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(2011年5月16日発刊)NO.200
「経営理念」
 
 先週、5月11日に中国洛陽市(岡山市は洛陽と姉妹都市で今年は30周年の節目の年である。)から医療施設視察団(団長 洛陽市第5人民医院 高亜麗副院長はじめ総勢6名)が岡山県立精神病院・岡山旭東病院・万成病院を訪問されて、12日には奈良に向けて発たれた。私は岡山旭東病院の説明のなかで、経営理念に基づく全員参加型の経営のことを話したが、高く評価してくれた。私は「理念を追求すれば利潤はついてくる、利潤は社会のご褒美である。」と話した。今回の訪問団は精神科病院の副院長を団長とした構成で、時間がなく説明も短く、理解していただけたか心配でしたが、人間の営みはどこでも共感されるものだと嬉しかった。今後も、社員とともに理念経営を深堀して参りたいと思う。
中国も、一人っ子政策が行われて少子高齢化の波がやがて押し寄せてくる。日本での経験を医療・福祉に生かすことが出来るのではなかいと思う。万成病院での口腔ケアの実践や療養病棟では、作業療法でのボーリングの実技などに参加して楽しんでおられた。
 
当院の経営理念
1、安心して生命のゆだねられる病院
2、快適で、人間味のある温かい医療と療養環境を備えた病院
3、他の医療機関・福祉施設と共に良い医療を支える病院
4、職員ひとりひとりが幸せでやりがいのある病院
 
注:経営理念は、「坂の上の雲」であり、登りつづけていきたい。
(2011年5月8日発刊)NO.199
「絆」〜真のライフライン〜
 
 人間は一人では生きていけない。人間関係の中で生きているのに、一人でも生きていけると錯覚している。と大田堯先生が言っておられる。世の中が便利になって、何でもお金だけあれば手に入る。夜中に、お腹がすいた何か食べたい、筆記用具がほしい、送金したい、宅急便で物を送りたい、コンビニエンスストアーに行けばたちどころに解決する。本当に便利で、有難い世の中である。しかし、ここに落とし穴があるように感じている。自分だけでも生きていけるように感じ、人と人の絆が希薄になってきている。親子、親類・縁者との距離が離れてきているように思われる。無縁社会という言葉が流行し、死んでも遺体の引き取り手がなく、無縁仏としてお世話するお寺さんもあると聞く。昨日、私の祖父の出身の木山神社(岡山県の落合)を久しぶりに訪れた。そこから多くの兄弟や親類縁者が故郷を離れて出ていった。しかし、私自身、現在交流のある親族は少ない。それはそれで仕方ないことではある。人間関係は、家族、親族、友人、会社での知人・友人、趣味の会での知人など様々な縁で結ばれている。大切にしたいものである。一人だけでも生きていけるという錯覚にとらわれているかぎり心の平安は訪れない。日本列島を襲った3月11日の東日本大震災では、地震と津波、原発事故などで親子の絆、友人との絆がずたずたになっている。心と心の絆が1日も早く回復されることを祈るばかりである。多くのボランティアが被災地に連休を利用して参加している報道を見て、人間の心の中には互いに助け合い絆を大切にしていこうとする本能があるのだと思う。「心と心の絆」〜真のライフライン〜を敷設してまいりたいと思うこの頃である。
(2011年5月2日発刊)NO.198
「から手であるな 首をひねって 手を働かせ」
 
 私の母は、戦時中に軍医の父とともに、朝鮮海峡をわたって平城の近くの宿舎に住んでいて、終戦をそこで迎えた。終戦後、弟を連れて、38度線をわたって日本に命からがら帰国。父はシベリヤ抑留された。母(登美子)も平成7年11月20日(79歳)で亡くなった。母は岡山市にある山陽女学校(現在山陽学園)専攻科出身で、学生時代に、上代 淑(かじろ よし)先生に教わった「いつも手を動かせ」の言葉を私によく話してくれた。「から手であるな 首をひねって手を働かせ」の言葉である。「Do not be idle. Think over what you can do now.」上代先生は、山陽学園を見下ろす墓所で眠っている。母は、父を助けて何時も手を動かし、働き者の母であった。「から手であるな」を自分に言い聞かせて、私も残りの人生を歩いていきたいと思う。
 
注:上代淑先生
山陽学園は、明治初年わが国における女子教育の黎明期に、いち早く地方の先覚者によって創設され、その後上代淑を教師に迎え、その献身的な人格教育によって女子教育において高い評価を得ました。現在、山陽学園は女子中学校、女子高等学校、大学、短期大学ならびに附属幼稚園を持つ総合学園を構成しています。その教育の基調をなすものは「愛と奉仕」の精神であって、この精神を培うことによって人格を高め人類社会に対する連帯の意識を養ってきました。「愛と奉仕」の精神は上代淑によって教えられ、かつ実践され、その理念は山陽学園の建学の精神として伝えられています。
(山陽学園のホームページより引用)
(2011年4月25日発刊)NO.197
「こちらから」

 人と人の絆の大切なことは誰でも知っている。しかし、こちらから求めなければ絆はなかなかできない。家庭の中で、職場の中で、地域社会の中で、いい人間関係をつくろうとするなら、坂村真民さんの「こちらから」の詩を読むといい。

こちらから

こちらからあたまをさげる
こちらからあいさつをする
こちらから手を合わせる
こちらから詫びる
こちらから声をかける
すべてこちらからすれば
争いもなくなごやかにゆく
こちらからお〜いと呼べば
あちらからもお〜いと応え
赤ん坊が泣けばお母さんが飛んでくる
すべて自然も人間も
そうできているのだ
仏さまへも
こちらから近づいてゆこう
どんなにか喜ばれることだろう

坂村真民著「坂村真民一日一言」4月26日 71頁  致知出版社
(2011年4月18日発刊)NO.196
「労働力はコストではなく資源である」

「IBMの創業者トーマス・ワトソンは大恐慌でも社員を解雇せず、社員の訓練に注力する異色の存在であった。これによって倒産せずにいたのである。ワトソンは、後年に私が指摘する“労働力はコストではなく資源である”をすでに実行していたわけだ。」これは「知の巨人ドラッガー自伝」の中のドラッガー氏自身の言葉である。
IBMの創業者の考えが、今も企業経営に最も大切なことであることを私達に問いかけている。ドラッガーも労働力はコストではなく資源であると考えていて、このことが日本の経営者の心を捉えたことは嬉しいことである。戦後の復興の中で、終身雇用制、年功序列、社内人材育成などを基盤として、日本人の会社への帰属意識を高めた。これらは労働力をコストではなく資源と考えてきた結果ではなかったかと思う。病院経営にあたっても、労働力をコストと考えるのではなく、資源であり職員が共に育ちあって、より良い医療サービスが行われるように願っている。
 
(参考文献)
「知の巨人 ドラッガー自伝」ピーター・F・ドラッガー著  牧野 洋訳・解説
日経ビジネス人文庫
(2011年4月11日発刊)NO.195
「子どもの遊びの喪失と子どもたちの失業」大田堯(おおたたかし)先生の著書より

「遊びをせんとや生まれけむ、戯れせんとや生まれけん、遊ぶこどもの声聞けば、我が身さえこそ動(ゆる)がるれ」800年前、後白河法皇の編纂した歌謡集(梁塵秘抄)のなかに収められている歌です。大田堯先生は、「この歌の中に、人間の本性を突いている、とくに“遊び”というのは子どもの本業である。その遊びがここ半世紀の間にすっかり変わってしまった。それが一番はっきり現れている状況は、遊びの舞台である自然というものが奪われているということです。こどもが、人工で与えられた機械、遊具や、テレビなどの映像により、自然とのふれ合いが少なくなってきている現状を改めて考えさせられます。一番根っこにある、自分の五感で本物の自然に触れあう、そして自然に触れあった感触、おどろき心(The Sense of Wonder)を仲間と分かち合っていく、そうゆう風景を発見することは難しいのが現在の状況ではないかと思うのです。」と書いておられます。私達は、自然との触れ合い、人のこころとこころの触れ合いを意識して実践していくことが必要なのではないかと思います。
(2011年4月4日発刊)NO.194
「きずな(絆)」

 4月3日(日)岡山県瀬戸内市「ゆめトピア長船」を会場にバイオリニスト久保陽子さんのファミリーコンサートが開催され、私も妻と子供を連れて参加した。素晴らしい演奏会で、バイオリンの生きた音色に心を奪われた。バイオリンは時価計20億円と言われるバイオリン2丁(1733年製グアネリ・デル・ジェス、1713年製アントニオ・ストラディバリ)である。企画したのは岡山市在住で、歯科医師として開業し、また台湾全国室内楽コンクールで優勝したチェリストの顔をもつ三船文彰先生である。抽象画家であったご尊父の作品を保存する「劉生容記念館」を運営し、コンサートなどを企画して私達に音楽の素晴らしさを伝えて下さっている。三船先生は、3年前の春、ルース・スレンチェスカさんをお呼びして満開の醍醐桜(岡山県真庭市)の下でクララ・シューマンの曲をピアノ(このピアノはシューマンが生前愛用したもの)を現地に搬入しての「奉納演奏」を企画した。このことは全国の話題となった。このたびの演奏会は、台湾の日本統治時代、アジア最大といわれた「烏山頭ダム」を建築するなど、台湾の農業水利事業に貢献したことで知られる八田興一を記念したコンサートでもあった。八田技師をたたえた演奏会に提供されたバイオリンは、三船先生の父と台湾財界の大物、奇美グループ創設者の許文龍氏との親交があったことから、奇美博物館の所蔵品である名器を貸し出して頂いたとの説明があった。バイオリンは、博物館長らが台湾から胸に抱いて運ばれたという。台湾では、日本人に対する親愛の情が高いという。それは、八田興一の様な素晴らしい人間性を備えた日本人がいたことが評価につながっているという。私は、八田興一技師の事も知らず、台湾では植民地統治によって多くの人たちが苦しみ、恨んでいるのではないかと思っていた。東日本大震災に対しても台湾から多くの支援を頂いている。このたびの、演奏会は、チャリティー演奏会でもあり、人と人のきずな(絆)によって、三船先生のお蔭で又とない演奏会に出会うことが出来て感謝している。これこそが真の命と命の絆「ライフライン」であると思う。

注:久保陽子コンサート
4月1日 倉敷蓮台寺 奉納演奏会
    2日 岡山市ルネスホール コンサート
    3日 瀬戸内市ファミリーコンサート
    4日 真庭市  醍醐桜への奉納演奏  旧別所小学校にて コンサートが行われた。
(2011年3月28日発刊)NO.193
「センス・オブ・ワンダー」

 現代文明の中で私達は、自然の破壊が進み、人工的な物に囲まれて、自分たちの生活は便利になって、一人でも生きていけるとの錯覚に陥っている。私達の自然への畏敬の念が薄れ、人と人の繋がりが薄れてきているように思われてならない。そのしっぺ返しが、今、地球の環境汚染から、人の心の汚染に及んでいる。レイチェル・カールソンは「沈黙の春」を1962年に発行、環境の汚染と破壊の実態を告発して、地球環境への関心を高めさせた海洋生物学者である。そのレイチェル・カールソンの最晩年の著書「センス・オブ・ワンダー」は自然と接することの大切さを教えてくれる。美しいもの、未知なるもの、神秘的なものに目を見張る感性「センス・オブ・ワンダー」を育むために、子どもと一緒に自然を探検し、発見の喜びに胸をときめかせる。〜自然は、嵐の日も、おだやかな日も、夜も昼も、憂鬱そうに見える日も、子ども達への一番大切な贈りものを、用意しておいてくれます。「沈黙の春」のR・カールソン最後のメッセージ〜(センス・オブ・ワンダーの著書の帯より)私達は、子どもに、自然との関わりという大切な贈り物を今こそ用意していかなければならないと思う。

注:「センス・オブ・ワンダー」レイチェル・カールソン著 遠藤恵子訳、森本二太郎写真
(2011年3月22日発刊)NO.192
「大震災に思う」

 平成23年3月11日、東日本大地震、更に津波に襲われ、現在死者7653人、行方不明者11746人(19日11時警視庁まとめ)の犠牲者が報道されている。それに加えて、福島原発の事故は、原発事故の怖さを改めて示したものと思う。また、余震が続き、寒さの中での避難生活で不安な生活をおくっている方々に、少しでも早い救済の手が差し伸べられる事を祈っている。厳しい避難生活の中で、親や子を失った人が、未来に希望を持って生きていきたいとの言葉に胸が詰まる。避難所での規律正しい生活、厳しい環境の中でも助け合って生きている姿を見て、日本民族の素晴らしさを改めて感じる。産・官・民が力を合わせて、この難局を乗り切っていきたい。当院でも、岡山県病院協会を通じて義援金を送った。また、病院窓口に義援金箱の設置をおこなって少しでもお役に立ちたい。医療ボランティアへの職員の参加には応分の支援をする予定である。5月22日には、当院で縁のある、ソプラノ歌手村上彩子さんの申し出によってチャリティコンサートを開催予定である。出来ることは僅かであるが、多くの人の支援により一日も早い復興を願っている。
(2011年3月14日発刊)NO.191
「東日本大震災と津波」

 平成23年3月11日(金)14:46の大地震とそれに伴った津波が日本を襲ってきた。死者・不明者1800人超、30万人の避難が報道されている。多くの被災者に対して、温かい手を差し伸べていきたい。私達は、生活が便利になり、ひとりでも生きていけるような錯覚に陥っていて、隣の人がだれであっても自分には関係ないという風潮があるのではないかと思う。今、被災地では、水道、電気、ガスなどのライフライン(これはパイプライン)がズタズタになっていると報道されている。勿論、これらのインフラの復旧が大切であることは言うまでもないが、お互いが助け合うという、心と心の真のライフラインが最も大切であると思う。人類が、自然を征服してきたとの歴史を反省し、自然に対する畏敬の念を持って災害に対応していかねばと思う。原子力発電所の事故は想定外とはいえ、自然に対する驕りがなかったか、再発防止を更に努めていかねばと思う。このたびの大地震と津波から、私達には追い求めてきた生活便利第一ではなく、人と人の心の繋がりを大切にする真のライフラインの再構築が必要な時代ではないかと思う。被災者の救済が迅速に、官民共同で行われることを願っている。
(2011年3月7日発刊)NO.190
「信はたて糸、愛はよこ糸、織りなせ 人の世を美しく」

 「信はたて糸、愛はよこ糸、織りなせ 人の世を美しく」これは岡崎嘉平太先生(前全日空社長、日中国交回復の功労者、岡山県吉備中央町の出身、岡山名誉県民)の言葉です。中国故周恩来首相と嘉平太先生の交流は心と心が結ばれていて、それが昭和47年の日中国交回復に果たした役割は大きい。私達は、職場であれ、友人関係であれ、信はたて糸、愛はよこ糸で心の布を美しく織っていきたいものです。心の布を丁寧に織っていくには時間と根気が必要です。個人と個人でも、国と国でも、信頼することと、愛情を持つことはとても大事です。しかし、時には利害関係で、得か損かが人間関係を悪くすることがあります。人間関係を良くすること、社会を良くすることには、信頼と愛情が最も大切です。
 
岡崎嘉平太:明治30年(1897年)岡山県吉備郡大和村(現加賀郡吉備中央町)で生まれた岡崎氏は、小学校1年の時自宅が焼失、総社町(現総社市)に転居する。間もなく父親は渡米し、アメリカで客死したので母に育てられ、岡山県立岡山中学校入学後は寄宿舎に入り故郷を離れた。第一高等学校、東京帝国大学を卒業後、日本銀行に入りドイツにも駐在した。昭和13年(1938)から上海に駐在し、華興商業銀行の理事、大使館参事官等を務めた。学生時代に中国からの留学生と交友を深めたことから中国に関心を寄せ、日中の国交断絶時代に貿易の発展を通じて国交の早期回復を願い、日中覚書貿易の牽引車となってその実現に導いた。周恩来総理と厚い友情の絆を結び、戦後100回にものぼる訪中を行うなど日中の交流の促進に尽力した。常に信頼と愛情に支えられた誠実な岡崎氏の人柄は人々の信頼の的であり、賀陽町名誉町民、総社市名誉市民、岡山県名誉県民、勲一等瑞宝章などの称号が贈られている。
岡崎嘉平太記念館:吉備中央町吉川4860−6 きびプラザ内にある。
(2011年2月28日発刊)NO.189
「チーム医療と統合の思想」

  病院に於いて近年、チーム医療の実践が医療の質を向上させる上で最も大切なことと認識されてきた。病院は、医師、看護師、薬剤師、放射線技師、作業療法士、理学療法士、言語聴覚士、介護福祉士、社会福祉士、管理栄養士、システムエンジニア、事務職、医療秘書、管理職など30種類を超える様々な職種で成り立っている。そして、それぞれの職種もまた細分化されてきた。だからこそ、力を合わせてチームで患者さまのニーズに対応していくことが医療の質を向上させることに繋がる。チーム医療とは、縦の組織と横の組織を、縦糸と横糸として布を織ることに例えることができる。それはまた医療・福祉の包括システムの必要性に通じると思う。病院だけでなく、学問の世界でも、企業などの組織でも、深く、さらに深く細分化されてきた。細分化されれば細分化されるほど、全体が見えなくなってくる。21世紀になって、細分化されたものを統合して行く考えが世界の潮流になりつつある。これを、分離思考から統合思考へと向かいつつあると喝破している人がいる。
統合の思想:竹内日祥上人の説かれる「統合の思想」にもとづくバリューマネジメント(価値観による経営)は、企業が現代の大変革時代に生き残るために必要な指針として、経営者や管理職の方々から熱烈な支持を集めている。2011年2月19日(木)メルパルク(岡山市)にて.講演会があった。
(2011年2月21日発刊)NO.188
「戦争と平和」

 2月11日から14日の4日間、ベトナム国のホーチミン市〈旧サイゴン〉に友人2名と訪問してまいりました。案内は、元ホーチミン市のあるホテルで電話交換手をしていた英語達者のMs. L さんという61歳の女性にお願いしました。ホーチミン市は人口600万人の大都会で、交通はホンダなどのオートバイで充ちていて、若者が多く活気に溢れた町であるとの印象です。あのベトナム戦争から35年たって、ベトナムは表面的には平和ですが、案内してくださったLさんにも戦争の犠牲になった親族の方がいて、多くの人の心には傷跡が残っているといいます。市立の美術館に行きました。中央に片足を負傷した夫を支える妻、右に年老いた母、左に夫を亡くした妻が墓標に向かって手を合わせている絵が印象的でした。戦争で一家の柱が死ぬと多くの人の生活が破壊されます。愛する人を亡くした悲しみを絵が物語っていました。戦争と平和は紙一重、戦争に正義はないと。
注:アメリカの介入により1964年から始まった第二次インドシナ戦争は、 ヴェトナム戦争と呼ばれることになる。アメリカ兵とベトナム兵に多くの犠牲者をもたらす。また、薬物散布による枯れ葉作戦によって戦後奇形児が多発した。
(2011年2月7日発刊)NO.187
「中小病院が地域を守る」
 
 病院は、20床以上から200床までを中小病院といいます。日本の病院の数は約8600でその内、70%は中小病院です。これは、民間病院と公立病院を含んでいます。平成22年度の診療報酬改定では、大病院は6.26%の収益アップでした(日本病院会のアンケート調査より)。しかし、中小病院は1/4がマイナス改定でした。岡山旭東病院は162床の中小病院ですが、脳神経運動器疾患の専門病院で、DPC病院(定額制の導入)、手術が多い、難病が多いなどが理由で、結果+6.5%でありました。病院は赤字経営が多い中、このたびの診療報酬プラス改定に努力が報われると感じました。中小病院は、急性期疾患を扱うなら、専門診療科に特化し、特色を持って連携していくことが重要であると考えています。多くの中小病院は、回復期リハ、慢性期疾患専門(療養病床など)、老人ホーム、高齢者専用住宅、在宅訪問など地域のお役にたつ、その地域の特性に応じた役割があると思います。大病院だけでは医療・福祉は成り立ちませんし、これから中小病院の役割はますます重要になっていくものと思います。地域から病院が消滅しないよう中小病院の経営努力は勿論大切ですが、地域住民の力添えもお願いいたしたいと思います。
(2011年1月31日発刊)NO.186
「顧客満足は職員満足」
 
 企業に於いての顧客満足は、お客様がサービスを喜んで下さることである。お客様が、提供される良質な品物や接客などのサービスに満足されることを顧客満足と言う。病院に置き換えると、患者様が職員の対応や受ける治療の結果に満足することが顧客満足であると考えられる。一方、職員満足は、職場環境が良くて、給与も世間並以上、有給休暇も消化しやすく、仕事と生活の調和がとれ、人間関係がいい職場であれば、得られるものだと考えてきた。
ところが先日、岡山県中小企業家同友会で開催された新春経営講演会で、三重県の老舗である酒造会社、宮崎酒造の宮崎由至(よしゆき)社長の講演「顧客満足・社員満足を追求して、地域と共に生きる企業をめざして 〜デフレ時代に、老舗企業の取った革新的戦略の実践〜」を聴いて、社員満足の考え方に新たな視点があることに気づかされた。講演の中で、「顧客が喜んでくれることが、社員の最大の喜び(社員満足)である」との話を伺った。病院でも、患者様が医療サービスに満足し、喜んで感謝されると、仕事の満足感を経験し、そこに生きがいを感じる職員は多い。顧客満足は職員満足であると言い切れるような病院を目指して、職場環境を整備し、患者様に満足して頂ける医療サービスを継続していきたい。
(2011年1月24日発刊)NO.185
「自分のこと他人のこと」
 
 自分のことは自分では分からない。他人の事はすぐ分かるし、気になる。最近ある会議で自分の考えと合わない意見が出て、不快になり、自分の意見を主張することがあった。他人の意見を謙虚に聞くようにと言っている本人が、納得よりも説得しようとした態度を後で深く反省した。自分が平素言っていることは、自分も出来ないことを言っているのではないかと反省しきりであった。巧言令色少なし仁という孔子の言葉があるが、耳に痛いことも謙虚に聞くことの大切さを思う。徳川家康は「諌言をすることは、一番槍よりも難しい」と言ったそうだ。 主君が耳に痛いことを 聞くことの出来る度量があれば、その組織は正しい組織となる。

注: 巧言令色 少なし仁「論語」:言葉巧みで顔つきもにこやかな人物にかぎって、徳の少ないことが、おうおうにしてある。
諫言(かんげん):部下が上司に意見すること。
(2011年1月17日発刊)NO.184
「共に育つ」
 
 私は、経営理念の目的として、人間尊重・共育を22年間病院運営の根幹と考えてやってきました。経営指針書(経営理念・経営方針・経営計画)はその実践であった思います。共に育つ組織風土から職員一人一人が育ちあってくれると思っています。お互いを尊重した言動、お互いが感謝の気持ちで日々送ることが出来たらいいなと思っています。その様に日々互いの努力することが「共に育つ」組織風土になっていくものと信じています。共に育つとは実践である。

「みんな力を合わせて行こう」
「かげでこそこそしないで行こう」
「働くことが一番好きになろう」
「何でも何故?と考えろ」
「いつでも、もっといい方法はないか探せ」

戦後、優れた教育実践をしていた「山びこ学校」を1951年に卒業した佐藤藤三郎(さとう とうざぶろう、1935年 - )の卒業にあたっての答辞から。「共に育つ」中小企業家同友会全国協議会 編から引用
山形県上山市出身の農業問題評論家、著作家。無着成恭の『山びこ学校』の卒業生。 上山市の青年学級主事、教育委員、農業協同組合理事などを務める。(ウィキペディアより)
(2011年1月10日発刊)NO.183
「本気」
 
「本気」
 
本気ですれば
たいていにことは出来る
本気ですれば
なんでも面白い
本気でしていると
だれかが助けてくれる
人間を幸福にするために
本気で働いているものは
みんな幸福で
みんなえらい
           「後藤静香」
 
「本気」
 
本気になると
世界が変わってくる
自分が変わってくる
 
変わってこなかったら
まだ本気になっていない証拠だ
 
本気な恋
本気な仕事
 
ああ
人間一度
 
こいつを
つかまんことには
              「坂村真民」
 
本気ですればたいていのことはできる。 本気でしていると世界が、自分が変わっていく。
「後藤静香」「坂村真民」の詩は私達の心を打ちます。 本気でするとたいていのことはできます。新年を迎えて新しい目標に向かって本気で今年もしっかりやっていきたいと思います。
(2011年1月4日発刊)NO.182
「二度とない人生だから」
朝日新聞の連載で「孤族の国」連載が始まっています。いつのころからか無縁社会になっている社会に愕然といたします。戦後の経済発展の間に、私達は大切なものを忘れてきたようです。物事の全ての価値判断が、マネーになってしまったのではないでしょうか。
「戦後の経済発展は、富をもたらした反面、自己中心、孤独死など、人びとを死の病に追いやる事情も加わって、複雑な挫折状況にあることは事実です。(大田堯先生著 証言−良心の自由を求める−一橋書房 から引用)新年にあたって、坂村真民さんの詩「二度とない人生だから」を掲載して、自分が少しでもあとを継ぐことができる一人になりたいと思います。
 
二度とない人生だから 一輪の花にも 無限の愛を そそいでゆこう
一羽の鳥の声にも 無心の耳を かたむけてゆこう
 
二度とない人生だから 一匹のこおろぎでも ふみころさないように こころしてゆこう
どんなにか よろこぶことだろう
 
二度とない人生だから 一筆でも多く 便りをしよう
返事は必ず 書くことにしよう
 
二度とない人生だから まず一番身近な者たちに できるだけのことをしよう
貧しいけれど こころ豊かに接してゆこう
 
二度とない人生だから つゆくさのつゆにも
めぐりあいのふしぎを思い 足をとどめてみつめてゆこう
 
二度とない人生だから のぼる日しずみ日 まるい月かけてゆく月
四季それぞれの 星々の光にふれて わがこころを あらいきよめてゆこう
 
二度とない人生だから 戦争のない世の 実現に努力し
そういう詩を 一篇でも多く 作ってゆこう
わたしが死んだら あとをついでくれる 若い人たちのために
この大願を かきつづけてゆこう
 
大田堯:(おおたたかし)教育哲学・教育史・学者 1918、広島県生まれ、1941年、
東京帝国大学文学部教育学科卒業。東京大学教授、都留文科大学学長を歴任。東京大学名誉教授、都留文科大学名誉教授。 著書に「教育とは何か」岩波書院など多数
坂村真民:(さかむらしんみん)詩人。1909年熊本県に生まれ。20歳のときに岡野直七郎の門にはいり、短歌に精進する。25歳のとき朝鮮に渡り教職に就く。終戦後は四国に移り住む。 50年、41歳のときに詩に転じ、個人詩誌「ペルソナ」を創刊。62年より「詩国」を発行。91年仏教伝道文化賞受賞。主な著書に「坂村真民全詩集」(全6巻)「詩集 朴」「随筆集 念ずれば花ひらく」「随筆集 生きていく力がなくなる時」など。日本の誇る稀有な国民的詩人である。2006年12月11日97歳で逝去。
(2010年12月27日発刊)NO.181
ひとり新聞「喜びの種」について
 東井義雄先生の「喜びの種を蒔こう、ご縁のあるところいっぱいに〜」から名前を拝借し、ひとり新聞「喜びの種」を平成3年4月から発刊して、この度平成22年12月27日で1000号を迎えました。職員対象の新聞ですが、読むも自由、読まぬも自由で毎週月曜日に発刊してまいりました。内容は私からのメッセージ、今週の言葉(多くは坂村真民先生の詩や言葉の紹介)、今週の目標、私の1週間のスケジュールなど掲載してきました。職員にとって「喜びの種」であったかどうかはわかりません。でも、今まで続けてきたことが、少しは院長と職員の交流になったのではと思います。私にとっても、行動の記録となっております。
喜びの種1000号
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(2010年12月20日発刊)NO.180
「こそ丸」
「中国料理マナー」
 「中国の食文化を考える」の重森貝崙先生による講演で中国の料理は「油と火」が特色で、日本料理は「水と生食」であるとお聞きしました。中国料理は多彩で、土地によっても違うなど勉強させていただきました。岡山市日中友好協会(12月17日)の主催で、中山時子先生(お茶の水大学名誉教授)の中国料理マナーの基本をお聞きしながら、中国料理の会食を楽しみました。場所は、岡山ホテルオークラの中国料理店「桃花林」、参加者は40名で行われました。
中国は、王者以民人為天、而民人以食為天。「史記 レキ食其(れきいき)伝」王者は民を天ほど大事なものとし、民は食を天ほど大事なものとする。夫礼之初、始諸飲食。かの礼というものは、まず飲食から始まっている。
中国では古来より食を大切にします。特にお客を招くときには、男性がその日の料理のメニューを考えます。それが、教養なのです。まず主賓が箸をつけて初めて、「請、請、請、チン・チン・チン」と呼びかけあい、主賓が箸を下して取り始めたら、陪客は一斉に料理を自分の皿にとり、そこから少しずつ戴きます。決して最初から沢山確保してはいけません。日本では料理を食べるときに静かに食べるのが礼儀ですが、中国では、にぎやかに、お互いを知り懇親を深めるのがいいとされています。中匡料理のフカヒレで始まるフルコースを、「料理のマナー」のお話を拝聴しながら戴きました。しかし、現在の中国でもこのようなマナーを知らない人が多いそうです。中国料理店にいくと回転するテーブルが一般的ですが、あれは日本人が考えたもので、正式には、ホストが料理やお酒(老酒=紹興酒)を勧める役をするそうです。中国の食文化やマナーを知ることは、料理を更に美味しくしてくれます。
注:「中山時子・中国料理マナー教室」:中国料理研究家としても知られる、お茶の水女子大学名誉教授中山時子氏が中国料理に関する様々なマナーや、宴会に出席するときの決まりごとなどを幅広く紹介する。
(2010年12月13日発刊)NO.179
中国での「こそ丸」
「こそ丸」の名前の由来は「親があればこそ、嫁がおればこそ、妻がおればこそ、子どもがおればこそ、社員さんがおればこそ」の「こそ」です。「成分」は愛情、謙虚、感謝、元気(但し配合については企業秘密)、「薬の効果」としては不平不満が高じて頭痛や高血圧、そねみ、ねたみで気分がすぐれず、体調の不調なとき、ストレスで心が病んでいるとき、服用すると即効性があります。ただし、効果が持続しないのも特長です。服用の仕方:まず、「こそ丸」を2〜3粒、コップいっぱいの水と一緒に飲んで、すぐに心のチャンネルを変えることが大切です。(例)夫婦喧嘩のあと、夫は「妻がおれば“こそ”」と、心から唱えてください。効果が薄いときには1日何回、服用してもよろしい。注意:間違っても、「私が(または、わしが)おれば“こそ”」と唱えないでください。副作用:今のところ副作用情報はありません。副作用らしきものがありましたら、当院薬局までご連絡ください。効き目に周囲が驚くことがありますので留意ください。また、この薬は目に見える人と見えない人があることを申し添えます(世の中で大切なものは目に見えないのです)。
2010年12月5日(日)から12月9日(木)にかけて、中国に参りました際、この「こそ丸」を持って行きました。目的は、岡山大学病院(森田潔院長)と、洛陽市中心病院との医療交流の調印式への参加、並びに、岡山旭東病院への岡山洛陽友好病院の称号授与で行って参りました。この「こそ丸」を上海での友好協会の常務理事(渓家其氏)・理事(朱政寧氏)に差し上げましたところ、大変感謝されました。また、洛陽市での歓迎会でも「こそ丸」が話題になって、「こそ丸」は中国の方の心にも響くものだと実感しました。成分である、愛情、感謝、謙虚、元気散、どれも人間共通の価値観であると思います。今後も広めていきたいものです。
注:「こそ丸」は当院の売店で105円(消費税込)で発売しています。特に買わなくても自家製で十分効果あります。
(2010年11月29日発刊)NO.178
「志をもつということ」
1年間楽しませてくれたNHK大河ドラマ「龍馬伝」が、2010年11月28日(日)に終了した。人の生き方は様々であるが、坂本龍馬の生き方は、士農工商のない新しい日本をつくることにあり、スケールが大きく、多くの人を魅了した。しかし、また時代の変化に戸惑う多くの人の恨みを買い、京都で同志であった中岡慎太郎30歳と一緒に、龍馬は33歳の若さで暗殺された。龍馬が提案した大政奉還によって大きく世の中が動いたが、龍馬は身分制度のない時代を見ることはなかった。龍馬暗殺後、2年後に明治政府が発足する。私達も、龍馬の様な大志でなくても、ひとりひとりが己の志をもって生きていきたい。現代は、多くの小さな志が世の中を動かしていく時代ではないかと思う。そして、志は生きている限りもち続けていきたいものである。
 
志: ある事を成し遂げようという気持ちをしっかりもつ。
(2010年11月22日発刊)NO.177
「縁(えにし)の糸で結ぶ癒し」
 第10回癒しの環境研究会全国大会が松江で11月20日(土)〜21日(日)と開催された。会長は島根大学病院の小林祥泰院長で、テーマは「縁(えにし)の糸で結ぶ医療」である。出雲は丁度全国から神々が集まっていて、旧暦10月では出雲では神有月で、その他の場所は神がお留守で神無月にあたる。出雲は縁結びで有名な出雲大社があり、神前結婚が以前は当たり前であったが、最近はキリスト教会での結婚式や人前結婚が一般的になっている。人生で最も大切な縁のなかでも、結婚は最もその人の人生に影響を与える。人間は、人と人の間を人間というように、お互いが関わりあいの中で生きている。病院においても癒しの環境の重要性が認識され、最近の病院建築は快適性が取り入れられて療養環境は格段に良くなってきた。しかし、今も昔も変わらぬ大切なことは、人と人の触れ合いによる、癒しではないかと思う。それは医療者側だけの問題でなく、医療サービスを提供する側と、利用者様との縁(えにし)を大切にすることから、お互いに満足できる関係が生まれるのではないと思う。
 
注:出雲大社は日本中の神様が集う神々のふるさと、出雲神話のシンボルにして、縁結びの神がおわすところ。
(2010年11月15日発刊)NO.176
「Let me decide」事前指定書
  生老病死は人生で避けて通れない道です。人生の終わりにあたって、どのように最後を迎えるか、寿命が延びていくなかで、延命医療をどのようにしていけばよいのか、個人にとっても社会にとっても大きな課題であります。先日、当院の院内学会での基調講演をして頂いた社会医療研究所の岡田玲一郎氏は、20年前から、事前指定書の運動を展開してこられました。それは、病に倒れた場合、この様になったらこのようにして欲しいと、元気なうちに自分の意思を記載して残しておくことです。現在では、多くの人が考えていることが、医療の現場では実践しにくいのが現状です。医療がますます高度化して神の領域まで医療が立ち入るような社会となっていて、自分の意思を伝えておくことが大切だと思います。
 
参考:
レット・ミー・ディサイド=わたしの選択の「治療の事前指定書」とは?
「レット・ミー・ディサイド=わたしの選択」の治療の事前指定書とは,重症の病気やけがのために,意識がなくなったとき,つまり自分で治療に関する意思決定ができなくなったときに備えて,意思決定ができるうちに自分が希望する治療方法などを,文書で指定しておく方法です。この方法は、カナダの老人医学者ウィリアム・モーロイ博士が考案したもので、すでにカナダでは数十万人の方が「事前指定書」を持っているといいます。 我が国では、1994年から「レット・ミー・ディサイド研究会」を中心に、全国的に治療の事前指定書を広める動きが始まりました。福岡では、「福岡レット・ミー・ディサイド研究会」をつくって、事前指定書の学習と、それを広めるための活動を行なっています。 (ホームページよりwww.drnino.jp/lmd.htm
(2010年11月8日発刊)NO.175
「中国と日本の食文化から思う」
 岡山市日中友好協会主催(11月6日)で重森貝崙先生の「中国の食文化を考える」の講演会が開かれた。講演は中国料理と日本料理の違いなど判り易く解説して頂き、実際に中国各地をめぐっての記録映画と沢山の写真も見せていただいた。
中国の料理は、水質が良くないので、火と油を使っての料理が主流で、鉄鍋で料理を作ってきた。それは、火と油で殺菌され食中毒などの予防ともなっている。中国の料理は庶民料理から宮廷料理に至るまで、食材・料理の種類も極めて豊富で素晴らしい食文化に圧倒される。一方、日本の料理の特色は、綺麗な水と刺身に代表される生食の食文化である。豆腐は中国から伝来したが、日本の「冷奴」は水の料理を代表している。安全で美味しい水を使用して作られた豆腐。それをそのまま火を通さずに食べる。即ち、水と豆腐そのものを味わう訳であり、日本料理の真髄をここに見ることができる。代表される美味しい水を食するという世界に稀な食文化を持っていることを教わった。中国から、饂飩(うどん)、豆腐、味噌、醤油など多くの料理・食材を学んだが、これらを日本の自然の中で、清浄な水と融合させて洗練された料理が発達したのである。
中国料理の特徴は火と油、日本料理は水と旬の食材、生食を生かした料理である。刺身などを食べなかった外国人も美味しいものと認識し、現在では世界中で刺身や寿司などが健康食品としてもてはやされている。
日本と中国の食文化は水と油であるが、日本と中国との関係が水と油にならないように日中友好を深めていきたいものである。

注:「日本・中国の比較食文化および北京の食文化の特徴」 講演のレジュメから引用

重森 貝崙 (しげもりばいろん) 先生
記録映像監督。(社)中日文化研究所理事。主に世界・中国の食文化について映像演出および研究をしている。「中国の食文化」で電通・映画部門賞、日本ペンクラブ・外国部門賞受賞
(2010年11月1日発刊)NO.174
「ヒポクラテスの誓い」に思う
 すでに紀元前5世紀、高度の科学的知見とすぐれた職業的倫理感をもっていたギリシャ医学のエッセンスを象徴的にあらわしたものがあった。それは、医師になる時の神に誓う宣言の「ヒポクラテスの誓い」である。
「医神アポロン、アスクレピオス、ヒギエア、バナケイアおよび全て男神と女神に誓う。私の能力と判断を尽くして、この誓いと約束を守ることを。わが師を親の如く敬い、我が財を分かって、その必要があるとき助ける。その子孫を視ること、わが兄弟の如くし、医術を学ばんとするものには、無報酬、無条件で、これを授ける・・・・・誠心、誠意をもって、患者のために尽くし、決して、悪くて有害と知る方をとらない。頼まれても、死に導くような薬を与たり、その指導をすることもしない・・・・いかなる患家を訪れるときも、それはただ病者を利益するためであり、あらゆる勝手な戯れや堕落の行いを避ける。女と男、自由人と奴隷の違いを考慮しない。医に関すると否とに関わらず、他人の生活についての秘密を守る。この誓いを守り続ける限り、私はいつも医術の実践を楽しみつつ生きて、全ての人から尊敬されるであろう。もしもこの誓いを破るならば、その反対の運命を賜りたい。@」
これが紀元前5世紀に行われた、医師になるための誓いであることに驚く。私は、2007年に、ヒポクラテスが医術を行って、多くの弟子を育てたというエーゲ海に浮かぶ小さな島、コス島を訪れた。島には、ヒポクラテスが弟子にプラタナスの木陰で医学を教えた場所が今も記念として残っている。2500年にわたってプラタナスがそのままの姿であるわけではないでないだろうが、常にだれかが植えて物語をつづけてきたと思う。コス島にはアスクレピオス神殿があり、神殿の前で、ヒポクラテスの誓いを市役所のスタッフが演じてくださった。このヒポクラテスの誓いは、最近まで、欧米では、医学校を卒業して医師となる前に誓うことが義務づけられていた。今日でも、時代がかわっても基本的な考え方は生きていると思う。幸い、日本には、多くの医師は「ヒポクラテスの誓い」の精神をもった医師が多いと信じている。今の、日本の素晴らしい国民皆保険制度の中でこそ実践できるものであることに感謝したい。
 
 
参考文献 @「ヒポクラテスの誓いと社会的共通資本としての医療」4−5頁
     社会的共通資本としての医療   日本病院会 連載 (全18編)より引用
(2010年10月25日発刊)NO.173
「今までの経営体験を語ってみて」
 10月22日に中小企業家同友会の合同例会で「職場は貴方の晴れ舞台〜愛と夢と知恵と少しの勇気〜」という演題で報告させていただきました。当日は約200名を越える会員企業の社長さんや社員さんの前で、平成2年から始まった経営理念、経営方針、経営計画に基づいた経営指針書による全員参加の経営を実践してきた過程を報告させていただきました。まだまだ足らないことばかりですが、20年の歩みを振り返って、多くの職員や関係する多くの人の協力があって今日があることを改めて感じた時間でした。また、中小企業家同友会の会員の皆様の経営体験や、同友会大学・同友会共育大学、幹部社員大学などの学びから多くの経営のヒントを頂きました。教育学者の大田堯先生には、人は一人一人違う、学ぶことによってひとは変わる、人間は関係性の中で生かされているなど、社員共育に大きなヒントをいただきました。また、患者さまやその家族、取引業者さま、同業者、金融機関や行政や地域の多くの人の支えがあればこそ、病院経営は成り立っていることに感謝しています。更に言えば、病院は、国民の税金、保険料、個人負担の三者による国民皆保険で支えられています。そして、病院も企業体の1つであり、生産的使命、社会的使命、経済的使命を全うするように努力を続けていきたいと思います。

中小企業家同友会全国協議会
中小企業家同友会全国協議会のサイトです。 各同友会の更新情報などを掲載します。 中小企業家同友会は、よい会社、よい経営者、よい経営環境をめざして活動しています。
(2010年10月18日発刊)NO.172
「ひとりひとりの心に添った対応〜ホスピタリティ〜」
 10月1日〜10日の「南フランス医学の歴史を巡る旅」に参加して、先人の功績の上に今の医療や福祉があることを学んできました。また、前回の「院長のひとりごと」に書きましたが、カトリックの巡礼地ルルドでは近代科学でも克服できない領域があることなど学ばして頂きました。
この旅行は、全国公私病院連盟主催のJTBお世話で行われるものでした。この添乗員に毎年企画にだけ参加して下さるM.Sさんがいます。今回彼女が添乗してくれましたが、21名の団員[お客]のその人、その人の要望にたいして、心に寄り添った世話をしてくださったと感謝しています。それが、ホスピタリティであると思いました。元リッツ・カールトンの社長が、著書の中で「ホスピタリティの真髄は、自ら行動を起こすことにあると思います。自分でできる小さなことから始める。挨拶やお掃除、一言の掛け声などでもいい。今まで以上に意識するだけで、たくさんの物語が生まれることに気づきます。それが、「積極的な原点回帰」、つまり世の中のことはすべて、人とひとのつながりの上に成り立っているという原点に立ち返ることを意味するのだと思うのです。あなたとあなたの周りが、つねにワクワクされますことを祈って!」と書いています。私達の職場でも、ひとり・ひとりの患者さんの心にそった対応が求められていると思います。今回の旅で添乗員の振る舞いからホスピタリティの大切さを学びました。旅がとても楽しかった理由の一つかもしれません。
 
参考文献 高野 登著「リッツ・カールトンで育まれた ホスピタリティノート」かんき出版
(2010年10月12日発刊)NO.171
「魂の救済」
 私は10月1日〜10日の「南フランス医学の歴史を巡る旅」に参加して、先人の功績の上に今の医療や福祉があることや、カトリックの巡礼地ルルドで、近代科学でも克服できない領域があることなど学ばして頂きました。私はこのピレネー山脈の麓の人口約1万人の町、フランス・イタリアを中心に世界のカトリック信者の方々がお参りする巡礼地に2日間滞在しました。年間600万人の方々が巡礼者として集まってくるとのこと。9時に始まる夜のミサに灯明を持って、巡礼者の輪に加わり、ミサに参加しましたが、10,000人を超えると想像される巡礼者や、多くの車いすでの巡礼者に感動いたしました。病気の方々の宿泊施設も見学しましたが、医師や看護師のボランティアに支えられていて、約1,000人規模の宿泊施設が運営されていました。(1)
「1858年2月11日、村の14歳の少女ベルナデッタ・スビルー(ベルナデットとも)が郊外のマッサビエルの洞窟のそばで薪拾いをしているとき、初めて聖母マリアが出現したといわれている。聖母がこの少女の前に18回にもわたって姿を現したといわれ評判になった。1864年には聖母があらわれたという場所に聖母像が建てられた。この話はすぐにヨーロッパ中に広まったため、はじめに建てられていた小さな聖堂はやがて巡礼者でにぎわう大聖堂になった。」多くの信者の巡礼と、ルルドの泉の水を飲むことによって病が癒されるとの信仰は信じることによるプラセボー効果であるという意見もあります。しかし、現代医学や科学でも克服できない、魂の救済が今後とも大切な領域であることは間違いないであろうと思います。

(1):Wikipedia フリー百科事典より
(2010年9月27日発刊)NO.170
「f地三郎先生の実践から学んだ」
 「世界一元気な104歳児が実践する十大習慣健康法」
f地三郎先生は本籍、山口県上関。明治39年8月16日生まれ、広島師範・広島高等師範・広島文理科大学心理学科卒。教員生活を経て、障害を背負う我が子のために九州大学医学部で精神医学を学び、久留米医科大学講師、福岡教育大学教授(現名誉教授)を歴任。昭和31年ペスタロッチ賞、平成19年にペスタロッチ教育賞を受賞。著書「禍を転じて福と為す」(西日本新聞社)ほか149冊。昭和29年、脳性小児麻痺になって、長男、次男のために日本最初の養護学校「しいのみ学園」を創設し、今も理事長・園長を務める。以降、十大教育原理の発見と普及をはじめ、f地三郎式手づくりおもちゃ親子愛情教室、三歳児教育学会等、今日まで障害児教育の発展に日々邁進する。十大教育原理は、日本よりも韓国の教育界で普及しており、中国には障害児教育の「しいのみクラス」を開講している。f地三郎先生の紹介を岡山旭東病院で開催されて愛脳会パンフレットより引用(平成22年9月25日(土))
 先生を岡山にお呼びするために、平成22年6月13日(日)先生の主催する手づくりおもちゃの教室に参加させていただいた。先生の自宅の隣が「しいのみ学園」で毎日通勤されている。当日は日曜日で学生はいませんでしたが、その分お話ができ、先生の障害児教育にかける情熱を感じました。また、三歳児教育の大切さを障害児教育実践の中で発見し、それを手づくりおもちゃ教室での実践からも広めようとされています。
このたび、私達が行った第17回「愛脳会」の講演会は200名限定でしたので、参加希望者に全てお答えできませんでしたが、先生の「104歳児・サブちゃんのメッセージ」を広めていきます。
「サブちゃん十大習慣健康法」@まず笑顔・ユーモアA冷水摩擦Bやる気棒体操(体のアイドリング)C祈るD1口30回噛むENHKラジオ語学講座を聴くF新聞を読むG口八丁・手八丁・足八丁(人生は24丁)H日記を書くI硬いマットに寝る
100歳から4年連続、世界一周講演旅行を継続されています。
 私はf地と出会い、文化勲章か国民栄誉賞に匹敵する素晴らしいお方であると思いました。一つでも見習ってまいりたいと思います。また、坂根さんをはじめ多くの方々の支援があってこそf地三郎先生のご活躍があると敬服しています。

参考文献@「100歳時代を生きぬく力」  f地三郎著  東洋経済
    A「しいのみ学園」 山本三郎著  山本KATI出版
    B「ただいま100歳」f地三郎著 致知出版
(2010年9月21日発刊)NO.169
「沖縄密貿易の女王・夏子」
 奥野修司氏の著書「ナツコ 沖縄密貿易の女王 文春文庫」を読んだ。私は奥野氏が夏子という女性に焦点をあて、戦争のもたらした一面を掘り起こして下さったことに感謝したい。終戦後間もない1945年から1952年、沖縄が米国の統治下に全島規模で密貿易という稀代の一時代を築いたのは、四海の中で培われた海洋性民族の血であったのかもしれない。夏子が度胸と才覚で密貿易を行った舞台は、沖縄、石垣島、西表島、与那国島、奄美大島、徳之島、鹿児島、和歌山、神戸、香港、台湾で、彼女は船を介しての物資(砂糖・薬莢・反物・生活物質など)の密貿易で巨万の富を得たという。しかし、それは、同時に貿易を禁じられていた沖縄経済を潤すものでもあった。海に囲まれた沖縄の人たちの、海に開かれた海洋国家としての歴史を担った密貿易。夏子はその密貿易の女王として君臨する。夏子は戦争で主人を亡くし二人の娘を育てながら、若くして多くの密貿易の仲間のリーダーとなって密貿易の女王といわれるまでになった。
 著者は夏子の時代背景と生きざまを12年の歳月をかけた多くの関係者への取材・文献考察から引き出している。著者によると、沖縄には「アメリカ世」や「ヤマト世」はあっても、「沖縄世」ウチナーヨがなく、戦後の数年間こそ「沖縄世」だったのではないかという。沖縄人が秘めていたエネルギーを爆発させたのが密貿易であり、その最前線を走る夏子は彼らの夢だったのかも知れない。彼女は糸満女性の花であった。
 著者奥野修司の言葉:敗者(密貿易という陰の存在であり、夏子が逝去して歴史から忘れられた)は記録に残らない。記録に残るは勝者だけ。夏子を知っている人はあと10年もするとこの世からなくなる。いま記録されなかったら夏子は沖縄の歴史から抹殺されてしまう。私は胸が熱くなり、何かが体を突き抜けたような気がして身震いした。あとがきの中で、著者は「夏子という、こんな凄まじい女性が沖縄にいたのかという、ただただ単純な驚きである。度胸と才覚だけで広い海原を駆けるその姿は、じつに燦然と輝いている。石垣島で会ったあの老人たちが輝いていたのは、夏子が放つ光を反射していたからではないか。夏子は沖縄の誇るべき女性である。かつて沖縄がエネルギッシュな金色のごとく輝いていた時代があったことを、頭の片隅にでもおいていただければ、私にとってこれほどうれしいことはない。」
 
注: 夏子は東大病院で頭部の皮膚がんで死亡する。享年38歳。1954年8月3日門中墓に眠る(糸満)戦争のもたらした家庭の崩壊・悲惨の中から新しく生まれるエネルギーを、夏子を通じて感じ学ぶことができた。
(2010年9月13日発刊)NO.168
「病院探検隊〜利用者様からの目〜」
 先週9月9日(木)大阪のNPO法人COMLさんに依頼して、「病院探検隊」に病院を利用者様の目で見て頂いた(朝10時から午後5時)。疑似患者さん3名、自由病院見学3名(病院内を自由に歩く)、正式病院見学3名(担当者が病院案内)の審査を頂いた。9月9日の審査の日は院長・事務長など数名の職員以外は知らされていないため、職員は日常の如くに仕事をしていた。平素の裸のままの病院を利用者の目で見て頂いたわけである。最後の合同会議での指摘があった。職員に私語が多い、挨拶がない、医師の診療態度に問題がある、診察時間がわからない、待ち時間に適切に説明がない、食事のご飯の炊き加減が問題、花壇の花が枯れているままになっているなど、多くの問題点を指摘して頂いた。後日正式なレポートを頂くことを楽しみにしているが、怖さ半分、指摘いただいて改善する喜びも半分である。審査を受けて、患者サイドからの指摘を、病院内の医療安全・医療の質などと車の両輪とし、どちらも透明性を高めて、職員が力を合わせて改善に取り組んでいくことの必要性の大切さを学んだ。

注:病院探検隊(COLMのホームページより)
「患者の視点での意見を聞いて病院改善に役立てたい!」−−そのような医療機関の依頼を受けて約10名のメンバーで“出動”します。自由見学、案内による見学、(要望があれば)受診という3つのグループに分かれて、午前中いっぱい見学・受診。昼食は入院患者のその日の給食を試食。午後からは、病院管理職を中心にしたスタッフに口頭でフィードバック。終了後はメンバー全員がリポートを書き、それをまとめて「総合フィードバック」文書を病院に提出しています。病院探検隊のご要望、詳細については事務局にお問い合わせください。
 
COML=Consumer Organization for Medicine & Law
(2010年9月6日発刊)NO.167
「あつい日」
 今年の夏は猛暑というに相応しい日が続いています。熱中症で倒れる人もいて大変です。 東井義雄先生の言葉に「雨の日には 雨の日の 老の日には 老の日のかけがえのない 大切な人生がある」という言葉があります。暑い日は暑い日のかけがえのない大切な人生 があるのです。そう覚悟を決めて、不平不満を言わず、日々を大切に過ごしていきたいものです。
 
注:東井義雄  東井義雄(1912〜1991)
明治45年4月9日、兵庫県豊岡市但東町佐々木に生まれる。小学校教師として村を育てる教育を実践。ペスタロッチ賞、平和文化賞、小砂丘忠義賞、文部省教育功労賞受賞。
(2010年8月30日発刊)NO.166
「瀬戸内海の自然とアート」
 夏休みで8月25日から27日に瀬戸内海に浮かぶ「直島」にあるベネッセアートサイト直島 ベネッセハウスに滞在した。瀬戸内国際芸術祭期間中であり多くの人が、安藤忠雄の建築、地中美術館、ベネッセハウス美術館、古民家にアートの命を吹き込んだ家プロジェクトや瀬戸内海の自然美に感動し、現代アートと自然の芸術に何かを感じて炎天下の島々をめぐっている。食堂を開いている店は、建築後400年の元代官屋敷であるという。腰を屈めて庭の草取りをしている日焼けした老人に、「庭掃除大変ですね」と話しかけた。「大変ですよ!毎日庭の草掃除です。」「多くの人が直島を訪れてどうですか」との問いに、「高齢者の多い町だがアートのお陰で町は活性化している」という。人口3400人の島には古くから三菱マテリアル(株)の工場があるが、過疎の町でもある。この町に年間40万人に近いお客さんが来るという。地元の人との触れ合い、現代アートや瀬戸内海の自然美を求めてこの過疎の島に人が集まる。ゆったりとした時間の流れの中で自然やアートに触れることで、自己を見つめる時間を与えてくれる。街を歩くと、多くの外国人にも出会う。アートは言葉がなくても通じ合える言語である。瀬戸内の美しさと現代アートは人間性を取り戻す力があり人を元気にする。病院の中に絵画・音楽・庭園・生け花・食事・アロマ、笑いやユーモア、心よきものは何でも取り入れてきたが、この数日間の滞在でこれからも継続していきたいと思った。

参考文献
瀬戸内国際芸術祭2010 アートをめぐる旅・完全ガイド 美術出版社
(2010年8月23日発刊)NO.165
「人情味」
 日本人の男女平均寿命83歳は、他の国の人から見れば羨むべきことである。しかし、100歳を超えた人の中には、すでに亡くなっている人がたくさんいることがわかってきた。隣近所の人が何をする人なのか、生きているのか亡くなっているのか、関わりを持とうとしない社会になってしまっているとも感じられる。生命(いのち)の絆が、ますます薄くなっていく。
国民的詩人と言われる坂村真民先生の著「坂村真民1日1言」の中に、「人情味」というひと言がある。「何がこんな日本にしてしまったのだろうか。政治か、教育か、金か、いろいろあるだろう。でも二度とない人生なのだ。ああ生きていてよかったと言えるような生き方をしたいものである。人間で一番大切なのは情味なのである。出世も立身も、そうしなくていい。人情味のある人間として、世を終わりたいものである。」人情味のある社会にしていくためには一人一人が、お互いを尊重し、認め、共に育ちあっていきたいものである。

二度とない人生だから    「坂村真民」

二度とない人生だから 一輪の花にも 無限の愛を そそいでゆこう
一羽の鳥の声にも 無心の耳を かたむけてゆこう

二度とない人生だから 一匹のこおろぎでも ふみころさないように こころしてゆこう
どんなにか よろこぶことだろう

二度とない人生だから 一筆でも多く 便りをしよう
返事は必ず 書くことにしよう

二度とない人生だから まず一番身近な者たちに できるだけのことをしよう
貧しいけれど こころ豊かに接してゆこう

二度とない人生だから つゆくさのつゆにも
めぐりあいのふしぎを思い 足をとどめてみつめてゆこう

二度とない人生だから のぼる日しずみ日 まるい月かけてゆく月
四季それぞれの 星々の光にふれて わがこころを あらいきよめてゆこう

二度とない人生だから 戦争のない世の 実現に努力し
そういう詩を 一篇でも多く 作ってゆこう
わたしが死んだら あとをついでくれる 若い人たちのために
この大願を かきつづけてゆこう
(2010年8月16日発刊)NO.164
「終戦65年の英霊の見た日本」
 2010年8月14日(土)、終戦ドラマSP「帰国」(TBS系)を観た。終戦記念日の深夜。東京駅のホームに1台の軍用列車が到着した。乗っていたのは太平洋戦争中に南の海で玉砕した“英霊”たち。部隊長の秋吉(長淵剛)、大宮上等兵(ビートたけし)、木谷少尉(小栗旬)らの目的は、平和になった日本を自分の目で確信し、その現状を南の海に漂う多くの魂に伝えることだった。夜明けまでの数時間を彼らは東京や生まれ故郷や、昔の恋人を訪ねる。祖国の現状を見る。終戦65年を経て日本は豊かになったが、幸せな国になったか。私たち一人一人が、翻って考える必要があるとの問題提起である。脚本を担当された倉本聡氏は「六十余年の空白を経て浦島太郎のようにこの国に戻り立った英霊たちの驚愕は、想像するに余りある。これは鎮魂のドラマであり、怒りと悲しみのドラマでもある。もう先のない僕らの世代が、一つの時代の小さな証人として遺しておかねばと思い、書き下ろしたものである。」と述べている。戦後、日本人が一心不乱に働いて高度経済成長のもたらした豊かさにどっぷりとつかっている間に、私たちの生命の絆が薄れ、人と人の絆が失われて、大恩のある親を見捨てる時代になった。英霊たちは、こんな時代になることを願って死んだのではないとのメッセージを私たちに突きつけている。
(2010年8月9日発刊)NO.163
「戦後65年村上彩子平和祈念コンサート」
 村上彩子さんの悲願であった「戦後65年村上彩子平和祈念コンサート」(8月7日 広島西区民文化センター大ホール)にいってまいりました。当院の栗原 泉さんもクラリネット演奏で共演しました。10歳代で被爆された女性の方々からの聞き取りを通じて、感受性の強い時期を過ごされた長い年月の肉体的傷と心の傷の深さを、歌に託して表現されたと思います。学生時代から思い続けてこられたこの祈りのコンサートが、多くの人に支えられて実現されたことにも感動いたしました。8月6日・8月9日は広島・長崎での原爆投下、多くの人が被爆して亡くなり、また、被爆者の多くが心の傷をもって、65年間生きてこられたこと思うと、今の平和に感謝し、戦争や原爆の悲惨さと人間の愚かさを伝えていかねばと思います。村上彩子さんが歌というアートを通じて、これからも平和の祈りを歌に託して下さることを願ってやみません。8月7日の広島での平和記念式典に初めて潘基文国連事務総長 ジョン・ルース アメリカ大使の参加があったことに、大きな希望が持てると思います。核廃絶は人類を含む生物の共通課題です。
「核のない・争いのない世界を一日も早く」

村上彩子      http://www8.plala.or.jp/bluemoon/media.html
(2010年8月2日発刊)NO.162
「出逢いと別れ」
 先日、生前とてもお世話に合った先輩(84歳)の通夜に参加した。600名を越える人々が別れを惜しんだ。人生は人と人との出逢いと別れで綴られる。ご家族をはじめ、多くの人に幸せを運ばれた人でした。日本は平均寿命が男女合わせても83歳という世界一の長寿国となった。素晴らしいことである。しかし、最期にどのように終末を迎えるか、これがこれからの問題である。脳卒中になって倒れて、会話もできず、寝たままになる。認知症が進んで全面介護が必要になる。このような状態では生きたくないと多くの人は思っているが、実際に希望にそったお別れは難しい。事前指定書に元気な時に自分の希望を残しておくことの重要さが認知されつつある。国民のコンセンサスが必要な時代に入っているように思う。
 
参考文献
  生き方上手は死に方上手     岡田玲一郎著  厚生科学研究所
(2010年7月26日発刊)NO.161
「第60回日本病院学会」
 先週、岐阜市で第60回日本病院学会(会長 木沢記念病院院長 山田實紘氏)が開かれ、私は医療連携8演題の座長をさせていただいた。セッションが終わって、帰り際に、記念品として図書券を頂いた。岐阜の駅の本屋さんでせっかく頂いた図書券で何か良い本を記念に購入しようと店に入ると、星野富弘さんの「花の詩画集」〜種蒔きもせず〜が目にとまった。躊躇なく購入した。 「この花は この草にしか 咲かない そうだ 私にしか できないことが あるんだ」ハナニラの花に添えて書かれている詩に感動した。日本病院学会は、全国から病院の医療に関わる全ての職種が集まるとてもユニークな学会で、毎年開かれ60年の歴史を刻んでいる。今年も約5000人の医療人が集まった。私にしか咲かせない花があると信じて歩んでいきたい。

注:星野富弘著  「花の詩画集」種蒔きもせず  偕成社
(2010年7月20日発刊)NO.160
「私たちは支えられている」
7月17日(土)に第13回取引業者さまとの懇談会が開かれた。約130名の業者様が来場くださった。会場は、当院のパッチ・アダムスホールであった。14:00に開会、当院の司書でもありクラリネット奏者である栗原さんと矢木さん(ピアノ)の心休まるミニ演奏会の後、私が岡山旭東病院の歴史、病院の特色・理念に基づく経営指針書によるマネージメント手法、経営状況、医療安全管理など「幸せを求めて〜職場は貴方の晴れ舞台〜」の演題で60分のお話をさせていただいた。その後、恒例の当院の加納料理長の指揮のもと調理師・栄養課の全員・当院の職員の協力で、瀬戸内の幸のパーティー料理を楽しんで頂いた。
 病院は、医療機械会社・製薬会社・医療器具卸、食材卸、薬の卸、IT関連企業、文房具、建築会社、寝具、クリーニング会社、銀行、学校、タクシー会社、園芸関連企業など様々な企業にお世話になっていることに改めて気づかされる。また、病院は、患者さまに支えられていることは勿論であるが、お金を払って頂いているのは、患者さんとそれ以上の出費をして頂いている、税金を払っている国民・保険料を払っている保険者の皆様です。 私たちは医療を取り巻く様々な組織、システムに支えられ、更に身近には同業のクリニック・病院・福祉施設など数え上げればきりのない多くの人々に支えられています。医療福祉は、国民の共通資本であり、多くの国民に支えられていることを感謝して質の向上に努めてまいりたいと感じた一日でした。
(2010年7月12日発刊)NO.159
「ゆく川の流れは絶えず〜」
鴨長明(平安時代から鎌倉時代にかけて生きた歌人であり、晩年方丈一間に住んで、方丈記を書き残した)の方丈記の書き出しは有名です。「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き、卑しき、人のすまひは、世々経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。あるいは去年焼けて今年作れり。あるいは大家滅びて小家となる。住む人もこれに同じ。所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二、三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。朝に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水のあわにぞ似たりける。知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る。また知らず、仮の宿り、たがためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その、あるじとすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。あるいは露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。あるいは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕べを待つことなし。」孔子の言葉の中にも「逝くものは斯くの如きか、昼夜を舎かづ」は、昼も夜も流れているではないか。人類も流れている、人類も流れて大きな海を目指すのではないか、という意味です。鴨長明も孔子の言葉を知っていたに違いありません。いまも、私たちは流れている。先日も、一人の友人が、大きな事故に遭った。また、癌で友人を何人も失ってしまった。世の中は何も変わっていない。
私たち自身も毎日変化していて久しくとどまることなしです。お互いに毎日を感謝して、仕事に遊びに充実して過ごしたいものです。
 
注:(1)方丈記 鴨長明著
   (2)孔子 井上靖  新潮社
(2010年7月5日発刊)NO.158
「手作りおもちゃ」
 成人の脳の重量は1400gで体重の2〜3%ですが、赤ちゃんの脳重量は400g、体重の15%もあります。そして、日々大きくなり6歳で大人の90%と、ほぼ大人の脳の重量に成長します。「三つ子の魂100、まで」と言われますが、三歳児を中心にして脳は目覚ましい発達をします。脳の発達段階で、例えて言えば愛情の神経回路、感性の神経回路などが形成されていきます。この時期に愛情一杯に育てられた児は、それが一生の財産になります。f地三郎先生は(1954年に日本で初めて養護学校しいのみ学園(福岡市)を設立しました)80年以上教育に携わる中で、3歳までにちゃんとした教育的刺激を受けた子と、そうでない子では、発達に差異がうまれることに気づかれました。幼児期こそ、おもちゃ作りを通して、親子の交流を増やし、子どもの成長を促しましょう、と呼びかけています。おもちゃも、牛乳パックやお菓子の空き箱、トイレットペーパーの芯など、家庭にある廃材を利用、セロハンテープやハサミなどの簡単な道具を使って、自動車やたこ釣りおもちゃを親子で作るというものです。私も、6月13日に福岡市にある「しいのみ学園」を訪問して、f地三郎先生のおもちゃ教室に参加し、楽しい時間を過ごしました。親と共同して作ることで親に対する尊敬の念や自分の手でつくる喜びが生まれるのだと思います。f地先生は現在104歳で、中国に養護教育を普及させるべく、100歳を超えて、夢を実現させるために中国語を学び、日々精進されておられます。私はその姿に感銘を受けました。
 
<参考文献>
f地三郎著「生きる力」を伝える幼児教育  生活新書  NHK出版
f地三郎著 ただいま100歳〜 今からでも遅くない〜 致知出版社
 
(2010年6月28日発刊)NO.157
「一灯は万灯に」
 先週(6月23日)、東京足立区にある 健和会 柳原病院を訪ねた。第60回の日本病院会の「中小病院が地域を守る」のシンポジュームに報告者のお一人として、柳原病院の露口院長にご参加をお願いしている。1951年に柳原診療所が誕生し、50年代から60年代にかけて、診療所が次々に誕生。東京の下町、足立区、葛飾区は日雇い労働者も多く、貧しい医療過疎地であったという。1976年に健和会が誕生して以来、柳原病院は91床の中核病院として急性期医療を担い、また、その後も、関連の総合病院(みさと健和病院)を1983年にオープンして地域医療を担っている。診療所として発足した一灯が歴史の中で引き継がれて地域の万灯として地域を照らしている。東京の下町の狭い街並みを見て、東京という大都会にこんな庶民の生活があるのだと改めて学ばせて頂いた。足立区にある中小病院が、地域の保健医療福祉の核となって地域を守っている姿を拝見した。案内して下さった関係者に心から感謝である。
 
(2010年6月21日発刊)NO.156
「一流とつきあうと、一流になる」
 沖縄で開催された、中小企業家同友会主催の第15回障害者問題全国交流会に参加した。
分科会は「一人ひとりのいのちが輝く経営」沖縄教育出版社の見学分科会に参加した。
この会社は、健康食品と化粧品の通販の会社で、社員160名の内、知的障害のある方が10名、聴覚障害のある方が1名おられ、誰もが対等に同じ目線で仕事ができる“全員主役の経営”をなさって、立派に経常利益をだしている優良企業である。 
社員とのコミュニケーションを大切にして、朝礼が1時間から3時間に及ぶこともあるという。「一流の人とつきあうと、一流になる」それを社長自ら実践していることに感銘を受けた。社員教育も一流の人に出会える研修でなければならないと思う。
(2010年6月14日発刊)NO.155
「すぐすればすぐすむ」
 疲れずに楽しく「今」を過ごす方法として、「すぐすればすぐすむ」も一つの方法ではないかと思う。この言葉は私に森岡まさ子氏が色紙に書いてくれた。私の大切にしている言葉の一つである。6月11日〜12日と、職場のリーダー研修がダイヤモンド瀬戸内マリンホテルを会場に開催された。講師に岡山大学大学院 教育心理学講座教授 水野正憲先生をお迎えした。講演の演題は「仕事の中で人を生かす」であった。先生の話の中で「物事を実践する時に、仕事を先延ばしすると、計画が遅れ、始まるまでに時間がかかる。遅れて取りかかると、後退して再出発するときに大きなエネルギーが必要である。ブレーキをかけながらアクセルを踏むと非常に疲れる。」私たちは、日常、こんなことはしたくないな〜また明日にしようと自分と妥協する。こんなことを繰り返すとストレスとなって、疲れることを経験する。目の前のしなければならないことは「すぐすれば すぐできるし」、疲れないし、物事が楽しくなると思う。
注:森岡まさ子:自然の森MGユース・ホステル創業者。 上下町名誉町民。 昭和34年、甲奴郡上下町に開設した広島県内初の民営ユースホステル「MGユース」で、ペアレントとして活躍した。
(2010年6月7日発刊)NO.154
「ホタル」
 6月5日(土)晴れ。「蛍が出ました」という知らせがあり急遽ホタルを見に出かけた。場所は私が小学校2年まで過ごし、また夏休みには必ず帰った祖父母のいた故郷である(吉備中央町井原)。子どものころに遊んだ山や川は懐かしく、その川遊びをした川にホタルが帰ってきている。川が綺麗になって県下あちこちでホタル便りが聞かれる。別れの歌として有名な歌に「蛍のひかり、窓の雪、ふみよむ月日かさねつつ〜〜♪」がある。歌に歌われるぐらい蛍は私たち日本人には何処にでもいる身近な生き物だったと思う。しかし、高度経済成長に伴った生活様式の激変、農薬の散布、護岸のコンクリート化などで生態系が破壊されてホタルが次第にいなくなった。しかし、最近はホタルを保護しようとする運動も盛んになりホタルが帰ってきている。今年もホタルが川に沿って、塊となって明滅し、また川に沿って乱舞する自然の営みが私の心を癒してくれた。私の高校時代には蛍雪時代という進学雑誌があった。電灯のない時代にはホタルの光や雪のあかりで勉強する故事に因んだものだと思う。病院にもホタルがいればいいなと思ったりする。
  「蛍の光」の歌詞(作詞 稲垣千頴)
螢の光、窓の雪、書読む月日、重ねつつ、何時しか年も、すぎの戸を、開けてぞ今朝は、別れ行く。
注:メロディーはスコットランド民謡
(2010年5月31日発刊)NO.153
「一人ひとりの社員が成長した分、会社は発展する」
 先日(5月29日)、岡山で開催された、岡山中小企業家同友会主催経営者フォーラムの基調講演に(株)エイベックスの社長 加藤明彦氏をお呼びして、経営体験を聞かせて頂いた。その中で、強烈に印象に残った言葉は「一人ひとりの社員が成長した分、会社は発展する」であった。社員が成長できる職場環境、人間関係を含めて学ぶ環境が最も大切だと思った。この会社は、人が成長することが会社の目的であるとまで言っている。病院でも同じで、職員が育ち合っていける組織風土にしていきたい。この会社は、トヨタの車関連の部品製造をしている会社であるが、このたびの不況の嵐の中で生産が70%ダウンした状況から、収益を上げる会社に回復した。
(2010年5月24日発刊)NO.152
「当たり前という幸せ」
 今年の2月頃から、左膝を痛めて、痛くて階段も上がりにくくなり、20日前からは腰に痛みをきたし始め、歩くことにも苦痛をきたした。東京への出張も苦痛になる。今まで当たり前にできていたことが、ありがたいと思える。歩く、食べる、トイレにいく、寝る、朝目覚める。朝起きると「おはよう」と言える人がいる。毎日、職場に行くと仲間がいる。平素は何気なく当たり前だと思っていることは実は大変なことだと思う。知らぬ間に「おかげさま」を頂いているのだ。「挨拶する、思いやる、感謝する、謙虚になる」、こんな当たり前のことができる人を「一流」というとおっしゃる人がいるが、当たり前のことに感謝できる人間になりたい。
(2010年5月17日発刊)NO.151
私たちが目指すのは「一人ひとりの命が輝く経営」
 先週(5月13日)、第5回癒しの環境院内学会を開催しました。毎年テーマを決めて開催しますが、今年度のテーマは「コミュニケーションと癒し」でした。基調講演には、渇ォ縄教育出版の川畑保夫社長に「人間尊重の職場環境づくり」の内容で講演して頂きました。業態は健康食品や化粧品の自社ブランド製品の通信販売です。「日本一楽しくて長い朝礼」で有名になり、朝礼研修に全国から多くの方が見学にこられます。働く社員全員が月曜日の朝に出社するのが楽しい会社。一人ひとりのいのちが輝いて素敵な人生を歩んでいる人たちの集団。健康と生涯、正社員とパートの枠組みを越えて、「共に学び、共に育ち、共に働き、共に生きる」和道社会の実現を目指しています。
 私たち病院も、業態は違いますが「人間尊重の職場づくり」を日々目指しています。ワーク・ライフ・バランスを一人ひとりが実践できる職場を目指したいです。

参考文献 沖縄教育出版1(株)インフィニティ出版
作 田原実  画  山上幸二
(2010年5月10日発刊)NO.150
「病院の日、看護の日」
 岡山県ではナイチンゲールの誕生日の5月12日を含む一週間を「看護週間」として、多くの皆さまに「看護の心」を伝える行事が行われています。岡山旭東病院には岡山県知事夫人 石井和子様が一日看護部長として来院され巡回されます。岡山県看護協会は看護の日に、看護大会(講演会・表彰式など)・看護体験事業などの取り組みを通じて、看護師活動のPRを致しています。病院の日・看護の日は昭和27年に当時の三木行治県知事の発案で始まりました。医療福祉は社会の共通資本であるとの認識であったのでしょう。お蔭で岡山県は、医療福祉の分野では官民協力して、現在連携を深めています。どのような社会状況になっても、医療福祉の大切さを忘れてはなりません。医療崩壊は決して起こしてはなりません。医師不足・看護不足の解消も必要でしょうが、医療機関を受診する患者さまの医療従事者への思いやりも大切であると思います。お互いが思いやってこそ良質な医療サービスが提供されると思うからです。
(2010年4月26日発刊)NO.149
「小さきは小さきままに 折れたるは折れたるままに コスモスの咲く」
 しいのみ学園園長 f地三郎(しょうちさぶろう)先生の和歌で、しいのみ学園の十周年記念式典の折りに読まれた歌です。
先生の子どもの3人の内、長男と二男が知的障害者(脳性小児まひ)であり、そのこともあって日本で初めての養護学校を設立し、障害者教育にまい進されてきた先生です。
f地三郎先生は、昭和31年に教育界ではノーベル賞に匹敵するペスタロッチ賞の栄誉を受けられて、現在も尚、現役の教育者として活躍されています。1906年生まれで、現在103歳です。「ただいま100歳〜今からでも遅くない〜」の著書を友人から頂いて読ませていただきました。世の中にはすごいお人がいるものだと感心いたしました。人それぞれ、そのままで、己の花を咲かせばよいのだと言っておられるのです。ご著書の中で「私には老感がありません。年をとる暇がないのです。どうやってボケたらいいのかも、私にはわかりません。」とあります。
 
注:f地三郎著「ただいま100歳〜今からでも遅くない」致知出版社
(2010年4月19日発刊)NO.148
「日本と中国の友好に思う」
 中国の西安市は唐の都長安のあったところで、多くの遣唐使たちが命をかけて海を渡りたどり着いた都です。今では上海経由4時間足らずで到着するのですから驚きです。明時代の城壁に囲まれた西安市(長安)では、空海の勉強した青龍寺や吉備真備記念碑もあります。また、西安は「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」で有名な阿部仲麻呂の活躍した街で、彼は玄宗皇帝に愛され李白と親交した国際人であったとされています。西安市は橿原市(奈良県)と姉妹都市で結ばれていて、今年は奈良遷都1300年の記念すべき年です。1300年前の遣唐使によってもたらされた仏教や律令制度、その他の文物は、現代の日本にも大きな影響を与えています。シルクロードの起点は西安ですが、ローマから始まるシルクロードの終点は奈良です。中国との文化交流の長い歴史があり、戦前戦後の不幸な一時期を乗り越えて、岡山県ゆかりの岡崎嘉平太先生[前全日空会長]と周恩来首相との出会いと友情のお陰で日中交流の火が受け継がれています。
注: 岡崎嘉平太  岡山県名誉県民
吉備中央町には岡崎嘉平太記念館がある。
(2010年4月12日発刊)NO.147
「民間での日中交流の大切さ」
 岡山市日中友好協会主催の友好訪中団に副団長として参加させて頂いた。団長は片岡和雄先生(済生会病院名誉院長・岡山日中友好協会会長)で参加者は26名である。
岡山市と洛陽市は来年交流30周年であり、参加者の皆さんは興味を抱いて参加された。4月7日(水)〜12(月)まで5日間の旅で岡山空港から1時間半で上海に到着し、そこから乗り継ぎ、西安市に夕刻に到着した。
8日早朝に世界遺産の兵馬俑博物館を見学、空海の勉強した青龍寺を訪問、また岡山県に縁のある吉備真備記念碑を訪ねた。1300年前の遣唐使によって多くの中国文化が日本に伝播され、今ではシルクロードの終着点は奈良市であるとの説に納得した。
9日に高速鉄道(新幹線)にて洛陽市(3日間)に到着。洛陽市は人口600万人の大都会で歴史の町であるが、先端技術の町、宇宙開発の先端産業の中心地でもある。私達は郭洪昌市長へ表敬訪問したが、会見時に長い友好の活動に感謝されて団長は洛陽市の名誉市民の称号を授与された。9日には日本から「心花」(25弦筝ユニット)橋本みぎは・熊代七恵さんと洛陽師範大学音楽学院の学生さんとの合同演奏会が行われ、前劉市長も来ていただいた。
10日には「牡丹祭り」の式典に招待された。ついで、洛陽市から1時間ばかりに黄河の流域の荒れ地に、岡山県が参加している緑化運動にボランティアとして参加。約30本の「あすなろの木」を植林し、また、陵南小学校の高塚元校長先生や多くの先生方や子どもや父兄が集めたお金を補助として建てた小学校を訪問した。子どもたちに熱烈歓迎された。また、貧しい山間の小学校への交流が12年間も継続されていることに感動した。
11日には、インドから中国に初めて仏教が伝来した白馬寺を訪問し、方丈(中国最高位の僧侶)の接待をうける。最終日には河南科技大学付属第一病院(1600床)を見学。また、脳神経外科病棟を見学させて頂いた。洛陽からの医療施設団が2010年5月25日〜27日に来岡の予定で、岡山旭東病院も訪問したいとの希望あり、これから準備も大変です。
駆け足の旅ではありましたが、感想として

@都市部では高層ビルが林立して車が多く、経済が発展し続けている。
A貧しい地域と豊かな地域があり、所得格差が広がっている。
B人は親切で、心からの歓迎をして頂き人と人の交流の大切さを改めて認識する。
C脳外科病棟では交通外傷が患者さんの3分の1と多い。
D洛陽市人民対外友好協会主催の歓迎夕食会で万病に効く「こそ丸」の説明をし、
 中国の皆様にも理解していただけた。
E政治は時代とともに変わるが、人と人との民間交流は永遠である。

当院は中国人の職員を2名採用(看護助手と事務職)している。一人は新卒であり職員同士のコラボレーションを期待している。
このたび中国を訪れて、近くて遠い国であったが、より近い国になったように思う。
(2010年3月30日発刊)NO.146
「日本のよいところ」
 帰化日本人の対談で、自分では気づかなかった日本文化の特色や良さを教えて頂いた。日本人の礼儀正しさや、誠実さ、細やかさなどは長い日本文化の中で培われてきたものであって、縄文時代に遡る自然崇拝から発した神道的精神がバックボーンになり、外部から流入した、仏教・儒教・道教・キリスト教のいいところを取り入れてきたのが日本文化の特色ではないかというのが、3人の共通した意見の様に感じた。武士道についても評価されていた。日本の文化力を世界に発信していくことの大切さに気づかされた。日本の各地にある文化に根差した産業の創造が、地域経済と同時に、日本経済の発展につながっており、これからもその役割が大きくなっていくと思う。

参考
 「帰化日本人」  黄文雄 呉善花 石平 対談     李白社
(2010年3月23日発刊)NO.145
「中国料理のマナー」
3月20日岡山市日中友好協会の主催で「中国料理マナー教室」が開かれた。林原(株)の経営するルネサンスの中国料理店「福幸」にて、中国に生まれ育ち、中国語、中国食文化などを通じ80年余にわたり中国を見て、中国人と接してこられた中山時子先生(お茶の水大学名誉教授)から中国料理のマナーについてご解説いただいた。中国料理のマナーの奥深さを知る。中山先生の解説付きで中国料理のフルコースを頂くという、贅沢で貴重な経験をした。
 中国では、王者以民人為天、而民人以食為天。「史記」
        王者は民を天ほど大事なものとし、民は食を天ほど大事なものとする。
        夫礼之初、始諸飲食。「礼記」  
        かの礼というものは、まず飲食から始まっている。
 中国料理は主人が客人に満足して頂けるよう、宴席の献立からの配慮がマナーの基本になっていることを学んだ。美味しいものを食べるだけでなく、そこにマナーがあり文化があると学ぶことの多い一時であった。
(2010年3月16日発刊)NO.144
「ワーク・ライフ・バランスについてもう一度」
2月15日の院長のひとりごとにもワーク・ライフ・バランスについて書きましたが、各企業での取り組みも大切ですが、社会が全体で仕事と私生活のどちらも充実した生活を送るためには、ひとりひとりが仕事のありかたを考える必要があると思います。
仕事に関しても、時間内に仕事を終えるにはいろいろな工夫が必要だと思いますし、職場では直接の上司の意識を変えることも必要です。日本人は良く働くといいますが、国民一人当たりの生産性は低いと云われています。どこに問題があるのか詳しくはわかりませんが、会議を短くする、効率的に仕事に対して情熱を持って行うなど、ポジティブに考えていけば、アイデアもでるのではないかと思います。病院も会議が多い職場です。委員会の委員が重複することが多かったので、それを少なくしました。会議はできるだけ短く、職員研修は勤務時間内になど行っていますが、もっと工夫が必要であると思います。難しい問題は、医師・看護師の確保です。一病院だけでは解決できない問題も含んでいます。

参考文献
@ 「看護職のワーク・ライフ・バランス〜病院経営の安定と改善に向けて〜」
 〜質の高い看護・医療提供に仕事と生活の調和が不可欠〜
日本経済新聞2010年3月12日号25〜26頁
A  部下を定時に帰す「仕事術」 著者 佐々木常夫氏(東レ経営研究所所長)
WAVE出版
(2010年3月8日発刊)NO.143
「心を癒すフラワースタンド」
 昨年、イギリスの医学の歴史を訪ねて、10日間ほど、エジンバラからロンドンまで旅をした。旅すがら、町の道筋や店の前にフラワースタンドが置かれて、季節の花が植えてあり、とても良い印象をうけた。日本に帰りフラワースタンドを探したが、適当なものがなく、私の親しくしている鉄工所にお願いし、イメージを伝えて創っていただいた。平素はフラワースタンドなどとても無理は言えない仕事ですが、鉄工所の好意で期待に沿ったものを作っていただいた。担当のガーデナーが盛花をアレンジし、当院の中庭、玄関などが美しい花で彩られ、心を癒してくれる。異文化に触れてみると、いろんな発想が生まれ楽しいことである。
 
(2010年3月2日発刊)NO.142
「日本でいちばん大切にしたい会社」
3月1日に岡山の倫理法人会が開催した特別ナイトセミナーに参加させて頂いた。講師は「日本でいちばん大切にしたい会社」の著者である坂本光司先生で、是非にお話を聞いてみたいと願っていた。会場は400人程度であろうか、熱気に包まれていた。

会社経営とは「5人に対する使命と責任」を果たすための活動である。
1、 社員とその家族を幸せにする
2、 外注先・下請企業の社員を幸せにする
3、 顧客を幸せにする
4、 地域社会を幸せにする
5、 株主を幸せにする

特に、「社員とその家族を幸せにする」は、先生が多くの会社を観て感じた、いい会社の共通点であり、「日本でいちばんたいせつにしたい会社」は、まさに、自分達にしかできない仕事をしているオンリーワンの会社であり、物ではなく心を大切にしている会社である。
病院経営に於いても全く同じで、少しでも学び、実践していきたいと思う。


参考文献
  「日本でいちばん大切にしたい会社」  著者 坂本光司   あさ出版
  「日本でいちばん大切にしたい会社」2 著者 坂本光司   あさ出版
(2010年2月22日発刊)NO.141
「to error is human」
IMO(institute of medicine=米国医学研究所)の「医療の質委員会」が公表したIMOレポートが有名である。[To Error is Human](人は誰でも間違える〜より安全な医療システムを目指して〜)(1999/11) 全米の推定「医療過誤」による死亡者数(ニューヨーク州の調査結果9万8000人)、これは、アメリカの自動車事故4万3458人、乳がん4万6516人、エイズ1万6516人の死亡を上回る。米国の病院で、100k(10万人の生命を救う) Lives Campaignが行われた参加病院(3,100以上)で、18カ月間に約122,000人の「死ななくてすむはず」の死を回避しえた。当院も日本版の医療安全全国共同行動に参加している。      
人間は間違えることを前提にして、当院の「安心して生命をゆだねられる病院」に向けて安全な医療の提供システム、教育の徹底をはかっていくよう努力を重ねている。リスクマネージメントは病院にとっても極めて大切であって、専任の医療安全管理者を置いて、インシデント・アクシデント調査、KYT活動(指差し呼称)の導入、医療安全研修、(感染コントロールチーム、呼吸管理サポートチーム、栄養サポートチーム)などの活動、個人情報保護(Pマーク取得)活動、接遇教育、ISO14001(環境ISO)や臨床検査国際規格認証(ISO15189)取得、防災訓練など行って、常に緊張感をもって医療の安全をはかっている。そのためにも医師・看護師・コメディカルスタッフのマンパワーを充実していけるような医療体制にしていきたい。しかし、医療は財政面では診療報酬の中での危機管理であり経済的な側面からは国の責任も問われると思う。
(2010年2月15日発刊)NO.140
「ワーク・ライフ・バランス」
 私達は、生きること、暮らしを守ること、そして、人間らしく生きることを求めています。仕事のあり方も、社会が成熟してくるに従って、私達の意識をかえていく必要があります。仕事と生活のバランスをとって、人間らしく生きていきたいものです。日本でも2008年には、ワーク・ライフ・バランス憲章が制定されています。日本は一人当たりの生産性が低く、労働時間が長いのは、時間の使い方が効率的でないからでしょうか。これからは、仕事だけでなく、仕事と生活のバランスをとって、生活の質を高めていきたいものです。

参考:
2月11日に東京で開催された、看護職のワーク・ライフ・バランス推進フォーラム〜病院経営の改善に向けて〜(内閣府・男女共同参画推進連携会議・日本経済新聞・日本看護協会主催、日経ビル 13:30~16:20)にシンポジストとして参加しました。基調講演は山際清子(立教大学大学院 ビジネスデザイン研究科 特任教授)「経営パフォーマンスを高めるワーク・ライフ・バランス〜仕事と生活の相乗効果〜」、司会は岩田三代:パネリストは本多則恵(内閣府)、大久保清子(福井県済生会 看護部長)山極清子、小川忍(日本看護協会専務)でした。
私は、当院のワーク・ライフ・バランスでの取り組みを、理念経営の基に、経営指針書の作成、全員参加型の経営、独身看護師、キャリアナースの理解などの上に成り立っていることを報告いたしました。現在看護師161名の内、16名が正社員短時間就労者であること、4年間で27名の新卒看護師の退職はないことも併せて発表しました。今年中には、「くりみんマーク」も取得したいです。

 
(2010年2月8日発刊)NO.139
「怒らないこと」
 私達は、家庭や職場の日々の生活でのこと、政治のこと、経済のことで怒ることに事欠きません。しかし、怒って物事が解決することはありません。大きくは戦争、小さくは家庭のいざこざ、ご近所とのお付き合い、新聞紙上では、怒ることばかりが報道されます。例は良くないかもしれませんが、先日は、横綱 朝青龍が場所中に一緒にいた人を怒って殴ったため、相撲の世界から引退を余儀なくされました。朝青龍は少年のころ大草原から日本にやってきて苦労の末に勝ち取った地位を、怒りによって失ってしまいました。残念です。多くの戦争も指導者の誰かが怒ったから勃発したのだと思います。そして、多くの人間が犠牲になるのです。怒らないで、平静の心で日々過ごせるように互いを思いやって丁寧に過ごしたいものです。「怒りは敵と思え」は、徳川家康の遺訓にもありますが、怒りは判断を誤らせ、心を破壊に導くものです。家康は生涯を戦乱に明けくれた武将であり、遺訓には、怒りの心の怖さを後世に残しておきたかったのでしょう。アウボムッレ・スマナサーラ長老は「怒りは、人間の不幸そのものです。我々の不幸をつくりだす「怒り」だけは、けっして心の中に入らないようにすることです。」とご著書に書いています。
 
参考文献
「おこらないこと」
「アウボムッレ・スマナサーラ」仏教者(スリランカ上座仏教長老)著書(サンガ新書)
(2010年2月1日発刊)NO.138
「生きる、暮らしを守る、人間らしく生きる」
 「生きる、暮らしを守る、人間らしく生きる」を目指して、私達人類は努力を重ねてきた。政治の目的も同じであると思う。国に於いても、企業に於いても、社会に於いても、弱いもの・小さなものを大切にする考えが少しずつ芽生えてきている。鳩山由紀夫首相は就任初の施政方針演説の中で、地域経済を支える中小企業は日本経済の活力の源と位置づけて、「中小企業憲章」を策定して、意欲ある中小企業が日本経済の成長を支える展望を切り開いていく、と明言した。ヨーロッパの小企業憲章には「think small first」の基本理念がある。そして、小企業が、ヨーロッパ経済のバックボーンであると憲章に謳われている。国の経済を考えるときに、大企業優先でなく零細・中小企業の活力を引き出す政治が期待されている。日本に於いても、生きる、暮らしを守る、人間らしく生きる社会を作っていくために、Think small first の考えを深く考え実践していきたいものである。
参考文献: 「人間の尊重」と中小企業 赤石義博著  中同協
      「鳩山由紀夫首相 施政演説」(地域経済成長の源に)日本経済新聞
(2010年1月25日発刊)NO.137
「手」
千も万もの手が
わたしをきびしく
打ちのめす日と
千も万もの手が
わたしをやわらかく
つつんでくれる日とがある     「真民」
 
坂村真民先生の詩集の中で「手」という詩に出会った。日々の営みの中で千も万もの手が、私をきびしく打ちのめす日がある。どうしたらいいかわからなくなることがある。しかし、時間が経つうちに、峠をこえるときが訪れる。やがて、千も万もの手が、わたしをやわらかくつつんでくれる日が訪れる。毎日を感謝して、今日も生きていこうと思う。
(2010年1月18日発刊)NO.136
「素朴な願い」
 赤石義博氏は中小企業家同友会(会員4万名)の会長を務め、現在相談役幹事として活躍されている。最近出版された著書「人間尊重と中小企業」のなかで、会社に勤めている社員の素朴な願いについて次のように書かれている。
1つめは、 かけがえのない命を大切にしたい。健康でありたい。
与えられたいのちを全うしたい(させたい)。
2つめは、 かけがえのない人生だから悔いのないように生きたい。
3つめは、 だけど、世間からつまはじきにされたり、後ろ指をさされるような生き方はしたくない。
当てにされるような、誇りをもって働けるような生き方でありたい。
 この3つの願いは、経営者としての私が、社員との個別の話し合い、団体交渉でのやりとり、社員全体へのアンケートなどから最終的に集約したものですが、社員本人の視点からの内容になっています。と赤石さんは書いています。
 決して、多くの人の願いは、大金持ちになるとか、有名人になるとかということではないと思います。そのような素朴な願いを叶えられる職場にしていくことが私に与えられた使命であり、そのように行動し実践してまいりたいと思いました。
 「笑顔のまんま」という歌がはやっていますが、その中で、「生きているだけでまるもうけ」という歌詩があります。その命を大切に、素朴な願いを叶えられるような社会を造っていきたいものです。
 
参考文献:
赤石義博著「人間の尊厳」と中小企業「人間らしく生きる」を深める。出版元 中同協
(2010年1月12日発刊)NO.135
「徳」ということ
 論語の中で好きな言葉がある。
無為(むい)にして治る者は、其れ舜(しゅん)か、己を恭(うやうや)しくして、正しく南面するのみ。「特別のことをするのでなくて、それでいて世の中をきちんと治めたのは、聖天子として名高い舜だなあ。ただ自分の身を恭(うやうや)しく保ちながら天子の席にあっただけだ、舜(しゅんA)みずからが身を正していたから、皆が従ったんだね@。」
舜とはどんな人物だったのかとても興味がある。孔子が中原放浪に旅の途次、負函という町に留まっていたところ市長(葉公)から「政治の要諦はなにか」と問われた。それに答えて、孔子曰く「近いものが喜んで遠いものが寄ってくるのが政治の要諦ではないか。」と史記に記載されている(井上靖著の孔子から引用)。身を恭しくすることの難しさ、人としての徳を積むことが、どんなに大切かを思う。少しでも、身をつつしんでいきたいものである。

参考:
@あいうえお論語  財団法人 特別史跡旧閑谷学校顕彰保存会 編
A舜(しゅん)は中国神話に登場する君主。五帝の一人。
(2009年12月28日発刊)NO.134
「こつこつ」
 今年も、静かに1年が過ぎようとしている。宇宙の営みからすれば、時は静かに過ぎてゆく。この貴重な時間を、大切に使うことができただろうか、自分に課した昨年の計画が今年も達成できなかったな〜と反省しきりである。
 年に暮れ、岡山県美作湯郷温泉に1泊した。湯の中で、ゆったりとした時間の中で、来年こそは計画倒れにならないように、少しでも前進していきたいと思った。
 
「こつこつ」
 
こつこつ
こつこつ
書いていこう
 
こつこつ
こつこつ
歩いてゆこう
 
こつこつ
こつこつ
掘っていこう
                  坂村真民(詩)
参考文献 坂村真民1日1言  坂村真民著 致知出版社
 
湧いてあふれる中にねている     種田山頭火(俳句)
(2009年12月21日発刊)NO.133
「ほめる」
 
人間の特徴
 @人はひとりひとり違う、それは個性であり、特徴でもある。
 A人は自ら変わることができる
 B人は人とのかかわりの中で、幼時から大人まで、育ち生きている。(関係性に中にある)
  また、人は、自己中心的であり不完全であり、他人の欠点をやすやすと見つけることができる。

この人間としての特徴をよき方向に生かし、互いに個性を伸ばし、自ら変わり己を成長させ、人とのかかわりを良きものにするには「よいところをほめる」に勝るものはないと思う。それが、お互いを成長させ、幸せをもたらすのではないかと思う。勿論、欠点を指摘する、忠告することも時には必要ではあるが、良いところを見て、それを互いに評価する。そんな「ほめる」文化が社会を明るくするのではないかと思う。
参考文献(1)生命のきずな  大田堯著  偕成社
(2009年12月14日発刊)NO.132
「音楽の力〜村上彩子のコンサートから」
 
 先週12月12日、福山市(国際聚蔵館)であった、美術館コンサートに行ってきた。この「院長のひとりごと」にも以前書かせて頂いた、福山市神辺出身の「村上彩子」さんによるソプラノコンサートである。ピアノ演奏者「大石邦子」さんと当院の司書でもあるクラリネット奏者「栗原泉」さんとの共演もあった。50人規模の小さな会場での心温まるコンサートであった。この日のサプライズは、以前に紹介した「あんず保育園」(院長のひとりごと No.130)の園児7名(5歳から7歳)が彩子さんの配慮で園長先生と一緒にコンサート会場の最前列に座っていたことである。大丈夫かなと思っていたが、彩子さんが赤いドレスで登場すると、初めて見る本物のソプラノ歌手に、好奇心の眼を光らせて眺めていたが、歌が始まると私語もなく、歌い終わると盛んに拍手し、子どもたちの感動している気持ちが表情に表れていた。途中の短い休憩中、子供らしく多少興奮気味で周囲の大人たちとも話をしていたが、コンサートが始まると、静かに最後までコンサートを楽しんでいた。「雪やこんこん」などの子ども達の知っている歌もあったが、G線上のアリア、アベマリアなどのクラッシックなどの曲も楽しんで静かに聞いている姿を見て、私は音楽の力は、小さな子供の心にも訴える力があると改めて感じることができた。村上彩子さんの配慮に感謝した、心温まるひとときであった。
(2009年12月7日発刊)NO.131
「共に育つ視点」
 
 私が経営の勉強をさせて頂いている経営者団体に「中小企業家同友会」がある。同友会は「いい会社にしよう、いい経営者になろう、いい経営環境にしよう」の3つの目的を目指している。全国組織で会員数も4万社を越えて「いい会社」にするために学び、そして実践している。その中でも、「教育」を「共育」と言っていることに共感し、私は病院でも「教育」を「共育」と呼んでいる。教育は英語ではeducationといい、語源は「引き出す」である。「共に育ち合う」は引き出すに限りなく近く思う。お互いが共に育ちあう中で、思いやりや、助け合い、もっといい方法はないかという仕事の工夫や発見が見つかると考えている。私達は共に切磋琢磨することが大切であり、市場原理主義的な競争からは、人間的の成長は期待できないように思う。
(2009年11月30日発刊)NO.130
「里山での「子育てサポート」
 
 11月29日(日)広島県三原市にある、NPO法人子育てサポートあんず保育園の主催する講演会に招かれ、その会場に向かう途次に、保育園をこそっと見せていただいた。三原市街から瀬戸内海に面する海岸に沿って10分ほど車で走り山に入っていくと、紅葉で彩られた山々に囲まれて、右手にお寺の本堂が見えてくる。そして道の左手の崖の下に広がった場所に保育園があった。大きな木の枝に「NPO法人子育てサポートあんず」の看板がかかっていた。保育園の建物は全て木でできていて、子どもの遊び場は、中央に大きな木があり、木の上に子どもが登れる工夫がしてあり、木の枝を利用して子どもがよじ登っていくと休める踊り場が作ってある。園のあちこちにある大きな木と木の間には丸太が渡してあり、滑り台も、木製の手すりなどなく、自由に子どもたちで移動させることのできる大きさの板である。砂場は3mほどあるかと思われる高い山であった。木の傍らには、枝木や落ち葉を集めて焼いてもいい場所もあり、工作の出来るような台も見られた。遊び場に向かって、屋根に覆われた、大きな板敷きの床がある。遊び場のすぐそばに畑が広がっていて、子どもたちの歓声が聞こえるようである。私は車を置かせていただいて、感心して、眺めていると、お寺の住職(あんず保育園椛山小夜子理事長のご主人)に声をかけられた。遊び場の畑の向こうには、小川が流れていて、夏には子どもたちが、水浴びもできるとの説明を受けた。私は、小学校の低学年の時代には、岡山県の長田村(現吉備中央町)にある小学校に通っていて、自然の中で遊んで過ごした。あんず保育園はこども達にそのような自然の遊び場所を提供しているのだなと思った。理事長さんから、このような、保育所が全国的にもいくつもあるように伺って、心ある人たちが子どもを育てるお手伝いをして、今の世を支えてくださっていることに感謝した一日であった。自然と触れ合う機会も少なくなった今の子育てに、素晴らしい環境を提供することが、子どもだけでなく私たち大人にも必要であると思う。
(2009年11月24日発刊)NO.129
「医療とアートの癒合」〜直島 地中美術館を観て〜
 
 勤労感謝の日(11月23日)、家族と一緒に直島に渡り、2004年に開館した地中美術館を訪れた。瀬戸内海の自然と、アートの共生をテーマに、美術館構想が、福武總一郎氏の脳から発されて、今日の素晴らしいユニークな美術館が誕生した。お蔭で、私のような高尚な芸術論などわからない者にも、海や風、草花や潮騒の音とクロード・モネ、ウォルター・デ・マリア、ジェームス・タレル、建築家 安藤忠雄達、の作った芸術作品が、自然と共生して、安らぎと感動を与えてくれる。日常、忙しく生活している者にとって、自然と人の作りだす良きものは一体として、心を癒し、新しい活力を与えてくれる。
私は、一昨年、ギリシャのコス島に、ヒポクラテスの医蹟を訪ねたが、2500年前の医療の行われたアスクレピオス神殿は病院でもあり、エーゲ海に面した風光明媚なところに位置し、入院すると、風呂に入り、髪を洗って、笑顔で過ごし、美しい彫刻をみて、時には円形劇場で演劇を楽しみ病を癒したと思われる。ギリシャの医療は現代の西洋医学の源流であるが、ヒポクラテスは自然治癒力を治療の本質と考えていた。病院は、身も心も病んでいる人に対して、医療の提供は勿論だが、空や風、木や花、アートとしての料理と、人の作りだす美しいもの絵画・音楽・庭園・生け花・アロマ・陶器など(アート)との融合が非常に大切なことであると、直島の地中美術館を訪れて更に想いを深くすることができた。草間弥生氏の赤と黄色の「パンプキン」は瀬戸内海の海と空に溶け合って平和と希望の灯のように感じられた。晴天に恵まれた素晴らしい一日であった。再訪したい美術館である。
地中美術館ChichuArtMuseum):香川県直島町3449−1 www.chichu.jp/
TEL 087-892-3755
(2009年11月16日発刊)NO.128
「おはようございます」
 
 先日、私が所属している岡山県中小企業家同友会が企画している「社員共育大学」でテーマ「働き方について」の講議があった。講師は(株)いのうえ(葬祭業)の岡山支店長 長田氏である。その中で感銘したのは、挨拶についてである。「おはようございます」は@朝一番のコミュニケーション。A私は貴方に自分の心をひらいています。B私はあなたを認めますという意味が込められている。朝の挨拶の大切さを納得させる話だった。最近は、お互いに挨拶をすることが少なくなっているのではないか、特に見ず知らずの人に対して、挨拶しないのがエチケットのようでもある。私たちは「おはようございます」は朝のコミュニケーションとしてもっと使いたいものである。
(2009年11月9日発刊)NO.127
「楷の木」の紅葉
 
 岡山県と兵庫県の県境に近い小さな谷の奥に、閑谷学校(しずたにがっこう)があります。学校が造られたのは1670年(寛文10年)で、当時の備前藩主池田光政(いけだみつまさ)は、人づくり、国づくりのためには孔子の教えの儒学を学ぶことが大切だと考えました。 閑谷学校は庶民のこどもたちを育てる場として築かれたものでした。光政が亡くなった後も、次の藩主綱政(つなまさ)と、家臣の津田永忠(つだながただ)が光政の意志を継いで閑谷学校を1701年(元禄14年)に完成させました。昔のままの講堂や学校施設が残されていて、静かに昔の佇まいを残しており、国宝の講堂から日々論語の朗誦の声が響いているのは、ここ閑谷学校だけです。先日、夕暮れ時、家族でこの講堂と前庭にある「楷の木」がライトアップされているのを観に出かけました。この講堂の前庭で、廟堂の前に2本の楷の木が見事に大きく枝をのばした紅葉と、ライトアップされた講堂や廟堂とのコントラストが幽玄の世界を醸し出していました。
 今から、2500前に孔子が、春秋戦国時代の乱れに乱れた世の中を良くしようと教えを広めた「論語」が、今も人々の心をとらえてやみません。
 講堂から、「子貢問曰、有一言而可以終身行之者乎。子曰、其恕乎。己所不欲、勿施於人。それ恕か。己の欲せざるところ、人に施す勿れ。」の声が聞こえてくる「衛霊公第十五」。訳(弟子の子貢が先生に尋ねた。「たった一文字の言葉で生涯実践してゆくべき教えがありましょうか」と。それは「恕」だよ。自分がして欲しくないと思うことは、こちらも人に対してしないことだ。人を思いやる心、それが「恕」なんだよ。)
他を思いやる心は今も昔もなく、人が仲良く生きていく上で一番大切なものです。
注:楷(かい) 楷樹は中国曲阜の孔子林の実を育て移植されたものと伝えられ秋の紅葉が特に美しい(説明板から) 一度は訪れて頂きたい場所である。
参考文献:閑谷学校 あいうえお論語 財団法人 特別史跡旧閑谷学校顕彰保存会 編
監修者 森 熊男(岡山大学教育学部教授)
(2009年11月2日発刊)NO.126
「ジャズピアニスト 及部恭子さん」
 
及部恭子さんは、9年前からニューヨークへジャズの修行に岡山から単身乗り込んで勉強しているチャレンジャーであり異能のピアニスト!帰国するたびに当院のパッチ・アダムスホールで、ジャズ音楽を患者様・職員に演奏して下さっている。
今回は短期帰国の合間をぬって、10月26日(月)14:00〜15:00までの短いコンサートであったが、音楽はもちろんだが人間的にも成長されているなと感じた。及部さんからのニューヨークからの手紙の一部紹介。
「ニューヨークの今年の夏は日本の梅雨以上に雨が降り続き、涼しくて過ごしやすいです。さて、ニューヨークに移り住んでこの10月で丸4年となります。あっと言う間にも思いますが、本当に色々あって経験をさせて頂いて実りのある4年でした。その中で音楽と向き合い自分と向き合い、人と向き合ってできたのがこのCD です。今まで培ってきたこと表現したかったことが、この一枚に込められています。一生懸命やって本当によかったと、そして、土井さん、みなさんが支えて下さったから今があるんだと本当に感謝しております。」こんな嬉しいお便りを頂きました。Kyoko Oyobe Cookin’s at Small のCDのジャケットには「うどん」を手打ちしている恭子さんがピアノの上にいて、お寿司やうどんがアレンジしているユニークな図柄です。もちろん音楽も最高で感性豊かなオリジナルジャズ、これからの活躍を楽しみにしています。皆様の応援をお願いします。
(2009年10月26日発刊)NO.125
「あなたのお母さんでよかった」
今年も10月23日(金)ソプラノ歌手村上彩子さんをお招きして、岡山県病院協会主催による岡山県下176病院の優良職員表彰式が行われた(ホテルグランヴィア)。昨年に引き続いてのアンコール演奏会で、表彰された方々に感動が伝わった素晴らしい演奏会となった。そして、また昨年に続いて、石井恵子氏の詩画集「あなたのお母さんでよかった」の朗読と共に、会場を美しい美声と温かい心で包んで頂いた。

作者の言葉:知的障害をもった子どもを授かってからの二十年は、不安の中で、この子のためにどうしてやるべきかと、自問自答しながらの子育てでした。でも、そんな中での貴重な出会いや体験が、私自身の世界を・・少しひろげてくれたような気がします。あの子の手を引いて歩いてきたつもりが、逆にあの子に手をひかれ、育てられてきたのかもしれません。

作者はわが子を置いて旅立っていかれた。命の絆が薄れていく世相をなげくだけでなく、一人ひとりがきずなを大切にしていきたい。障害者と健常者がともに助けあう社会を共に創っていきたい。お薦めしたい詩画集です。
参考 「あなたのお母さんでよかった」
幸の実園・編発行所 社会福祉法人 愛信会
制作発売 那珂書房 ¥1400
(2009年10月19日発刊)NO.124
「一寸さきは光」

 昨年9月に惹起した、リーマンブラザースなる投資銀行の破たんに端を発して、世界的な不況に見舞われ多くの企業が経済活動を低下させ、同時に職場が無くなり、多くの失業者が世界の巷に溢れている。その様な背景から、日本では民主党の勝利となり、政権が交代された。社会は大きな混乱の中にあるが、私たちは、一寸先は闇だと思うのでなく、一寸先は光だと思って、前向きに努力すれば必ず光が見えてくる。坂村真民先生の言葉を引用すると、全く「一寸先は光」である。これは「念じたら花がひらきました」という人と「念じても花は一向にひらきません」という人と同じで、一寸さきは闇という人にはいつも闇がくっついて歩き、一寸さきは光だという人には必ず光がさしてくるのである。これは理屈ではない。信念信仰なのである。
参考:「坂村真民一日一言」190頁  坂村真民著 致知出版社
(2009年10月13日発刊)NO.123
「人間の命」

 地球の誕生から、45億年。生物が誕生して36億年。人類はわずか600万年。人間が自ら病気に対して予防や治療に積極的に対応した西洋医学、東洋医学の曙からわずか2500〜4000年です。そして医学の発展は、ギリシャ時代の医学の祖といわれるヒポクラテス(紀元前400年)から、近代医学の発展、抗生物質(フレミングの抗生物質の発見、1928年)、麻酔方法(モートンのエーテル麻酔、1846年)、消毒法(リスターの酒石酸による消毒、1865年)によって、手術が痛みなく、感染症を予防して、安全に行われる道がひかれました。その他多くの医学者や研究者によって100年にも満たない間に、医学・医術は長足の進歩を遂げて、いまや生命を神の手から人の手に移そうとする時代を迎えています。
それでも、人間の寿命は限りがあり、地球の時間から考えると、一人一人の命は一瞬です。与えられた恩恵を思い、日々を大切に、感謝しながら生きることができる人は幸せであると思います。「こそ丸」を健康の常備薬としてご利用してくだされば幸いです。
注:「こそ丸」についての詳細はこちらを参照ください。
(2009年10月5日発刊)NO.122
「イギリスの旅から学んだことA」

 エディンバラ市・ロンドン市・田園地帯(コッツォルズ)など廻ってきた。印象に残ったことを3つ挙げる。●先人の業績を大切に保管・展示していること。●建物・家具など古いものも大切に使用していること。●ガーデンが整理され、花壇が綺麗に管理され、家のガラス窓がどこも綺麗に磨かれていること。日常生活に活かされる物に、@古いものを大切に使って生活を豊かにする。A自分が住んでいる、自宅、近所、公園などを綺麗にする。などがあると思う。私達の病院にも出来ることは沢山あることに気づいた。病院の人目につかない路地の草取りと花壇化、機械器具を大切に使用するなど、身近なところから快適な空間にしていきたい。
(2009年9月28日発刊)NO.121
「古いものを大切に・公共の場所を美しく」

 9月17日〜26日に英国医学の歴史を巡った(公私病院連盟主催・星和夫先生企画)。エディンバラ市では、消毒の概念を広めたSir Joseph Listerの医蹟を訪ねた。The Royal College of surgeons of Edinburgh(外科医ホール博物館)にはリスターの人形、石炭酸の噴霧器などが展示されていた。リスターの卒業したエディンバラ大学の付属病院は郊外に2002年に新築され、玄関にリスターの肖像の絵と彼の書いた手紙が飾ってあった。司書の女性が研究室を案内してくれた。幹細胞研究の教授はクローン羊で有名なProfessor Sir Lan Wilmutで市民にも研究室を見せている。図書館には雑誌は見当たらずPCが多く設置されていた。グロスター市ではジェンナー博物館を訪ねる。ジェンナーが種痘を初めて門番の子供にした小屋を訪れた。ジェンナーの残した業績は今日の免疫医学の先駆けである。ロンドンではペニシリンを発見したフレミング博物館を訪ねた。聖トーマス病院にフレミングがカビの周りにブドウ球菌が繁殖してないことを見つけた研究室が再現されていた。英国王立内科医師会を訪ねたが、入ったロビーにWilliam Harveyの像がある。ハーベイは心臓と動脈・静脈・毛細血管の血液循環を解明した医師である。セント・トーマス教会の屋根裏にセント・トーマス・ホスピタル旧手術室(1822年設立)が残されている。手術台は木製で、ここで無麻酔のもとに下肢切断をした。当時はいかに早く切断後処理するかが外科医師の腕であった。この手術室で多くの患者が手術を受け、感染症で死亡した。また、Dr. Jhon Snowのコレラ井戸がロンドン・ソーホー地区の一角に残されている。スノーは麻酔科医(1853年、ヴィクトリア女王の無痛分娩にスノーが麻酔医として招かれている)であり、ロンドンで猛威をふるったコレラの原因は井戸水にあると確信して、井戸の柄を外してコレラを終焉させた。感染症という概念がない時代に飲み水に原因を特定した。給水範囲、発生率を調査した結果であり、現在「疫学の父」と呼ばれている。消毒、麻酔、抗生物質の発見がどれだけ人類に貢献したかと思う。エディンバラ市・ロンドン市・田園地帯(コッツォルズ)など廻ってきた。印象に残ったことを3つ挙げる。@先人の業績を大切に保管・展示している。A建物・家具など古いものも大切に使用していること。Bガーデンが整理されて、花壇が綺麗に管理され、家のガラス窓がどこも綺麗に磨かれている。違った文化に触れることって大切だと感じた旅であった。
(2009年9月14日発刊)NO.120
「絶えず革新を図らないと企業は存続しない」

 先週、北海道帯広市で開催された中小企業家同友会主催の青年経営者全国交流会(9月10日〜11日)に参加しました。帯広市の地場産業は、北海道でも有数の農業・酪農業で、おいしい食材の宝庫です。記念講演は「家族の絆を結び人と人を結ぶ」という理念の下、地域の食材を生かし日本一美味しいお菓子を、気軽に求めたい値段で提供することを目指している(株)柳月の田村昇社長でした。「日本でいちばん大切にしたい会社」に紹介されている会社です。「変化する社会の中で、自分だけが変化しないで生き残ることはできません。かわらないでもらいたいと思う気持ちが抵抗勢力です。敵は自分の心です。自分から変化しない限り状況はなにも変わりません。」の言葉は、会社経営は勿論ですが、人の生き方も同じだと思いました。また、「あなたの会社がなかったら、お客様は本当に困りますか? 代役はいませんか?」の問いかけは、岡山旭東病院がなくても代役はいるではないか、もっと地域に必要とされる病院に成長させようと決意を新たにいたしました。

参考:坂本光司著 「日本でいちばん大切にしたい会社」あさ出版
(2009年9月7日発刊)NO.119
「共に育つ 〜脳の発達から思う〜」

 赤ちゃんを授かると、両親は、「這えば立て、立てば歩め の親心」と今も昔も思いは同じです。私たちはみんなこうして育ってきたわけです。今の親も、わが子に幸せな一生を送ってほしいと願っているに違いありません。人は社会に出て、自立する中で、共に育ちあう環境が、一人一人にとっても幸せな社会をつくっていくのかなと思います。人はそれぞれ違い、ユニークな存在であり、それぞれが関わって社会を構成しています。学問のできる人、スポーツの得意な人、音楽が得意な人、知的障害のある人、肢体障害のある人、そんな様々な人で社会は構成されています。国家の目標は、こうした人が助け合って安心・安全で幸せな国づくりができることです。そのために、憲法があります。企業は、大きい小さいはありますが、いろいろな人を抱えて経営が成り立つように、応分のリスクを共有していくことが必要です。競争社会の中で全ての価値観をマネーで図ると、有能と言われる人材を一人占めにする社会となり、心豊かな愛情の溢れた人は育ちません。子供の脳の発達は、3歳までに基本的な性格が出来上がっているといいます。この時期は、両親の愛情をたっぷり受けることが大切であり、その後の人間としての発達に多大な影響を与えます。人に少しでも差をつけるために、塾、お稽古ごとをと、かなり早くから競い合う大人社会の物差しでは、心豊かな人が育たないように思われます。フィンランドの教育は競争から人は育たないという基本的な考えの基で行われています。共に育ちあう環境は、みんな力を合わせていこう、かげでこそこそしないでいこう、よいことは進んでしよう、いつも何故と考える、もっといい方法はないかを探そうという、大人の共生社会から生まれてくるのではないでしょうか。共に育ちあう共育環境がヒトの脳の発達にも影響を与えるのです。
(2009年8月17日発刊)NO.118
「タイでの旅で感じたこと」

 夏休みを頂いて、8月22日から27日まで、タイ国のプーケット島(人口30万人)に、友人3人で行ってまいりました。プーケット島はリゾート地として有名で、私も楽しくのんびり過ごす予定でした。しかし、お世話してくださった人が普段は医師(保健所所長:医療行政の責任者)をされていて、お蔭で、観光では見られない、一部の貧しいタイの市民生活(漁民)の様子、タイの医療制度なども聞き、医療施設の見学も4か所(保健所・総合病院や地域の公的病院・150床規模のプライベート病院)することができ、Phi−Phi島の観光もいたしました。Phi-Phi島は熱帯魚の宝庫で、スキューバダイビングの愛好家が世界中から訪れます。もちろん、海岸の散歩、店でのショッピングなども楽しみました。タイの医療制度は2重構造です。一般の大衆は、30バーツ(90円)支払えば医療費は無料です。各県に一か所の総合病病院があり、プーケット島の総合病院も見学しました。500床規模、医師100人です。脳外科の医師も4名働いていて、交通事故に起因する頭部外傷が多く大活躍とのこと。病棟は約30人の大部屋(ナイチンゲール病棟)でプライバシーは有りません。従って、仕事で来ている人、観光客やお金のある人は、プライベート病院を利用します。公立病院医師の月給は安く、医師は勤務時間外でオフィス開業をしている人が多く、昼休みの時間や、午後5時から自分のオフィスで仕事をします。給与は病院の何倍もあるとのことです。タイは今、発展途上の国です。10年後には医療制度も大きく変貌を遂げていることでしょう。日本にも色々の問題があり、医療崩壊と叫ばれていますが、日本の医療制度は世界一とWHOに評価されていることを実感します。政権が変わっても、国民皆保険制度は国民の共有財産であり国民の納得のうえ維持し改善してほしいと思います。私たちの病院も、国民の税金・会社の負担・個人からの自己負担で成り立っていることを念頭において、医療サービスの向上に努めなければなりません。お世話してくださったタイの皆様のホスピタリティーに感激した旅でした。
(2009年8月17日発刊)NO.117
「平和の誓い」

  64回目の終戦の日を迎えた。第二次世界大戦で敵味方を問わず、多くの人々が戦争で悲惨な目にあっているが、次第に歴史として風化してきているのではないかと憂う。私の父はシベリアへ抑留、母は平城から乳飲み子(弟)を連れて塗炭の苦しみを味わい38度線を歩いて国境を越え帰国。両親とも亡くなって、母15年祭、父5年祭を終えたところである。父は戦争のことをあまり語らなかった。辛い思いがあったことは言葉の端々に伺われた。8月16日政府主催の全国戦没者追悼式が日本武道館で開催されたと、新聞で報道された。天皇陛下の言葉の中で「ここに歴史を顧み、戦争の惨禍が再び繰りかえされないことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」とあった。医療も福祉も、戦争がない平和な世界であればこそ充実されていくものだと思う。世界の紛争や、戦争のある国に医療制度の充実や福祉はあり得ない。広島・長崎と原爆被災国である日本は、武力で国際紛争を解決しないと明記している我々の憲法を大切にして、世界の平和に貢献していかねばと思う。争い事を暴力で解決しない。これは戦争だけでなく、日々の生活も暴力で解決してはならないということだ。人間の闘争本能をコントロールできなければ、人類は破滅の道を歩むしかないのであろうか。
(2009年8月10日発刊)NO.116
「博士の愛した数式」

 「博士の愛した数式」は小川洋子さんの原作である。映画や演劇になり、博士とルート少年、家政婦がそれぞれの持ち味で表現されている。博士は交通事故にあってから、80分しか記憶が保持できない。社会的には障害者である。しかし、博士は80分間の記憶しか残らないが、数式の美しさ、数学の面白さをルート少年に伝えることはできる。そして、ルート少年は、博士との交流の中で、数学に興味を持って成人し、数学教師として教壇に立つ。「博士の愛した数式」は2006年8月に青年劇場スタジアムで初演され、その後、全国各地で上演されている。「博士とルートが日本中を旅しているかと思うと、それだけで幸福な気持ちになってきます」は小川洋子氏の言葉である。登場する「博士」は私達の周囲に沢山いる。交通事故によって、博士のように記憶障害になった人、高齢で認知症となった人、さまざまな原因で記憶障害をこうむった方々がいるのだ。
博士の存在は、ルート少年の人生の方向を決める役割を果たした。金子みすずさんの「みんなちがってみんないい」を受け入れる社会へのメッセージもあるのではないかと思う。障害者問題、母と子、シングルマザー、老いの問題、それぞれに大切な問題が舞台に溢れている。8月8日(土)、家政婦役の湯本弘美さんの参加を得て実行委員会が行われた。青年劇場の連続講演によって、多くの人の心に、愛と笑いとユーモアと人に対する温かい希望の火が灯(とも)ることを願っている。
 「博士の愛した数式」岡山連続公演実行委員会 086−233−1731
「チケット取扱い」ぎんざやプレイガイド、 山陽新聞社サービスセンター
(2009年8月3日発刊)NO.115
「信はたて糸、愛はよこ糸、織り成せ人の世を美しく」

 先日、岡山県吉備中央町・きびプラザ内にある財団法人 岡山県郷土文化財団「岡崎嘉平太記念館」を訪れました。岡崎先生は、この吉備中央町(旧賀陽町)に生まれた郷土の誇りです。先生は、企業活動(全日空社長)をすすめる傍ら、日中友好のために生涯をかけて活動して、日中覚書貿易の時代から、周恩来総理と日本の未来を話し合い親友となり、心の絆を大切にしました。嘉平太さんは、心が清らかで私欲のない人として中国の人からも尊敬されて、田中角栄首相による日中国交正常(1972年)にいたる道に多くの貢献をされました。周恩来総理は、「中国の水をのむときには井戸を掘った人のことを忘れない」と感謝して、嘉平太先生を北京に招待しました。岡崎先生は、「信はたて糸、愛はよこ糸、織り成せ人の世を美しく」の言葉を好んだといいます。信なくば立たずとも言いますが、人の言葉が信用できて、愛の心で織りなした素晴らしく美しい布を織った人であったと思います。岡崎嘉平太先生はそんな人だったのだと記念館を拝観して感じました。
(2009年7月27日発刊)NO.114
「学ぶことは、生きること」

 坂村真民先生の「詩」に「一本の道を」がある。私の好きな詩である。

木や草と人間と
どこがちがうのだろうか
みんな同じなのだ
いっしょうけんめいに
生きようとしているのをみると
ときには彼等が
人間より偉いとさえ思われる
かれらはときがくれば
花を咲かせ
実をみのらせ
じぶんを完成させる
それにくらべて人間は
何一つしないで終わるものもいる
木に学べ
草に習えと
わたしはじぶんに言いきかせて
今日も一本の道を歩んで行く

動物は生きるために、野原を歩き、食物を探し求めて行動する。木や草も、生きるために、どんな悪環境の中でも、花を咲かせて実を実らせ、次代に命を継続させている。しかし、人間だけは、何もしないでも生きることもできる。かわりに、学びそして、人生の花を咲かせることもできるのだと真民先生の詩にふれるたびに思う
(2009年7月21日発刊)NO.113
「通さぬは、通すがための道普請」

 病院で、毎年、取り引きのある会社の担当者さまをお呼びして、懇談会を開いている。今年は、7月18日(土)に約100名の方々に来ていただき、当院のクラリネット奏者(図書司書)による演奏のあと、山本正夫先生(元岡山西署署長・県警本部刑事部長)に「こころ豊かに美しく」の演題でお話しいただいた。参加者全員に著書「母を想う」に直筆のサインまでいただき恐縮した。ありがたいことだった。
ご著書より一文を紹介したい。
私の亡母は、私が試験などで、思い通りにならなかったとき、必ずといっていいほど、「もっともっと努力を重ねて通るから、あなたにとって、より明るい将来の道が開ける、ということです」といったものだ。よくよく考えてみれば、「工事中・通行禁止」の標識は、現状を改善して、近い将来、より広くより安全な交通を実現するために、一時的通行止めを意味するが、当時の私にとっては、喜べる言葉でなかった。振り返ってみると、昭和24年の春、高校卒業を前に、家庭の諸事情から、「進学は諦めます」といった私に「すまないねえ」と悲しそうに言った。その日から39年を経て、昭和63年に始まった現在の私の大学生活を思うと「やはり道普請だったのでしょう」と微笑む亡母の姿が、瞼に浮かぶ。 
注「昭和63年に退職後、岡山理科大学非常勤講師として教壇に立つ」
山本正夫著「母のぬくもり」「失ったもの得たもの」「生かされて日々」「こころは大丈夫よ」「心豊かに美しく」「読者はわが子―芹沢光治良先生と山本正夫との往復書簡集」など
(2009年7月13日発刊)NO.112
「汗水たらして、働くこと」

アメリカのサブプライムローン(低所得の人に高利で資金を貸し付ける)に端を発した現在の状況が、金融商品(デリバティブ)に世界中の銀行等が金利を求めて投資した結果だとわかってきました。私は単純に、金が金を生む実態のない錬金術に多くの人が気づかなかった結果だと思います。汗水たらして働くことが、「いきる、暮らす、人間らしく生きる」ことのできる、心豊かな社会をつくっていくものと思います。
(2009年7月6日発刊)NO.111
「医者にかかる10個条」あなたが“いのちの主人公”からだの責任者

@ 伝えたいことはメモして準備
A 対話の始まりはあいさつから
B よりよい関係づくりはあなたにも責任
C 自覚症状と病歴はあなたの伝える大切な情報
D これからの見通しを聞きましょう
E その後の変化も伝える努力を
F 大事なことはメモをとって確認
G 納得できないときは何度でも質問
H 医療にも不確実なことや限界がある
I 治療方法を決めるのはあなたです

これは「ささえあい医療人権センターCOML」(代表は辻本好子さん)の提案です。モンスターペイシェント(問題患者)の方もいらっしゃいますが、多くは協力的な患者さまです。医師と患者さまの信頼関係が診療治療にもっとも大切です。私達も日々学び、成長して患者にさまに適切な医療サービスを提供してまいりたいと思います。
(2009年6月29日発刊)NO.110
「あの日のことを多くの人に伝えたい 64年目の夏」
 「夏の雲は忘れない」1985年から23年間、18人の女優さん達が、毎年7月から8月にかけて朗読劇「この子達の夏」を上演してこられました。「1945・ヒロシマ・ナガサキ」の副題が示すように、原爆によって突然、人生の未来をたたれてしまった子供たちの言葉や、お母さんの言葉や手記を、音楽とスライドの力をかりながらひたすらに読むというシンプルな舞台です。昨年、その公演が中止になって、途方に暮れるなかで、18人の女優さんが「夏の会」を立ち上げました。私は、お世話する人に誘われて「日色ともゑ」さんによる朗読劇のワークショプがあると聞いて参加しました。「日色ともゑ」さん達のあの痛ましい原爆の惨禍を二度と繰り返してはならないという思いが、朗読劇にかける活動の原動力なっているのだなと思いました。この全国をまわる朗読劇が、一人一人の心に平和の火を灯すことを願っています。私も公演に参ります。
岡山公演 出演:大橋芳枝、高田敏江、中村たつ、日色ともゑ、山口果林、渡辺美佐子
日時:2009年7月12日(日)開場13:30 開演14:00
場所:三木記念ホール
チケット:一般2000円(当日2500円)
小学生〜中学生 1000円(当日1500円)
チケット申し込み 事務局 080−5616−9740
岡山旭東病院 企画課にも前売りチケット(一般のみ)が多少あります。
(2009年6月22日発刊)NO.109
「笑顔と笑いの効用」
 岡山少年友の会は、平成18年10月6日、「非行少年の更生に少しでも役立つ活動」を主たる目的に設立されています。岡山調停協会連合会所属の民事・家庭調停委員並びに司法委員、参与を中心として設立され、210名の会員で構成されています。将来の社会を担う少年達は非行を犯して審判の対象になっているが、少年達の審判の場においては、付添い人が活動を通じて適切な保護処分が少年達になされるように協力し、また、より良い補導委託先を開拓することによって、少年の健全な育成に必要な環境整備などを援助する役割を果たしています。わたしは、この友の会の総会に呼ばれ「脳を大切に〜笑顔と笑いは元気の源」と題して講演しました。そのときお世話いただいた方に「非行少年には、本来備わっている笑いが失われている」と聞きました。笑いの大切さ、笑える環境が、家庭でも職場でも大切だとしみじみ感じたものでした。また、小児期に愛のシャワーは大切だとも学ばせていただきました。

<RED NOSE DAY(レッドノーズデー)のご案内>
 8月7日(金)はレッドノーズをつけて、笑顔のムーブメントを起こそう。
ユーモアをもって8月7日(鼻の日)をお祝いしましょう!!
詳しくはRED NOSE DAYのホームページをご覧ください。
(2009年6月15日発刊)NO.108
「博士の愛した数式」小川洋子著
 この小説は、大学の教官であった数学者が交通事故に遭遇して、脳の損傷をきたし、外傷後は記憶をたもつことが80分間しか出来なくなった博士のもとに派遣された家政婦と息子ルート(10歳)の交流の物語である。博士は、阪神タイガースの大ファンであり、江夏(背番号28)の事を鮮明に覚えている。博士は、ルートを愛し、80分の記憶の中で、ルートに数学の魅力を教え、人生を左右させる影響を与えた。その後ルートは、学生時代の大学まで野球部に在籍し、大学を卒業後、数学の先生になるという物語である。家政婦と息子ルートとの心温まる交流が読む人を引き付けて止まない。私は、職業柄、交通事故によって頭部外傷後に、高次機能が障害されて、記憶力が障害された人を数多く診てきた。また、生まれながらにハンディキャップをもって生まれてくる人もいる。博士は私達の周りにたくさんいる。人間社会の構成員として、社会に多くの貢献をしている。ただ、多くの人は、そのことを知らないし、重荷と思っているか、無関心である。私の患者さんで、交通事故によって重度の記憶障害を残し、そのために父親は、NPO法人の事業所を立ち上げた方がいる。多くの人が協力していて、一隅を照らす事業を起こした。「博士の愛した数式」の演劇が岡山市(11月5日〜8日)で公演される予定である。今から、楽しみにしている。
(2009年6月8日発刊)NO.107
「戦争と平和」
地球上、今もどこかで、紛争を殺し合いで解決しようと、一人一人にとってはかけがえのない命を失っています。それが戦争です。テロ活動も新たな戦争です。当院の副院長(土井基之)たちロータリーの仲間が、カンボジアでの小児病院の支援活動として、チャリティーコンサート(5月22日)を岡山シンフォニーホールで多くの人を集めて開催しました。カンボジアは内戦の為に、産業が育たず、教育も遅れ、医療はもっとも悲惨な状態にあります。アンコールワットを生んだ、歴史と伝統のある国も戦争が母親にも子供にも過酷な運命をもたらしています。医療崩壊といいながら、日本は平和で素晴らしい国です。2009年7月12日(日)「夏の雲は忘れない」の朗読劇が三木記念ホールで行われます。日色ともゑさんたちが平和への思いを、朗読劇に託します。多くの人の心に、平和の火を灯していきましょう。 日色ともゑさん達、16人の女優さんが全国で朗読劇を開催しています。医療も平和であってこそ、多くの人に恩恵がひろがります。もし希望の人があれば、入場券は当院企画課(木下)まで連絡くだされば事務局に連絡します。
(2009年6月1日発刊)NO.106
「死ぬこと」
人間は死んでいくもの。生まれて間もなく、様々な状況で死んでいきます。可愛い子供の時に、働き盛りで、定年を過ぎて楽しもうとした矢先、80歳で、100歳と年を重ねて死んでいきます。死に方も様々、地震、交通事故、転倒、登山などの不慮の事故、戦争や広島・長崎のように原爆で、脳卒中や心臓病、癌などの病で亡くなります。いずれにしても生きとし生ける者は必ず死んでいきます。孔子の言葉「逝くものは斯くの如きか、昼夜を舎かず」は人間も川の流れのように昼夜を分かたず流れ流れているではないか、を意味しています。私達の死は身近にあるに関わらず、自分の死について考えることが少ないと思います。先日、5月31日(日)岡山・生と死を考える会主催のセミナーが開かれ、徳永進先生「まあるい死」、アルフォンス・デーゲン先生の「人生の輝きを求めて」の講演を聞きました。医療の中で、終末期医療という言葉が使われていますが、徳永進先生の話から、臨床現場で全てが満足(まるい)する死はないといいます。最後まで、命の炎が消えるまで、あるゆる努力をするのか、自然に任せて、終わりを迎えるのか、これを選択する時代です。これは政治や行政の問題でなく、私達自身が考える問題だと思います。生命は時間です、生命(いのち)の絆を大切に、時(命)を丁寧に過ごしていきたいものです。
(2009年5月25日発刊)NO.105
「廊下の紙屑」

 廊下の紙屑というものは、それを見つけた人が拾ってやるまで、いつまでもそこに待っているものです。もっともこれは、紙屑を拾うように努めている人だけが知っている消息なんですが−−−
このように、世の中には、実践しなければわからない世界が限りなくあるのです。足元の紙屑一つ拾えないで、何が実践ですかと、言いたい。「森信三魂の言葉」寺田一清(編)より。また鍵山秀三郎先生・講述「凡事徹底」の中にも、「誰でもできる簡単なことで人に差をつける。」がありますが、それは、掃除の徹底だったと思うのです。 誰でもできる簡単なことを疎かにせず日々励んでいきたいと思います。
(2009年5月18日発刊)NO.104
「掃除の効用」

 5月15日(金)東京で第11回富士通病院経営戦略フォーラムが開催され、私も参加しました。同じパネリストで、現在、徳島県病院事業管理者をなさっている塩谷先生は、公務員の意識改革の手段の一つとして、「病院近隣の掃除」を実行することによって、職員の心が一つになり、職員のやる気に火をつけたと報告されました。掃除が心をきれいにし、やる気を引き出すのだと思います。当院の近くに、エヴァホールという葬祭事業を行っている会社がありますが、当院の病院周囲も、ときに清掃をして頂き感謝しています。ちなみにこの会社は、業績もあがって、評判も良いです。イエローハット(株)の創業者鍵山秀三郎氏は「徹底した掃除」することを実践され、素晴らしい会社に発展させました。多くの人々が学び、掃除の素晴らしさを実感しています。私もまず、「魁より始めよ」で身の回りから実践してまいりたいと思います。
(2009年5月11日発刊)NO.103
「人の生き方と健康」

健康の目的は健康長寿で良かったと言える人生を送ることです。ではどうしたらよいのか、古来多くの人が考えてきた問題です。井上靖の著「孔子」に素敵なヒントがあります。中国は紀元前500年の昔、戦乱に明け暮れる、春秋時代。孔子の一行が、中原遊説放浪の旅の途次、ある町の市長にあたる人が、弟子の子路に聞いた。「お前さんの師・孔子はどんな人であるか」と、しかし、子路は答えられなかった。そうすると、孔子は子路よ、お前さんは言わなかったのか。このように言ってくれれば、よかったではないか。孔子はちょっと顔を和らげて、“その人となりや、墳(いきどうり)を発して食を忘れ、楽しんで以って憂いを忘れ、老いのまさに至らんとするを知らざるのみ”私はまさしくこうした人間である。これ以上の人間でもないし、これ以下の人間でもない。私流に解釈すると、
毎日、社会の理不尽なことが報道されるが、これらの事に、墳(いきどうり)を感じて、学習し行動する。また世の中にはいいこともあることを聞いて、楽しみ、憂いを忘れて、
年を重ねるのも忘れるということではないでしょうか。孔子の生き方は今の乱世にも参考になると思います。
参考文献  井上靖著 「孔子」 新潮文庫
(2009年4月20日発刊)NO.102
「こそ丸」が宮崎県で紹介される!」

 「こそ丸」は以前「院長のひとりごと」にも紹介した当院のオリジナル商品(?)です。
九州の宮崎日日新聞の社長さんの目にとまり、お電話をいただきました。「こそ丸」の由来、薬効などなどを電話でお話ししました。私のユーモアを理解してくださった上に、宮崎日日新聞のコラム「くろしお」に記事として書いて頂き、早速その4月12日(日)号を送って頂きました。
以下はその記事の抜粋です。
「宮崎市の産婦人科医、谷口二郎さん(59)が「観光みやざき」(4月号)のエッセーに書いていた、見知らぬ薬屋から中身が空っぽの「こそ丸」という名の薬を買う。まさに容器だけ。ただ効能は谷口さんが太鼓判を押していた。それを読んだ同僚が薬を探した。あった。発売元は岡山市・岡山旭東病院。早速取り寄せ、届いたのは空の瓶容器だ。「こそ丸」の文字の横に「錠剤が見える人と見えない人があります」のただし書き。一回に二、三粒水と一緒に..と勧める。実はこの薬、土井章弘同病院長のあふれる茶目っ気から生まれた。親や子がいればこその「こそ」が薬品名の由来とし、成分は愛情や感謝など。不平不満病によく効き、副作用はない。見えない謎の薬の正体は「心の錠剤」だ。値段は105円。毎月100個は売れるらしい。」
コラムの前段で、浦島太郎の伝説を紹介。「空っぽの玉手箱の煙によって、たちまち老人になる物語。実態のない見えない空間こそ、豊穣な解釈と想像力が働くのだろう。「こそ丸」はその白煙を謙虚さに代えた「現代の玉手箱」。多忙な現代人の心のわすれものはありませんかと問う。それは未来からのお土産なのかも。」
素敵な文章を書いてくださいました社長さんに心から感謝しています。「こそ丸」が多くの人から共感をいただければ法外な喜びです。政治家同士が、前がおればこそと言って、お互いに「こそ丸」を服用して下されば世界平和も夢でありませんが。
(2009年4月13日発刊)NO.101
「花ひらく心ひらく道ひらく」
 「花ひらく心ひらく道ひらく」 坂村真民
久しぶりに土曜日に町内の公園の掃除に参加して書斎に入ると、講談社からでている、真民さんの本が、私を書棚から呼んでくれた。真民さんの詩は辛い時、苦しい時、楽しい時、嬉しい時、いつも励まし、私を癒してくれる。
それが「真民さんの詩」に宿っている力なのだ。花がひらくように、心をひらくと、道もひらいてくれる。「念ずれば花ひらく」の詩人と言われているが、そんな一生を貫かれたお人だと、常に敬愛の念が湧いてくる。「幸せの帽子」という私の大好きな詩がある。

   「幸せの帽子」

   すべての人が幸せを求めている
   しかし幸せというものは
   そうやすやすと
   やってくるものではない
   時には不幸という帽子をかぶって
   やってくる
   だからみんな逃げてしまうが
   実はそれが幸せの
   正体だったりするのだ

   わたしも小さい時から
   不幸の帽子を
   いくつもかぶせられたが
   今から思えばそれがみんな
   ありがたい幸せの帽子であった
   それゆえ神仏のなさることを
   決してうらんではならぬ

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