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(2013年7月1日発刊)NO.300
「複写ハガキ」
 
 人と人との絆が薄れていく中でITを使ったe-mailなどが情報交換の道具になってきている。しかし、人と人との心の温もりを伝えるには、直筆の手紙やハガキに勝るものはない。
 複写ハガキの道をひたすら歩むお人がいらっしゃいます。ハガキ道に生きる、広島県向原町に住む坂田道信氏です。
 朝早く起きて、只ひたすらに愚直に 一枚いちまい 下手なハガキを一心になって “書かせていただく”世界です。 裏切られて 挫折と苦労の積み重ねのはて うらみを越えて ついには世の中を信じ 自分を信じて すべてを天に 神仏に委ねる世界でもあります。
 とご著書に書いておられます。一日一枚でいいから、毎朝複写ハガキを宛先の方の顔や姿を思い浮かべて書かせていただく喜びは何物にも代えがたいものがあるように思います。ハガキ道の元祖は、森信三先生徳永康起先生と伺っています。ハガキが心を運んでくれると思うと50円は安いものです。

参考
1)「ハガキ道に生かされた四十年」 坂田道信著 致知出版社
(2013年6月24日発刊)NO.299
「念ずれば花ひらく」
 
 坂村真民先生は愛媛県の砥部町を終焉の地として永眠された。先日、念願であった坂村真民記念館を訪れた。
 真民先生との出逢いは、平成2年、大阪で日本創造教育研究所のセミナーの講演の中で真民先生の話を聞き、「念ずれば花ひらく」の言葉が心に残っていて、早速、砥部の自宅を訪ねたときである。初対面にも関わらず歓迎していただき、帰るときには「念ずれば花ひらく」の書を頂いた。平成2年から、重信川沿いの開花亭で「朴庵例会」が開催され、ときどき参加させていただいた。例会でのお話もよかったが、その後に、参加者と共に真民先生を囲んで過ごす時間も忘れ難い。「念ずれば花ひらく」は当院の庭に、173番碑として建てさせていただいている。先生から、字は『生きている石』に刻んでほしいと言われた。私は、香川県の庵治を訪れ、私を呼んでいるような生きた庵治石を見つけることが出来た。 
 真民先生から「念ずるとは実践ということだよ!」と言われた言葉が今も、心に強く残っている。真民先生の残された「詩の心」を伝えていくことが御縁を頂いた者の務めであると思っている。

参考文献
坂村真民記念館公式ガイドブック えひめリビング新聞社
(2013年6月17日発刊)NO.298
「こころ」

  こころをもって生まれてきた
  それほど尊いものがあろうか
  そしてこのこころを悪く使う
  これほど相すまぬことがあろうか
  一番大切なことは
  このこころに
  花を咲かせること
  小さい花でもいい
  自分の花を咲かせて
  仏さまの前に持ってゆくことだ    [真民]

 職場の人間関係でも他の人の「こころ」を尊重して自分の「こころ」を大切に使っていくのがいい、そして、小さな花でもいい、自分の花を咲かせていきたいと思う。
梅雨の雨にぬれて咲いている白いアジサイの様にまるい心でいたいと思う。

参考文献
「坂村真民一日一言」 坂村真民著  致知出版社
(2013年6月10日発刊)NO.297
「君子は義を明らかにして利をはからず」
 
 山田方谷(1805-1877)は陽明学者であり、備中高松藩の家老として、藩政改革を断行し、藩財政を立て直し、幕末、最後の将軍慶喜を補佐した老中板倉勝静を支えつづけた人物である。備中高松藩のお城は山頂にあって、今も高梁市から眺めることができる。山田方谷は備中高松(現在の岡山県高梁市)の農家の子に生まれ、勉学の甲斐あって高松藩の板倉家の家老になった。山田方谷の素晴らしさは、誠の心を最後まで貫き、激動の時代に城主板倉勝静を補佐し続けたことである。同時に、藩政改革を断行して藩の財政基盤を確立したマネージメント能力は今日でも見習うべきである。童門冬二著の「山田方谷」の中で、方谷の「理財論」に書かれた問答形式の一部が紹介されている。「民が生活に苦しんでいる時に、綱紀をととのへ政令を明らかにしてもその前に餓死が迫ります、それでもなお財貨の外に立つとおっしゃるのは、非常に間の抜けた現実的ではない論のように思われますが」これに対して方谷は「義と利の分別というのが大事です。綱紀をととのへ政令を明らかにするというのは義です。餓死を逃れようとするのは利です。君子は義を明らかにして利をはかりません。義と利を明らかにすれば利も必ずやってくるからです。」
 現代の企業経営、病院経営でも「義を明らかにして利をはからずは」今も変わらず経営の鉄則であると思う。義は経営理念であり、徹底的に理念を追求すると、やがて、利はついてくる。私は、経営理念、経営方針、経営計画による理念の追求がいずれ利潤をもたらしてくれると思っている。方谷は明治維新後、岡山の閑谷学校を再興したことで有名である。

参考文献
1)童門冬二著「山田方谷」 人物文庫
2)赤石善博著 「経営理念」鉱脈社
本書の目指している課題は経営理念とは何か深めることにある。
(2013年6月3日発刊)NO.296
「出逢いとわが師」
 
 私の幼少時代は戦争末期。疎開先の田舎で祖父母に育てられた。私は、田舎育ちで勉強もせず、中学に入っても、学業に身が入らなかった。さすがにこのままの成績ではいけないと自覚した。吉川英治の「宮本武蔵」に出会った。巌流島の決闘まで一気に読んだが、剣士として強いだけでなく、自分を高めるために修業し成長していく過程が面白く、武蔵の生き方に強烈なインパクトを受けた。発奮した私は、今まで習ったことを一通り復習してみた。すると2年生の秋には成績も伸びはじめ目的の高校に入学することが出来た。
 その後、鳥取大学医学部に入学し、大学では弓道部を創部した。その時の弓道部顧問は公衆衛生学教授 村江通之先生であった。先生は「たき火をすると煙が立ちのぼる、その煙は遠くからでも見える。自分からこんなことをしていると言わなくても、コツコツ取り組んでいれば誰かが見てくれる。そんな生き方をすべき」と。その後、岡山大学脳神経外科西本詮教授の門を叩き、脳神経外科医師としての人生を歩み始める。香川県立中央病院で脳神経外科医師として一線で仕事をしていたが、昭和63年に父の創業した財団の岡山旭東病院を兄弟で運営することとなった。経営については何の知識もなかったが、あるセミナーで仏教詩人坂村真民さんの名を知り、詩集を読んで深く感動した。直接お会いする機会を何度もいただき、念ずるとは実践することだと教えられた。以来、「念ずれば花ひらく」を座右の銘とした。また、経営を学ぶため中小企業家同友会に入会させていただいた。そこで、東京大学名誉教授 教育哲学専攻 大田堯先生との御縁をいただいた。人間の特徴は、@違うことA人や物や自然など関係性に中に生きていることB人は学んで変わる。その中で共に育つ学びの本質を教わった。しかし、私にとっての人生の師は、書物の中での人との出逢いだけでなく、両親を始め、お世話になった全ての人々である。吉川英治の「我以外皆我師也」の言葉が好きである。
(2013年5月27日発刊)NO.295
「君子は義を明らかにして、その利を計らず」
 
 山田方谷は、漢の時代の董仲舒の言葉である「義を明らかにして利を計らず」の考え方で、改革を進めた。つまり、綱紀を整え、政令を明らかにするのが義であるが、その義をあきらかにせずに利である飢餓を逃れようと事の内に立った改革では成果はあげられない。その場しのぎの飢餓対策を進めるのではなく、事の外に立って義と利の分別をつけていけば、自ずと道は開け飢餓する者はいなくなることを説いた。現代の病院経営・会社経営に置き直して考えると、経営理念を明らかにして、経営理念に立脚した経営方針を掲げて、計画を作成し、これを実践すれば、利は自然とついてくる。職員ひとりひとりが、歩く経営理念になって初めて、「組織」は盤石になると信じて精進していきたい。山田方谷をNHK大河ドラマ化にしようと地元から運動が始まっている。一地方の、幕末の財政改革であったが、現在にも通じる普遍的考えであると思う。

(注)山田方谷
山田家は、元は清和源氏の流れを汲む武家であったが、方谷が生まれるころは百姓として生計を立てていた。方谷はお家再興を願う父、五朗吉(菜種油の製造・販売を家業とする農商)の子として備中松山藩領西方村(現在の岡山県高梁市中井町西方)で生まれる。5歳になると、新見藩の儒学者である丸川松隠に学ぶ。20歳で士分に取立てられ、藩校の筆頭教授に任命された。その後、藩政にも参加、財政の建て直しに貢献した。幕末の混乱期には苦渋の決断により、藩を滅亡から回避させることに成功した。しかし、明治維新後は多くの招聘の声をすべて断り、一民間教育者として亡くなった。松山藩主は最後の老中・板倉勝清である。
(ウィキペディアより引用)
(2013年5月20日発刊)NO.294
「笑顔〜スマイルマークに思う〜」
 
 2013年4月10日〜13日の日程で、中国洛陽市の病院との医療交流促進を目的に中国を訪問しましたが、途次、上海のあるレストランで社員さんが、襟元に「スマイルマーク」を付けているのにビックリしました。思わずスマイルマークをつけたウェイターと一緒に写真を撮りました。中国にも、お客様へのホスピタリティの波が徐々に浸透していると感じました。ところが、先日、レストランがリニューアルされた岡山市にある岡山国際ホテルでも、受付、ウェイトレス、ウェイターさんが全員、襟元にウインクした斬新なデザインのスマイルマークを襟元に付けているではありませんか。微笑ましい風景でちょっとしたおしゃれな演出を感じました。
笑顔は人間の本能です。生まれてきた赤ちゃんは、教えなくともスマイルで周囲を癒してくれます。スマイルは、人類が天から授かった最高のコミュニケーションツールです。語学の勉強をすることもなく、誰でも何時でも、活用できます。笑顔の種蒔きを、家庭で、職場で、レストランで、病院で、公民館で、地域で、広めていきたいですね。
(2013年5月13日発刊)NO.293
「癒しの環境」
 
 病院は、患者さんの癒しと治療を提供するところである。日本語には、『治癒させる』という言葉があるが、治すことと、癒すことが共にあることが大切だと思う。医療技術はどんどん進歩していき、それを求める患者さんも多く、それに対応することは医療者の務めであり、同時に「癒しの環境」も求められている。
 ホテルなどでは、癒しの環境が提供され、付加価値として一泊料金が数万円〜10数万円という値段が付く。しかし、病院は、国民皆保険制度の中での営業であり、アメニティー(快適性)の部分に診療報酬からの支払いはない。しかし、患者さんは病院にホテル並みのサービスを求め、さらにお客さんとしての接遇も求めてきている。病院としては、そのことを真摯に受け止め、対応する必要があると思っている。
 当院では、毎年、院内で「癒しの環境院内学会」を開催している。病院の癒しの環境は、@患者さんの為、と同時にA働く職員の為であると考えると、職員ひとりひとりの努力なしには改善できない。私たちは、癒しの環境の向上に「先進医療とアートの融合」を掲げて活動している。絵画・音楽・演劇・生け花・料理・庭園などの整備とともに、職員ひとりひとりの心からの笑顔と思いやりが、職員にも向けられ、それは患者さまに花ひらくと思っている。
(2013年5月7日発刊)NO.292
「生きるというこ」
 
 先日、岡山旭東病院で「藤原仙人掌の作品展覧会」を開催させて頂いた。仙人掌(さぼてん)さんは、膠原病(こうげんびょう)を患っているが「幸源病」と言って、病気になったことによって幸せを頂いたという。全国各地で展覧会を開催され、多くの人に感動を与えていらっしゃる。坂村真民の詩に「病が、また一つの世界をひらく、桃咲く」があるが、病によって生かされることも多い。
 仙人掌さんの作品で、「やりたいことをやるのがいちばん 勇気を出すのはほんの一瞬 後悔するのは ずっと一生」があります。人生は有限、出来るときに、一歩踏み出すと新しい世界が開かれる楽しみがある。そして、「世の中に楽しみ多き身なれども 生きるにまさる楽しみはなし」(黒住教教祖宗忠)とある。生きていることのありがたさと、命の使い方によってひとりひとりがユニークな人生を送ることが出来る。毎日に感謝していきたいと思う。
(2013年4月30日発刊)NO.291
「尊敬する人、見習いたい人との出逢のお蔭で今がある幸せ」
 
 たいていの人には、尊敬している人、見習いたい人、その人に出会って人生が変わったという人が幾人かあると思います。また、本を読んで、人生に大きな影響を受けた人もあるでしょう。
 私にも、尊敬し影響を与えてくれた人がいっぱいいます。まず、両親、産みの親・育ての親、祖父母、弟、妹、子供、友人、小学校の先生、中学・高校の先生・大学の先生があります。結婚などの節目に出会った人によっても人生は大きく変わります。私が脳神経外科医師として歩むようになったのは、学生時代に映画「ベンケーシー」を見たことと、卒業の昭和40年、岡山大学の講師に脳神経外科医として奥村修三先生が身近におられたこと(今も大変お世話になっている)。そして、入局して西本詮教授に出会ったこと。それらの出会いのお蔭で、脳神経外科の道を歩ませていただいたと思っている。
 また、坂村真民の「詩」に出会い、平成2年に、愛媛県砥部の自宅まで真民先生を訪ね、ご縁ができ「念ずれば花ひらく」は実践であることを教えていただいた。森岡まさ子さんからは人生の楽しみ方を教わった。大田堯先生には「学ぶ」ことの意味を教えていただいた。そしてこれまでやってこられたのは、昭和63年から、中小企業家同友会で、理念経営の大切さと経営指針書を学び、それを実践できたこと。何より、弟(基之)と一緒に仕事に取り組むことができたこと。同時に、吉岡純二先生を始め、多くの同僚に恵まれたことのおかげである。
 病院も職員が増え、経営理念を目標に、一歩一歩前進することが出来ていることに幸せを感じている。出逢わせていただいた多くの人から学ぶことができて感謝している。これからの新たな出逢いをわくわくしながら楽しみにしている。

参考文献(著書)
坂村真民著   詩集「念ずれば花ひらく」  致知出版社
森岡まさ子著  「森岡ママは今日も笑顔で丘の上」 講談社
大田堯著     「かすかな光へと歩む生きることと学ぶこと」一ツ橋書房
(2013年4月22日発刊)NO.290
「現代アート」
  
 倉敷の大原美術館は、1930(昭和5年)に、その前年に逝去した画家 児島虎二郎(1881〜1929)の業績を記念するために、大原孫三郎(1880〜1943)が創設したものである。1900年代初頭に児島が西洋諸国を巡って、エル・グレコ、モネ、ゴーギャン、マティスなど優れた作品を核として日本を代表する美術館となっている。美術館の館長は高階秀爾氏で昨年の文化勲章の受章者である。館長の受賞を祝う会が4月19日倉敷国際ホテルで開催された。地元関係者や全国の美術作家200人が出席し、その中に混じって参加させて頂いた。高階館長は「長い歴史の上にある現代(の美術)は、地域の風土や歴史を背負っており、美術館は倉敷に対しても重要な使命がある、今後も芸術家と一緒に新しい美術を発信していきたい」と謝辞を述べた。(4月20日の山陽新聞から引用)
 大原美術館が21世紀になって収蔵した現代アートを紹介する特別展「オオハラコンテンポラリー」が開催されていて、早速4月20日に鑑賞に出かけた。現代アートの力は、今年も開催されているが、2年前に開催された瀬戸内国際芸術祭で世界中から人を集めて、直島を中心にした展示場がにぎわったのは記憶に新しい。アートの世界も、常に変化し、多くの人の心を捉えている。コンテンポラリーアートを鑑賞して、絵画に対する既成概念を越えた自由な開放感を感じた。現代アート(コンテンポラリーアート)にも触れ新しい息吹を学んでいきたいものである。

参考文献
ニッポン現代アート 高階秀爾著 講談社
(2013年4月15日発刊)NO.289
「絆」
  
 日本の社会が人と人とのつながりが薄くなって無縁社会と言われるようになって久しい。人と人の絆の大切さは、国や民族の関係も同じで、結局は小さな人と人の絆があればこそ、友好が持続する。先週岡山市日中医療交流促進訪問団の一員として、洛陽市との医療交流を促進するべく訪問した。洛陽市は、晴天で青い空を見ることでき、丁度、牡丹も満開の時期であり、紅い洛陽牡丹が咲き乱れていた。
 4月10日上海経由で国内線、紅橋空港から洛陽に21:00に到着。翌11日には、昨年岡山旭東病院へ医療交流として医師と看護師を派遣して下さった河南洛陽中心病院を訪れた。玄関まで李亜偉院長が迎えにでて下さり、「熱烈歓迎!!」の横断幕が掲げてある会議室で和やかに会談が進んだ。院長、副院長を始め病院スタッフと、当院で研修された医師・看護師も加わり、本年度の岡山旭東病院からの派遣と受け入れについて具体的に話し合われた。次いで、洛陽第一中医病院を訪れた。王莉院長を始め、岡山に訪問して下さった多くのスタッフが迎えて下さった。その後、洛陽市第五人民病院を訪問し、王院長から第五人民病院が新区に新築中の病院の説明もあった。4月12日早朝には、宿泊した洛陽華陽広場国際大飯店(ホテル)まで、洛陽東方医院の楊黎紅院長と、当院の放射線科に研修に来られた尤先生夫妻、洛陽市外事弁公室 蔡副主任、当院へ研修に来られた脳神経外科医師談華先生と看護師の王麗莉などが見送りに訪れて下さった。
 このたびの日中医療交流促進の訪問団は岡山市と洛陽市の医療交流の「絆」を確かなものにしたことに意義があったと思っている。こうした交流ができますのも、岡山市日中友好協会の30年に渡る諸先輩の築いた友好の上にあることに感謝と敬意を表したい。
(2013年4月8日発刊)NO.288
「門出」
  
 桜の咲く4月になり、全国の多くの職場で新入社員を迎え、経営者は新人の門出に期待を込めて祝っている。私どもの岡山旭東病院も22名(4月入職者、正職員30名のうち)の新社会人を迎えた。
 学生として守られた環境から、自分で物事を判断して、社会に貢献する義務と責任を負う環境に身をゆだねる。毎年、新しい仲間が入り、社員が成長していくことが、職場の活性化には欠かせない。そして、新人が育っていく姿をみることは経営者の喜びでもある。これから、未知の将来に向かって生きて行く若者に、本気で生きて「自分しか咲かせない花」を咲かせてほしいと願っている。花を咲かせる環境整備をするのも経営者の務めであると思う。そのためにも、私は良い経営者になりたい、いい病院にしたい、いい職場環境にしたいと常に思う。経営者にとっても新しい門出である。
(2013年4月1日発刊)NO.287
「あたりまえ」
  
 私たちは日々、空気をすって、太陽のお蔭を頂き、生き物を食材にして生活しています。日々のあたりまえの自然の恵みによって生かされています。同時に、人様のお蔭で毎日の生活ができているのです。私たちは、あらゆる職業のあらゆる人たちがどこかで互いに支え合って生かされているのだと思います。ただ、あたりまえのことへの感謝を忘れがちです。一流の学者さん、一流のコックさん、一流の建築家さん、一流の役者さんなどになるのは大変です。でも、「一流の人になる」はいかがでしょうか。日々の「あたりまえ」のことに感謝でき、日常の生活の中で、笑顔で人に接する、「ありがとう」といえる、履物をそろえる、ごみを拾う、「おはよう」と挨拶するなど「あたりまえ」のことがあたりまえに出来る人を一流と言ってもいいのだと思います。
 「あたりまえ」のことに感謝し、「あたりまえ」のことが出来る、それなら自分にもできるように思います。

参考文献
「道端感謝」−豊かな心は“気づき”からー 黒住教副教主  黒住宗道著
黒住教日新社出版
(2013年3月25日発刊)NO.286
「激変を良き友とする経営者を目指す」
  
 敬愛する大久保尚孝さんが逝去(83歳)され、2013年3月23日に札幌市民ホールに於いてお別れの会、引き続いてホテルオークラでの「偲ぶ会」へ参列してまいりました。雪は少し残っていて、チラチラと雪も舞っていましたが、思っていたよりも暖かい日でした。
大久保尚孝氏は北海道中小企業家同友会の設立から関わり、北海道同友会を5000社の日本最大の中小企業家同友会に育てた功労者であるだけでなく、全国でも「共に育つ」社員教育、同友会大学、共同求人など先進的取り組の魁をなさってこられました。経営は科学性、人間性、社会性に基づくものでなければならない事を学ばせていただきました。
私が最も心に止めておきたい教えは「激変を良き友とする経営者を目指す」です。経営は常に社会の動きに伴って、激変はやってきます。その激変を友とする気概が必要だと思います。大久保さんとまたお会いできる日を楽しみにしていたのに残念です。多くの人に惜しまれた素晴らしい人生であったと思います。
 
参考 大久保尚孝氏
(地域経済ニュースサイト 北海道リアルエコノミー 総合経済3月23日記事一部引用)
 北海道中小企業家同友会の専務理事を長く務め、同会の基礎を作った故大久保尚孝さんの「お別れの会」が22日、札幌市民ホールで行われた。全国の同友会関係者や北洋銀行石井純二頭取、北海道銀行堰八義博頭取など約200人が出席、最後の別れを惜しんだ。同会の三神純一代表理事(エミヤ会長)は、「大久保さんの同友会精神を受け継ぎより良い会社、より良い経営者、より良い経営環境を目指していく」と遺影に誓った。大久保さんは、1929年神奈川県藤沢市生まれで、藤沢商業学校を卒業後に帝国銀行(第一銀行)に入行。札幌支店勤務だった1960年代後半に同友会誕生に関わった。なにわ書房の当時の浪花社長に強く請われて第一銀行を退職、70年4月に発足間もない北海道同友会の初代事務局長に転職した。当初は大久保さんの自宅が事務局でそのために自費で電話を引いたり事務用品を購入したり交通費を賄ったりしたという。その後、加盟社の増加とともに事務局も二度三度と引っ越し、そのたびに所帯は大きくなっていった。74年から2000年まで、26年間専務理事を務め北海道同友会の基礎固めから官に頼らない中小企業団体として1人立ちするまで力を発揮した。2000年に代表理事に就任、2002年からは相談役理事に退いていた。小柄できゃしゃな大久保さんだったが、澱みのない滔々とした語りは大久保節とも言えるもので、発言には芯を感じさせる骨太さがあった。政治や経済の情勢を分析判断する触覚は、ゼロからスタートした北海道同友会の活動でより研ぎ澄まされていったのは間違いない。今でこそ珍しくないが訪問者には事務局職員全員が起立して挨拶する習慣は、大久保さんが人と接する場合の最低限のマナーを体現したものだろう。昨年12月下旬に体調を崩し、2月19日に83歳で死去した。
(2013年3月18日発刊)NO.285
「洛陽の牡丹」
  
 平成23年、岡山市日中友好30周年を記念して、洛陽から岡山市へ1,000本の苗が贈られた。岡山旭東病院の庭にも20本ほど地植と鉢植にわけて植えている。昨年は、木に勢いがなかったが、今年は、葉が繁って、花芽が大きく膨らんでいる。私の自宅にも5本ほど植えており、やや遅れ気味であるが今年は上手く咲きそうである。半田山植物園に植えた牡丹は、日蔭がなく西日があたるせいか、毎年葉が焼けて駄目になることが多かった。しかし、今年は予算をつけて、牡丹園が整備されたと聞いた。
友好のシンボルである牡丹は、国と国との、いや人と人との駆け引きと関係なく、美しい姿を見せてくれるに違いない。今年は洛陽市から牡丹祭りへの招待状がないという。牡丹の咲くころには、民間交流に友好の花が咲くことを願っている。
 
洛陽の牡丹:
中国河南省の洛陽市は、中国の歴史上、唐など多くの王朝が、都を置きました。長い歴史をもつ都市というだけでなく、有名なものがあります。それは牡丹です。牡丹は、昔から中国人が好きな花です。洛陽の気候は穏やかで、土壌が豊かなので、牡丹の生息に一番よく洛陽の牡丹は一番素晴らしいと言われています。
(2013年3月11日発刊)NO.284
「生命を何にかけるか」
  
 生命(いのち)はその人に与えられた時間である。その時間をどのように使うか、それぞれの価値観によって使われ方は様々だと思います。平成25年3月7日(木)山形新幹線での、カリスマ新幹線アテンダントとしてマスコミでの取り上げられている齋藤泉さんを、当院の「接遇研修(共育塾)」にお招きして、お話を聞きました。病院の職員だけでなく、異業種の社員さんも多く参加して下さいました。齋藤泉さんは、山形新幹線の車内販売員として新幹線で出会う人との一瞬の出会いに人生をかけているのだと思いました。販売員の平均の売り上げ7万円の4倍近い売り上げを上げる。売り上げで、給与があがるわけではない契約社員。何に命をかけるか!お客さんが喜んで下さることを喜びとする。その行動から生きることの輝きがほとばしっている。私たちの、医療サービスも、患者さまとの出会いを大切にすることが生命を大切にすることだと思います。私も、齋藤さんの講演に感動し「一瞬の出会いに人生をかけ」これからの人生を過ごしていきたい。著書へのサインに「一瞬の出会い」と書いて頂きました。

参考
 「あなたから買えてよかった」 日本レストランエンタプライズ アドバイザー
 齋藤 泉著  徳間書店
(2013年3月4日発刊)NO.283
「学ぶということ」
  
 大田堯先生(東京大学教育学部名誉教授・都留文科大学元学長)は人間の特徴は次のように考えている。

@ひとりひとり違う、ユニークな存在である、言いかえると、人は自己中心的である。
A人は関係性のなかで生きている。太陽・水・酸素などの恩恵で生かされている。また、他の人と人との関わりの中で生きている。
Bこの自己中心的な自分と、他者との関係性の中で生かされている。この人間のユニークな特徴を生かしていくことが、学ぶということである、

 そのように解りやすく大田堯先生が語りかけて下さった。学ぶとはそうゆうことかと思うと今まで解ったようで解っていなかったと気づかされる。関わり方の知恵を学ぶことが教育の本質と言えるのではないか思う。94歳の今も、日本の教育に警鐘を鳴らして続けている。
(先日、当院で継続している、あかいはな道化教室の10周年記念誌を寄贈させていただき、御礼の電話を頂いたときの話である)

参考:大田堯先生略歴
東京帝国大学文学部教育学科卒業。東京大学教育学部教授、日本子どもを守る会会長、都留文科大学学長、日本教育学会会長などを歴任。専攻は教育史、教育哲学。最近は講演・執筆など多忙だが、その中で故郷の広島県本郷町の「ほんごう子ども図書館」の設立に尽力。長年の研究者としての実績とあわせて、同町から名誉町民の表彰を受けている。
(2013年2月25日発刊)NO.282
「炊き火」
  
 私は昭和20年〜23年頃、祖父祖母のお世話で、疎開先の田舎(岡山県吉備中央町井原)の小学校(長田小学校)に通った。子どもの頃は、何処でも炊き火が行われていた。冬になると学校に通う道端では炊き火が燃やされていて、子どもたちは皆、暖をとって学校に通った思い出がある。火を囲んで暖をとり、焼き芋を食べさせてもらった思い出である。四季折々に枯れ草や落ち葉・ゴミなど集めて火を炊く光景が懐かしい。
 炊き火をしていると、火の粉と共に煙が天高く舞い上がる。遠くからでも白い煙を見ることが出来る。私が、鳥取大学医学部専門課程の学生の頃、恩師である公衆衛生の村江道之教授が「炊き火をすると煙が立ちのぼる。その煙は遠くからでも見える。自分からこんなことをしていると言わなくても、コツコツ取り組んでいれば誰かが見てくれている。そんな生き方をすべきである」とおっしゃられた。私は、何かくじけそうになったときやうまくいかないときに、この言葉を思い出して、自分の励みにしてきたように思う。世の中には、思いの通りにいかないことも多いが、何事も「コツコツ」とやり続けることで光明を見出す生き方もあると思う。
(2013年2月18日発刊)NO.281
「軽くなろう 軽くなろう」
  
 日曜日、久しぶりに家でゆっくりした。机や本棚をみると、あまり使わない物や、一度も読んだことのない本などが並んでいる。知らぬ間にたまった書類の山、何時か整理整頓したいと思っていた。久かたの空いた時間、今日は「やるぞ」と意気込んで、ためていた書類、使わない筆記用具、古い名刺、後で読みたいと思っていた新聞雑誌、多くの単行本、これらを思い切って必要なものだけを残して、あとはきれいさっぱりと処分した。いつの間にか溜まった物がいかに多いかに驚く。家に入ったものと家から出て行くものの均衡がとれていれば物は溜まらない。山積になった書斎がすっきり、少し身も軽くなったように感じた。明日から、入ったら捨てる、次いで整理整頓を実行したい。
 
坂上真民さんの詩に「軽くなろう」がある。
   軽くなろう
   軽くなろう
   重いものはみんな捨てて
   軽くなろう
   何一つ身につけず
   念仏をとなえて
   あるきまわった
   一遍さんのように
   軽くなろう
 
一遍さんや真民さんのようには、なかなか軽くはなれないが、せめて身の回りのものから軽くしていきたい。
(2013年1月28日発刊)NO.280
「生きるということ」

 先日、山形新幹線のカリスマ販売員「齋藤 泉さん」の講演を聞いた。新幹線の中での販売は何をしなくても、いくらかは売れる。しかし、彼女は、販売員の平均7〜8万円売るところを人の何倍も売る。最高は26万円であったという。そのためには、もちろん努力がいる。
 @お客のニーズを予測する A考える B準備をする C修正する D反省を常にする
 販売は一瞬の出会いである。その一瞬にかけて、お客さんが喜んで下さることを考えに、考える。それを実行し続けること!!彼女は契約社員であって、成果報酬でもなく時間給は1000円であるという。一期一会にかける。この様な価値観を持って働いている人がいることに改めて感動する。

参考文献:「あなたから買えてよかった!」齋藤泉著 徳間書房
(2013年1月21日発刊)NO.279
「栴檀(せんだん)は倒れても尚、香(かおり)を残す。」

 先日、ある通夜の席で、僧侶(導師)の方から、故人のことを悼んで「栴檀は倒れても尚、香を残す」の言葉を話されました。80歳で逝去された故人は、60代で脳卒中になり不自由であったと思いますが、パソコンやカラオケを楽しみ、多くの人に「いい香」を残されたのだと思います。多数の通夜の客がそのことを物語っていました。亡くなっても、香の残る人生を送って来られたのだなと思うのと同時に、私が今亡くなって香を残せるのかと思いました。日々、少しで精進して香の残せる人生を過ごしていきたいものです。
棺を蓋いて事定まるという諺もあります。人間生きている内は、いろいろな感情や、利害得失が有り、人物の評価は難しいが、亡くなってお棺の蓋をした後に評価されるものだと思います。
注:「栴檀(せんだん)は、双葉より芳し」の栴檀はビャクダン(白檀)を指す。白壇は 発芽の頃から早くも香気があるように、大成する人物は、幼いときから人並みはずれて 優れたところがあることのたとえ。
(2013年1月15日発刊)NO.278
「不器用は才能・失敗は財産」

 器用な人は、難なく仕事も効率よくテキパキできる。不器用な人は、本人は一生懸命でやっているつもりでも、効率よく目的を達成することができない。しかし、不器用な人は、コツコツと真面目に時間をかけて一歩一歩進めば目標を達成することができる可能性は大きい。それがその人の持ち味であると考えれば、それもそれで偉大な才能かもしれない。人は多くの失敗を繰り返す。しかし、多くの失敗を、経験として活かすことさえできれば失敗から学ぶことも多い。例として失礼かもしれないが、山中伸弥先生(2012年度ノーベル医学生理学賞受賞者)は、整形外科の医師としては不器用で、臨床の医師をあきらめて、研究者の道を歩まれた。結果、多くの失敗を乗り越えて、皮膚から万能細胞(iPS)を得ることができることを証明し、医学に新しい分野を開拓した。今、まさに多くの難病にかかっている人に光明を与えようとしている。
 日々の生活の中で、「笑いやユーモア」は私達に癒しを与えてくれるが、笑いやユーモアも不器用や失敗やドジなことがあってこそ、生まれてくるものだと思う。私たちは、不器用も才能、失敗は財産と考えて、愉快に笑顔で、日々、コツコツと自分の人生を歩み続けることを心掛けていきたい。
(2013年1月7日発刊)NO.277
「新年の誓い」

 毎年、新年には、新しい誓いを立ててきた。そうして一年を振り返ってみると出来なかったことが多くて恥ずかしい。しかし、完全には実行できなくても、心新たに誓いをたてることは大切だと思っている。3年目になる誓いの一つに、「早寝・早起き・三度の食事・笑顔ですぐやる・怒らない」があるが、少しずつは実践できているかなと思う。夜のお誘いは特別な場合は別として、平素は夜10時には就眠、朝は5時起床、その後の時間は私にとっての仕事時間である。三度の食事は、しっかりといただいているが、脳神経外科医師としての若い時の習慣で、食事が早い。これを改め、30回以上噛んで食べることを目標にしている。笑顔の効用は計り知れない。苦しい時、悲しい時にも努めて笑顔をすることによって心が癒されてくる。頼まれごとは、できるかできないかを早く決断して、できることは「森岡まさ子」ママから教わった「すぐすれば、すぐすむ」を心がけている。怒ると精神状態が不安定になって血圧が上がるし、決断力も鈍る。
 今年も「早寝・早起き・三度の食事・笑顔ですぐやる・怒らない」を新年の誓いの第一に挙げて健康で元気な1年にしていきたい。

参考文献
「すぐすれば、すぐすむ」は、森岡まさ子氏の著書に記載されている。
「森岡ママは今日も笑顔で丘の上」森岡まさ子著 講談社 頁204-206
(2012年12月25日発刊)NO.276
「スタッフ教育を考える」

 病院経営をさせていただいて25年目になる。人が育ちあう職場、教育は共育だとして、『共育』を目指してやってきた。組織が発展して継続していくためには人が育ちあってゆく環境が必要である。頭では理解出来ても実践は難しい。私も悩みに悩みやってきた。人は他人から言われて育つものではない。経営者は、学ぶ条件を整えるだけであり、スタッフは自ら育ちあうのが正解だと思う。そのためには、共通の目標がいる、それが経営理念であり、経営方針であり、ビジョンである。経営理念を目的に、全スタッフが実践計画をたてて、日々の仕事に取り組むこと。その中で、育ちあってくれればいいなと考える。条件整備の中では、給与・就業規則・ワークライフバランス・個人情報保護、図書館整備、経理の公開を含む見える化、第三者評価、福利厚生などは企業として全て重要である。しかし、一番大切なことは、組織風土として「あたり前のこと」を私たち大人が実践することであると思う。

   いつも力を合わせて行こう
   かげでこそこそしないで行こう
   働くことが一番好きになろう
   なんでも何故か考えろ
   いつでも、もっといい方法はないか探せ
  (1951年 山元中学校第四回卒業生代表 佐藤藤三郎)

参考文献
  「共に育つ」パート1 教育のあるべき姿を求めて
             中小企業家同友会全国協議会 109頁
(2012年12月17日発刊)NO.275
「満足度について」

 2年に一度、業者にお願いして「職員満足度調査」をしている。岡山旭東病院の職員434名(回収率94.7%)で、平成20年度から22年度、24年度と同じ設問で行った。55項目のうち48項目で改善されており、さらに21項目は3回連続改善している。その内容には、納得の給与、定年まで仕事の希望、患者さんへの感謝などがあった。しかし、一方で課題もある。即ち、経営方針・経営理念の浸透・職場の自由闊達さの増進・職員の向上心の喚気などである。経営理念の浸透は、経営指針書の全員参加型の作成などを実施しており、ある程度浸透しているつもりであったが、経営者の思い込みが強いだけに反省しきりである。経営理念は、1)安心して生命のゆだねられる病院 2)快適な、人間味のある温かい医療と療養環境を備えた病院 3)他の医療機関・福祉施設と共に良い医療を支える病院 4)職員ひとりひとりが幸せでやりがいのある病院の4つである。特に、4)の職員ひとりひとりが幸せでやりがいのある職場になっているか、職員満足度調査を見て、よかれと思っていたことが必ずしも、職員に理解してもらっていないことがあることに気づく。
職員満足度、家族満足度、夫婦満足度、学校満足度、社会満足度、自己満足度など、私達は満足度を求めて日々生きているし、そこに進歩があるのだと思い積極的に評価して満足を高めていきたい。しかし、満足度には限りがないので、「足るを知る」ことも幸せに通じるのかなとも思う。 
(2012年12月10日発刊)NO.274
「経営者は社員の愉しみを願って経営する」

 先日(12月6日〜9日)、台湾医療施設見学に行った際、台南にある奇美美術館を訪れた。オーナーは台湾有数の企業グループ「奇美実業有股公司」の許 文龍氏である。社屋前では、レプリカ像「サマトラケのニケ」が迎えてくれた。
 許氏は、戦後、台南の小さな町工場から、34年で世界一のABS樹脂メーカーに育て、今ではオーナーとして週に2日しか働かない。あとは好きなことをすると50歳から決めたそうだ。「人生の愉しみは省略できないが、会社の仕事は省略できる。朝4時に起きて、釣りに出かけ、出勤日以外は昼寝の後に絵をかいたり、読書したり、趣味を優先した生活をしている。お金は使ってこそ価値がでる」と言う。許氏は趣味以外にはお金を使わないそうだ。台南の大病院「奇美病院」のオーナーでもあり、月給は30万元(37万円)あるが、全額寄付しているという。
 6日、奇美美術館を見学した際には、許氏の同級生でもある顧問の石栄堯氏(84歳)に案内していただき、日本に好意をよせて頂いていることを感じた。世界中から集めた夥しい優れた絵画や楽器(ストラディヴァリ作のヴァイオリンなど)を収蔵している美術館で、現在、広大な地域に新たに美術館を建設中だそうだ。7日には、奇美病院(Chimei Hospital)を見学したが、電子カルテなど最新のIT技術が導入されていた。許氏の経営は、適材適所に人材を配して、未来ビジョンを示し、リーダーに任せて組織を活性化する。社員にも人生を愉しませたいとの思いで、1988年から週休2日制である。
 成功の基は、生来備わっていた直観力と子供時代からの虚弱体質と運の良さだと言う。『人の力を借りて自分のやりたいことをする』が許氏の経営哲学である。許氏は植民地時代に日本式教育を受けており、「戦前の日本人は立派な人が多かった。私が中学の時の先生で、大友先生と言うんですが、音楽と美術の先生でした。先生に教わったのはわずか二年でしたけれど、生涯を通じて一番好きな尊敬している方です」参考文献(2)。当時の先生は愛情と使命感を持っていたと言う。許氏は、戦後の混乱の中から企業を立ち上げた方であり、日本の良き理解者でもある。使命感に燃えて台湾を近代国家に導いた戦前の日本の指導者(後藤新平・八田与一・羽島又男など)の、信念のある態度を見習ってほしいと述べている。奇美美術館で石氏から頂いた「台湾の歴史」の中で「私は常に生態学的に自然な姿、人々の欲求というのはどういうものであるか、それを満足させるためにはどうあるべきかという発想をします。私は従業員に対してすごく自由を与えている」子孫への遺書「子供たちにはカネを残しません。残してもほんのちょっとだけ」 経営者は社員の幸せにために働くこと、それが社会貢献にもなることを実践している。素晴らしい人生哲学から学ぶことが多い。

参考文献
@ 「台湾の歴史」 2012年4月修訂版 許文龍著
A 許文龍「いまは釣れた魚=富を放流しているんです」 SAPIO 2002.4.24・8-11 平野久美子取材  
(2012年12月3日発刊)NO.273
「尖閣列島に思う」

 13万年前に、私達ホモサピエンスは、アフリカから出発し、ユーラシア大陸を東へ東へと旅して大陸から朝鮮半島を経由、または南廻りなどをして日本列島に移住したと考えれば、中国人もモンゴル人も朝鮮人もアイヌ人もすべて同じである。日本列島に住む私達日本人は、仲間とどこかではぐれたか道に迷ったかして、たどりついた末裔であることは間違いない。そう考えると、つまらぬ領土争いなど、どうしてするのか。
 地球の歴史を1年に凝縮すると、人類の歴史の始まりは大晦日の31日と言われている。ホモサピエンスの歴史は午後11:47分に始まる。そして、3月には地球は消滅すると考えられている。まだ先のことであるといっても、終わりは意外に近くかもしれない。人間は地球上の生命を破壊する術を手にいれた。人間は争いの結果、核兵器を使用するか、自らの手で住環境を破壊して、人類の住めない地球にするのかもしれない。金星への移住計画もあると聞く。人間同士が争いをやめて、お互いが助け合ったら、安全な地球になると率直に考えると解決はみえてくる。ワシがワシがと自己主張を互いに言い合って問題が解決するわけがない。子どもでもわかる理屈である。
 坂村真民の詩「やってごらんなさい」が好きだ。

    振り上げたこぶしを
    二度とない人生だで
    さっとおろしてしまう

    どなろうとした声を
    二度とない人生だで
    ぐっとおさえてしまう

    どうしてもがまんできないのを
    二度とない人生だで
    じっと辛抱する

    もうすこし寝ようとするのを
    二度とない人生だで
    すっくと起きあがる

参考:坂村真民 詩集「自分の花を咲かせよう」すずき出版
(2012年11月26日発刊)NO.272
「食と絆」

 先日、神戸で開かれた家森幸男会長の第33回世界健康フォーラム2012 in神戸に参加してきた。家森幸男先生は、「世界の長寿社会は、都会から離れた特定の地域(アンデス山脈のビルカバンバやカスピ海ヨーグルトで馴染みのコーカサス地方)ではなく、都市部にあり、その代表は香港である。」と報告された。香港では豆腐に代表される大豆製品を多く食べ、新鮮な野菜や海草を多く摂取する。魚介類を食べることと同時に、よく運動をし、それに加えて多くの人と団欒しながら食べることも大切と話された。日本では、核家族化が進み、お客を呼んで団欒して食事をすることが少なくなっている。社会全体が、自己中心的になり、無縁社会と言われる様に、互いの縁がうすくなってきている。食卓を囲んで団欒しながら食事を一緒にすることによって、人と人の絆がより強くなるように思う。日本食を代表する米、魚・大豆・野菜・海藻を食べることによって体の健康を維持し、食事を団欒の中で楽しんで食べることで心の健康に役立つ。家族や縁ある人と食事を共にして互いに絆を強めていきたいものである。
(2012年11月19日発刊)NO.271
「病がまた一つの世界をひらいてくれる」

「桃咲く」
 病が
 また一つの世界を
 ひらいてくれた

 桃
 咲く

坂村真民さんの詩である。病院の一角に真民さんの書がある。病は誰も罹りたくないものである。しかし、入院するような病気になったお蔭で見えてくるものもある。元気のいい社長さんが、病気になって、会社を休んで、会社がうまくいくだろうか心配していたところ、社員さんが頑張ってシッカリ支えてくれた。こんな話はよくあることである。社長は社員への感謝の念が湧いてくる。病気になって初めて気づくこともある。真民さんの詩に次の様な詩がある。

「闇と苦」
 闇があるから
 光がある

 苦があるから
 楽がある

 闇を生かせ
 苦を生かせ

参考:「念ずれば花ひらく」 坂村真民著  サンマーク出版
坂村真民 詩人 1909年生まれ。25歳のときに朝鮮で師範学校の教職につく。終戦で四国に移り住む。50年、41歳の時に詩に転じる。62年より「詩国」を発行。91年に仏教伝道文化賞を受賞す。著書に「坂村真民全詩集(全6巻)」随筆集「念ずれば花ひらく」他多数。一遍上人を敬愛し、午前零時に起床して夜明けに重信川のほとりで地球に祈りを捧げる生活。そこから生まれた人生の真理、宇宙の真理を紡ぐ言葉は、弱者に寄り添い、癒しと勇気を与えるもので、老若男女幅広いファン層を持つ。2006年12月11日に逝去。松山市に坂村真民記念館が開設されている。(真民記念館のホームページより一部引用)
(2012年11月12日発刊)NO.270
「教育・学問・共育」
 
 教育とは、人の知識を増やし、技能を身につけさせ、人間性を豊かにさせるもので、啓蒙するとの側面もある。教育は、一般的にはそのように考えられており、疑問にされることは少ない。しかし教育は、教え育てるという、一段高いところから教え、理解させる、同化させる、そんな意味も含まれているように感じられる。
明治5年に福沢諭吉が「学問のすすめ」を世に出し、多くの国民がこれを読んで勉学に励んだと言われている。明治23年に教育勅語(昭和23年に廃止)が明治天皇より国民に発せられる。学問ということは少なくなり、教育が一般的に使われて現代に至っている。英語では、educationでこれは本人の持っている持ち味を引き出すという意味である。江戸時代には教育という字はなく、もっぱら学問であったのではないか。学ぶことに問いかけがあり、educationに近い。
中小企業家同友会では、共育という言葉を使用しているが、社員教育や生涯教育にも共に育つ(共育)が適切な言葉ではないかと思うこの頃である。

参考文献
「新・共に育つ」  中小企業家同友会全国協議会
(2012年11月5日発刊)NO.269
「人生万事塞翁が馬」
 
 中国のお話です。国境に城塞がありました。ある時、塞翁の馬が北の胡の国の方角に逃げていってしまいました。人々は気の毒がって塞翁をなぐさめに行きました。そしてしばらく経ったある日、逃げ出した馬が胡の良い馬をたくさんつれて帰ってきました。そこで近所の人たちがお祝いを言いに行くと、「このことが災いのもとになるかもしれない」といいました。息子が胡の馬に乗っていて、思いがけなく落馬し足の骨を折ってしまいました。近所の人が気の毒がって、なぐさめると、「このことが幸福をもってくるかもしれない」といって嘆き悲しむ様子がない。しばらくすると城塞を越えて異民族たちが襲撃してきました。城塞の若者はすべて戦いに行き、多くの若者は死んでしまいました。しかし、塞翁の息子は足を負傷していたので、戦いに行かずに戦死しないですみました。
 「塞翁」というのは、城塞に住んでいる「翁(おきな)=老人」という意味です。いま、苦しい悲しいことがあってもそれが幸せをもってくるかもしれません。今年のノーベル賞受賞者の山中伸弥先生の好きな言葉として紹介されています。山中先生も、整形外科医としての適性がなかったお蔭で今があるのです。私も、人生の中で、多くの出会いや、身の回りの状況の変化もいろいろありましたが、どんなことが起こっても、ありのままに感謝して受け容れることが[幸せ]につながる道と思っています。

参考:@中国の故事「中国の古い書物「淮南子(えなんじ)」 
    A「山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた」山中伸弥 講談社
(2012年10月29日発刊)NO.268
「『おかやまあかいはな道化教室と私』〜愛と笑いとユーモアを〜」
 
 2002年9月1日映画「パッチ・アダムス」のモデルとなった、アメリカの道化医師ハンター・アダムスを岡山に招聘し、講演会を開催しました。パッチは「愛情のこもった笑顔やユーモアで人に接すること、スピリチュアルな対応が大切である」というメッセージを残してくれました。これを次につなげたいと、臨床道化師であり、ステージマネージャーを務めて下さった塚原成幸さんが毎回案内人となって、あかいはな道化教室を開催して、2012年で、10周年を迎えることが出来ました。私にとって「あかいはな道化教室」への参加は、自分と向き合って、自分を開放する場であり、同時に人と人との絆の大切さを学ぶ場でもあります。この度、記念事業として大田堯先生ドキュメンタリー映画「かすかな光へ」のなかで、人間の特徴である、「@ひとりひとり違う A変わる B関係性の中に生きている」から生命の絆の大切さ、共に育つ、共育の大切さを心に刻みました。明日に向かってこの一本の道を歩んでいきたいと思う。これからも、多くの仲間とともに道化的発想から「愛と笑顔とユーモア」を学び、人と人との絆を深めていきたい。

参 考:おかやまあかいはな道化教室のホームページ http://www2.ocn.ne.jp/~akaihana/
道化師:つかはらしげゆき
1991年長野大学社会福祉学科卒業。学生時代から保育園で紙芝居を中心とした一人芝居を行う。卒業と同時に「仕事は自分で創るもの」と考え、人と地域が深くふれあえる可能性を求めて、移動劇場「シアター道芸」をスタートさせる。以後、アメリカやオーストラリアで芸の基本を学び、道化師として全国各地で公演を行う(年間約100公演)。1995年以降は、「上演活動だけでなく、人の暮らしそのものに関わりを持っていくことが道化本来の姿」という信念をもって、災害地域での救援活動や街づくりの支援、医療・福祉・教育分野において、様々なユーモア講座を実践している。「人は楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しい」がモットー。前向きな人生を多くの人と分かち合いたいと行動を続けている。2005年からは大阪に日本クリニクラウン協会を発足させ、事務局長兼アーティスティックディレクター(芸術監督)を務めている。2012年〜長野に在住。

☆道化教室のご案内☆
日 時 : 2012年12月16日(日) 13:00 〜 16:00
場 所 : 岡山旭東病院 パッチ・アダムスホール
講 師 : 塚原成幸
内 容 : 参加型ワークショップ
参加費 : 3000円 *参加希望の方は、下記までご連絡ください。
対 象 : 高校生以上

<連絡先>
岡山旭東病院企画課
TEL:086-276-3231  FAX:086-274-1028 email: akaihana@kyokuto.or.jp
(2012年10月22日発刊)NO.267
「緑と花の癒し」
 
 岡山市のビジョンに「新しい都市のかたちである「庭園都市」を実現するため、多様な自然環境と質の高い都市集積が共存する本市の特性をいかし、都市の利便性と自然の豊かさのどちらも楽しめる都市をつくります」と書かれている。岡山市は災害が少なく、自然と平野部に恵まれており、庭園都市を目指す方向に大賛成である。病院に於いても、庭園など癒しの環境の整備はスタッフにとっても患者さまにとっても、地域の住民にとっても好ましい。
当院の施設管理の仕事の一つに、院内のガーデニングがある。ガーデニングの直接の担当職員は4名であるが管理課全員で協力して行っている。当院は、先端医療とアートとの融合を掲げて、患者さま・職員への癒しの環境の向上に努めてきた。その一環として庭園の整備には特に力を注いできた。2002年、私は高柳和江先生(癒しの環境研究会代表)が企画されたニュージーランド研修視察旅行に参加した。訪問したクライストチャーチ市の病院や老人ホームなどの庭園はどれも整備され、ガーデナーがいることを知り感激した。当時、当院には多くの木々が植栽されていたが、中庭と病院周辺に、「念ずれば花ひらく」の碑を中心とした小さな庭園がある程度であった。当時調理師をしていたある職員に、調理の盛り付けも庭園のアレンジもよく似ており共通点があると思うので、ガーデナーをやってみないかと勧めた。そして彼は今、園芸福祉士の資格を取得して当院で中心的に庭園を管理し、木々や草花の世話をしている。当時は3カ所だけであった庭園も、現在では小さなものも含めると30カ所にのぼる。その後、2名の園芸担当職員を加え、2012年4月からは、園芸学科を卒業し、岡山市の公園協会で仕事をしていた新人が加わり現在の4人となったが、枯れ木や雑草取り、芝生の刈り込み、花の植え替え・院内樹木の選定、庭園の改造など仕事は多岐にわたる。また、毎月担当者全員で庭園の整備を目的とした院内ラウンドも実施している。
木の緑や美しい花は、患者さまの心を癒すと同時に、病院で働く職員にも癒される環境を提供している。責任者であるSは「花を通じて患者さまとの交流ができることが嬉しい」という。また、彼は定期的に院内外で園芸教室も開催している。新人のMは「2年先には院内に温室の施設を造る計画があり今から楽しみ。」と話してくれた。彼らの活躍で、毎年開催される岡山市主催の庭園コンクールでは優秀賞や最優秀賞を頂いている。今年も、岡山市緑化フェア2012に於いて、緑部門・団体の部で優秀賞を頂いた。
私達は今後もささやかであるが庭園都市の活動に参加していきたい。  
(2012年10月15日発刊)NO.266
「地球は誰の物か?」
 
 地球上で人間同士の争いが絶えない。もともと、地球は人間のためだけに用意されたものではない。46億年前のビック・バーンに続いて、地球は誕生を迎えた。灼熱の地球にやがて水や大気が生まれ、少しずつ冷却されて36億年前にアミノ酸が合成され、やがて単細胞の生物が生まれた。そして海からは生命が生まれ、海藻、森林など植物が育成し、魚、両生類が生まれた。やがて爬虫類の時代が訪れ、恐竜の時代が5億年も続いた。しかし、宇宙から巨大な隕石が地球に激突(6500万年前)して地球の環境は激変、恐竜の時代が終わり、か弱い哺乳類が後に続いた。その一種である類人猿が生まれたのは600万年前と言われている。私達、ホモ・サピエンスは今から13万年前にアフリカで生まれ、手を使い、二足歩行を獲得し、世界中に広がったと最近の研究でわかってきた。国境もなく、人類は群れを作って、生きる、暮らしを守る、人間らしく生きるためにあんな坂こんな坂を旅して各地に文明の火をともしてきた。しかし、同時に自己中心的になりワシがワシがと、自分の領域を広げ、人間同士で争い、多くの国が興亡を繰り返してきた。もともと地球上には国境などはなく、地球はすべての生き物の住む場所である。地球の歴史を365日に圧縮して例えると、人類の歴史など12月31日大晦日の11:47に始まったことになる。人間は、自分中心の考えで地球の自然環境を破壊してきた。私達には、人間同士は勿論であるが、自然とも共に生きていく義務がある。地球は生き物のすべての物だ。EUがノーベル平和賞を受賞したが、ドイツとフランスなどのヨーロッパの国々が長い戦争の末に協力し合い、平和になったことが賞に結びついたのだと思う。これを更に推し進め、この地球上で人間は勿論、すべての生命の絆を大切に、共に生きる叡智を実践することでしか生きるすべはない。地球の運命も地球暦では3月で終わりだと研究者が言っている。
(2012年10月9日発刊)NO.265
「笑いと健康・世界平和」
 
 「笑う門には福来る」「和顔施」「福笑い」「一笑一若」「笑いは百薬の長」「笑いに勝る良薬なし」「箪笥長持ち持ってくるより笑顔一つの嫁がいい」
 笑いは古来から人を幸せにする幸運を運んでくると言われている。また、笑いに勝る良薬なし、といわれているように、健康にもいいと信じられてきた。最近の研究では、科学的にも笑いが免疫力を高め、健康を維持させ、鬱を癒し、ストレスを軽減し、末期がんであっても延命効果があることが報告されている。
 古事記に記載されている神話に「天照大御神」(あまてらすおおみかみ)のことが書かれている。弟の須佐之男命(すさのおのみこと)のあまりにも乱暴な振る舞いを悲しまれた天照大御神が天岩戸に隠れてしまわれた。とたんに世の中が太陽の光を失って闇夜の世界になり、厳しい寒さがやってきて、植物も育たず人も動物も魚も全て生命が死に絶えそうになったという。天岩戸の前で、八百万の神達がやけくそになってどんちゃん騒ぎをして、大笑いや、踊りを披露したところ、笑い声に誘われて、照大御神が岩の扉を開けて現れ、再び世界が太陽の恵みを受けることになった。
 世界は今もなお戦争や、国境紛争に明け暮れている。天照大御神が3日でもいいからおかくれになって、人々はもう戦争などしませんと「大笑いと踊りくるってお願いすれば」再び日の光がさしこみ地球上が平和になるのではないかと空想する。異説では神の前でお笑いをしてお出ましを祈る儀、従って「お払いの語源はお笑いである」という?
(2012年10月1日発刊)NO.264
「お医者さんと患者さんをつなぐもの」
 
 「医師事務作業補助者」という職種は医療従事者以外ではあまり知られていないと思います。医師は患者さんを診て、病気があれば診断し、お薬や手術などで治療するのが主たる仕事です。しかし最近、医師には本来の診療以外に多くの仕事の負荷がかかっています。例えば、診断書、生命保険や各種の書類、後遺症診断書などの作成に多くの時間を割かれます。また、患者さんの立場から、「外来診察で電子カルテばかり見て、自分の顔を見ない医師がいる。」と言われますが、これも人間関係を大切にする医療に支障をきたしています。しかし、電子カルテを見ずにブラインドタッチで電子カルテに記載が出来る医師はそう多くありません。医師の診療以外で医師が監督するだけで出来る仕事はたくさんあります。
 そこで、脚光を浴びているのが医師と患者さんを「繋ぐ」役目の職種、医師事務作業補助者です。当院でも、現在12名のスタッフが働いており、全員、日本病院会が主催する研修会に出席して勉強しています。2008年の診療報酬改定に伴って、認められた職名になりました。医療は、医師と看護師がいれば成り立っていた時代から、医療従事者同士のチームによる医療が益々求められています。岡山旭東病院でさえ、約30種の医療従事者が働いています。比較的新しい職名である「医師事務作業補助者」が、お医者さんと患者さんとの掛け橋として、患者さんも喜び、お医者さんも喜ぶような役目をはたして欲しいと期待しています。

付記:先日(2012年9月28日)、金沢脳神経外科病院の院長(佐藤秀次先生)・事務長(向幸男さま)・医療秘書室主任・医療事務補助者責任者(矢口智子さま)の訪問を受けて、医師事務補助者の仕事の大切さに共感しました。下記Aの研究会は矢口さんが会長をしておられます。

参考: 
@日本病院会が実施している医師事務作業補助者コースの案内
日本病院会通信教育の1コースとして診療情報管理士教育に並んで設置されています。また、実際に医師事務作業補助者を配置する際に必要となる32時間の指定された教育内容にも準拠しています。
―受講生募集中です― http://www.jha-e.com/ishijimu/
ANPO法人 日本医師事務作業補助研究会
日本医師事務作業補助研究会は、勤務医の負担軽減に貢献するため、医師事務作業補助者の実務能力の向上、業務環境の改善、医師事務作業補助領域の開発や普及を行っている団体です。
日本医師事務作業補助研究会 会長 矢口 智子(金沢脳神経外科病院) http://ishijimu.umin.jp/
(2012年9月24日発刊)NO.263
「出逢いは永遠の薫り」
 
 「出逢いは永遠の薫り」は、私の心の恋人、森岡まさ子さんの言葉です。99歳で、秋田の病院で逝去されました。当院の「カフェ赤い鼻」の中庭には「出逢いは永遠の薫」の石碑があり、彼女が97歳の時、これを建てた記念に講演会と除幕式をしていただきました。その日の情景が今でも昨日のように思い出されます。石碑を知らない人、興味のある人はぜひ一度訪ねて来てください。カフェには美味しいパスタとコーヒがありますし、隣接して情報コーナー健康の駅(道の駅の健康版)もあります。
 人と人の出会いは、人生を豊かにしてくれます。私たちは、生まれた時から、多くの人との出逢いによって、今があります。そのことに感謝して生きていきたいものです。一期一会という言葉もあります。その出逢いを生かすも、生かさないも私たち次第です。柳生家の家訓に「小才は縁に気づかず、中才は縁を生かさず、大才は多少の縁をも生かす。」があります。出逢いを大切に、とりわけ身近な人との縁を大切にしたいものです。
 この文章は、岡山県の蒜山高原にある秋の気配を感じる素敵なロッジからです。友人の家族と、子供含めて6人、楽しい時間を過ごしています。こうしたささやかな時間こそ人生を豊かにしてくれるものと思っています。

参考:
森岡まさ子:自然の森MGユース・ホステル創業者。明治43年(1910)広島県甲奴郡(こうぬぐん)上下町に生まれる。上下高等女学校卒業、第3期生。戦前、新聞記者の森岡敏之氏と結婚。その後、京都大学フォスコ・マライーニ氏の秘書を勤める。戦後、原爆症の夫を抱え〈広島県公認高等文化女学校〉を設立。同校長として就任。戦後の混乱期に若い女性たちへ、夢と希望を与え続けた。昭和34年(1959)広島県内初の民営ユース・ホステルを開設し、森岡ママと親しまれる。原爆症の夫を亡くした後も経営を続け、世界平和を訴え続ける。91歳で結腸の腫瘍摘出の手術に成功し、「出逢いは宝」を出版。92歳で「エイジレス章」授賞。NHKテレビ「人間ゆうゆう」でも紹介されました。99歳で逝去。今も、森岡ママの志を継いで、素敵なピアレントによって自然の森MGユースは営業されている。
(2012年9月18日発刊)NO.262
「枝垂れ桜」
 
 角館(かくのだて)武家屋敷は、屋敷から道路に溢れた枝垂れ桜の花で有名である。角館は、江戸時代に佐竹藩の支藩が置かれた町、各屋敷内の枝垂れ桜が春には美しく観光客を楽しませてくれている。枝垂れ桜は、今から350年前、京都からお迎えしたお姫様の嫁入り道具の中にあった3本の苗木が最初と言われている。それが基になって長い年月を経て、今日まで残った桜が、角館の名所となっているのである。樹齢300年以上の老樹を含む約4000本があり、162本が天然記念物に指定されている。お姫様が持ってきたサクラを幾代も続けてお世話をした人たちがいたから「こそ」である。
 東井義雄先生の詩に《雨の日には 雨の日の / 悲しみの日には悲しみをとおさないと見えてこない / 喜びにであわせてもらおう / そして / 喜びの種をまこう / 喜びの花を咲かせよう / ご縁のあるところ いっぱいに・・・・・》
 私の好きな詩である。「角館の桜」は、350年の年月を経て、多くの人達の縁があり今日、人々に楽しみや喜びを与えてくれる。「枝垂れ桜」の話を聞いて、世の中には、様々な喜びの種をまいて下さっている人がいることを改めて感じた。

参考
1) 秋田中小企業家同友会主催の第2回経営者フォーラム(9月14日)にお呼びいただいたご縁で角館武家屋敷を案内して頂いた、太陽印刷 取締役 藤井千雪さま、代表理事の児玉修さまに感謝です。
2) 東井義雄 (1912〜1991) 明治45年4月9日、兵庫県豊岡市但東町佐々木に生まれる。 小学校教師として村を育てる教育を実践。ペスタロッチ賞、平和文化賞、小砂丘忠義賞、 文部省教育功労賞受賞。
(2012年9月10日発刊)NO.261
「おかやまあかいはな道化教室」
 
 おかやまあかいはな(鼻)道化教室は2002年11月にスタートして10周年を迎え、9月9日(日)に記念行事を行いました。あかいはな道化教室では、案内人である塚原成幸(臨床道化師)さんのもとで、大人が集まり、まじめにからだを動かしながら自分自身を開放させていきます。からだや心を動かしているうちに、自然とペルソナ(仮面)がはがれ、本来の自分を取り戻して、ひとりひとりユニークなクラウンが誕生するのです。笑顔の種を育て笑いの花を(鼻)を身近なところから咲かせ広めていこうとする教室です。塚原さんとの、出逢いをつくってくださった、大田堯先生のドキュメンタリー映画「かすかな光へ」を10周年記念行事として開催いたしました。
 2002年9月1日、映画「パッチ・アダムス」の主人公パッチ・アダムス氏を招聘しました。パッチは「愛情のこもった笑顔やユーモアで人に接すること、スピリチュアルな対応が大切である」とのMessage を残していきました。このパッチの講演会を記念して2002年11月にあかいはな道化教室が始まったのです。そして、案内人は塚原さんにお願いしました。
 「人間の特徴は、ひとりひとり違う、ひとは学んで変わることができる、ひとは自然や人との関わりの中で生きている」と語られる大田堯先生は、画一的に教える、上から同化を求めて教えて育てるのでなく、自然や人と、共に生き、共に育つ学問の大切さを語りかけてくれます。
 おかやまあかいはな道化教室を通じて“愛情のこもった笑顔やユーモアで人に接する”は共に育つことでもあります。この度記念行事として、映画「かすかな光へ」を当院のパッチ・アダムスホールにて上映し、100名の聴衆と学びを分かち合いました。

プロフィール
大田堯先生 :教育研究者。東京大学名誉教授、都留文科大学名誉教授。日本子どもを守る会名誉会長、東京帝国大学文学部卒業、日本教育学会会長など歴任、専攻は教育史、教育哲学。94歳の現在も、講演や執筆にエネルギッシュに取り組んでいる。1918年生まれ。広島県出身。主な著書「かすかな光への歩む」(一つ橋書房)「教育とは何か」(岩波新書)「生命のきずな」(偕成社)「子どもの権利条約を読み解く」(岩波書店)他多数
塚原成幸 :臨床道化師、特定非営利活動法人 日本クリニクラウン協会 事務局長兼芸術監督 参考図書「山の道化師PACKMANと笑っていこう」オフィスM           
(2012年9月3日発刊)NO.260
「生きること、学ぶこと、仕事とは」
 
 当院のパッチ・アダムスホールを舞台に年4回あかいはな道化教室を開いていますが、少しこのことについて紹介します。
 2002年9月1日(日)、NPO癒しの国アリス主催でアメリカの道化医師パッチ・アダムス氏を岡山の地にお招きして講演会を開催しました。その時のボランティアグループを中心に「おかやまあかいはな道化教室」を2002年11月からスタートさせ、今年で10年の節目を迎えました。道化教室は、案内人である道化師塚原成幸(つかはらしげゆき)さんのもとで、大人達が集まってまじめにからだを動かしながら自分自身を開放させていきます。からだや心を動かしているうちに、自然とペルソナ(仮面)がはがれて、本来の自分を取り戻し、ひとりひとりのユニークなクラウンが誕生するのです。笑顔の種を育て笑いの花(鼻)を身近なところから広めていこうとする教室です。教室だけでなく、光明園(ハンセン病の施設)の夏祭に参加したり、研修旅行を企画したりと楽しく勉強する会となっています。道化教室10年の節目に、塚原さんとの出逢いをつくっていただいた、「おかやまあかいはな道化教室」とご縁の深い大田堯先生のドキュメンタリー映画「かすかな光へ」の上映を記念行事として開催することといたしました。
 先生は人間の特徴は、「ひとりひとり違う、人は学んで変わることができる、ひとは自然や人との関わりの中で生きている」と語られます。画一的に教える、上から同化を求めて教えて育てるのでなく、学ぶ環境整備が大切だよと問いかけて下さいます。自然や人と、共に生き、共に育つ共育の大切さを語りかけてくれます。おかやまあかいはな道化教室を通じて“愛情のこもった笑顔やユーモアで人に接する”は共に育つことでもあります。映画「かすかな光へ」を一緒に鑑賞できますことを、嬉しくまた、心から歓迎いたします。

参考:おかやまあかいはな道化教室10周年記念行事(9月9日 日曜日)
一部:映画「かすかな光へ」上映会  当日入場料1000円
場所:岡山旭東病院 パッチ・アダムスホール 13:00〜
二部:「生命のきずな」 講演 土井章弘 15:00〜16:00

大田堯:教育研究者。東京大学名誉教授、都留文科大学元学長・名誉教授、日本子どもを守る名誉会長、日本教育学会会長など歴任。94歳の今も、講演や執筆に取り組んでいます。主な著書に「かすかな光へと歩む」)(一ツ橋書房)、「教育の探求」(東京大学出版会)、「教育とは何か」(岩波書房)「生命のきずな」(偕成社)など多数。
(2012年8月27日発刊)NO.259
「生きる、暮らしを守る、人間らしく生きる」
 
 この3つが適えられれば、私達は幸せと感じることができると思う。日本では少なくとも、食べられなくて生きていけない人はいない。しかし、最近の統計では、生活保護を受ける人の数が増加し続けている。また、自殺者は毎年3万名を越えている。これらの事の一部には働く職場が少なくなっていることも原因である。
 大企業では、多くの社員を抱えているため、業績が振るわなければ、リストラを受け、多数が失職して暮らしを守れなくなっている。以前は世界の家電をリードしていたパナソニック・ソニー・シャープ等も縮小し、退職者の募集を始めたなどのニュースが報道されている。市場原理主義の行きつくところは、徹底的な競争と拝金主義であり、今後も世界経済の潮流であるなら、全ての人が人間らしく生きていけるのだろうかと不安になる。日本は、問題があるにせよ、年功序列、終身雇用制の中で、お互いが助け合って来たのではないか。
 中小企業家同友会の仲間のある鉄工会社では、あのリーマンショックの不況の中で借金までして、20名の社員の暮らしを守り、人間らしく生きる手だてを提供している姿を見た。中小企業ならではの心の絆の大切さを学んだ。中小企業家同友会の企業では、経営理念を大切に、全社一丸で良い会社にしようと努力している会社が多い。小さくても、人間を大切にする中小企業へ多くの若者が就職し、生活の砦である会社を共に育てて頂きたい。中小企業は就労者の70%を占めており、中小企業の再生は日本経済の再生にも繋がって行く。私達の暮らしを守る国民皆保険制度は、助け合いの制度であり、日本人の互助精神の賜物である。この制度を互いに守っていくことが日本文化を残すことでもある。
(2012年8月13日発刊)NO.258
「かすかな光へと歩む 映画『かすかな光へ』の紹介」
 
 2011年8月29日(No.213)の「ひとりごと」でも紹介しました。映画「かすかな光へ」は、東京大学教育学部長や日本教育学会会長を歴任された93歳の大田堯先生のドキュメンタリー映画です。大田堯先生は戦前戦後を通じて教育のありかたを問い続けられた教育研究者であり、教育に携わる人だけでなく、企業や家庭など全てを生涯学習の場としての人育てのあり方を問いかけてこられている。映画は5年間に及ぶ森康行監督の大田堯先生への密着取材によるドキュメンタリー映画です。先生は、教育とは生物としての人間、誰もがもつ細胞の中のユニークでダイナミックな人間設計図の開花を援助し、励ます環境を創り出すことであり、演出活動であり、アートだという。従来の上から教えて、知識注入、あわせて変心、同化を求めるという既成の「教育」の概念を根底から覆す考えです。大田堯先生は教育をアートであると言われているが、職場も教育の場であり、経営理念を中心に据えたアートであると思う。
 おかやまあかいはな道化教室は、愛や笑いやユーモアを通じて、人との絆(生命の絆)を深めることを目的に活動して、10周年を迎えます。10周年記念行事として、第一部:映画「かすかな光へ」の上映会、第二部:講演「生命(いのち)のきずな」土井章弘を、2012年9月9日(日)13:00〜岡山旭東病院パッチ・アダムスホールで開催します。料金:1000円(前売り券800円)
お問い合わせ:岡山旭東病院 企画課 086-276-3231
e-mail :akaihana@kyokuto.or.jp

参考文献
大田堯著「かすかな光へと歩む 生きることと学ぶこと」 一ツ橋書房 ¥1800
(2012年8月6日発刊)NO.257
「笑顔」
 
 お釈迦様は、お金がなくても、物がなくても周りの人々に喜びを与え、自身も幸せになる方法として「無財の七施」を唱えている
@「眼施」やさしい眼差しで人に接する。
A「和顔施」ニッコリと優しい、穏やかな顔で話をする。
B「言辞施」優しい言葉で人を励ます。
C「身施」困っている人を助ける。 
D「心施」心から人に尽くす。
E「床坐施」席を譲る 
F「房舎施」人を一晩泊めてあげる。
どれも、誰にでもできる。このような行いをすることで、人に喜びを与え、自然と自分も喜びを頂けるようになる。この中で「和顔施」は、誰にでもできる。お化粧して難しい顔をするよりも、お化粧はなくても笑顔の顔が美しい。笑顔は誰に教えてもらったわけでなく、生まれながらの本能だと思う。穏やかにニコッと笑って、人に接していきたいと思う。

参考文献
  小さな経営論(人生を経営するヒント)藤尾秀昭著 致知出版社
(2012年7月30日発刊)NO.256
「高齢者の安心して住む場所」
 
 サービス付き高齢者向け住宅の建築が各地で行われている。高齢者になると色々と病気にもなり、足腰が衰え、食事や買い物、身の回りの整理整頓、安全安心の確保などが、一人では難しくなってくる。そうした人の住む場所として、厚労省と国土省が協力して出来た施設が「サービ付き高齢者住宅」である。利用料金は家賃や管理費、食事代を込めて15万円〜25万円(月額)である。日本は、病院の病床が多く、介護の必要な人でやむなく病院に入院している人も多かった。しかし、その受け皿として、サービス付き高齢者住宅が整備されつつある。高齢者住宅の住民として、施設内診療所や地域のクリニックの医師との連携によって医療サービスが提供される。看護サービスは訪問看護ステーションから、介護は施設内から対応して介護保険で賄われている。
 岡山県では、現在倉敷市に建築している倉敷スイートタウンの中で開設される、スイートレジデンス(80戸)が医療と介護の複合体として注目を集めている。岡山市でも、数か所サービス付き高齢者専用住宅が建築中である。高齢者が尊厳を持って対応され、人生の最後を迎える住宅への期待は大きい。日本は、国民皆保険と介護保険が整備されているが、費用が高騰しており、何処から財源を確保するのか問題となっている。高齢者の住みやすい、在宅医療、リハビリテーション、生活支援をニーズに応じて提供できる環境の整備が待たれる。
 当財団(操風会)でも、現在、岡山ハッピイライフ操風を建築中で、平成25年4月にオープンの予定でる。
(2012年7月23日発刊)NO.255
「平和の有難さ」
 
 終戦の日、8月15日(1945年)がもうじきやってくる。岡山市も焼け野原になったという。終戦後67年の歳月は記憶を風化させているのではないかと思う。
 岡山県立美術館でシャガール(Marc Chagall)の美術展(7月13日〜8月26日)が開催されている。私も7月21日(土曜日)の午後に足を運んだ。シャガールの絵のテーマは、愛と平和である。2010年10月2日、フランスのニースにあるシャガール美術館を訪れた時に、シャガールの色彩の鮮やかさ、ステンドグラスの美しさに感動した。愛し合う恋人たち、花束、太陽、月、虹、ロバ、鶏、山羊、猫、馬、鰊、家族、バイオリン弾き、故郷の風景(ヴィテブスクの町)、床屋など、少年時代に過ごした日常風景を、美しい色彩によって表現し、愛と平和の大切さを、私達の魂に訴えている。
 シャガールは、ユダヤ人であり、2度の世界大戦を経験し、戦争や革命を通じて多くの苦難に遭遇し、多く苦しみを味わっている。そして、1946年アメリカに亡命して終戦を迎える。1948年(61歳)アメリカからフランスに帰国し、ピカソやマチスとの交流があった。温暖な南フランスに住み、愛と幸福に包まれ創作に励んだ。晩年はニースに近いサン・ポール=ド=ヴァンスで過ごし98歳で亡くなっている。
 日本で、岡山市のような地方都市でも、シャガールの絵画を観ることができるのは平和であるからだと思う。人は、ひとりひとり違いを認め、お互いが関わり合いの中で生きているのだから、尊重し合い、愛で結ばれれば、争いは亡くなっていくのだと強く思うこの頃である。
(2012年7月17日発刊)NO.254
「中小企業憲章」
 
 日本の経済は中小企業が支えている。私は、中小企業家同友会との出会いがなければ、多くの素晴らしい経営者と出会うことはなかった。日本企業の99.9%は中小企業であり、雇用の80%は中小企業が担っている。中小企業の社長は町のお祭りの世話役から、町内会のお世話、市町村の様々な委員など地域の頼りになるキーマンであり、地域文化の担い手でもある。
 平成22年6月に内閣府で決定されたのが「中小企業憲章」である。前文を見ると「中小企業は、経済を牽引する力であり、社会の主役である。常に時代の先駆けとして積極果敢に挑戦を続け、多くの難局に遭っても、これを乗り越えてきた。」とある。EUやアメリカでも、中小企業が社会の主役であるとの認識は同じである。EUには小企業憲章があってそれに沿った政治が行われている。日本も遅ればせながら憲章が閣議決定されたが、国会決議に向けて運動をはじめたところである。中小企業家同友会で進めている、経営理念に基づく「経営指針書」の成文化とその実践によって、多くの強靭な企業が輩出し社会に大きな貢献をしていくものと期待している。同時に、憲章に沿った政治が行われてこそ憲章も生きていくものと思う。国民の大多数が「中小企業憲章」の存在すら知らないのではないかと思うが、知って頂ける努力をしていきたい。
(2012年7月9日発刊)NO.253
「あじさいの花 坂村真民」
 
 まるくまるく
 形のよいものに
 なろうとする
 やさしい心の
 あじさいの花

 きのうよりも
 きょうと
 新しい色に
 なろうとする
 雨の日の
 あじさいの花

 坂村真民は「真民さん」と多くの人に親しまれ、国民詩人と言われる。「念ずれば花ひらく」など魂を揺さぶる多く詩を残している。あじさいの花は、「和」の心だと言う。昔、あじさいは「死に花」と言われ、よくない花とされてきたが、私は「和」の心をもって丸くなろうとしているのがあじさいの花だと思う。(坂村真民講和集より)
 私も、あじさいの花のように、昨日よりも今日と、新しい色になろうと日々チャレンジして、まるく角のない人間になりたい。
(2012年7月2日発刊)NO.252
「13万年前はみな兄弟!」
 
 地球上に今、約70億人が住んでいる。貧しい国も、豊かな国もある。国境を接し、仲よくしている国もあれば、戦争状態にある国もある。内乱によって多くの難民が発生し、家族が悲嘆にくれている国もある。
 もともと人類はアフリカの一角に生まれ、家族を増やし、ユーラシア大陸、オーストラリア大陸、南北アメリカ大陸に広く生活権を広げて行った。日本にも、北から南から日本列島に渡ってきた。人類は二本足で歩くようになり文明がうまれ、狩猟社会から農耕社会となり、定住するようになった。人は縄張りをつくり、わしがわしがと、武器をもって争う世になった。国境を作り、敵対し、戦争をしてきた。人間の歴史は戦争の歴史とも言える。武器は益々、高度化し、既に人類のみならず、地球の生態系を破壊する威力をもった核兵器を手に入れた。核兵器の使用は、余りにも大きい犠牲を及ぼすとの戦争の脅威から、辛うじて第3次世界大戦は回避されてきた。
 人は皆、ささやかな幸福を願っている。ひとりひとりは分かりあえるし、戦争で傷つきたくないし、家族を失いたくないと思っているに違いない。もともとアフリカから出発し、世界に広まった兄弟。私たちはどこかで繋がっていると思う。お互いを尊重し、お互いの心に寄り添って考えるなら、国境を亡くし、戦争を亡くす世界にならないかと思う。大義は何であれ、戦争は、夫や息子を亡くし、家族を悲嘆に陥れる。問題解決を戦争という手段に訴えることはどんな理由があっても避けるべきである。私たちは広島の原爆、沖縄の戦火、中国・東南アジアでの犠牲者を忘れてはならない。戦争は人の幸福をサポートする医療や福祉をもすべて破壊する。
 13万年前は皆兄弟だった。英知を働かせ、国と国、民族と民族、宗教と宗教の争いを亡くそう。貴方があれば「こそ」と、互いに「こそ丸」を服用し、人類を幸せにできないものかと思う。
(2012年6月25日発刊)NO.251
「縁の大切さ」
 
 柳生家の家訓に「小才は縁に逢って縁に気づかず、中才は縁に逢って縁を活かさず、大才は袖触れ合う他生の縁もこれを活かす」があると聞く。
 6月20日(木)第62回日本病院学会(福岡済生会病院院長)で、王貞治氏(第一回国民栄誉賞受賞、巨人の現役時代868本の世界記録を樹立)の特別講演「野球が教えてくれたもの」の対談形式の講演があった。王貞治選手が中学生のころ公園で野球をしていると、たまたま荒川コーチが散歩しているところに出会い、「左で打ちなさい」とアドバイスをしてもらったそうだ。
 その縁で早稲田実業に入ることになったという。「巨人軍に入団すると、荒川さんはコーチとして再び僕の前に現れ、不振を極めていた若い僕に『一本打法』を指導してくれた。この二つ偶然が重ならなければ868本のホームランは生まれなかった」と語っている。その縁を活かし、猛訓練に耐えてきたからこそ、今の王貞治氏があるのだと思う。

参考資料
 野球にときめいて(王貞治、半生を語る) 中央公論新社  定価1300円
(2012年6月19日発刊)NO.250
「スピリチュアリティとは何か」
 
 WHO(国際保健機構)では1998年に以下の提案がなされた。
Health is a dynamic state of complete physical, mental, spiritual and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity. spiritualは、人間の尊厳の確保や生活の質を考えるために必要で本質的なものだという観点から、字句を付加することが提案されたのだと言われています(日本WHO協会のホームページより)。スピリチュアリティ(Spirituality,霊性)とは、霊魂などの超自然的存在との見えないつながりを信じる、または感じることに基づくと一般に解釈されている。
 この度、北米視察ツアー(社会医療研究所 所長 岡田玲一郎氏)の企画で、6月9日から17日までオハイオ州クリープランドの医療施設を視察させて頂いた。ホスピス・病院や福祉施設での人と人との関わりの中で、スピリチュアリティ(Spirituality)が最も大切なものとされていると感じた。スピリチュアリティとは『人に心から寄り添い関わって生きていく気にさせることである』との岡田玲一郎氏の説明に納得することができた。日本で言う霊的との解釈とは随分違うと感じさせていただいた。米国のホスピスや病院には、蝶がシンボルとして掲げられているが、蝶は青虫にはじまり、蛹になり、やがて美しい蝶になる。その姿が人間の心の再生を象徴している。スピリチュアリティはもっと積極的なものだと解釈したい。スピリチュアリティについては詳しく学んで再度「ひとりごと」に書きたいと思う。
(2012年6月4日発刊)NO.249
「病院の食事について」〜食事はアートであり癒しである〜
 
 食事は若い頃には美味しく量があればよいと食べていたように思う。最近では、量よりも食材、美味しさや見た目の美しさに関心が移っている。患者さまにとっても食事は最大の関心事である。
岡山旭東病院では、癒しの重要な要素として料理を大切にしている。当院の料理長は、日本食が専門で、京都で修業をつみ、岡山市にある一流ホテルの料理長を長く勤めた料理人である。食材から、食器に至るまで目を光らせている。調理師は現在15名おり、入院患者さま約150名、職員430名の食事を提供しくれている。管理栄養士は4名である。料理長には、調理師の育成をお願いしている。調理師として、病院食に留まらず視野を広げ、日本食からパーティー食まで提供できるよう、誕生会や各種パーティーに大いに腕を振るって貰っている。病院食は国民皆保険制度のなかで、ほぼ決められた、厳しい制約のもとに提供されている。糖尿病食・腎臓食・高血圧食など美味しく食べるには工夫も必要である。 
 食は人間の考えだしたアートであり、入院している患者さまにとって、最も重大な関心事といえる。病院の食事は、美味しい、美しい、舌で味わい、目で楽しみ、心が癒されればそれだけ治療効果も上がる。食材は惜しむな、若い調理師の腕を磨けと応援している。
(2012年5月28日発刊)NO.248
「やりがい」
 
 メンタルヘルスは、本や、テレビニュース、新聞にも取り上げられることが多い。人と人の関わり合い(人間関係)が、一番の原因であり、現代の社会問題でもある。会社での離職原因の上位に、人間関係によるストレスがあると多くの統計から伺うことが出来る。ストレスから「うつ病」状態になり、時には「自殺」という痛ましい結果に至ることもある。人間関係の中でストレスを感じる原因として、自分の主体性のなさ、他人への依存によることが多い。自己中心的で、上手くいかないのは他人のせいであるという考えがストレスとなる。私達の生き方として、自主的に物事を考え、実践する。決して他人のせいにしない。
 @何故と考える。Aもっといい方法がないか「工夫する」。そして、自ら提案し、実践する中で「やりがい」が生まれるのではないかと思う。自分の人生に夢を持つ。自分で決めた目的や目標を持つことが、人間関係のストレスを軽減してくれるのではないだろうか。

参考
ストレスの原因について、厚労省は下記のようなデータを公表している。
職場の人間関係 35.1%
仕事の量の問題 32.3%
仕事の質の問題 30.4%
会社の将来性の問題 29.1%
仕事への適性の問題 20.2%
雇用の安定性の問題 17.7%
定年後・老後への問題 17.2%
昇進・昇給への問題 14.5%
ストレスを感じる者を100としたときの割合(%)
☆資料「労働者健康状況調査」(2001年)

人間関係、仕事の量・仕事の質がストレスの原因となるものが上位3位を占めています。
(2012年5月21日発刊)NO.247
「経営はアート」
 
 経営者に必要なことは、会社という舞台で社員と共に働き、企業の経営理念に向かって、人・物・金・情報を駆使し、適正な利潤を得ることではないかと思う。そして、経営の目的はお客様の幸せ、社員の幸せ、取引業者の幸せ、世間の幸せである。江近商人が、客よし、売り手よし、世間よし、といって商売を全国に広めたという。
 最も重要な経営者の心構えは「経営者である以上、いかに環境が厳しくとも、時代の変化に対応し、経営を維持し発展させる責任がある」であり、これは労使見解の最重要項目である。病院経営でも全く同じであり、お客を患者さんに置き換えることが出来る。他の企業との違いは、人間の生命をゆだねられる職業であり、国民皆保険制度のもと、価格を国が決定するため自由裁量はない。病院は特に「利潤を追求するのでなく、経営理念を追求するべき」である。経営理念を深く追求することによって、社会からのご褒美として利潤が得られる。また、病院は20職種を越える医療スタッフで運営されており、個々に専門職として役割が違い、チームで医療サービスを提供していかなければ満足のいく医療サービスは提供できない。大田堯先生は「教育はアート」であると言われているが、経営もまた社員と共に創るアートではないかと思う。

参考文献
@人を生かす経営(中小企業における労使関係の見解) 中小企業家同友会全国協議会
Aかすかな光りへと歩む 生きることと学ぶこと 大田堯著 一ツ橋書房
(2012年5月14日発刊)NO.246
「整理・整頓・清潔・清掃・躾」
 
 5Sは企業の品質向上の基本的要素であり、多くの企業で実践されている。多くの参考書も店頭に並んでいる。当院でも今年は、5S運動を推進することをテーマに掲げている。病院に於いても、医療サービスの品質の向上、リスク回避、職場環境の改善などメリットは大きい。
 翻って、身近な家庭の佇まいをみて、自分の部屋や庭など、整理整頓清掃ができているか、整理・整頓・清掃・清潔・躾を考えてみると、自分の生き方にも反省が多い。目に見える物の5Sだけでなく、目に見えない、大切なもの、それぞれに置かれた自分の生き方にも、整理・整頓・清潔・清掃・躾が大切と思われる。5Sは日本人が生み出した文化であり、大切にしたい考えである。特に、『躾』は身を美しくと書く。自分自身がアートになるということだろうか。

文献: 「会社がみるみる良くなる(5S)の基本」平野裕之・古屋誠 共著 中経出版
(2012年5月1日発刊)NO.245
「ワーク・ライフバランス」
 
 仕事とは何かを改めて考えてみる。日本では、仕事は人生の目標ではなくとも、人生で最も大切なこととして、『仕事人間』などが評価されてきた。夜遅くまで働き、家庭を犠牲にしてでも仕事第一と考え、がむしゃらに働き戦後の日本を支えてきたという歴史がある。日本の経済成長の過程の中で、それはそれとして評価されていいと思う。
 しかし、平成の時代に移り、少子高齢化社会、高度経済成長を望めない社会情勢の中で、働き方を転換していく必要がある。それが、ワーク・ライフバランスである。平成19年には内閣府(自民党政権時代)で「ワークバランス憲章」が制定されている。仕事の生産性を上げるために、日々考えて提案できる職場風土にしていく。効率化によってできた時間を、家庭生活の充実や自分磨きの時間に有効に使うことが必要である。また、定年を過ぎても仕事が出来る人は続け、社会貢献していくことがこれからの長寿社会を支えるのではないだろうか。
(2012年4月23日発刊)NO.244
「早起きは三文の得」
 
 朝の早起きの効用は、古くから言われている。朝が早いと、静かな中で貴重な時間を有効に活用できる。早く起きると、目覚めがいい。朝の計画(中国語・英語の学習・Eメール・便りへの返事など)がユックリできる。朝食が美味しい。遅刻せず出勤できる。イライラしないので交通事故に遭うことが少ない。家族との会話が増える。
夜のリラックスよりも朝のリラックスのほうが、人生を豊かにする(中谷彰宏)。私は、毎朝5:00起床を心がけているが、夜が遅くなると朝がきつい、従って最近は、夜のお付き合いを断ることが多く、義理を欠く始末である。でも、「早起きは三文の徳」でもあり実践したいものである。

参考文献: 「朝に生まれ変わる50の方法」PHP研究所 中谷彰宏著
(2012年4月16日発刊)NO.243
「地球人」
 
 当院には現在430名の常勤職員がいる。最近、中国人の職員も徐々に増えてきた。看護師、薬剤師、事務員の3名がおり、いずれも日本語は堪能である。看護師・薬剤師は日本の国家試験を合格し、事務職員も日本の大学を卒業して就職した。他にも、岡山大学神経内科の研究室に頼まれ、6年前から中国人留学生を病院でアルバイト(図書整理等)として引き受けたり、中国洛陽市の東方医院から放射線科医師を1カ月の予定で見学研修として受け入れたりしている。また6月には、約2週間の予定で、洛陽市の中心医院から脳神経外科医師1名と看護師1名の見学研修を受け入れ、当院からも職員を派遣して相互に交流を深めようとしている。
 医療は世界の人々の社会的共通資本であり、最大の関心事であるとも言える。岡山県では、旭川荘が中国と長い交流をしており、また、AMDAは国際的な視野にたった救急活動をし、岡山大学や川崎医科大学を中心とする医学交流などますます盛んになっている。 医療や福祉を通じての民間交流は継続することで友好が深まる。世界の平和を思う時に、地球人という考えでお互いが接していくことが大切であると思う。中国との交流は、漢字を使っていることで言語の障壁を低くしているようにも感じている。医療を通じて、中国のみならず多くの国との交流が深まればいいなと思うこの頃である。
(2012年4月9日発刊)NO.242
「桜・春爛漫」
 
 日本列島を桜前線が北上している。岡山も後楽園の旭川土手沿いは桜が満開である。カーニバルや岡山城・後楽園カヌー駅伝大会も開かれている。様々な場所で花見を楽しみ、桜の下で宴をひらく人もいれば、桜に人生を映して深く考える人もいる。
 平安の昔から、桜は日本人には特別なものである。文治六年(1190)春、桜の咲く 二月十六日、西行法師は「願はくは 花の下にて 春死なむ その如月の 望月の頃」と自ら詠んだ歌のとおり、河内国南葛城(現在の河南町)弘川寺で入滅した。軍歌には「貴様と俺とは 同期の桜 同じ兵学校の 庭に咲く 咲いた花なら 散るのは覚悟 みごと散りましょう 国のため」が歌われた。そして多くの若者が戦地で花となり散った。最近では森山直太朗の「さくら」はとても人気であり、「ぼくらは きっと待ってる 君とまた会える日々を 桜並木のみちの上で 手を振り 叫ぶよ どんなに苦しい時も 君は笑っているから くじけそうになりかけて〜」は心を打つ歌である。
 桜を詠んだ詩や歌は限りない。桜の季節が廻ってくる度に、そのときどきの桜への思いを心に浮かべながら、勇気をもらったり慰められたりするものである。
(2012年4月2日発刊)NO.241
「念ずる心」
 
 「念ずれば花ひらく」という坂村真民先生が残した素晴らしい言葉がある。念ずること、そして実践することの確かな手ごたえを感じながら生きていきたい。
 4月は多くの会社や病院、官庁等で、新卒の方々が夢や希望をもって職場に出ていく。職場を、生涯教育の場として考えてほしい。真民先生の詩に「念ずる心」がある。善根熟するまで、念々怠らず精進して、自己を作っておこう、そしたら、春風の吹き来たったとき、花ひらくことができ、春雨降り来たったとき、芽をだすこともできよう。日々念じ、日々新たに精進することが人としての成長を促すものと思う。新入社員のへの言葉として相応しい「詩」である。

参考:坂村真民 1909年(明治42年)、熊本県玉名郡府本村(現・荒尾市)生まれ。本名、昂(たかし)。8歳の時、父親が急逝し、どん底の生活の中、母を支える。神宮皇學館(現・皇學館大学)卒業後、熊本で教員となる。その後、朝鮮に渡って師範学校の教師に。終戦後、朝鮮から引き揚げて愛媛県に移住。高校の教員として国語を教え、65歳で退職。58歳の時、砥部町に定住し、92歳で砥部町名誉町民に選ばれる。2006年(平成18年)97歳で砥部町にて永眠。20歳から短歌に精進するが、41歳で詩に転じ、個人詩誌『詩国』を発行し続けた。仏教伝道文化賞、愛媛県功労賞、熊本県近代文化功労者賞受賞。(坂村真民記念館案内より)
(2012年3月26日発刊)NO.240
「遍路のお粥」
 
 昭和50年、脳神経外科の専門医となって間のない頃、岡山大学脳神経外科の西本教授から香川県立中央病院に赴任するよう言われて高松市に住むことになった。昭和62年までの12年間を脳神経外科主任部長として勤務し、多くの患者さんや医師、コメディカルスタッフとの出会いがあり、忙しくも生き甲斐のある日々であったと思う。
 特に看護師の皆さんには支えられたと感謝している。赴任してすぐの頃、看護主任から「先生!『遍路のお粥』というの知っとる?」 と言われました。突然の問いかけに考えもつかず、「私は知らない」と言うと、「 先生のことゆうとんよ!それはね、湯(言う)だけで、具(中身)がないとのことなんよ。」というキツイ一発をいただいた。
 豊かな時代となった今も人は心の平安を求め、四国遍路の霊場巡りは盛んである。江戸時代にも88ヶ寺の霊場巡りが行われていた。豊かでない時代には、遍路は乞食同然の方もいたと聞く。接待の「お粥」も中身があまりなかったのかもしれない。言葉の中身(実践)が大切と学ばせていただいた。「遍路のお粥」を今も折に触れて思いだし己を戒めている。
(2012年3月19日発刊)NO.239
「電子カルテ」
 
 20年程前は、患者さんの診療記録はカルテ(ドイツ語からきている)と言って、紙に書かれたものであった。医師の書いたカルテは、ドイツ語や英語混じりで、患者や家族が見ても何を書いているのか解らない。いや、病院で働く事務職、薬剤師、レントゲン技師や医師でさえ読めないとクレームがついたものである。しかし、最近では電子カルテが普及して、大学附属病院や大病院では電子カルテが普通になってきた。電子カルテになると、医師の書いていることが誰でも読めて解るようになった。これは画期的なことである。200床以下の中小病院への普及が遅れているが、徐々に普及してくることは間違いないと思う。
 私達の病院も8年前に導入し、この度、更新の時期を迎えた。今までは、自院内部での電子カルテシステムを通じた情報の共有化であったが、これからは他の病院や福祉施設、更には自宅(在宅)をネットでつないで情報を共有できる。個々人がカルテを閲覧できるマイカルテの時代に進んでいくと思われる。情報の共有化が進めば、無駄な検査や画像診断の重複も少なくなっていく。個人情報の流出など克服すべき課題は多いが、ITネットの活用が、医療・福祉に与えるメリットも大きいと思う。

参考:電子カルテ(でんしカルテ)とは、従来医師・歯科医師が診療の経過を記入していた、紙のカルテを電子的なシステムに置き換え、電子情報として一括してカルテを編集・管理し、データベースに記録する仕組みのことである。(ウイキペディアより引用)
(2012年3月12日発刊)NO.238
「出逢いの不思議」
 
 3月7日〜10日、休暇を頂いてマレーシアを訪れる。3月9日に世界遺産であるマラッカ州のマラッカ市を訪問した。マラッカはマラッカ海峡に面した港で、15世紀から東西の交易の中心地として栄えた。15世紀から19世紀にかけてポルトガル、やがてオランダとイギリスは植民地としてマレー半島をめぐって覇権を争った。20世紀に入って、太平洋戦争の一時期、日本がマレーシアを統治したが1945年に敗戦となり、内乱を経て1957年イギリスから独立し、マレーシア連邦となる。マラッカはマレーシア連邦の一都市として世界遺産(2008年)に登録される。マラッカには、1521年にポルトガルによってセントポール教会が設立されたが、今は廃墟になっている。
この地でフランシスコ・ザビエルは2年間滞在し、布教に努めたという。ザビエルは日本に初めてカトリックの布教活動を行い、更に中国での布教の旅路で逝去する。遺体はセントポール教会で9カ月間安置された。庭にはフランシスコ・ザビエルの像が建てられている。丘に登るとザビエルとヤジロウが見たであろうスマトラ島が遥かに見えるマラッカ海峡の海を眺めることができた。ザビエルはインドのゴアで、日本人ヤジロウに出逢い、彼に洗礼をする。そして彼を通訳として同道し、マラッカから1549年に津島領に上陸する。ザビエルは、2年間の日本滞在中に多くの信者を獲得する。また、多くのキリシタン大名も生まれ、その後、信者も40万人を超えたと言われている。領主の圧政に耐えかねて、天草次郎をリーダーとしたキリスト教の信者の一揆(島原の乱)を経て、徳川幕府によって鎖国とキリスト教の禁令が断行された(1641年寛永18年)。ポルトガルとの交易は途絶え、その後は、長崎の出島を通じての小さな窓から、西洋の文明(医術など)が僅かに入るだけとなった。
フランシスコ・ザビエルとヤジロウの出逢いがなければ、ザビエルが日本に来ることもなかったであろうし鎖国もなかったかもしれない。キリスト教の日本へのインパクトは良くも悪くも日本の歴史を大きく変えた。人と人の出逢いは、個々の人間の人生を大きく変えるし、世界も変える力がある。人と人の出逢いの不思議を感じる旅であった。
ヤジロウ:薩摩国或いは大隅国(両国とも鹿児島)の出身。彼自身やザビエルの書簡に寄れば若い頃に人を殺し、薩摩や大隅に来航していたポルトガル船に乗ってマラッカに逃れていたがその罪を告白するためザビエルを訪ねてきたという。当時音韻からアンジロウ[アンジロー]、洋風にアンジェロ[天使の意]とも言われる。ザビエルの通訳者、神 (デウス) 概念や聖句などの翻訳者として活躍し、日本の西日本地域で布教・宣教活動に従事した。出自や本名などについては研究者によって区々であるが、一説として豪族禰寝氏庶流池端氏の可能性が指摘されている。(ウイキペディアより引用)
(2012年3月5日発刊)NO.237
「スティーブ・ジョブズの夢」
 
 スティーブ・ジョブズの開発した、iPadに毎日お世話になり、日々の仕事の役に立っているし、世界が広がったと感謝している。 
 ウォークマンで一世を風靡した革新企業ソニーが、なぜiPodを生みだせなかったかについてジョブズが語った言葉「自分で自分を食わなければ、誰かに食われるだけだからね。」企業は常に変わっていかねばならない。それは、自社の今の主力製品であっても安住することなく、次を見据えて開発を進める必要がある。企業の大きい、小さいは関係なく組織経営に必要なことであると思う。

参考:
@ スティーブ・ジョブズ(驚異の伝説) PHP文庫 桑原晃弥著
A スティーブン・ポール・ジョブズ(Steven Paul Jobs、1955年2月24日 - 2011年10月5日)は、アメリカ合衆国の実業家。スティーブ・ウォズニアック、ロン・ウェイン、マイク・マークラらと共に、商用パーソナルコンピュータで世界初の成功を収めたアップル社の共同設立者の一人。また、そのカリスマ性の高さから、発言や行動が常に注目を集め続けた。(ウィキペディアより引用)
(2012年2月27日発刊)NO.236
「縁」
 
 「出逢いは永遠の薫り」は森岡まさ子さんの言葉ですが、出逢いを永遠の薫りにするのも自分なのだと思います。多くの人に出会って、この人に出会って良かったなとお互いに思える出逢いにしたいものです。そのためにも平素から自分を磨いていかなければと思います。
 人は様々な縁で結ばれています。自分が気づこうが気づかなかろうが。東井義雄先生の「拝まないでもおがまれている」との言葉が思い出されます。また、徳川家の剣道の指南役、柳生家の家訓に「小才は縁に逢って縁に気づかず、中才は縁に逢って縁を活かさず、大才は袖触れ合う他生の縁もこれを活かす」があります。私達は、どこかで繋がっていることを大切にしていきたいものです。

参考:「東井義雄のこころ」 佼成出版社
(2012年2月20日発刊)NO.235
「依存症に思う」
 
 以前私が関わらせて頂いた患者さんで、有能な学校の元教師であったが、アルコール依存症となり、しばしば断酒を試みるも果たせず、晩年は後縦靭帯骨化症の症状にも悩まされ、80歳を目前に亡くなられた方がおられた。その奥様が、ご主人の生きてきた人生と、関わってこられた苦難の体験を小冊子にして送ってくださった。それを読み進めると、どうしたら良かったのか、医師として何か出来なかったかと悔まれてならない。
アルコール依存症は家族関係を破壊して、自分だけでなく関わる家族の人生を苦しめる。そして、培ってきた名声や評価を台無しにしてしまう。人間は、アルコール、大麻、モルヒネ、覚せい剤、睡眠薬などの薬物だけでなく、パチンコ・競馬・ルーレットなどのギャンブルなどによる多くの依存症で人生を狂わす。歌手として有名なマイケル・ジャクソンや最近では、ホイットニー・ヒューストンも薬物依存が原因となって寿命を縮め、自己を破壊して多くのファンを悲しませている。
 これら全てに言えることは、適度に利用することは人生を豊かにしてくれるが、度が過ぎると人生を破滅に導く。私達人間は、アルコールや薬物は当然として、人に快楽をもたらす物や事に依存しない様に自律・自立することも大切なように思う。何に対しても「ほどほど」がいい。
(2012年2月13日発刊)NO.234
「診療報酬・介護報酬同時改定に思う」
 
 日本の医療は昭和36年の制定になる国民皆保険制度によって運営されている。私達の病院経営の収入のほとんどは、2年に一度決定される診療報酬によって賄われている。そしてその財源は、税金・保険料・自己負担の三者の出資によって確保されている。更に、介護保険は平成12年より実施され、介護費用の財源として介護保険が導入された。国民の高齢化が進み、疾病構造の変化に伴って(癌・心臓疾患・脳卒中・認知症の増加)、入院治療や介護を要する人の数も増加の一途をたどっている。国民皆保険や介護保険は、「いつでも」「だれでも」「どこでも」医療や福祉を受けられる素晴らしい制度設計になっている。しかし、この制度を維持していくためには財源が必要となる。日本は経済の停滞・財政赤字の状況の中でも、医療・福祉は社会的共通資本として日本人の生活を今後も支え続けていく必要がある。私達にはこのシステムを活かしていくために、急性期医療から、回復期・慢性期医療、在宅支援など、お互いに連携を保って効率よく諸施設を適切に活用することが求められている。
 このたびの診療報酬・介護報酬の同時改定は日本の医療福祉の有るべき姿を指し示していると思う。個々の病院もそれぞれの病院の特色を生かした役割分担が大切になってくる。その改革の鍵として、ITの導入の推進が考えられている。全ての医療・福祉機関(病院から在宅まで)がITによるネットワークを構成し、情報の共有化をすることによって無駄を排することができるのではないか。医療サービスの向上にもIT活用が必要な時代にはいってきているように思う。

注:@国民皆保険が達成されたのは1961年(昭和36年)である。
   A高齢者の介護サービスや介護支援を保障するための社会保険制度の一種。
    2000年(平成12年)に施行された介護保険法に基づいて実施される。
   今年は、医療保険と介護保険の報酬の同時改定の年になっている。
(2012年2月6日発刊)NO.233
「ユビキタス社会」
 
 人間は常に新しい分野を開拓し、より便利により快適にしようと進歩発展してきました。同時に、人間の本能である自己中心的な考えから多くの紛争も惹起してきました。コンピューターが開発され、今やIT技術があらゆる分野に応用されて人間社会のあり方が大きく変化している様に感じます。病院も、紙を使ったカルテの時代から、電子カルテの時代に移行してきています。岡山旭東病院でも2003年に国の補助事業受けて、電子カルテを導入しました。パソコンを操作したことのなかった職員も学習会を重ねて取り組んだことを懐かしく思いだします。電子カルテの導入は医師の手書きの文字が読める様になった、カルテやレントゲン画像などの収蔵庫がいらなくなったなどの直接的な利点もありました。しかし、何より良かったのは情報の共有が、チーム医療の進化に大きく貢献したことです。
 2012年1月4日(土)日本病院会(中小病院委員会)の主催による情報交換会を函館市で開催いたしました。函館市にある創業120年の歴史をもつ社会医療法人橋病院の橋肇理事長のお世話で、「IT導入による病院活性化の実例」をテーマにシンポジウムが開かれました。橋肇先生のリーダーシップによって函館市を中心に、大病院、中小病院、老健施設、介護施設、診療所などを、ITを活用してネット「MEDIKA」で互いに結んでいます。患者さんの情報を共用して、患者さんの健康はもちろん、街の小売店とも連携して、買い物などの生活支援まで視野を広げていこうとしています。医療、福祉の領域から更に快適な生活環境を視野に入れた生活支援サービスは将来に夢をあたえてくれます。人と人のつながり合うこと、即ち、真のライフラインの構築にIT技術が生かされ心の通ったユビキタス社会の夢を実現してほしいものです。

注:ユビキタス社会(ユビキタスしゃかい)とは「いつでも、どこでも、何でも、誰でも」がコンピューターネットワークを初めとしたネットワークにつながることにより、様々なサービスが提供され、人々の生活をより豊かにする社会である。「いつでも、どこでも」とはパソコンによってネットワークにつながるだけでなく、携帯情報端末をはじめ屋外や電車・自動車等、あらゆる時間・場所でネットワークにつながる事であり、「何でも、誰でも」とはパソコン同士だけでなく家電等のあらゆる物を含めて、物と物、人と物、人と人がつながることである。(ウイキぺディアより引用)
(2012年1月30日発刊)NO.232
「絆」
 
 「何が大切か」: 1月29日(日)諏訪中央病院名誉院長 鎌田實先生の講演「がんばらない」けど「あきらめない」と題して講演があった。東日本の大震災特に、福島原発の放射線汚染に関して、チェルノブイリの現場にかかわった経験から、汚染して、人が住めないとされている場所に危険を冒して帰っている老夫人の話があった。彼女は、現在も元気で過ごしているが、都会に移った人は、すでに殆ど亡くなっている。このことは、放射線の影響よりも、地域との「絆」がいかに大切かを物語っている。仕事があり、生活基盤が用意されていないと人は長く生きられない。放射線の影響は、若年者ほど危険性が高く新しい土地での生活への援助が必要である。しかし、高齢者には、生まれ育った場所で、食生活を含む生活習慣を維持し、人との触れ合いが大切だと思う。岩手県・福島県・宮城県の巨大地震と大津波の被害は2万人にも及ぶ人命の犠牲者を生んだが、更に、原発事故による放射線汚染地域の人たちのことも含めて、国民ひとりひとりが、何が出来るかを考えることが日本を変えていく原動力になっていくように思う。

注:第4回 岡山県民公開医療シンポジウム(平成24年1月29日(日)13:00〜16:30
   「絆」に想いをこめて〜心からの「ふれあい」「よりそい」「ささえあい」〜
   (主催:岡山県医師会・岡山県病院協会)
(2012年1月23日発刊)NO.231
「『希望』〜東日本大震災の被災地、岩手県三陸海岸を訪れて〜」
 
 1月17日、岩手県盛岡市で行われた岩手県中小企業家同友会の新年祝賀記念講演「安心して生命のゆだねられる病院を目指して」と題して経営体験を報告させて頂きました。翌日18日には、岩手県同友会の代表理事村松幸男氏(信幸プロテック代表取締役)のお世話で岩手県の被災地を案内していただきました。9月8日に岡山県中小企業家同友会の岡山支部例会で講演して下さった村松氏の「お金や物資もありがたい。しかし一番望むのは今の岩手の現状をご自分の目で見てそれを覚えておいていただきたい」という言葉もあり、村松氏自ら運転して被災地を案内して下さいました。
 当日は幸いにも晴天で、盛岡市から、大災害は嘘の様な美しい岩手山を拝見しました。宮古市・山田町・大槌町・釜石市・大船渡市・陸前高田市から一関まで1日かけて案内して頂きました。大震災の3月11日から、10ヶ月たった現在、被災地は、やっと瓦礫などの撤去が進んでいるところでした。陸前高田には、7万本の松原の中、津波で生き残ったたった一本の松が荒涼とした海岸に沿って残っている姿があり、震災の悲惨さと希望を訴えているようでした。この松もいずれ枯れていく運命にあると聞きました。しかし、既にバイオ技術によって、新しい芽生えが報道されており将来の松原の復興が予感されます。陸前高田には、高田ドライビングスクール(高田自動車学校 代表取締役 田村 満 氏、同友会代表)が高台に建っていて、津波による直接の被災からは免れたものの、従来の免許取得の生徒さんは少なく、現在は被災地の復興のための町おこしにと、ブルドーザーやクレーンの運転免許の講習会を開催されており、自動車学校だけでなく中古車のレンタル事業、漁業に必要な製氷工場の建設など、自ら業態を環境に合わせて必死で復興に立ち上がっている姿を垣間見せていただきました。また、壊滅的な被害を受けた牡蠣の養殖や魚の養殖の筏などが復活している姿もみられました。漁業の再開が各地で始まっている報道にも接しました。被災地のあちこちにすでに小さな商店や、居酒屋の看板などがみられ、建築関係の人など含めて、食堂・コンビニなど、多くの人が集まっていて、これからの復興への息吹が感じられました。
 村松氏からはお土産と試食にと「鮭のハム」を頂きました。これは「鮭」を漁民が酒の肴にしていた干物を製品化したもので、これを地域のお土産にしてはと発案したとのことでした。自分の商売ではなく、地域の名産として地域の産物として広めたとの考えです。村松氏の仕事は、建築資材や技術をもった建築の綜合病院のようなもので、直接事業と関係ないのですからその行為には感動しました。
 国の迅速な被災地に対する援助や災害や復興計画の実践が大切なことは論を待ちませんが、地元の中小企業の皆様方の自助努力の芽を育てる早急な援助こそが地域の復興と活性化に求められるのではないかと思いました。海外からの報道では大震災にも関わらず、秩序立った行動、助け合いなどへの賞讃の声があがりましたが、被災地を訪問して、被災地の人々の自ら復興に向けての自助努力の姿をみて、国や行政の前向きな姿勢がありさえすれば必ず復興されるとの「希望」を感じた一日となりました。 
(2012年1月16日発刊)NO.230
「整理・整頓・清潔」
 
 3S運動は、日本に生まれた文化だと思います。しかし、徹底的に実践することは中々困難です。『当たり前のことが当たり前にできることが一流と言う』と言われていますが、凡事徹底の徹底にはいつも心がけていきたいものです。
 1月13日(金)岡山県中小企業家同友会主催の新春経営講演会で、大阪の山田製作所社長 山田茂氏に「この会社、どないすんねん!変わらなアカン」の演題で講演して頂きました。私達の病院からも20名参加をさせて頂きました。この会社は鉄工所を経営する社員17名の中小企業です。倒産寸前までいっていましたが、社長と弟の専務とが、特色のない汚い汚れた会社を、「整理・整頓・清掃」を徹底的に実践することによって、今では、世界中から年間240社を超える視察者を迎えるほどの優良会社に生まれ変わりました。
品質管理やマネージメントの基本は、身近のだれでもできる整理整頓清潔ではないかと改めて感激して拝聴しました。私どもの病院も、脳神経運動器疾患の専門病院と言っても、世界に通用する特色はないと思います。しかし、整理・整頓・清潔では、世界水準は達成可能です。しかも、だれでも、どこでも、無理なくできるのが整理整頓ですね。 
(2012年1月10日発刊)NO.229
「人が育ちあう環境を考える」
 
 狼に育てられれば狼になる。人は人間社会の関わりの中で人となります。人は生まれてから始めて出会う母・父・祖母・祖父、やがて保育所・幼稚園・学校との出会いの中で、更に社会に出て職場の中で育っていきます。
急速に変化する時代の中で、遊びという子どもの本業が失われて「子どもの遊びの喪失と子どもたちの失業」が大問題であると大田堯先生は著書の中で書いています。800年前の「梁塵秘抄」という、後白河法皇の「編集」した歌謡集の中にうたわれている歌謡「遊びやせんと生まれけむ、戯(たわぶ)れせんとや生まれけん、遊ぶ子どもの声聞けば、我が身さえこそ動(ゆる)がるれ」は、人間の本性を突いていると紹介されている。今年のNHK大河ドラマ「平清盛」の中で、清盛の生みの母に歌わせていました。
人が、人となりかねているのが現在の日本の姿ではないかと思います。「私達はお金と文明の利器の中で他人との生命の絆で結ばれていなくても、少なくとも生きていけるとゆう気にさせられているのです。人間のつくりだした「物理的」「合理的」な社会では生命の絆のような目にみえない心と心のかかわりあいの影響が薄くなって無機的社会になっている」(太田尭先生)私達はこの現状を少しでも良くしていくために、人と人の目に見えない心と心のかかわりあいを深めていくことが大切であると思うのです。
企業に於いても、社長さんや社員さんが共に育ちあう、共育が今こそ求められているのではないか。子どもが子どもの時間と場所を取り戻し、企業は共に育ちあう、人と人の心と心が絆で結ばれた生涯共育の場としての職場が実現することが、幸せの見える社会を形成していくのではないか、少しでも夢を追いかけていきたいものです。

参考文献
@「かすかな光へと歩む生きることと学ぶこと」大田堯著 一ツ橋書房
A「生命のきずな」大田堯著 偕成社
(2011年12月26日発刊)NO.228
「中国(洛陽市)の医療を視察して」
 
 洛陽市の医療交流促進訪問団の一員として12月19日・20日と滞在して、6つの病院を見学した。中国は高度経済成長時代の真っ只中にあり、病院も建築ラッシュであり、医療・福祉も発展途上である。日本も高度成長時代を経て今日の国民皆保険制度が整備されてきたが中国もやがて、保険制度に着手しようとしている段階である。中国と日本は、政治的には対立することもあるが、政治体制や文化の相違を認めて共に隣人として仲よく生きていくほかないと思う。医療を含む各分野の交流を通じて人と人の絆を深め、安定的な日中関係を創っていくことが大切と思う。洛陽は、日本から多くの遣唐使も訪れた古都であり、有名な牡丹の産地であり、近郊には世界遺産である龍門石窟(仏教遺蹟)がある。

注:岡山市とは1981年4月6日に姉妹都市縁組。2011年11月19日に30周年記念講演会を開催、同日、洛陽市にある河南科技大学と岡山大学は交流協定を締結。
(2011年12月12日発刊)NO.227
「こそ丸」
 
 「こそ丸」は当院のオリジナル商品として、日本経済新聞やNHKのニュースに取り上げられて、社会に少しずつ知られるようになってきました。どんな薬か、改めて説明したいと思います。こそ丸は、『こそ〜がん』と発音します。成分は、愛情・謙虚・感謝・元気などが適度に配合されたお薬です。人との諍いなどで気分がすぐれない時に、「こそ丸」を2〜3粒とり「貴方がおればこそ」と言って、コップ一杯の水と一緒に服用します。心が穏やかになってまいります。血圧も下がります。副作用はありません。しかし、間違っても「私がおればこそ」といって服用しないでください。自家製でも勿論良く効きますが、岡山旭東病院にて一個105円(消費税込)で買い求めることもできます。日本語、英語、中国語、ドイツ語の説明書もあります。薬ビンの中に薬が見えないと言う方もありますが、心の目で見れば見えてまいります。大切なものは目には見えません。
 無縁社会といわれる現在の日本社会で、人と人の絆が弱くなっている中で、お互いを思いやる、夫婦であれば「おまえがおればこそ」、社長さんであれば「社員さんがおればこそ」、社員は「社長がおればこそ」です。政治家は「国民がおればこそ」といって服用してほしい。皆さまがいらっしゃればこそで、来年は良い年となりますように。

注:この「こそ丸」のヒントを頂いたのは、故森岡まさ子さんの講演からでした。森岡ママは98歳でお亡くなりになるまで、世界の平和を願いつづけておられました。広島県上下町(元)現在府中市にあるMGユースホステルの創業経営者、現在も後継者が経営。
参考文献:森岡まさ子著「森岡ママは今日も笑顔で丘の上」講談社
(2011年12月5日発刊)NO.226
「癒しについて」
 
 癒しとは何か、考え方はいろいろとあると思う。
患者さまに対する癒しは、快適な居住空間、美味しい料理、当院で進めているアート(芸術)と医療の融合も大切である。しかし、忘れてならないのは、患者さまと職員の心と心の触れ合いである。同時に、職員同士の温かい心と心の触れ合いであろう。私たちは、身近な「おはよう」のあいさつ、感謝の気持ちを伝える「ありがとう」の言葉、助け合う気持ちが行動になって、癒し癒される社会になっていくのではないかと思う。
 2011年3月11日の東日本大震災では、多くの方が被災され、多くの人たちが癒されることを願ってやまない。ボランティア活動に多くの人が参加しているが、被災者との間の心と心の絆(真のライフライン)が人の心を癒していくのではないか。
 一人一人の心に真のライフラインを敷設することが、日本の社会を無縁社会から癒しの溢れた国に変容していく力になっていくのではないかと期待している。
(2011年11月28日発刊)NO.225
「森は海の恋人」
 
 香川県中小企業家同友会のお世話で「中小企業地球環境問題交流会in香川」が高松市で行われ、私は病院スタッフ1名(環境問題、ISO14001担当)を伴って参加した。
記念講演は「森は海の恋人」と題し、畠山重篤氏が講演された。畠山氏は、宮城県気仙沼で牡蠣・ホタテの養殖業を営み、森、川、海の関係に目を向けており、豊かな海を取り戻すために、89年に「牡蠣の森を慕う会」を立ち上げ、漁民による広葉樹の森を育成するため、植林活動「森は海の恋人運動」を続けている。子どもの体験学習もしており、環境教育を行っている。
私も、身近なことに関心を持って、環境問題を考えていきたいと思った。畠山重篤氏は海と川と森は繋がっていて、そこに豊かな恵みがあることを環境問題の視点でお話になり聴衆を魅了した。畠山さん自身、津波でお母さまを亡くされた。しかし、畠山さんは現在も牡蠣養殖の復興に向けてご活動中である。環境問題は、自然環境を保全する努力を人間ひとりひとりが目覚めることによってのみ達成できると思う。
3月11日の東日本大震災は、私たち日本人に金や物の価値観から、愛情とか感謝など目に見えない物への価値観転換を少しずつでも行っていくことの大切さを気づかしてくれた。

参考:畠山重篤・著「森は海の恋人」 文春文庫
(2011年11月21日発刊)NO.224
「食生活と健康長寿」
 
 食事は医薬同源といわれるように健康を保つ上で最も大切である。しかし、なかなか改善できないのも食事である。先日の家森幸男先生のお話から、日本古来より私達が食べてきた習慣を科学的に整理し、毎日の食生活にいかしていけばいいのだと思った。 
@大豆製品と魚介類、野菜果物、乳製品(ヨーグルト)を食べる
大豆にはイソフラボンが含まれており、乳がんや前立腺がんを予防する。豆腐や湯葉、豆乳など安く手に入れることが出来る。日本は海に囲まれて、魚はどこでも手に入る食材であり、刺身、煮物、焼き物と料理方法も豊かである。魚介類にはタウリンが豊富に含まれている。野菜をたっぷり摂取するとナトリウムの取りすぎをうち消してくれる。 乳製品として、カスピ海ヨーグルトをたっぷり食べる。
A適度な運動、体を毎日動かす。
B心の健康(家族との団らんなど楽しく食事をする)
食の健康、体の健康、心の健康が健康長寿の基である。この3つを強調された。私は健康法の実践として「早寝、早起き、3度の食事、笑顔で、すぐやる、怒らない」を心がけている。そして、毎日「こそ丸」を服用している。更に、家森幸男先生と重森貝崙先生の講演から食の健康、体の健康、心の健康が健康長寿の基であることを学び実践して参りたいものである。

注:「世界調査から見た中国の食生活と健康と・長寿」
 11月19日(土)岡山市日中友好協会設立30周年、岡山市洛陽市友好都市締結30周年、岡山大学・河南科技大学との交流協定が岡山大学で行われた。記念講演は「世界調査から見た中国の食生活と健康・長寿」の題で、岡山大学創設50周年記念館に於いて家森幸男先生・重森貝崙先生によって行われた。重森監督による中国の食文化の映像と家森幸男先生の長年の研究データに基づいた健康長寿の生き方についての講演が行われた。健康長寿の食生活が中国の香港にあることを、都市型の健康長寿について映像とデータが示された。家森幸男先生(島根大学名誉教授・京都大学名誉教授・現武庫川女子大学国際健康開発研究所長)、重森貝崙先生(映画監督 家森先生との協働制作の映画多数・長寿学博士が解く香港の長寿の謎など)
(2011年11月14日発刊)NO.223
「幸せの指標」
 
 先日の院内学会で、海野診療情報管理士が、ワークアウト(職員同士の討論会)で討議した、GHH(グロス・ホスピタル・ハピネス)向上のための当院の幸福度指標を発表してくれました。当院で幸せと感じている人が65%、幸福ではないと応えた人は25%でした。大変に貴重な調査で、給与・職場環境・ワークライフバランス・人間関係など個人によって、また所属する部署によっても答えは違っていると思います。経営者のできることは、働く職員の労働環境の整備であり、同時に、職員が共に学び、共に幸せの見える職場を職員と共に創って行くことです。以前にも院長のひとり言(203号)で、GHH(グロス・ホスピタル・ハピネス)=病院内総幸福を取り上げており、岡山旭東病院の職員が、幸せでやりがいのある病院になるように願っていますが、同時に患者さまや地域の人、取引先の社員にも幸せになってもらいたいと思います。  

参考@:GNH(国民総幸福、英: Gross National Happiness)とは、 1972年にブータン国王ジグミ・シンゲ・ワンチュクが提唱した「国民全体の豊かさ・ 幸福度」を示す”尺度”である。 従来のGNH研究は「GNH≒ブータン」で語られる事。GCHの語源は2010年発行、研究センターレポートの中の、駒澤大学経済学部教授 吉田敬一先生の報告(GNPからGNHへ、物から心へ)から。
参考A:2011年11月10日の山陽新聞で、法政大学大学院の調査によると、都道府県別の失業率、犯罪件数、医師数、平均寿命などの統計「幸せ度を分析ランキング発表」で、1位は福井県。岡山県は24位、医療・福祉部門では岡山県1位であった。
(2011年11月7日発刊)NO.222
「こどもの時間をうばってしまったのはおとなです」
 
 ミヒャエル・エンデのモモは、私達の日常は、時間に追われて貴重な時間を奪われている。灰色の時間泥棒に時間をうばわれている生活をしているひとが多いことを気づかせてくれる物語です。岡山に子どもシェルターモモ主催の創立2周年の記念シンポジウムがあり、参加しました。シェルターモモは「こどもの時間をうばってしまったのはおとなです 返してあげるのも私たち」の趣旨で、家庭で暴力を受けたり、ネグレクトされたり、自分の居場所がない子どもを保護する、子どもの居場所です。このような運動が全国に少しずつ広がっているようです。
基調講演の「子どもの村福岡」専務理事 大谷順子さんの話は、とても心をうつものでした。日本で初めての試みである「子どもの村福岡」の経験から、支援のありかた、連携の在り方を報告してくださいました。家族と暮らせない子どもが増え続けている。こども村福岡とは、国際NGO[SOS子ども村]の133番目の国として日本で初めて福岡に設立されました。「SOS子ども村」のビジョンは「すべての子どもが、家族の一員として育ち、愛され、尊重され、守られることです。」ミッションは「私たちは子どもたちに必要な家庭をつくり、子どもたちが自ら未来を築けるように手助けをし、地域社会に貢献します。」理念は「子どもの権利尊重を基礎として、愛着の絆と永続的な支え」4つの原則:「マザー・兄妹・家・村」を掲げています。
子どもは社会の宝です、私たち皆で支援していきたいものです。時間泥棒が横行し、子どもや老人の時間泥棒が今の無縁社会を創っているのだと思います。無機質な社会から有機的な社会へ、物から心豊かな社会へ変えていきたいものです。
 
参考:子どもシェルタ―モモ  ブログ http://sheltermomo.blogspot.com/
   子どもの村福岡     ブログ http://cv-f.org
(2011年10月31日発刊)NO.221
「足るを知る」
 
 京都の龍安寺というお寺に、「足るを知る」と彫られたつくばいがあります。このつくばいは、有名なので知っている方も多いと思います。真ん中にある水を入れる四角を共有していて、時計回りに「吾唯足知(われ ただ たるを しる)」と読みます。龍安寺を訪れた時に購入した文鎮を手元にありいつも眺めています。2011年5月24日に経済協力開発機構(OECD)により、幸福度指標(より良い暮らし指標 )が発表されました。OECD諸国の中で、幸福度は日本が一番低い成績です。医療や教育は比較的充実している。安全である。国民一人当たりの富も世界一、平均寿命は女性86歳、男性79歳(2007年)と世界もうらやむ値です。地震と津波・原発事故を引き起こした東日本大震災に遭っても、助け合って乗り越えていこうとする国民。それでも幸福度が低いのはどうしてなのでしょうか?「足るを知る」ことも大切に思います。産業革命から引き継いできた大量消費、大量生産の成長路線から、発想を転換して、良いものを買って大切に使う。昔の人が「もったいない」といって物を大切に使ってきたことが、低成長時代の中で発展の鍵があるのではないかと思う。

注:経済協力開発機構(OECD)は5月24日、国民の幸福度を測定する「より良い暮らし指標」を発表し、日本は、家計ではOECD諸国の平均を上回ってはいるものの、11項目中では「生活満足度」が低い結果となった。「安全」などが高いものの、「生活満足度」自分の生活に満足している人は40%で、5年後の自分の生活は満足いくものだろうと考えている人は40%。特に生活満足度の予測においては、OECD諸国34カ国の中で最低水準だった。
(2011年10月24日発刊)NO.220
「人づくりは場づくり」
 
 先日、埼玉大学教育学教授 岩川直樹先生の講演を聴く。演題は「人が育つ場づくりをしよう〜ケアしケアされる関係を通じて〜」であった。その中で、「蜘蛛の糸」(芥川龍之介)の授業でのことを話された。暴れん坊のケンタはこの話をカンダダの立場で読んだ。カンダダは悪くない。それならなぜ糸が切れたのか。ケンタは自分の意見を言い、反論されても簡単には引かない。同じ「蜘蛛の糸」を読んでも、子どもの中にはお釈迦様の立場に立つ子もいればカンダダの立場に立つ子もいる。その差異は、「個性の違い」というような抽象的な問題ではなく、それぞれの子どもが生きている具体的な生活基盤や社会環境の違いに根ざしている。ケンタの立場に立つ人は少数で、意見は取るに足らないとみなされるか、発せられないままに終わってしまう。
学校だけでなく、社会の中にもカンダダたちがいること念頭において人育てを考えていきたいものである。岩川先生の言われるように「人づくり」は、物をつくるようにはいかない。人には「人」をつくる力はない。だから、学び育つ「場づくり」が必要なのだ。それにはまず身近な人に、ケアしケアされる場こそが共に育ちあう場となるのではないか。
 
注:芥川龍之介著 「蜘蛛の糸」 釈迦はある時、極楽の蓮池を通してはるか下の地獄を覗き見た。幾多の罪人どもが苦しみもがいていたが、その中にカンダタ(?陀多)という男の姿を見つけた。カンダタは生前に様々な悪事を働いた泥棒であったが、一度だけ善行を成したことがあった。小さな蜘蛛を踏み殺そうとしたが思いとどまり、命を助けてやったのだ。それを思い出した釈迦は、地獄の底のカンダタを極楽へ導こうと、一本の蜘蛛の糸をカンダタめがけて下ろした。極楽から下がる蜘蛛の糸を見たカンダタは「この糸をつたって登れば、地獄から脱出できるだろう。あわよくば極楽に行けるかもしれない」と考える。そこで蜘蛛の糸につかまって、地獄から何万里も離れた極楽目指して上へ上へと昇り始めた。ところが糸をつたって昇る途中、ふと下を見下ろすと、数限りない地獄の罪人達が自分の下から続いてくる。このままでは糸は重さに耐え切れず、切れてしまうだろう。それを恐れたカンダタは「この蜘蛛の糸は俺のものだ。お前達は一体誰に聞いて上ってきた。下りろ、下りろ」と喚いた。すると次の瞬間、蜘蛛の糸がカンダタのぶら下がっている所から切れ、カンダタは再び地獄に堕ちてしまった。その一部始終を見ていた釈迦は、カンダタの自分だけ地獄から抜け出そうとする無慈悲な心と、相応の罰として地獄に逆落としになってしまった姿が浅ましく思われたのか、悲しそうな顔をして蓮池から立ち去った。(蜘蛛の糸 - Wikipedia から引用)
(2011年10月17日発刊)NO.219
「坂の上の雲」に思う
 
 「坂の上の雲」は司馬遼太郎氏の代表的作品でありNHKドラマに登場して、多くの人に知られている。明治の若者が、未来の日本を夢見て、坂の上の雲を目指して、頑張ってくださったお蔭で日本の今日があると感謝している。私が昭和41年に脳神経外科医として岡山大学脳神経外科教室(西本詮教授)に入局したが、その時の指導医が現在松山市の医療法人和昌会 貞本病院の院長である貞本和彦先生でありました。先生は第14回日本病院脳神経外科学会(松山市)を平成23年7月16日(土)、17日(日)の二日に渡って会長として開催されました。貞本和彦会長はメインテーマを「NHKのスペシャルドラマに取り上げられた「坂の上の雲」にちなんで、「これで良いのか、これからの脳神経外科医療は−『坂の上の雲』を」にされたと聴く。昭和55年、第39回日本脳神経外科学会(金沢市)での佐野 圭司 先生(東京大学脳神経外科初代教授 学会理事長 2011年1月6日に逝去)の特別講演「坂の上の雲−Homo neurochirurgicus」の中で「戦後の日本の脳神経外科も明治時代の偉人が『坂の上の雲』をみつめて、一生懸命に頑張って坂を登っていったように、我々もそうであったと強調され、今後もいかに時代が変わろうと、我々の進むべき方向は『坂の上の雲』をみつめて坂を一生懸命登ることしかない。」と言われたと貞本会長は述べておられました。
 日本病院脳神経外科学会へ参加して、コメディカルの参加もあり、大成功の学会でありましたが、同時に小説の主人公である秋山兄弟や正岡子規が「坂の上の雲」を目指したように、私達の人生も、それぞれの坂の上の雲を目指していきたいものと改めて思いました。身近には、岡山旭東病院の「坂の上の雲」は4つの経営理念であろうと思う。@安心して生命をゆだねられる病院 A快適で、人間味のある温かい医療と療養環境を備えた病院B他の医療機関・福祉施設とともに良い医療を支える病院 C職員ひとりひとりが幸せでやりがいのある病院 の4つの理念を目指して我々のスタッフと共に「坂の上の雲」を目指して登っていきたい。

佐野圭司先生:東京大名誉教授、脳神経外科)平成23年1月6日、肺炎のため死去、90歳。 日本で初めて東大に設置された脳神経外科学講座の初代教授で、脳神経外科学の第一人者。
(2011年10月11日発刊)NO.218
「生老病死」
 
 現在、少子高齢化社会に突入し、高齢化は2025年までは続く。でも、少なくとも日本の高度成長の時期以前は、結核などの感染症で亡くなる人も多く、人生50年と言われていた。しかし、目覚ましい高度成長によって生活環境の改善と医療・福祉の発展によって日本の平均寿命は男性80歳、女性86歳と世界でも有数の長寿国となった。ただ、光の陰には、暗闇があるように、高齢化に伴って増加してきた疾病がある。癌、老人性痴呆、パーキンソン病、血管障害に基づく心臓疾患、脳卒中後遺症など、高齢化に伴って増加してきた多くの疾病がある。人には必ず終わりがある。その終わりを癒しの中で、終えたいと誰もが願っている。しかし、思うように行かないのが現代の医療・福祉のあり方だと思う。医療や福祉を職業としている人の問題でもあるが国民のひとりひとりが考える問題でもある。医療は命を救うだけでなく、人生の終わりに当たってのお役立ちが求められている。先日、岡山旭東病院の第18回「愛脳会」(平成23年10月1日)の基調講演に社会医療研究所所長 岡田玲一郎先生をお迎えして「作法としての「生老病死」〜みなで医療をよくするためには〜」と題してご講演をいただいた。抄録の最後に岡田先生は「生きるとは、何だろう。わたしは、社会につくすのが生きることだと思っている。脳という臓器も、社会を構成するする人間のモノだ。愛された脳と愛されない脳とでは、愛されるほうがよい。そして、愛とは人に対する関心から発する。」とても感動的なことばだと思う。愛脳会の名称にもつながる。先生は、事前指定書の推進者であり、「Let me decide」の運動の日本でのパイオニアである。当院でも、終末期をどのように迎えたいか、事前指定書の導入を再度試みていきたい。
参考:みんなで日本の医療をよくするために「作法としての生老病死」岡田玲一郎著 厚生科学研究所
(2011年9月26日発刊)NO.217
「私の病院経営」
 
 サブプライムローンに端を発したアメリカの金融危機は、世界の景気後退を促しました。また、大手証券会社リーマン・ブラザースの倒産は、少し前までは、経営者が億単位の報酬を得ていたと言います。そして、世界中の人が迷惑を被りました。また、2011年3月11日の東日本大震災・原発事故など、日本は、バブル崩壊後も次々にやってくる、人災・天災に、病院も間接的にではありますが大きな影響を受けました。今だからこそ、病院もあるべき姿を見失ってはならないと思います。会社の本来あるべき姿は、「社員を幸せにするような会社づくり、それを通じて社会に貢献する」ことです。この言葉は塚越寛会長(伊奈食品工業株式会社)著の著書名「年輪経営」のなかに書かれています。私も同感です。病院経営の目的は、職員の幸せ、患者さまの幸せ、取引業者さまの幸せ、地域住民の幸せ、を目指すことと思うのです。私達の経営理念の一つに「職員ひとりひとりが幸せでやりがいのある病院」があります。「企業は家族です。食べ物が少なくなったからといって、家族の誰かを追い出して、残りの者で食べることはありえません。」(年輪経営からの引用)に共感を覚えます。病院組織は大きな家族です。私は医療職・事務職ひとりひとりがそれぞれの持ち味を出し合って、お互い助け合って、経営理念に基づいた医療サービスをさせて頂くことであると思います。理念を徹底的に追及していくべきであると、肝に銘じています。勿論、適正な利潤は、理念の追求によって社会から褒美として頂けると思うからです。病院組織の中には、時には、仕事ができなくなる人もいます。また、病に倒れたり、能力が必ずしも、発揮できない人もいます。子育ての人には、それなりの助け合いが必要です。ワークバランス憲章に沿った経営を心がけているのも助け合いを具体化したものです。職員ひとりひとりが、貴方がおれば「こそ」の感謝の念をお互い忘れないでほしいと願っています。
参考「年輪経営」塚越寛著  光文社
(2011年9月20日発刊)NO.216
「すべてのこどもにこどもの時間を」
 
 9月18日ノートルダム清心女子大学同窓会主催生涯教育講座があり、表題の演題で塚原成幸氏の、〜クリニクラウン(臨床道化師)の世界〜を通じて、出会い、笑いやユーモアの素晴らしさを聴いた。当日はホームカミングデイ(同窓会)でもあり会場は150人の聴衆で埋まった。塚原さんとはかれこれ13年の交流があり、2002年には、岡山に映画「パッチ・アダムス」で有名になった実在の医師ハンターアダムス氏を講演にお呼びし、その時のステージマネジャーをお願いした。その後、講師として旭東病院での「あかいはな道化教室」を継続開催して来年で10周年になる。塚原氏は2005年から、大阪に拠点をもつ日本で初めてのクリニクラウン(臨床道化師)の組織、日本クリニクラウン協会の事務局長兼アーティスティックディレクター(芸術監督)を務めている。クリニクラウン(CliniClown)は入院生活を送るこどもの病棟を訪問し、遊びとユーモアを届けて、こども達を育む道化師のことである。
こども達の成長、発達に欠かせない3大要素がある。@想像力を刺激する遊び。A能動性や自主性を育む新鮮な出会いと発見。B家族・友人・学校など人と人の関係を大切にする社会環境。塚原氏によるとクリニクラウンはスーパーこどもであることが大切で、こどもよりこどもらしい・・・驚き、喜びを共感する人であることが資質として必要と語る。ある病院での経験談に、「7歳の女児(花子さんと仮称)、花子さんはクラウンが部屋に入ろうとすると何時も拒否する。毎週、毎週訪れて5カ月になっても心を開いてくれない。主治医の先生が花子さんに近づいていっても拒否される場面で、塚原さんが主治医の先生に箒を持たせると、先生は戸惑いながら、箒で掃く真似をした。それがきっかけで子供が笑い、医師と花子さんの心と心が通って、その事件以来、先生に心を開いた。」という話があった。こどもとの関わりの中で、こどもはクラウンに対して@やっつけたいA追いかけたいBかまいたいCうるさいDまた会いたいと思っている。大人の世界でも、スーパー子どもになってみることも、人間関係を良くする秘訣かも知れない。
(2011年9月12日発刊)NO.215
「心と心の絆をとりもどそう」
 
 私自身、心と心の絆が弱くなっていることを気づくことが多い。時間とお金(病院経営を含む)に気を取られて毎日「忙しく」していると字のごとく、心を忘れていることに、はっと我に返ることが多い。結果、忙しいと本心が伝わらなくて誤解を招くことを経験する。便利になって、コンビニに走れば日常の欲しい物はたいていのものが即座に購入できる。本にせよ、物品でも、注文すれば一日で手に入る。飛行機、新幹線などを利用すれば、どこでも国内であれば一日で行くことが出来る。確かに便利になり、行動範囲は格段に広くなってきた。要件を伝達するには電子メールを使えば手紙やハガキはいらない時代が到来した。しかし、全て価値がお金で計算され、能力主義や市場原理主義に心を奪われて、いよいよ心と心を通わせる余裕がなくなってきたと思う。優しい声かけや、自筆の手紙やハガキは心に響く。ミヒャエル・エンデの「モモ」は忙しさの中で生きることの意味を忘れてしまった人々に対する警告である。同時に、お金による経済システムへの問題をも喚起しているという。心と心の絆をとりもどそう。

参考: このモモという物語の中では灰色の男たちによって時間が奪われたという設定のため、多くの人々はこの物語は余裕を忘れた現代人に注意を促すことが目的であるとされている。しかし、エンデ本人が世の中に訴えたかったことは、この「時間」を「お金」に変換し、利子が利子を生む現代の経済システムに疑問を抱かせることが目的だったという事が、のちに発行された『エンデの遺言』という書籍に記載されている。なお、この事に最初に気が付き、エンデ本人に確認を取ったのはドイツの経済学者、ヴェルナーオンケンであるとされる。(ウイキペディアより引用)
モモ (岩波少年文庫): ミヒャエル・エンデ, 大島 かおり: ミヒャエル・エンデ (著)
(2011年9月5日発刊)NO.214
「一枚のハガキ」 新藤兼人監督作品:9月4日(日)10:00〜
 
 岡山シネマクレールで、新藤兼人(99歳)の最後の作品「一枚のハガキ」を鑑賞した。戦争末期に召集された100人の中年兵は、上官がクジを引いて決めた戦地にそれぞれ赴任することになっていた。クジ引きが行われた夜、松山啓太は仲間の兵士、森川定造から、妻・友子より送られてきたという一枚のハガキを手渡される。「今日はお祭りですが、あなたがいらっしゃらないので何の風情もありません。友子」 定造は、クジでフィリッピンへの赴任が決まり、生きて帰れないことを覚悟していた。宝塚に赴任する啓太に、もし生き残ったらハガキを持って定造の妻を訪ね、そのハガキを読んだことを伝えてくれと依頼した。ここからストーリーが始まる。理不尽な戦争の結果、悲惨な状況の中でも、人はかすかな希望を持って生きていくことを描いていると思った。戦争は、「生きる、暮らしをまもる、人間らしく生きる」というささいな幸せをも踏みにじってしまう事実を映像を通して訴えている。松山啓太を演じた豊川悦司、友子を演じた大竹しのぶもよかった。進路を間違うと、個人の平穏な日常生活の破壊をもたらす国家権力の恐ろしさと、同時にひとりひとりの心と心の絆の美しさを感じることが出来た映画であった。100人の兵士の内、生き残ったは6名の実体験に基づいた映画です。新藤兼人の「戦争とはどうゆうものかを知らせたい」との気迫を感じた。ユーモアあり、明るさもあり、元気も出る映画である。機会があればご推薦の映画です。
参考文献: 「一枚のハガキ」新藤兼人  文芸協力  鈴木詠祟  (株)泰文堂
(2011年8月29日発刊)NO.213
映画「かすかな光へ」
 
東京大学教育学部長や日本教育学会会長を歴任された93歳の大田堯先生のドキュメンタリー映画を紹介したい。大田堯先生は戦前戦後を通じて教育のありかたを問い続けられた教育研究者であり、教育に携わる人だけでなく、企業や家庭など全てを生涯学習の場としての人育てのあり方を問いかけてこられている。中小企業家同友会の進める「共に育つ」は私達の教育の考え方であり、大田堯先生の目指される「かすかな光へ」と導くものでもあります。私とおつき合いくださって20年になります。映画は5年間に及ぶ森康行監督の大田堯先生への密着取材によるドキュメンタリー映画です。先生は、教育とは生物としての人間、誰もがもつ細胞の中のユニークでダイナミックな人間設計図の開花を援助し、励ます環境を創り出すことであり、演出活動であり、アートだという。従来の上から教えて、知識注入、あわせて変心、同化を求めるという既成の「教育」の概念を根底から覆す考えです。私達の病院における、教育(共育)も、職員ひとりひとりの持ち味を生かして自ら成長して欲しいと願っている。大田堯先生は教育をアートであると言われているが、職場も教育の場であり、経営理念を中心に据えたアートであると思う。

「教育はドラマ、アートである」〜まずは学習権があり、教育は介助の仕事〜  大田堯先生
参考文献:大田堯著「かすかな光へと歩む 生きることと学ぶこと」 一ツ橋書房 ¥1800
配給・お問い合わせ:ウッキー・プロダクション(猿田) TEL03−5213−4933
        東京都千代田区九段4-3-3-シルキーハイツ九段南2号館606
(2011年8月22日発刊)NO.212
「創(はじ)めること、と続けること」
 
 「人は創めることを忘れない限り、何時までも人は老いない」は哲学者マルティン・ブーバーの言葉として有名です。この言葉に励まされることが多い。私も、創めることが多いのですが、中途で止めてしまうことがいかに多いか反省することばかりです。創めることと、継続して続けることがいかに大切か。正しいと決めたことを、10年、20年、30年コツコツと続けることが成果に結びつきます。組織経営であれば、理念を継続して深掘りする。 個人の生活であれば、趣味や生活態度も同じです。誰でもできる簡単なこと、「掃除をする、はきものをそろえる」などもやり続けることができれば素晴らしい。
(2011年8月15日発刊)NO.211
急性期病院での「院内デイサービス」
 
 高齢化社会を反映して、病院の患者さまも高齢化が進み、80歳・90歳でも救急車で搬入される患者さまも多い。また、高齢化に伴って増える、癌や生活習慣病で入院される患者さまの割合も増えている。従って、認知症を伴っている患者さまも多くて、看護師だけではお世話に手が回らない。患者さまをスタッフステーションの周りで看護師の目の届くところで見守っている。しかし、看護師だけでは十分な見守りやケアが出来なくなっているのが現状である。長野県松本市にある、社会医療法人相澤病院では院内デイサービスを行っていると聴き、先週11名のスタッフで見学に行った。相澤孝夫院長・塚本健三本部長にもお会いでき、スタッフの方々に丁寧な説明を受けた。相澤病院は地域医療支援病院で502床の大病院である。平均在院日数が12日と患者さまの出入りが激しい。そのような状態の中で、看護師2名と介護福祉士22名のコラボレーションによって1日約60名の患者さまを2か所の院内デイサービスで対応している。急性期病院での院内デイサービスは患者さま一人一人の尊厳を守る上でも先駆的試みである。早速、私達の病院でも取り入れて行く予定で、現在介護福祉士を4名採用して院内デイケアの発足の準備にかかったところである。来春には新卒の介護福祉士を多数採用し、少しでもいい療養環境を提供していきたいと考えている。
(2011年8月8日発刊)NO.210
「やる気」
 
 やる気とは何か。やる気を引き出すことができれば、企業経営も人間の希望する多くのことは成就可能のように思える。人間は何故、二本足で立つようになったのか、大田堯先生は「それは、やる気になったのだ」とおっしゃる。やる気になって、二本足になり、両手を使って道具を工夫し、人間社会を形成するようになったと考えれば、やる気を引き出すことは人間の根源的な課題である。
病院を経営する立場にあると、経営者の講演を聴いたり、著書を読むことも多い。未来工業の山田昭男さんの型破り経営論は、「社員のやる気」を引き出すことにある。一番の柱は社員のやる気。“やる木“だと考えれば分かりやすい。まず一本の“やる木”を育てて、それに枝葉をつけてやればいいのだ。やる木とは、経験則に基づいたプラス思考であるという。休め、働くな、よきにはからえ!伊那食品工業の塚越寛さんはリストラなし「年輪経営」をなさっている。会社は社員を「幸せに」する為にある。会社は寒天メーカーで、社員の幸せを創業以来48年間連続、増収、増益の記録を達成している。先月、沖縄教育出版社を訪問した。ここではハンディキャップをもった障害者も健常者と一緒に働いている。私どもの障害を持った職員との交流をお願いして訪問させていただいた。「日本一長くて楽しい朝礼」にも参加した。一人一人の個性と主体性を引き出す「心を育てる」を実践されている。
企業経営にマネージメントを体系的にまとめた経営の神様と言われる、P・F・ドラッガー氏のマネージメントの役割の3つの中に、「仕事を通じて働く人たちを生かす」がある。中小企業家同友会は、いい会社にしよう、いい経営者になろう、いい経営環境にしよう、の3つの目的を掲げて経営とは何かを学び続けている経済団体(会員約4万名)である。経営の目的は、人間尊重を根底にした「幸せ」であることを学んできたように思う。脳の機能からは、快楽ホルモンであるドーパミンを働かせるドーパミン作動性ニューロンを活性化させることになる。素晴らしい経営をされている方々に共通しているのは、一人一人の幸せを願って、そうした環境をコツコツと社員とともに創っていくことである。そこに「やる気」が生まれてくるのではないか。

参考文献
@ 赤石義博著「非情理の効率を上回る「情理の効率」を」 鉱脈社刊
A 山田昭男著「楽して、儲ける!」中経出版
B 塚越寛著「年輪経営」 光文社
C P・F・ドラッガー著 「経営の哲学」 ダイヤモンド社
D 「全員主役の感動起業」沖縄教育出版
(2011年7月19日発刊)NO.209
「助け合い」
 
 2015年には団塊世代(約800万人)が高齢期に入り、我が国の高齢化は4人に1人が高齢者の時代を迎えます。地方に於いては、人口の高齢化と過疎化が同時進行して限界集落が1万市町村を越えるまでになっています。生活スタイルが個人主義と競争社会の中で、人間関係が希薄化し、個々がバラバラになっています。結果として、孤独死や自殺が毎年3万人を超えるような状況です。更に、高齢化に伴って、未だかつて経験のない認知症患者の激増です。病に倒れて、一人では生きていけなくなった時、大家族の時代には家でのお世話も可能でしたが、今では家で過ごすことが出来にくい時代です。国は病院や病床を削減する方向にありますが、病院の病床の一部を介護施設に変えていくことも必要です。同時に、住み慣れたところで生活が出来るよう地域での助け合いも大切です。特に、地域に根差している地域の中小病院がそうした連携の中で、地域社会への貢献を果たしていくことが求められています。地域住民と病院・クリニック、福祉施設が協力し助け合って住みよい、安心・安全な地域にしていきたいものです。
(2011年7月11日発刊)NO.208
「かすかな光の中へ」大田堯先生
 
大田堯(おおたたかし)先生は、教育学者として高名な方ですが、出逢いは、岡山県中小企業家同友会での学習会である。それから20年の長きにわたって大田堯先生との再会をいつも楽しみにしてきた。先生は広島県三原市本郷の奥様の御実家の跡地に、子ども図書館を寄贈され、先生のお考えに賛同して下さる人達の手で運営されている。大田堯先生も出席されて、こども図書館の創立10周年のお祝いの会が平成23年7月9日(土)に開催された。約50名の親子や大田先生を慕う人が集まった。紙芝居、有志のハーモニカ演奏、大田先生との交流、記念写真の撮影、そのあとカレーライスでの会食と大田堯先生との楽しい時間を過ごさせていただいた。さいたま市からお二人の御子息、先生の自宅での学習会に参加されている熱烈ファンの女性が数名参加されていた。岡山から私を含めて8名の仲間が参加した。先生の参加目的は、子ども図書館10周年記念のお祝いの会と映画「かすかな光へ」の試写会にあった。私は残念ながら、本郷での試写会には参加できなかったが、編纂されたDVDを自宅で数名のグループで鑑賞し、大田先生が夢を持ち続けて、常に行動されている姿に感銘した。自主上映のご案内のパンフレットの中で、次の文章が先生の著書「かすかな光へと歩む」より引用されていた。「ふと我にかえると、現実は無機物に囲い込まれた荒涼たる世界を、愛に飢えた人影がバラバラに生きている。そうゆう世界が幻のように見えるのです。私はその現実の中に垣間見えるかすかな光への道を手さぐりで求めようとしました。それは夢のようなもの、あこがれにすぎないのかもしれません。でも、そのあこがれ、夢なしには私はどう生きるかの手がかりを見出すことはできないのです。その手がかりを見つけるために、私は自然から預かった生命(いのち)という摩訶不思議なものに注目してみました。」大田堯先生は「生命のきずな」の中で次のように書かれている。「生命の特徴は、ちがうこと・自ら変わること・かかわることであり、ひとりひとり違っているその人その人が、その気になって自分の分別・選択を重ねることでユニークな自分を創りだし、その持ち味が、人と人の関係、人と自然の生命との関わり合いのなかで、ちゃんとした役割を果たしている。愛情に支えられて、あてにしあてにされる関係のなかにある、そうゆう手ごたえを得たときに、人は「生きていてよかった」と幸せを実感することになるのではないでしょうか。」私は「かすかな光へ」の映画が多くの人に鑑賞されて、いのちといのちの真のライフラインのネットワークが広がっていくことを願っている。
 
参考文献 
(1)「生命のきずな」偕成社 
(2)「かすかな光へと歩む 生きることと学ぶこと」一ツ橋書房
(3)設立10周年を記念し9日午後2時から、同市本郷南6の本郷生涯学習センターで大田さんの半生を追ったドキュメンタリー映画「かすかな光へ」の初上映会と、大田さんと映画監督、森康行さんの対談などがおこなわれた。
子ども図書館(0848・86・6066)
(2011年7月4日発刊)NO.207
「絆・きずな」
 
 2010年の国勢調査の「1%抽出速報」で、総世帯に占める1人暮らし世帯の割合が初めて3割を超え、家族類型別で最多になったと総務省が発表した。1人暮らしの世帯が2005年の調査から10%増えて、総世帯の31.2%を占め、夫婦と子供世帯は28.7%である。高齢化率(65歳以上)は23.1%と世界最高水準である。1人暮らし世帯の増加は、家族のいることを前提にした介護などの社会システムも今後考え直すべき課題である。最近、高齢者の「孤独死」が激増しているとの報道を聴くと、人間関係の希薄さが伺われる。また、年間3万人にも昇る自殺者が増えていることも人と人との絆が薄れていることと関係がある。私のいる病院での話ではあるが、仕事は皆仲よくしているようにみえるが、人の内面に関わる付き合いは苦手であるように感じている。大田堯先生の考えでは人間の特徴は@ひとりひとり違うということ A学んで変わるということ B関係性の中にあると3つを指摘されている。私達は、お互いに違いを認め、障害がある人も、男女や人種がちがっても人間として、互いに尊重し(人間尊重)、常に学びを通じて自分を変え(学習権)、関わりの中で幸せを求めていきたいものである。2008年に中小企業家同友会主催のEU経済視察団に同行した。EUにはEU27カ国の加盟になる小企業憲章がある。この中に貫かれている考えは、EUの経済を支えているのは企業規模の小さい小企業である。だから、「think small first」即ち、経済政策を考える上で、まず小企業のことを考えようという発想である。人と人の絆も、まず小さな、ひとりひとりの絆を大切にすることから考えていきたい。岡山旭東病院でも、職員約400名の内、1年に1〜2人のうつ病などで病欠する人がいる。職場では、ワークライフバランス憲章に沿った経営に心がけ、くるみんマークも取得した。職員との融和を図るために、誕生会やバーベキュー大会、クラブ活動の支援などもおこなっている。しかし、本質的には、職場環境の改善運動だけでは解決しない問題がある。まず、個人が身近な人、夫婦、子ども、親族、友人等とかかわる人との関係を良くしていくことが大切である。日本の社会を覆っている市場原理主義に基づく競争社会の呪縛から一歩距離をおいて、心豊かな社会を一人一人が心がけて、真の生命と生命の絆(真のライフライン)を広く敷設していきたいものである。東日本大震災の復興も、物や金も勿論大切であるが、日本国中の思いや、世界中の人の、心の絆が復興へのエネルギーとなるのではないかと思うこの頃です。
 
注:
@大田 尭 先生. (おおた たかし 1918- ). 大田堯 (おおた たかし、1918年 - ) は教育 学者。東京大学名誉教授、都留文科大学名誉教授。
A中小企業憲章ヨーロッパ視察報告 中小企業家同友会全国協議会編
(2011年6月27日発刊)NO.206
「生き方」
 
 人生の始めと終わりをどう結ぶか〜あなたの生き方の選択〜
「日野原重明先生100歳記念講演会」が6月26日(日)倉敷記念会館で「新老人の会」主催で開催された。岡山から40分のドライブを楽しんで参加した。会場は2000名の熱気に包まれており、日野原先生の講演が一部で、二部は新老人の会のメンバーによるコーラス(混成合唱団)、桃太郎少年合唱団の子ども達の透きとおった歌声、倉敷ジュニアフィルオーケストラのシベリウス作 カレリヤ組曲の溌剌とした演奏があり、最後に日野原先生の指揮で、「ふるさと」などを参加者とともに歌って会場は温かい雰囲気に包まれた。
日野原先生は、訪問した東日本大震災に見舞われた宮城県、公立志津川病院など震災の映像を含めて紹介された。逆風に向かって前進するヨットの姿に似て、人間は逆風の中で勇気ある生き方ができると、震災から必ず再生すると未来を語られた。人は、いつかは終わりがある。常に目標をもって生きることが一本の糸の如き張りを人生に与えてくれる。日野原先生はご自身の百歳の記念講演であり、100歳からのスタートであると今後の夢を語られた。年を重ねるだけでなく、60歳であろうと100歳であろうと、常に先に目標をもって、人生の始めと終わりを一本の張りつめた糸のように、生き抜き、そして最後には静かに終わりを迎えたいものである。
(2011年6月20日発刊)NO.205
「カスピ海ヨーグルト」
 
 脳卒中ラットを開発して、脳卒中・高血圧症の予防に精力的に打ち込んでおられる家森幸男先生に、先日、京都で講演の打ち合わせを兼ねてお会いした。家森先生はWHOの仕事で、高血圧や主要な循環器疾患の予防を目指して、危険な体験もされながら世界各地を巡り長寿を支える食生活の調査をしてこられた。世界中で長寿の地域には共通の食生活があることを発見されている。結果は、食習慣と快適な生活環境にあるとのことである。1、塩分は思い切って控える。2、動物性脂肪をとり過ぎない 3、野菜や果物をたっぷり食べる。4、牛乳、ヨーグルト、チーズなど乳製品を毎日食べる。5、魚、動物の内臓、大豆を日常的に食べる。6、いろいろな食材をバランスよく食べる。7、適度な運動を心がける。8、食べ物、食べ方、食べあわせについて積極的に知る。9、家族や友人と楽しく食卓を囲む。10、人生を前向きに、明るく楽しく生活する。日本の食生活、即ち、魚、大豆、野菜、果物、海藻、お米などを食材にした食生活は素晴らしいとのこと。勿論、塩分は控えめであることは論をまたない。世界中を回る中で、グルジアの長寿村で不思議なヨーグルトを発見。カスピ海ヨーグルトは、腸内の環境が良くなって便通がよくなる。これだけで健康食品として素晴らしいと思う。私自身もカスピ海ヨーグルトを食べるようになって、体調が良くなったと実感している。詳細を知りたい方は家森幸男先生の本を読んでください。食品でお薬ではありません。念のため。
 
(参考)
カスピ海ヨーグルトはクレモリス菌とグルコノバクター桿菌です。クレモリス菌は乳酸菌の仲間です。乳糖を発酵させて乳酸をつくる能力が強いのです。クレモリス菌は酸素がなくても増殖できる通性嫌気性菌です。増殖する温度は20〜30度で、丁度室温です。市販のヨーグルトは主としてブルガリヤ菌で37度から40度で増殖します。従って、カスピ海ヨーグルトは中温性乳酸菌です。室温で誰でも増殖させることが出来て便利です。乳酸をつくるだけでなく、粘性多糖体を合成して菌の外にだすので、トロリとした独特の粘りがあります。グルコノバクター桿菌は、好気性で、エタノールから酢酸をつくる酢酸菌の仲間です。好気性のグルコノバクター菌が酸素を求めてヨーグルトの表面近くで集中的に増殖します。その結果、ヨーグルトの表面はグルコノバクター桿菌で覆われて、酸素がはいりにくくなって、クレモリス菌が増えるのにも良い条件となります。ヨーグルトを育てるには、清潔を保って、ほかの菌が混入しないようにするのがカスピ海ヨーグルトの正しい育てかたです。(カスピ海ヨーグルトの真実 家森幸男著 法研 参考)
注)家森幸男(やもり ゆきお)1939年生まれ。京都大学名誉教授で、世界の健康長寿食の研究を専門としておられます 。 1986年にカスピ海ヨーグルトを日本に最初に持ち込んだ冒険病理学者でもあります。 受賞歴は、科学技術庁長官賞、米国心臓学会賞、紫綬褒章受章など
(2011年6月13日発刊)NO.204
「鬼子医師」〜中国人に恩を返す〜
 
 日中友好に生きた65年「山崎宏医師」(OHK岡山放送2011年5月26日の放送から)
山崎先生は、岡山県真庭市出身。1937年、日本軍の一兵士として、天津に上陸、戦争で多くの残虐行為を見る。当時、戦争は苛烈をきわめ、焼き・殺し・奪って三光作戦が行われた。生き延びるため、物乞いをしたところ、敵国である日本兵の自分に、食べ物や着る物を与えてくれたという。やがて、戦争が終わると、次々に日本人が本国に帰国する中、日本軍の犯した大罪の償いの為、中国に残り中国医学を学び、漢方医の資格を得て、小児科を開業、65年間にわたり貧しい人々に医療を与え続けた。しかし、日本人医師ということで、鬼子医師(リーベンクイズ)と呼ばれ、苦難の日々であった。誠実な診療姿勢が多くの人々の尊敬を得て次第に地域の評価を得ていった。1946年、中国人女性と結婚したが、1966年に逝去され、始まった厳しい弾圧下の文化大革命の時代にも中国への恩返しの気持ちを持ち続けた。2010年には102歳となっても診療を続け、2010年12月1日逝去。遺体は、遺言によって中国の医学教育の為に献体された。中国人に受けた恩について、感謝することを行動でもって一生涯貫き通されたことは、私達に生きるとはどういうことか?を考えさせられる。
参考:「鬼子医師〜日中友好に生きた65年」OHK岡山放送2011年5月26日放送

つみかさね
一球一球のつみかさね 一打一打のつみかさね
一歩一歩のつみかさね 一座一座のつみかさね
一作一作のつみかさね 一念一念のつみかさね
つみかさねの上に   咲く花
つみかさねの果てに  熟する実
それは美しく尊く   真の光を放つ
          「坂村真民」詩集(念ずれば花ひらく)154頁 サンマーク出版
(2011年6月6日発刊)NO.203
「GHH(グロス・ホスピタル・ハッピネス)=病院内総幸福」
 
 日本は豊かな国になった。しかし、幸せになったか?ブータンの国王が、GNH(グロス・ナショナル・ハッピネス)の言葉を提唱して、ブータン国はGNPでなくGNHを目指すと話題になった。先日(6月3日・4日)、徳島市で中小企業家同友会代表者支部長交流会があり、広島県福山市にある日鐵鋼業社長が(Gross Company Happiness企業内総幸福)を提唱した。 どんな会社か?「人に役立ち、人を幸せにすることが自分の幸せだといえる社員を育み、創意や工夫に満ち溢れ、大きな改革、小さな改善が常に生まれる会社。」私もこの考えに賛同して、GHH(Gross Hospital Happiness)と言い換えて幸福を追求していきたい。岡山旭東病院の職員が、幸せでやりがいのある病院になるように願っているが同時に、患者さまや地域の人、取引先の社員にも幸せになってもらえる病院であり、今まで以上に、職員同士が、尊敬しあい、共に育ち、仲よくチーム医療を進めて質のよい医療サービスを提供していきたい。
 
参考:GNH(国民総幸福, こくみんそうこうふく、英: Gross National Happiness)とは、 1972年にブータン国王ジグミ・シンゲ・ワンチュクが提唱した「国民全体の豊かさ・ 幸福度」を示す”尺度”である。 従来のGNH研究は「GNH≒ブータン」で語られる事。GCHの語源は2010年発行、研究センターレポートの中の、駒澤大学経済学部教授 吉田敬一先生の報告(GNPからGNHへ、物から心へ)から。
(2011年5月30日発刊)NO.202
「東日本大震災から思う高齢者への思いやり」
 
 東日本の大震災・津波・原発の複合的災害に対して、多くの人が関わっているが、一日も早い生活環境の復興を願っている。新聞テレビの報道から、多くの高齢者が避難なさっている状態を見て、一日も早く、元の生活に戻ってほしいと思う。高齢者には、高血圧、糖尿病、心臓疾患、認知症等と疾患を持っている人が多いことは衆知のことです。住み慣れた住居から農業・漁業や酪農など仕事を取り上げられた高齢者、特別養護老人ホームや、老人ホーム施設に入っている方々には、避難場所での精神的ストレス、食生活の乱れなど、最悪の状況だと思う。 家森幸男先生(京都大学名誉教授、現武庫川女子大学教授、国際健康開発研究所長、カスピ海ヨーグルトを日本に初めて紹介)はロシアのチェルノブイリ原発事故による地域住民の死亡の原因は、癌ではなく、食生活の変化、居住地域が変わってのストレスなどによる高血圧や糖尿病などの生活習慣病に起因する脳卒中や心筋梗塞であるとおっしゃっている(パーソナルコミュニケーション)。勿論、幼少児の内部被ばくによる甲状腺がんの発生は回避すべき問題であります。高齢者への思いやりは、適正な食生活と快適な生活環境(心と心の絆、真のライフラインも含めて)にあると言っても過言ではないと思う。高齢者に対する被曝の問題、環境の変化や食生活の変化による生活習慣病の悪化、ストレスによる高血圧への悪影響は計り知れない。高齢者に対するきめ細かい対応が望まれる。
(2011年5月23日発刊)NO.201
「涙」
 
 「村上彩子チャリティコンサート」が5月22日(日)当院のパッチアダムスホール(定員150名)で東日本大震災の被災者に対して、ソプラノ歌手村上彩子さんとピアノ奏者小林亜子さんによって開催された。午前と午後の2ステージであった。
3月11日の地震と津波、更に福島原発の被災の状況が明らかになって、2万人を超える犠牲者が報道された。彩子さんから、震災から10日ほど経ってから電話があり、「私はこの被災された方々に何もできない、私には音楽しかない、音楽によってお手伝いしたい。」との希望をのべられた。そのことが、岡山旭東病院のパッチアダムスホールでチャリティコンサートとして実る。会場の整備や受付は、赤い鼻道化教室のメンバー、ボランティア職員によって行われた。集まった義援金は彩子さんの意志によって国際医療ボランティアAMDA(本部岡山市)を通して被災地の医療に役立ててもらうことになっている。
村上彩子さんは、東京芸術大学の学生であった6年前に、自宅が火災に見舞われて、それまで、共働きの両親を助けて彩子さんを育ててくれた祖母が焼死体で発見される。それは悲しい体験があり、それが支えになって現在、平和の祈りの演奏会活動を支えてくれていると言う。「アベ・マリア」、「主よ憐れみたまえ」等を歌われた。また被災され残された子の詩が朗読され、それを歌に託して美しく悲しく歌い上げられて、多くの聴衆が涙した。近い将来、東北の地で「泣きましょうコンサート」を企画されるとのことである。また、これからずっと、被災された子どもたちを見守り、村上彩子基金を設立したいとの希望が述べられた。村上彩子・小林亜子さんの心ある二人のアーティストの素晴らしいコンサートが当院で開催されたことを嬉しく思う。

村上彩子 氏ブログ
BLUE MOON
http://ayakomoon.exblog.jp/
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