の意味のないもの−」 本当の力は目に見えない磁石によって集められ固まりとなった金属片から作られた球体。エネルギーがエネルギーを呼びこんで次第に一つの固まりになる、ビッグバンのような宇宙的イメージをも連想させる本作品は、見る人にスケールに対する意識の拡張を感じさせる。球体の表面を覆う金属片と磁石。しかし本当にそれらを結集させ、1つの球にまとめあげているもの、すなわち磁力に象徴されるエネルギーは、本作品の真の主題であるにもかかわらず、目には見えないのである。

「現代アートの作品を病院のシンボルアートに」
Really shiny stuff that doesn't mean anything | 本当にキラキラするけれど何の意味もないもの 2011
(作品の紹介はホームページ太宰府天満宮 アートプログラム Ryan Gander 'You have my word'からの引用)
(2013年12月23日発刊)NO.323
「神風特別攻撃隊」
百田尚樹原作「永遠の0」が山崎貴監督、宮部久蔵を演ずる岡田准一主演で、映画化され、久しぶりに映画を鑑賞した。真珠湾攻撃から最後の特攻へ参加し、常に“生還”を願った。「家族の元に必ず帰ってくる」それが宮部久蔵の妻や子への約束であった。終戦末期に企てられた敵艦隊へ爆弾を抱えて突入する生還することのない特別攻撃隊の隊員(多くは有為な学徒)は何を思って死んでいったか。その犠牲の上に、私たちの社会が成り立っていることを思い出すべきである。戦争を知らない多くの日本人が鑑賞して欲しい映画である。憲法第9条「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」憲法は市民が守るのでなくて国が守るべきで、憲法に書かれている状況にするために、政党政派に関係なくあらゆる努力をすることが国の役目ではないかと思う。戦争が始まれば、医療や福祉は全て崩壊することが、終戦時の焼け野原の記録から知ることが出来る。僅か13万年の歴史しかない人類(ホモサピエンス)の滅亡を防ぐために人類は英知を結集してほしいと願う。  
(2013年12月16日発刊)NO.322
「職場環境を良くするには」
私は、何時も職場環境を良くすること考えてきたように思う。しかし、現実は簡単そうでなかなか難しい。経営理念に基づく人間尊重の透明性のある経営、賃金や待遇、福利厚生、超過勤務削減、ワーク・ライフ・バランス、有給休暇の取得、学会への出張や研修参加、また、医師の職場環境を良くするため、外来での電子カルテへの打ち込みや、その他様々な書類の記載など、医師事務作業補助者の配置、看護師の仕事を他の職種と協同して軽減させるなど、様々な試みをやってきた。しかし、何か抜けているなと思う。人間は、ひとり一人違う自己中心的な存在である、と同時に関係性の中に互いに依存して生きている存在だと考えると、それぞれの持ち味を認めて、そのうえで人間関係の密度を濃くしていくと、互いの思いやりも生まれてくるものではないかと思う。あいさつをする。笑顔で接する。名前を覚える。お互いに感謝の念を忘れない。いつも力を合わせていこう。かげでこそこそしないでいこう。など、職場環境を良くしていくには基本的には人間としてのマナーが、大切だと思うこの頃である。
(2013年12月9日発刊)NO.321
「おかやまあかいはな道化教室」
「赤い鼻道化教室」2002年11月から年に5〜6回、愛と笑いとユーモアを私達の日常の生活の中に取り入れたいと、縁のある方が集まり、共に学んでいる。案内人は「塚原成幸氏」で、会場は岡山旭東病院のパッチ・アダムスホールである。きっかけは、2002年9月11日、パッチ・アダムスとして有名になったアメリカの道化医師を岡山市にお呼びして講演会を開いたことに始まる。講演会には1500名程の多くの人が参加してくださった。「ぼっけい仲良くなろうで」は岡山講演会ボランティアスタッフのテーマである。パッチは、自らの入院体験中“笑い”が人の心や病気にとって大きな癒しの力があることに気づき、医学の道を志した。今も、ユーモアによって人々の希望に満ちた生活をサポートする活動を続けている。パッチの講演を、そのままにするのはもったいないと、その時ステージマネジャーをしてくれた、私の友人「塚原成幸氏」が案内人としてずーっと、先生を務めてくださっている。会員は約50名であるが、毎回20〜30名で、年に5〜6回集まって教室を開いている。2012年に10年を記念して「10年のあゆみ」を小冊子にまとめた。「10年のあゆみ」の中の案内人である塚原氏の言葉を引用すると「思うとおりにことが進まないことが人生の豊かさだと「あかいはな(Red Nose)」をつけるようになってから心底、感じるようになってきた。おそらく次の10年も長くて、愉快で、思うようにいかない毎日の連続だと思う。しかし、そんな愚かさを自分の成長の糧にし、右往左往としながら寄り道人生を歩いていきたい。これからも、鼻を思いっきり赤くして、みんなと真面目にふざけられますように。」と、私たちの活動に何時も水先案内をしてくださっている。また、私たちの運動にいつも温かいエールをいただいている教育学者 大田堯先生は著書「かすかな光へと歩む 生きることとまなぶこと」のあとがきの中で「ちがうこと、みずからかかわりつづけること、そして、そういう個体生命の事実をふまえて、新しいかかわりを創りだしつづけること。この自然があたえた生命の特質に立って、一人ひとりが自らの人柄で、世の中に生きる手ごたえを感性から分かち合う、そうゆう地球上のみなさまの幸せを夢見ること」と書かれている。ドキュメンタリー映画「かすかな光へ」は10周年記念行事として企画した(2012年)。
おかやまあかいはな道化教室は、教室でおこなわれるワークショップ、また課外活動を通じて道化的発想を学び、それを日常に活かしていきながら、笑顔になれるからだと環境を育んでいこうという教室である。

参考:「おかやまあかいはな道化教室」ホームページ http://www2.ocn.ne.jp/~akaihana/
(2013年12月2日発刊)NO.320
「鳥には防空識別圏はない」
もともと、ホモ・サピエンスには国境などなく、アフリカから出発して、世界中に広がっていった。つい、6万年前のことである。新天地を求めて、行動する過程で、民族意識が芽生え、文化や宗教が生れ、集団として国家が生れ、国境が線引きされた。科学技術の発展によって原子爆弾など人を殺すための武器が次々と開発された。今は、海や空までも国境を定めようとしている。鳥には防空識別圏はない。人類の英知で、争いの少ない平和な地球を求めて止まない。地球は人間だけのものではないと思うのだが。

参考文献: 日本経済新聞(2013.11.30)
東シナ海の防空識別圏に込めた野心 「真相深層」
(2013年11月25日発刊)NO.319
「日中友好に思う」〜友好を通じて平和への免疫力を養う〜
岡山市と中国洛陽市は姉妹都市として30年に渡る交流が続いている。平成23年(2011)、30周年を記念して、洛陽市から、千本の牡丹を輸入し「咲かそう友好の花キャンペーン」を展開した。1981年(昭和56年)初代会長 赤木五郎(元岡山大学学長)に始まる多くの先人が築いてきた日中友好の絆を、多くの困難を乗り越え、先輩達が民間交流で発展させ、守ってこられた。医療交流も、訪問団の交流に留まらず、互いの医師や看護師の現場での交流が始まったところである。当院では、2012年の洛陽中心病院から脳神経外科医師・看護師と、2013年の当院脳神経外科医師・看護師による相互訪問交流を実施してきた。岡山県精神医療センターからは、精神科医師が派遣され、4か月にわたり洛陽第五人民病院(精神科)を中心に交流がおこなわれ、代わって、中国第五病院から精神科医師が派遣され、11月から医療センターで交流が始まったところである。民間を通じた草の根の交流を重ねて、お互いの制度の違いを越え、友情が芽生えることが目的である。
病気を治すには、免疫力が必要である。国と国の争いを病気と考えると、人間ひとりひとりが友情という免疫力を高める活動が、平和と友好に繋がっていくものと思う。中国のみならず、全ての国との関係も同じである。なにしろ6万年前に遡れば起源は同じホモサピエンスであり、共にアフリカ大陸を出発した兄弟だったのだから。
私は、岡山市日中友好協会の医療交流委員長・協会副会長をさせて頂いている。

参考文献:岡山市日中友好協会30年の歩み(設立30周年記念誌)2011年発行
(2013年11月18日発刊)NO.318
「スマイルマーク」
スマイルマークは世界中で、多くの人を癒している。誰がこのマークを考案したのだろうか。1996年7月10日、ウースター市のレイモンド・マリアーノ市長によると、スマイリー・フェイスは1963年にハーベイ・ボールによって創作されたことが公認されている。ハーベイ・ボールのボランティアの人生は、60年前の「沖縄戦」から始まっている。当時日本軍の迫撃を受け、故郷の戦友10数名が死亡して彼1人が残ったエピソードは有名であるが、彼はその時から自分の生き方は他人に奉仕することが大事と考えるようになった。 ハーベイ・ボールは、最初の保険会社から受け取った45ドル以外の収入をこのスマイリー・フェイスから受けていない。世界中で商標登録を行い、それをビジネスとして多額の収入を得ようというような考えは全く持たなかった(ウイキペディアからの引用)。ハーベイ・ボールは利他の素晴らしい人だったと想像している。彼のお蔭で多くの人が世界中で、モディファイしたスマイルマークに癒されている。
今年の春、上海市を訪れた時に、某レストランでウェイターが「smily」のバッジを胸に飾ってお客にサービスしている姿を見て、中国も大きく変わってきているのを実感した。当院でも「おもてなし」の姿として、「スマイルマーク」をと考えていたところ、某ホテルの職員はウインクしたユニークなスマイルマークを付けていた。岡山旭東病院でも当院のキャラクターであるモモ子バージョンのスマイルマークを川崎福祉大学デザイン科の学生と企画課とのコラボで作成した。笑いとユーモアは一寸した工夫でその場を明るくする。

参考:http://www.smileyface-jp.com/
(2013年11月11日発刊)NO.317
「うそをついてはなりませぬ」
阪急阪神ホテルズ(大阪市北区)が運営するレストランなどで発覚した食材偽装問題で、現社長が10月28日に大阪市内で記者会見し、11月1日付で社長と親会社の阪急阪神ホールディングスの取締役を辞任すると表明した。
一流ホテルの多くで食材偽装により、お客さんを欺いた行為が非難されている。阪急阪神ホテルズの経営理念は「私たちは、常に変革に取り組み「安心・快適」、そして「夢・感動」をお届けすることで心豊かな社会の実現に貢献します」である。 厨房の担当者も含めた理念の浸透が職員の中に徹底していなかったのだと思う。
「おもてなし」の国としてのイメージダウンも心配である。
他山の石として、当院でも、経営理念を常に行動の原点として頂きたいと思った。平成25年NHK大河ドラマ「八重の桜」での中で紹介されたが、会津では子ども頃から、教えの中で、1.嘘をついてはならない 2.弱いものをいじめない3.卑怯な振る舞いをしない など基本的なことが伝承されていることを知った。「うそをついてはなりませぬ。」これは大人も忘れてはなりませぬ。
(2013年11月5日発刊)NO.316
「目的に向かって一体になるということ」
「楽天」プロ野球の日本シリーズは、仙台市の球場でパリーグ優勝の楽天がセリーグの覇者巨人軍との熱闘の末、巨人を下し、球団創設9年目に日本一に輝いた。東日本大震災での悲嘆にくれる、東北の人達に元気を伝えたいとの願いに、監督(星野)と選手が一体となって、勝ち得たものと思う。心が一つになる。それが、この度の日本一の原動力となったものと思う。楽天・星野仙一監督の話「こんなうれしいことはない。最後はあいつ(田中)がふさわしいだろうと彼に託した。辛うじて1勝の差で勝った。まだまだ巨人より力は劣る。頭を下げて必死に食い下がって、最後の最後まで戦ってくれた。」(山陽新聞11月4日号)
楽天オーナー・地元のファンの熱意・星野監督・コーチ陣・選手など、多くの支えがあって、勝利の神がほほ笑んだ成果だと思う。
会社など、あらゆる組織運営にとって学ぶことが多い楽天の勝利であった。
(2013年10月28日発刊)NO.315
「こころよく働く仕事」
生命体である人間の特徴は (1)違うということ、それは自己中心でもある。(2)同時に関わりの中で生きている。他者に依存しなければ生きていけない。この二つのベクトルは互いに緊張関係にあってそれをうまく結びつける。響きあいの知恵を学ぶことが「学ぶ」ことの大きな課題だと思う。大田堯先生は「緊張する二つのベクトルをうまく結びつけるにはどうしたらいいのでしょうか。」と問いかけ、そのために、適切な詩がありますと、石川啄木の詩を紹介されている。
こころよく 我に働く仕事あれ
それを志遂げて死なむと思ふ
この、内面から「こころよく」が大切である。仕事という公共的価値の基盤をもつことによって満たしていく。これを大田堯先生は「完全就労」と言っている。
能力主義・効率主義の市場経済の中で、労働は生産コストの一部、商品の一部となっている。生活と労働というものが人間の生きるときの、公的な面とみていい。「そこに、こころよくという、欠いてはならないひとり一人の幸せの問題、内面からの充実感をつなげていくということが、石川啄木の詩の中に込められているのではないか」と大田堯先生は著書の中にかいている。
岡山旭東病院の理念の中に「職員ひとりひとりが幸せでやりがいのある病院」とあるが、内面から「こころよく」働く職場環境を創っていきたいものである。

参考「かすかな光へと歩む いきることと学ぶこと」 大田堯著  一ツ橋書房
(2013年10月21日発刊)NO.314
「意義と息」
「すべて長く続けることに 意義がある 息でもそうだ 長い息が 長生きにつながるのだ」これは「坂村真民」さんの「詩」である。何でも、やり出して、やめたものがいかに多いか反省しきりである。返信をすぐする。毎日読書、毎朝の散歩、一日一句、腹八分、勿論、続けているものも多くある。病院の経営で続けているものに、「経営指針書」がある。経営理念・経営方針・経営計画の3つを合わせて経営指針書といって全職員の英知で成り立ている。平成4年からであるから20年になるが進化発展している。これは私一人でやったものでなく、多くの職員がついてきてくれたお蔭であると感謝している。何でもやめないでいると必ず成果はついてくると思う。
(2013年10月14日発刊)NO.313
「先端医療とアートとの融合」
人間は治癒という言葉があるように、癒すことも大切である。ギリシャ時代(2500年前)の医療の中心は、ヒポクラテスのいたコス島が有名である。ここには、アスクレピオス神殿(アスクレピオスはギリシャの医の神様)があり、付属病院があった。病院では、髪や体を洗え、笑え、怒ってはだめよ、キャベツを食べる、エーゲ海の美しい眺めを見る、美しいビーナスのような彫刻を見る、ここからはわたしの想像であるが、近くにある、円形劇場で劇や音楽を楽しんだのかもしれない。そして、医師がよくなるよ!と語りかければ、多くの病は良くなったのではないかと思う。クリミア戦争(1854年)のときに、イギリスの野戦病院で、ナイチンゲールが、病院を清潔にして、医療環境を整えることによって傷病兵の死者が少なくなって感染症も少なくなったという。ナイチンゲールの「看護覚書」に看護とは、新鮮な空気、陽光、暖かさ、清潔、静けさを適度に保ち、食事を適切に選択すること〜すなわち、患者の生命力の消耗を最小限にする全てを整えることを意味すべきである〜とある。これは現代でも通じると思っている。私は、日本にも病は気からがある。気を引き立てるものがあれば、元気にもなり、免疫力を高めるであろうと思う。そこで、人の気持ちを癒す、アートを取り入れてきた。癒しの環境を良くすること。職員のコミュニケーション良くして、接遇を良くすること、施設(快適な居住空間)を良くする。そして、芸術としての音楽・絵画・生花・庭園・食事が職員や患者様の心を癒すと思う。笑いとユーモアも病院分化に取り入れたいと思ってきた。音楽は、パッチアダムスホール(150人収容)があり、クラシック・ジャズ・演歌・ハーモニカ・吉備樂・日本舞踊・朗読・あらゆるジャンルのコンサートをおこなっている。
(2013年10月7日発刊)NO.312
「おもてなし」
病院の運営の中でいま、チーム医療が重要視され、各専門職種間でのコラボレーションが盛んになってきている。病院組織の中で、20種類を越える専門職が働いている。どのような職種があるのか、一般の方々からすると、病院では医師と看護師の職種がまず頭に浮かぶと思う。現在病院には、医師・看護師・薬剤師・放射線技師・管理栄養士・理学療法士・作業療法士・言語聴覚士・社会福祉士(MSW)・音楽療法士・歯科衛生士、事務職(総務管理課・人事課・医療秘書課・医師事務作業補助者・学術課・司書など)の多職種が存在し、さらに、看護師の中にも、認定看護師・特定看護師があり、その他にも、病院経営管理士など様々な職種・資格保持者がいる。全ての職種が、生命(いのち)の「きずな」をしっかりと結んでいくことによって、ひとり一人の「生命」を大切にすることになると思う。チーム医療は、患者さまへの「おもてなし」だと考える事が出来る。このチーム医療の考え方は、他の製造業や、サービス業、介護福祉業界でも取り入れられていくと思う。病院文化の中にも日本独自の「おもてなし」文化の花がひらいてほしいと願っている。念ずれば花ひらくである。
(2013年9月30日発刊)NO.311
「慈悲の心」
私の尊敬する友人が、「知恵と善行為」アルボムッレ・スマナサーラ長老著の小冊子を送って下さった。
「法句経」一日一話より、次のような言葉が書かれていた。
まず「自分の幸せ」、ついで「親しい人の幸せ」、そして「親しくない人の幸せ」「嫌いな人の幸せ」「自分を嫌っている人の幸せ」、最後に「生きとし生けるものの全ての幸せ」を念じ、そして、できるだけ怒らないようにしていかなければなりません。ひとたび怒ったならば、慈悲の心はたちまち消えてしまいます。生きとし生けるものが幸せでありますように。
これは釈迦の言葉ですが。このようなことを念ずれば、自ずと心が平静になり、心の健康に役立つように思います。私は、「早寝、早起き、三度の食事、笑顔ですぐやる、怒らない」。を自分の健康法としていますが、釈迦の教えは素晴らしいですね。

参考文献「知恵と善行為」アルボムッレ・スマナサーラ長老著 日本テーラワーダ仏教協会
(2013年9月24日発刊)NO.310
「教育は生命(いのち)と生命(いのち)の響きあい」
9月22日(土)に岡山市天神山文化ホールにて大田堯先生のドキュメンタリー映画、「かすかな光へ」を鑑賞した。二部構成となっており、一部の後の映画の合間に、大田堯先生の「かすかな光へ」ついて20分のショートトークを行った。映画は無料で市民に提供され会場は満席であった。この企画は山本昌和医師「コラール岡山」(想田和弘監督による山本先生のドキュメンタリー映画(精神)の主人公)によってなされた。大田堯先生と山本先生との心と心の響きあいから上映会が実現されたものである。大田堯先生は生命の特徴は、「ちがうこと・かかわること・かわること」であり、教育は教え育てるのでなくて、自ら育つ力を、環境整備し、援助するものであり、「次の世代に育つ人を励ます」準備活動を丁寧にやることが大切であると語っている。映画に紹介されている有機農業は、植物の本来の育つ力に、環境整備し介添えすることによって実り豊かになるという実践は人を育てることにも通じている。教育は、明治時代に欧米からeducationという言葉を「引き出す」という意味でなく、教え育てるという一段高いところから心の内面の同化を求める考えが深く国民に浸透している。大田堯先生は、「かすかな光へ」の映画を通じて一老教育研究者としての夢物語としてこの映画を見てほしいとのメッセージを寄せられていた。
教育は、共に育ち合う「共育」であり、生命(いのち)と生命の響き合い無くては成り立たない「共に育つ」共育が相応しい。教育が人と人の響き合うアートであると同じく、経営も社員と社員、経営者と社員の響き合うアートであると思う。私も「かすかな光に」向かって、身近なことから、小さなことから、実践をすることが、大きな流れになることを願っている。  

参考文献 大田堯著 @生命のきずな 偕成社 Aかすかな光へと歩む生きることと学ぶこと 一ツ橋書房
(2013年9月17日発刊)NO.309
「異業種との交流研修での学び」
2013年9月12日から13日の2日間、製薬メーカーである株式会社エーザイ知創部の企画により、希望社員(15名/1回)の研修を当院で担当させて頂いた。当院も、エーザイの製品には「アリセプト」などでお世話になっている。エーザイの現在の主力商品は1990年代に発売した自社開発製品のアリセプトとパリエット、この二つで売上のおよそ60%を占めているという。医薬品メーカーの売上高における世界での順位は22位で、国内では4位である。
5年前から、エーザイの研究所・販売部門・生産部門・管理部門などの各部署から、当院を訪れ、2日間をかけて病院の現場を見て頂くと同時に、当院の各部署担当者が仕事の内容を紹介するなどして、交流研修を続けている。私からは「当院の理念経営や経営指針書を中心とするマネージメント」や「医療とアートの融合」についても紹介している。また、ソプラノ歌手「村上彩子」のトークを交え、研修を加味したコンサートも企画して下さっている。
当院でこの企画を担当している、薬局長(三澤次長)を始め関連部署の皆に心から感謝している。日本を代表する製薬メーカーが、私たちの様な中小病院からでも何か学びたいという会社の方針に敬意を表すると共に、参加者の熱意に私たち旭東病院のスタッフも応えるべく喜んで取り組んでいる。また、研修を通じて私たちも多くのことを学ばせて頂いていることに感謝している。2013年度から当院の一般職員研修で、研修の最後に参加者ひとり一人の決意表明として「旭東宣言」を実践しているが、これはエーザイの研修から学び取り入れたものである。今後も他の業種からも共に学び共に育ち合っていきたい。
(2013年9月2日発刊)NO.308
「ミャンマーへの小旅行」
8月23日〜27日、友人2名と一緒にミャンマーにあるヤンゴン市に滞在し小旅行をしてきた。市内を廻る環状線を利用し、広大な野菜市場やスーパーマーケット、お土産市場、病院の一部なども見て回った。案内・通訳は、英語ができ岡山済生会病院に留学の経験のある病理医師(女性)にして頂いた。最初に訪れたのは日本人墓地であったが、日本大使館が管理していると伺った。先の大戦で、米英中の連合軍と戦って19万人に及ぶ死傷者がでて敗退。その墓地を戦友家族の浄財と国の資金で建設、管理運営されているという。ミャンマーの人々が綺麗に清掃して下っていることに感謝である。
ヤンゴンの印象は、車が多い(トヨタ車が80%)、病院・交通網・通信網・電気などインフラはこれからで生活は質素で貧しい。黄金に輝く寺院が多く、沢山の若い僧侶が歩いている。敬虔な仏教徒が多い為か貧しいけれども、治安はいいと感じた。人は、穏やかで、子ども達の目は輝いているように感じた。これから、日本を含む海外から資金が導入され、企業がミャンマーに新しい市場を求めて人・物・金を流入させ、発展していくと予想される。私は物や金の支配する国にならない様に願っている。行きすぎた資本主義の進展によって、格差が広がりミャンマーの国民の持っているお互いの布施の心と、絆を亡くさない様に願っている。私たちはそこから学ばして頂けるのではないかと期待している。
(2013年8月19日発刊)NO.307
「別れ」
世の中で、人が生きている中で、最も悲しい事は、人と人の絆が途絶えることではないかと思う。その中でも死別が特に悲しいと思う。東北の大震災(2011/3/11)での地震と津波による震災関連死者は2,688名にのぼる。多くの人の悲しい別れがあったことは想像に難くない。
8月15日の終戦記念日は、今年で68年目を迎えた。広島・長崎の原子爆弾の犠牲者を含めて戦災で亡くなった人は300万人ともいう。第二次世界大戦全体をみれば、日本人以外に戦争の犠牲になった人はもっと多かったのかもしれない。多くの人の「悲しみ」があったと思う。映画「風立ちぬ」「最後のエンペラー」などを観ると、人間を取り巻く状況は厳しくても、人と人との絆がどんなに大切か、ドラマの中で読み取ることができる。全ての紛争には、武力を使わずに解決する知恵がほしい。それは、人と人との心の絆を大切にすることではないかと思う。しかし、人も生物である以上永遠の生命ということはない。別れはいずれやってくる。私たちは日々の人との触れ合いの中で、いつ別れがあってもいいように、常に心がけねばと思う。

映画
(1)「風立ちぬ」監督: 宮崎駿
日本だけでなく世界中にファンをもつ宮崎駿監督が、『崖の上のポニョ』以来、5年ぶりに発表する待望の新作。宮崎監督が模型雑誌「月刊モデルグラフィックス」で連載していた漫画を基に、航空技術者として活躍し零式艦上戦闘機の設計などを手がけた堀越二郎の10歳からの30年間のドラマと、映画オリジナルのヒロイン菜穂子との恋模様を描く。
(2)「終戦のエンペラー」
第二次世界大戦終結直後、日本統治のためにやってきたマッカーサー元帥と、彼から戦争責任に関する調査を依頼されたボナー・フェラーズが、終戦直後の混乱した状況下で“真実“を求めて奔走する姿を描いた歴史ミステリー。名優トミー・リー・ジョーンズがマッカーサーに扮するほか、初音映莉子、西田敏行、桃井かおりら日本人俳優も多数出演する。」
(2013年8月12日発刊)NO.306
「旭川の源流を訪ねて」
岡山市(人口70万人の政令指定都市)は旭川の河口に発展してきた町である。
8月9日(金)に休みを頂いて、家族と一緒に、毎日恩恵にあずかっている旭川の源流まで車で辿ってみた。旭川が流れ込む児島湾から、後楽園―中原橋―金川―福渡―旭川ダム―落合―蒜山の「源流の碑」のある塩釜の源泉まで川沿いの道を選んでドライブした。塩釜の泉は蒜山に降り注ぐ雨が地表から濾過されて湧き出した泉である。その泉の美味しい水で渇きを癒した。雨が大地に降り注ぎ、山から、川の流れになって、田畑を潤し、水力発電のエネルギーとなり、農業用水や飲料水として利用されている。改めて、川の恩恵に浴していることに感謝した。夜は蒜山にある「森の散歩」というペンションに宿泊して、冷房のない一夜を過ごした。川を辿ってみて感じたことであるが、川の有難さを知ると同時に、コンクリート護岸で流れがコントロールされていて、川原に降りて水遊びする場所が少ないこと。川にメダカのような魚が住めない状況になっていて、農薬にも原因があるが、魚に適した自然環境が破壊されていることも問題ではないかと思った。
私たちの生活を支えている川を大切にして自然環境を保持することが、私たちの快適な生活環境を守っていくことに通じると思う。川の管理も人間本位からの自然環境保護になっていることに気づかされた小旅行であった。
(2013年8月5日発刊)NO.305
「津波・原発事故」
浪江町復興ビジョン
「みんなでともに乗り越えよう、私たちの暮らしの再生に向けて−未来につなぐ復興への想い。」 
原発事故と津波の被災地である福島県浪江町を視察してきました。8月2日(金)に郡山市での中小企業家同友会正副会長会議が開催され、翌3日、津波と原発事故によって壊滅的な被害を受けている浪江町へ町の許可を得て入ることができました。浪江町は、福島原発から数キロ圏内の約2万人の町。人はほとんどなくゴーストタウンと化しており、家や施設は、地震で壊れたまま、津波で流された家々も、ほとんど災害のあとが手つかずの光景でした。やっと、放射線量が数ミリシーベルト以下(風向きで比較的放射線被ばくは軽かった)となって昼は帰宅できると、許可が国からでた直後の視察でした。津波によって約150名の死亡、海岸部の町は流され、跡地にはまだ船や車が散在していました。夏草が生い茂り、一見緑の絨毯のように見えました。子どもは全く見かけることはありません。人がいない、仕事はない、仮住まいの人は大変だと思います。また、現地の同友会会員の話では、災害補償の不公平があり、内部では様々な問題もあるようでした。原発現場のクレーンが見える近くまで行きましたが、これから廃炉や除染に向け、気の遠くなるような時間がかかると聞きました。復興には国を挙げての取り組みが必要であると認識を新たにしました。
福島県の産物は魚・野菜全て一品一品放射線を測定して安全です。福島産の食品も差別せずに購入して現地を応援することが大切だと思います。また、除染の廃棄物質の引き取り場所を探してもなかなか受け入れるところがない。浪江町の市の職員の方が、原発の電気を使ったところに協力(除染廃棄物の受け入れ場所)をして欲しいという言葉に、原子力発電所からの電気を使っているひとり一人が考えるべきだと思いました。国のリーダーシップのもとに知恵を出し合って早急に解決していくべきです。岡山から遠く離れていて被災地の事を忘れがちですが、明日は我が身かもしれません。
(2013年7月29日発刊)NO.304
「呼吸を合わせる」

坂村真民さんの詩に「ねがい」がある、その詩に中に「わたしのねがいは 呼吸を合わせることである 石とでも 草とでも 呼吸を合わせて 生きてゆくことである」。
人と人とが呼吸を合わせることができれば大抵のことができると思う。お互いの信頼関係がないと、呼吸を合わせることができない。どんな些細なことでも、呼吸を合わせようとする姿勢がお互いに必要である。病院にも経営理念がある。私たちが、共にこの理念に向かっていくためには職員同士が呼吸を合わせることができたらと思う。院長自らがひとり一人と呼吸を合わせていかなければと思う。自然環境の破壊が続く今こそ石とでも、草とでも呼吸を合わせることが人間に求められていると思う。
(2013年7月24日発刊)NO.303
「少子高齢化社会」

日本の平均寿命は83歳となり、少子高齢者社会となった。病院へ入院する患者さんの50%は75歳以上であり、亡くなっていく人の80%が病院で最後のときを迎える。高齢化が進んだのは、経済成長に伴って生活環境が良く平和な世の中が続いたためであり、その結果は喜ぶべきことである。この様な状況を上手に克服していく知恵が必要である。若い時に結婚できる環境整備、高齢者も元気な時には働くなど、全国民が考えて協力していく必要がある。
医療福祉では地域包括ケアと言われるように、一人一人が地域社会で支え合っていくことが大切である。日本の高齢化社会への対応をこれから後に続く、韓国・中国などの国々が関心を持って注目していると思う。世界に目を移すと、いまだに貧困・戦争など克服すべき問題が山積している。
(2013年7月16日発刊)NO.302
「人類の争いは何時まで続くのか」

中国大陸とは、紀元前1世紀ごろ、日本は小国に分かれていて、その中の奴国王が後漢に使いを送って、皇帝から金印をさずかったという。また、弥生時代(三世紀ごろ)に、すでに卑弥呼の統治する邪馬台国という国があり日本列島と関係があったことは魏志倭人伝に記載されている歴史的事実です。中国から律令体制や儒教や仏教、文字や様々なことを学んできました。中国と日本、今も様々な問題を抱えているが、経済的にも文化的にも切っても切れない関係にあります。しかし、更に遡っていくと、アフリカから、現代人ホモサピエンスが13万年前に誕生し、旧人類と交代して、ヨーロッパ大陸・ユーラシア大陸・南北アメリカ・オ―ストラリヤ大陸へ、氷河期など過酷な自然との闘いの中で、地球上に広がって行ったのです。その中の、一部の人たちが、分かれて日本列島に住みついたに違いありません。
人類移動の歴史の中で、文明が勃興して、人間は群れをなし、集団をつくって、ここはわしの土地だ、領分だとして、国ができて、権益を巡って争いが起こってきました。槍や弓の時代からダイナマイトの発見によって大量殺人が行われるようになり、20世紀に入ると、戦車や戦闘機、戦艦も進化、大量殺人兵器が開発されて戦闘も国家の総力戦を呈するようになりました。第2次世界大戦では人類の作り出した原爆が広島・長崎に落とされました。広島平和公園にある慰霊碑に「過ちは二度と繰り返しませんから」と核戦争を二度と繰り返してはならないと人類の共通の願いが刻まれている。私たちは戦後、天皇陛下を象徴として、人類初めての平和憲法を発布しました。しかし、第2次世界大戦が終わった後も、世界中で戦争が絶えず、2011年9月11日、同時多発テロ事件(アメリカの貿易センターの航空機の衝突事件)を契機にテロ活動が始まり、その後も世界中で戦争やテロの争いは絶えません。
宇宙の中で、生命の存在する、ただ一つの星、地球を守るのは、神でも・仏でもありません。それは、人間しか出来ません。尖閣列島を含めて、領有権を互いに主張し合って、最後は戦争して問題を解決するなどという愚を繰り返さないように。地球は人間だけのものではありません。人類を含む生命体全体のものです。人間は国と国の垣根を低くして、共栄共存する方向に少しでも進化していかなければ、いづれ、人類の危機が訪れるのではないかと思うのだが。
(2013年7月8日発刊)NO.301
「便り」

今は、e-mail や携帯電話で簡単に、情報を瞬時に交換できる便利な時代になった。また、face bookなどでは画像配信や多くの人とのコミュニケーションが更に簡単になった。それはそれで便利であり、私も大いに利用させていただいている。しかし、先週「院長のひとりごと」で「複写ハガキ」について書いたが、人と人を結びつける通信の道具としてハガキや手紙を大切にしていきたいものである。坂村真民の詩に「二度とない人生だから」がある。この詩を紹介したい。

二度とない人生だから

二度とない人生だから
一輪の花にも
無限の愛を
注いでゆこう

一羽の鳥の声にも
無心の耳を
傾けてゆこう

二度とない人生だから
一匹の こうろぎ でも
ふみころさないでゆこう
どんなにか よろこぶことだろう

二度とない人生だから
一ぺんでも多く
便りをしよう
返事は必ず
書くことにしよう

「続く」

この後の詩は、詩集「念ずれば花ひらく」坂村真民著 サンマーク出版 15頁〜18頁を参照
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